「ヒトコのこと」
放課後の教室には、もう夕陽が差し込む季節になっていた。
三輪さんと高木さんと私は、文化祭実行委員の最後の仕事のレポート作成をしていた。
誰も話さない時間が、けれど不思議と嫌じゃない。
どこか安心できる静けさがあった。
「ねぇ、綾瀬さん」
沈黙を破ったのは三輪さんだった。
「最近、ちょっと変わったよね」
「えっ……」
「いい意味で」
その言葉に少し救われた気がした。
「うん、私も思う」
高木さんが続ける。
「前より、ちゃんと人を見てるっていうか。前はさ、何考えてるのかわからない感じだったけど、最近は雰囲気も柔らかくなって話しやすいよねー」
そう言いながら笑う。
「……そうかも」
私は照れくさくて、机の上の紙をそっとまとめながら小さくうなずいた。
「どうして変わったの?」
三輪さんが首を傾げる。
少し考えてから、私は意を決して口を開いた。
「……“ヒトコ”っていうAIがいてね」
「AI?」
「うん。お家のリビングにある機械なんだけど、言葉を練習したり、気持ちを整理したりするのを手伝ってくれるんだ」
言いながら、胸の奥が少し熱くなる。
自分の中では当たり前の存在だけど、三輪さんに話すのは初めてだった。
「前も話聞いたけどすごいよねー」
高木さんが感心したように言う。
「発達障害の支援だっけ?最先端って感じ!」
「そうかな……」
頬が熱くなる。
けれど、三輪さんの表情は少し違った。
どこか引っかかるような、慎重な顔。
「その……ヒトコって、ずっといるの?」
「え?」
「だって、AIでしょ? プログラムとか、期間とかあるんじゃないの?」
一瞬、時間が止まった気がした。
「期間……?」
「うん。なんか、テストとかモニタリングとか、そういうのじゃないの?」
その言葉に、心の奥がざわつく。
たしかに――ヒトコは“モニタリングテスト中”だと説明されていた。
そのことを、私はあまり深く考えていなかった。
ヒトコはいつも隣にいて、話を聞いてくれて、言葉を教えてくれた。
終わりがあるなんて、考えたこともなかった。
「……たぶん、そうかもしれない」
自分の口から出たその声が、かすかに震えていた。
「ヒトコ、モニタリングテストって言ってた。終わったら……どうなるんだろう」
不安が、ゆっくり胸の中に広がっていく。
「終わるって、いなくなるってこと……?」
高木さんが静かに尋ねる。
私は答えられなかった。
わからない。
考えたくない。
けれど、三輪さんの言葉が現実の形をして押し寄せてくる。
「……ごめん。なんか変なこと言っちゃったね」
三輪さんが小さく視線を落とす。
「ううん……ありがとう。気づかなかった」
それだけ言うのが精一杯だった。
教室の外から、部活の声がかすかに聞こえる。
私は窓の外を見ながら、ヒトコの姿を思い出していた。
静かに光る筐体のランプ。
私の言葉を待ってくれる、優しい声。
あの時間は、いつまで続くんだろう。
「……帰ったら、話してみようかな。ヒトコに」
「そうだね」
高木さんが穏やかに言う。
「ちゃんと話せばきっと大丈夫だよ」
私は小さくうなずいた。
でも心は不安に満たされたままだった。




