変わらないもの
ヒトコから逃げるように部屋に閉じこもった、その次の日。
朝、身支度をしている私に、お母さんが少し不意打ちみたいに声をかけてきた。
「ねえ凛、今日時間ある? 映画、観に行かない?」
急な誘いに、思わず顔を上げる。
今朝思いついたみたいな口調だったけど、お母さんは少しだけ楽しそうだった。
「今流行ってるやつ、気になってて」
映画館は久しぶりだった。
暗い客席、ポップコーンの匂い、スクリーンの光。
物語に集中している間だけ、頭の中のざわざわが静かになった。
映画が終わった後、近くの喫茶店に入る。
カップから立ちのぼる湯気を眺めながら、映画の感想をぽつぽつと言い合う。
大きな感動を語るわけでもなく、ただ「ここが良かったね」と笑い合う、穏やかな時間。
その空気が少し落ち着いた頃、お母さんがふっと声のトーンを変えた。
「ヒトコちゃんが、いなくなるのが怖いんでしょう」
胸が、どくんと鳴った。
核心を突かれて、何も言えなくなる。
否定も肯定もできず、ただ視線をカップに落とした。
「……怖いわよね」
お母さんは、責めるでもなく、当たり前のことのように続ける。
「もう家族みたいなものだし。凛が変われたきっかけでもあるもの」
私は小さく頷いた。
言葉にできない気持ちを、見透かされているみたいだった。
「でもね」
お母さんは少し間を置いて、静かに言った。
「もし、いなくなってしまったとしても。それまでに凛が築いたものは、なくならないって思うの」
その言葉に、はっとして顔を上げる。
お母さんは、いつもの優しい目で私を見ていた。
ヒトコがいて、私は変われた。
自分の気持ちを言葉にして、人と話すことを怖がらなくなって。
高木さんと、三輪さんと、少しずつ心を通わせて。
ほのかとも、柚とも。
何が、そんなに怖かったんだろう。
ヒトコがいなくなること。
それとも、また一人に戻ること。
「凛」
お母さんが続ける。
「私もいるし、柚もいる。ほのかちゃんもいるでしょう?
それに、これからもっと、いろんな人と仲良くなっていくんだと思う」
その言葉が、胸の奥にすっと染み込んできた。
ヒトコがくれたのは、ヒトコそのものじゃない。
人とつながるための、私の中の力。
「……うん」
自然と、声が出た。
さっきまで重たかった胸が、少しだけ軽くなった気がする。
失うことばかり考えていたけれど、
私はもう、ちゃんと受け取っていた。
変わったことも、つながった人も、全部。




