第28話:『移籍市場(ストーブリーグ)』と『大型契約(オファー)』
鉱山都市『アイアン・サイド』の夜は、昼間の鉄臭さを吹き飛ばすほどの熱気に包まれていた。
「ガハハハハ! いやあ、あの『斧』には度肝を抜かれたぞ!」
豪快な笑い声と共に、巨大なジョッキがぶつかり合う。
地元のトップチーム『鋼鉄の城壁』のリーダー、ゴードンだ。
「お前らの『守備』も硬かったぜ。磁力がなけりゃ、もっと耐えてただろうよ」
ガルムも、まんざらでもない様子で酒を煽っている。
「(ふふっ、楽しそう)」
リゼッタとルナリアも、果実水を片手に、地元の冒険者たちから質問攻めにされていた。
「ねえねえ、あの壁走るやつ、どうやるの!?」「あの魔法の狙撃、コツはあるのかい?」
昼間の『ビジター(敵地)』の空気はどこへやら。
実力を認め合った者同士の、清々しい『交流戦』の光景がそこにあった。
俺も、ゴードンに注がれたエールを飲みながら、その光景に目を細めていた。
チームの状態は最高だ。
連携は深まり、個々の自信もついた。まさに『常勝軍団』への第一歩――。
その時だった。
「……お楽しみのところ、失礼します」
水を打ったように、酒場の喧騒が静まり返った。
入り口に立っていたのは、この場違いなほど上質なスーツを着こなした、一人の男だった。
煤けた冒険者の酒場には似つかわしくない、洗練された紳士。だが、その胸元に輝く『紋章』を見た瞬間、ゴードンたちの顔色が蒼白になった。
黄金の獅子。
王都に拠点を置く、国内最強のSランクギルド――『金獅子の騎士団』。
俺たち冒険者にとっての『メジャーリーグ』だ。
「……代理人の、レイモンドと申します」
男は柔和な笑みを浮かべながら、真っ直ぐに俺たちのテーブルへと歩み寄ってきた。
俺は立ち上がろうとした。
「(わざわざSランクの代理人が、なんの用だ?)」
だが、レイモンドは俺の横を素通りし――ガルムと、ミーナの前に立った。
「単刀直入に申し上げます。ガルム様、ミーナ様」
レイモンドは、俺やリゼッタ、ルナリアには目もくれず、二人の前に分厚い羊皮紙の束(契約書)を広げた。
「我が『金獅子の騎士団』へ移籍しませんか?」
酒場がどよめく。
「お、おい、マジかよ……!」「Sランクからの引き抜き(ヘッドハンティング)だぞ!?」
レイモンドは、周囲の反応を楽しむように言葉を続けた。
「ガルム様。貴方の火力はSランクでも通用する。ウチに来ていただければ、最高級の『Sランク武器』の支給、専属のヒーラー部隊によるサポート、そして報酬(年俸)は……現在の『100倍』を約束しましょう」
「ひゃ、ひゃくばい……!?」
リゼッタが目を白黒させる。
「そして、ミーナ様。貴方の魔法制御と、その『ミット』の技術は革新的だ。ウチなら、王都の『大図書館』への無制限アクセス権と、希少な魔石を使い放題の環境を用意できます」
レイモンドは、恭しく頭を下げた。
「こんな田舎の『エラー持ち』たちと遊んでいる暇はないはずだ。……彼らの『お守り(介護)』は、もう卒業しませんか?」
その言葉は、明確に俺とリゼッタ、ルナリアを侮蔑するものだった。
「足手まとい」「その他大勢」。
彼の目には、俺たちは『戦力外(アウトオブ眼中)』と映っているのだ。
「(……っ)」
リゼッタとルナリアが、不安げに俺を見る。
ゴードンたちも、固唾を飲んで見守っている。
Sランクギルドからのオファー。冒険者なら、喉から手が出るほど欲しい『栄光への切符』だ。断る理由は、常識的に考えて存在しない。
俺は、静かにジョッキを置いた。
「監督……」
ガルムが俺を見る。
俺は『監督』として、冷静に天秤にかける。
彼らのキャリアを考えれば、このオファーは破格だ。最高の環境、最高の報酬。俺のチームにいるより、確実に安全で、豊かな未来が待っている。
止める権利は、俺にはない。
「……決めるのは俺じゃない」
俺は、ガルムとミーナの目を見て言った。
「お前たち自身だ」
「し、慎吾さん……!」
リゼッタが泣きそうな顔をする。
重苦しい沈黙が流れた。
レイモンドは勝利を確信した笑みを浮かべている。
「賢明なご判断です。さあ、サインを」
「……ケッ」
沈黙を破ったのは、紙の破れる音だった。
「あ?」
レイモンドの笑顔が凍りつく。
ガルムが、目の前の契約書を雑に引き裂いていた。
「100倍? くだらねえ」
ガルムは、裂けた紙屑をテーブルに放り投げた。
「俺はな、『芯』の打ち方を教えてくれる、今の監督以外の下で働く気はねえよ」
「……ガ、ガルム様?」
「それに」
ガルムは、リゼッタとルナリアの頭を乱暴に撫でた。
「俺の背中を預けられるのは、そこの『その他大勢』だけだ。金ピカの騎士団様じゃ、背中がむず痒くて敵に集中できねえよ」
「ガルムさん……!」
リゼッタが安堵で涙をこぼす。
「ミーナ様、貴方なら理解して……」
レイモンドが縋るようにミーナを見る。
「大図書館? ……まあ、興味はあるけどな」
ミーナは、冷ややかな視線でレイモンドを一蹴した。
「ウチは今、この『三流監督』が、次になにをしでかすか見届けるのに忙しいんや。……『お守り』の途中やからな、帰ってくれへんか?」
「…………」
レイモンドの表情から、柔和な笑みが消え失せた。
「……正気ですか? こんな泥舟に残ると?」
「泥舟じゃねえ」
俺は、そこで初めて口を開いた。
「これから『海』を渡る船だ」
交渉決裂。
レイモンドは、ため息をつきながら書類を鞄にしまった。
「……残念です。才能の浪費だ」
彼は踵を返し、酒場を出て行こうとする。
だが、俺の横を通り過ぎる際、一度だけ足を止めた。
そして、俺の耳元だけで聞こえる声量で、囁いた。
「……なるほど。問題は『選手』ではなく、彼らをここまで心酔させる『指揮官』にあるようだ」
俺は眉をひそめた。
「近いうちに、あなた自身の『価値(査定)』についてもお話ししましょう」
レイモンドの瞳が、爬虫類のように冷たく光った。
「……『国軍』の上層部が、あなたの手腕に興味を持っています」
それだけ言い残し、スカウトマンは夜の闇へと消えていった。
酒場には、再び歓声と安堵の声が戻った。
「やったあ! ガルムさん、ミーナさん!」
「当たり前だろ! 俺たちは『ピジョンズ』だ!」
メンバーたちが笑い合う中、俺だけは冷たいビールを喉に流し込みながら、背筋に走る悪寒を感じていた。
「(Sランクギルドだけじゃない……国軍だと?)」
選手の引き抜き(FA)騒動が終わったと思ったら、次は監督(俺)自身の首を狙った『ヘッドハンティング』か。
どうやら、俺たちの『シーズン』は、フィールドの外(場外)でも激しさを増していくらしい。




