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私の配線は、少し違うらしい

「最近、学校はどうですか?」


診察室に響く、担当医・朝比奈先生の穏やかな声。

私は、答えをすぐに返さない。

思考を並べ、要点を絞り、誤解が生まれない言葉に整えてから口を開く。


「……問題は、特に発生していません。

ただ、担任の先生には、“空気を読む努力が足りない”と指摘されました。」


朝比奈先生は「ふむ」と軽くうなずき、記録用のタブレットをタップした。


「君の“問題がない”っていうのは、観測された障害がないって意味だよね。

ただし、周囲の反応を見て“違和感”を察知する力はまだ不足してる。

君の正確さはすばらしい。でも、人の社会ではそれがズレになることもある。」


私はうなずく。理解はしているつもりだった。


「だからね、凛ちゃん。ちょっとこれを見てもらいたいんだけど…」


私は朝比奈先生が手渡した資料を受け取る。紙の端が少し曲がっているのが気になって、無意識に指で整えた。

手渡された資料に書いてあったのは無機質な瞳を持ったキャラクターの顔。


「今、うちの大学が進めている共同研究があるんだ。

“感情の言語化と自己理解”をサポートする対話AIの研究。

発達特性を持つ子どもたちにどう作用するかを調べている。」


「AI……ですか?」


「うん。ただの機械じゃないよ。対話を重ねながら、その人の言葉に合わせて“感情”を整理していく。

簡単に言えば、自分の気持ちを見つける手助けをしてくれる“会話相手”なんだ。」


「私には必要ないと思います。感情に支配されない方が、効率的です。」


「それも一つの考え方だね。でも、“効率”じゃ片づけられない場面も日常にはある。

学校での会話、人との距離感、知らないうちにストレスが溜まっていないか……」


先生の言葉が、頭のどこかを突いた。私は瞬きをして、口をつぐんだ。


「今回のAI導入は“モニタリングテスト”の一環なんだ。

導入前後の変化を見るために、2ヶ月ほど家庭に設置して、必要な会話ログだけを匿名で研究に使う。

もちろん、すべて保護者の同意があって、凛さんの了承も得られたうえで、だけどね。」


「……拒否は、できますか?」


「できるよ。でも、これは“治療”じゃない。ただ、君自身を知るための“会話の相手”を一人増やすようなものだ。

言葉にならない気持ちを、無理に言葉にしなくてもいい。

でも、もし言いたくなった時、それを受け止める相手がいても、いいと思わない?」


「……わかりません。でも……検討します。」


「それで十分。無理はしないでね。」



その夜。

私はリビングで教科書を読み返していた。予定通りの復習。リズム通りに進む時間。

けれど、その隣で妹の柚の声が弾んでいた。


「お姉ちゃん!聞いて聞いて!今日さ、クラスで飼ってるウサギにエサあげたのー!そしたらね、先生が『ありがとう』って!で、お姉ちゃんが好きなにんじんもね、ウサギはね……!」


柚の言葉は止まらない。テンポも感情も自在に変わる。

私は何か返すべきかと考えるが、タイミングが見つからない。


「……それは、良かったですね。」


私の返答に、柚は一瞬だけ首をかしげる。でも気にした様子もなく、次の話題へ飛び込んでいった。


母はキッチンで洗い物をしている。

「今日、病院だったわよね」と声をかけてきたが、背中を向けたままだ。


「朝比奈先生から連絡があったわ、“ヒトコ”だっけ?いいんじゃないの?私は仕事でトレーニングとか出来てないし。凛が嫌ならやめるけど。」


「嫌ではありません。」


「明日書類書いとくから、後で朝比奈先生に出しといてちょうだい」


「わかりました。」


それだけで“ヒトコ”導入の相談は終わった。私もそれ以上の会話に必要性を感じなかった。


母はいつの間にか妹との会話に移っていた。

母の背中と妹の笑い声の間に、自分だけが“機械”のように浮いている感覚があった。


私の中には“正しさ”はあるけれど、“あたたかさ”が足りないらしい。

それが人間らしさなら、私はやはり、まだそこに届いていない。


知らない機械と話すことに、どんな意味があるのかは分からない。

でも、少なくとも今の私は、“人”と話すより、その方が簡単かもしれない――そう思った。

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