波の音
波が浜辺へと打ち寄せる音で目を覚ました。
ベッドサイドに置かれたスマートフォンを見ると午前五時を少し過ぎた時間を指していた。
気だるさの残る寝起きに大きく「ふぅ」と息を吐くと自分が涙を流している事に気が付いた。
どうやらまた彼女の夢を見ていたようだ。
彼女の夢を見た時に必ず行う、どんな夢だったか頭の中で反芻して夢の場面を思い浮かべた。確かにそこに彼女は存在していた。
けれども、いくら思い出そうとしても彼女の声も顔も思い出せない。
いつもそうだ、彼女と別れて長い年月を経てしまった僕の記憶は彼女の事を少しずつ少しずつ、水に浮かべた氷が溶けるように消えていく。
「真帆……」
自然と口に出た彼女の名前。その言葉の響きにどこか慈しみを感じて僕はベッドから起き上がった。
真帆の夢を見る。と言う僕にとっては至福とも言える時間は直ぐにいつもの日常へと追いやられ、覚めきらぬ思考のまま朝のルーティンでもあるシャワーを浴びに浴室へと向かった。
服を脱ぎ捨て洗濯機の中へと放り込むと、一糸まとわぬ姿になり熱いシャワーを浴びる。
お湯の熱に体と意識が完全に覚醒した頃には泣きながら目覚めた事など思考の彼方へと追いやられていた。ただ……彼女の今では思い出す事すら出来ない彼女の残滓だけが頭の片隅で燻っていた。
トーストをトースターで焼きながら、お気に入りの珈琲豆をドリップする。トーストに目玉焼きと言うだけの簡単な食事を済ませるとまだ乾き切っていない髪のまま首にタオルを巻いて部屋着のまま部屋を出た。
マンション前の堤防道に出て、ふと何を思ったのか幅30cmほどの堤防の上に座り込む。
初夏の海風は実に心地好く波音のメロディに耳を癒す。
寄せ波のように彼女の事を思い寄せるが、引き波のように記憶を遠ざける。
5分ほど経ったであろうかふいに座っていた腰を上げ、履いていたズボンの後ろを「パンパン」と2度ほど叩き砂を落とすとまた海を見ながら歩き始めた。
こんな時は決まって彼女と初めて会った時を思い出す。
そうあれは確か……秋の紅葉も終わり冬の足音が聞こえてくる時期だった。
遅筆になるかと思いますがよろしくお願いします。