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第四章 胡散臭き商人

目の前の男 ─── メルカトルと名乗った ─── は、薄汚れたローブをまとい、背には大きな革袋を背負っている。年の頃は四十代半ばといったところか、日に焼けた顔には深い皺が刻まれ、抜け目のない光を宿した小さな目が、二人をじろじろと観察していた。その視線は、まるで品定めでもするかのように執拗で、樹は思わず身構えた。森の木々がざわめき、男の背後から冷たい風が吹き抜ける。空気がひりつくような緊張感が漂った。

「面白いもの、ですか …… 」樹は、警戒心を解かずに答えた。「俺たちは、道に迷ってたまたまここに …… あなたこそ、こんな森の奥で何を」

メルカトルは、にやりと口角を上げた。その笑みは、親しげというよりは、何か企んでいるように見える。

「おやおや、つれないお言葉。このメルカトル、しがない行商人でしてな。この森は、腕利きの冒険者様方が『星詠(ほしよ)みの森』と呼んでおりますが、素人さんには少々危険な場所でございます。森喰(もりばみ)の巨蠍に遭遇してご無事だったのは、まさに僥倖。いやはや、お若いのに大した運をお持ちだ」

男は芝居がかった口調で続ける。その言葉の端々から、二人を試すような響きが感じられた。

莉緒奈が、樹の背後から顔を覗かせた。彼女は、持ち前の天真爛漫さからか、あるいは極度の緊張からか、意外にも落ち着いた様子でメルカトルに問いかける。

「あの、メルカトルさん、でしたっけ。私たちは、本当に何も持っていません。それより、ここから一番近い町か村は、どちらの方向か教えていただけませんか。少しばかり、困っておりまして」

莉緒奈の言葉に、メルカトルの目が細められた。彼は莉緒奈の顔をじっと見つめ、それから樹に視線を戻す。

「ほほう、お嬢さんは肝が据わっておいでる。町、ですかな。この森を抜けた先に、セリア(Seria)という小さな宿場町がございますが …… お二人さんのその身なり、そしてそのリュックサック。どう見ても、この世界の住人ではなさそうですな。もしかして、異邦人(いほうじん)、というやつですかな」

メルカトルの言葉に、樹と莉緒奈は息を飲んだ。この男、ただの行商人ではない。こちらの素性を簡単に見抜いた。足元がぐらつくような感覚に襲われる。

樹は、一瞬言葉に詰まったが、すぐに平静を装って答えた。ここで動揺を見せれば、相手の思う壺だ。

「異邦人 …… さあ、何のことでしょう。俺たちは、ただの旅の者です。少し遠くの村から来たもので、この辺りの地理には疎いのです」

「ふむ」メルカトルは顎髭を撫でながら、意味ありげに頷いた。「まあ、よろしいでしょう。このメルカトル、人の過去を詮索するのは野暮というもの。ですがね、お二人さん。このアウリオンで生きていくには、それなりの『対価』が必要になりますぞ。情報一つ、水一杯に至るまで、ね」

男はそう言うと、背中の革袋から古びた羊皮紙の地図を取り出した。

「この地図、セリアまでの安全な道を示しております。通常なら銀貨三枚は頂戴するところですが …… お困りのお二人さんのために、特別に銀貨一枚でいかがですかな。それとも、何か面白い『品物』と交換でもよろしいですぞ。例えば、そのお嬢さんがお持ちの、きらきら光る小さな鏡とか」

メルカトルの視線が、莉緒奈が手に持っていた手鏡に向けられる。その目は、明らかに手鏡の価値を見定めようとしていた。

莉緒奈は、とっさに手鏡をリュックにしまおうとしたが、樹がそれを制した。

「銀貨、ですか。あいにく、この世界の通貨は持ち合わせていません。ですが、交換できる品物なら、あるいは …… 」

樹は、自分のリュックサックから、先ほど蠍を撃退したレーザーポインターを取り出した。

「これは、どうでしょう。遠くのものを指し示したり、獣を威嚇したりするのに使える道具です。この世界にはない、珍しいものではありませんか」

樹の言葉に、メルカトルの目が興味深そうに輝いた。彼はレーザーポインターを手に取り、スイッチを入れて赤い光を木の幹に当ててみる。

「ほう …… これは面白い。確かに、見たことのない道具ですな。しかし、これで何ができるというのです。獣を威嚇する、と申されましたかな」

「ええ。先ほどの蠍も、この光を嫌がっていました。使い方によっては、身を守るのに役立つかもしれません」

樹は、冷静に、しかし言葉を選びながら説明する。これが、この異世界での最初の「交渉」だ。失敗は許されない。

メルカトルは、しばらくレーザーポインターをいじくり回していたが、やがて顔を上げた。

「ふむ …… なるほど。確かに珍しい。よろしいでしょう。この『光の棒』とやらと、その地図を交換いたしましょう。ただし、一つ条件がございます」

「条件、ですか」

「ええ。この森を抜けるまで、私と同行していただきます。そして、道中、あなた方の世界の『面白い話』を聞かせていただきたい。それが、この取引のもう一つの対価ですな」

メルカトルの提案に、樹は一瞬ためらった。この男を信用していいものか。しかし、他に選択肢はない。地図がなければ、この森で生き延びることすら難しいだろう。

「……わかりました。その条件を飲みましょう」

樹の返事に、メルカトルは満足そうに頷いた。

「では、交渉成立ですな。ようこそ、アウリオンへ、若き異邦人さんたち。このメルカトルが、あなた方の最初の案内役を務めさせていただきますぞ」

男はそう言うと、再び胡散臭い笑みを浮かべた。その笑顔の裏に何が隠されているのか、樹にはまだ計り知れなかった。ただ、この出会いが、彼らの運命を大きく左右することになるだろうという予感だけが、胸を騒がせていた。


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