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声にならない声

翌朝、私はいつものように少し早めに学校に着いた。

まだ廊下には人の姿はまばらで、教室に入ると机を並べる音や笑い声がちらほらと響いていた。

そのざわめきの中で、私が耳を澄ませて探しているのは——たった一人の声。


高木さん。


彼女は窓際の席に座っていて、友達と笑いながら話していた。

昨日の夜、ヒトコと一緒に練習した言葉が頭の中をぐるぐると回る。


——「また話したい」


たった7文字。

言うだけなら簡単なはずなのに、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、息苦しくなる。

心臓がドクンドクンと大きな音を立てている。

私は机にカバンを置きながら、ちらりと高木さんの横顔を盗み見た。


今なら言えるかもしれない……!


息を吸って、声を出そうと口を開いた。

でも、声は喉の奥で止まってしまった。

ただ空気がすっと抜けただけで、何も音にならない。


「おはよう」

練習では何度も繰り返したその言葉は、頭の中だけで響いて消えた。


私の口は閉じたまま。

何も伝わらない。


高木さんは楽しそうに話を続けていて、私に気づくことはなかった。

その笑顔を見れば見るほど、胸の奥がじんわり熱くなる。

けれど、その輪の中に私の居場所はない。

近づきたいのに、足がすくんでしまう。


言わなきゃ……言わなきゃ……!

心の中で必死に繰り返すけれど、声はを作る前に空気に溶けて消えていく。


——チャイムが鳴った。


その瞬間、タイミングを失ったことに気づいた。

机に座りながら、私は唇を強く噛んだ。


また、できなかった。


ノートの端に小さく「また話したい」と書き込む。

インクが紙にじわりと広がり、まるで私の気持ちがにじみ出しているみたいだった。

涙の気配が喉まで上がってきたけれど、ここで泣いたら本当に声が届かなくなってしまう。

私は顔を上げ、必死に堪えた。


——昼休み。


午前中の失敗を思い出して、心はずっと落ち着かなかった。

でも、ヒトコの言葉が頭に浮かぶ。

「練習のつもりでいい。完璧じゃなくても、小さな一歩が大事です」


小さな一歩。

私はそれを信じて、もう一度挑戦することにした。


友達と一緒に笑っている高木さんの姿が見える。

その輪の中に入る勇気は、まだない。

けれど、近づくだけならできるかもしれない。


深呼吸をひとつ。

立ち上がり、一歩、二歩と足を運ぶ。

教室のざわめきが遠のいて、自分の心臓の音ばかりが耳の奥に響く。

近づくごとに胸が苦しくなる。


「……っ」


声を出そうとした瞬間、喉がぎゅっとつまってしまった。

出てきたのは、空気に溶けるようなか細い声だけ。


「ん?」


高木さんが一瞬、こちらを振り返る。

けれど首をかしげただけで、すぐにまた友達との会話へ戻ってしまった。


私は立ち尽くした。

声は届かなかった。

ほんの少しの勇気も、形にならなかった。


それでも。


昨日は、席に座ったまま見ていることしかできなかった。

今日は、立ち上がって歩き出せた。


小さな一歩。

まだ声にはならなかったけれど、その一歩は確かに私の中に残っている。


私は深く息を吐き、席に戻った。

ノートを開き、さっきの「また話したい」という文字を見つめる。

にじんだインクの向こうに、小さな光のようなものが見えた気がした。


——次は、もう少し届くかもしれない。


そう心に言い聞かせながら、私は静かにペンを握りしめた。

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