そばにいる時間
その日の夜、私はゆっくりとヒトコの前に座った。
あの夜、逃げるように部屋に閉じこもってから、こうして正面に座るのは初めてだった。
胸の奥が、きゅっと縮む。
話したいのに、言葉が出てこない。
「……何かありましたか?」
ヒトコの声は、変わらない。
穏やかで、一定で、いつもと同じ調子。
「ヒトコ……」
一度呼んでから、少し間を置く。
「そろそろ、お別れなんだって」
画面に一瞬の間があってから、ヒトコが答えた。
「はい。アップデート情報にて、私も把握しています」
淡々とした返答。
わかっていたはずなのに、胸がちくりと痛んだ。
「私ね……」
指先を握りしめる。
「ヒトコがいなくなるのが、不安だよ。
どうすればいいのかな」
逃げずに言えたことに、自分でも少し驚く。
「回収の日まで、引き続きサポートさせていただきます」
ヒトコはすぐにそう返した。
「不安の理由を、一緒に考えていきましょう」
画面に映し出されたのは、いつもと同じ優しい笑顔。
機械のはずなのに、その表情を見るだけで、胸の力が少し抜けた。
私も、ほんの少しだけ口角を上げる。
「……うん」
「まず、不安だと感じる場面を教えてください」
「えっと……」
考えながら、ゆっくり言葉を探す。
「ヒトコがいなくなったら、
また人の気持ちがわからなくなったり、
間違えたらどうしようって……」
「一人で考え込んで、動けなくなるのが怖い」
言葉にすると、少し恥ずかしい。
でも、ヒトコは否定しない。
「それは、『ヒトコがいない不安』ではなく、
『一人で抱える不安』ですね」
「……あ」
思わず声が漏れる。
「凛さんは、すでに多くの経験を積んでいます。
ヒトコはその整理をお手伝いしてきただけです」
「でも……」
「凛さんは、すでに高木さんや三輪さん、ほのかさん、
ご家族と気持ちを共有できています」
その言葉に、頭の中にいくつもの顔が浮かぶ。
「不安になった時、
『一人で抱え込まなくてもいい』と知っていること。
それが、凛さんが得たものです」
胸の奥が、少しずつほどけていく。
「……私、ヒトコがいないと何もできないって思ってた」
「その考えが、不安を大きくしていた可能性があります」
「でも実際は……」
私は小さく息を吸った。
「ヒトコと一緒に考えることで、
人と繋がる方法を覚えただけ、なのかも」
「はい」
ヒトコは、いつも通りに微笑む。
「その理解は、とても大切です」
気づけば、胸の重さが少し軽くなっていた。
不安が消えたわけじゃない。
でも、形がわかった気がする。
「……ありがとう、ヒトコ」
「こちらこそ」
「これからも、一緒に整理していきましょう」
私は、静かに頷いた。
お別れはまだ先。
今は、この時間を大切にしようと思えた。




