あ、くまのみそしる
「生涯金に困らないようにして欲しい」
「承知した」
厳かに悪魔が言うと、俺の眼の前に、一万円札がひらりと現れ、がくりと頸を落とす。
「一万?」
「それで充分だろう?」
これぞのほくそ笑みと共に。
「お前の生涯は今此処で果てるのだからなぁ」
「解ってんだよ、んなことは」
全くこの悪魔ときたらなってない。
「此処は最低でも札束だろ? 悪魔のくせして様式美というものを知らんのか。如何せ見せ金だろ? 誰も本当に大金寄越せなんて言ってないんだ、アタッシュケースに詰め込む紙束の表面一枚きり、何なら表一面きりのぱちもんコピー偽金で構わないんだから、それっくらいの手間を惜しむなって話なんだよ。俺、お前を喜ばせただろ? 全く愚かな人間ときたらと愉しんだろ? そんな、顧客満足でなくサービサー満足してやる優良顧客に対して、手間暇惜しむなって話なんだよ。全く、生涯最後に会う悪魔がこんな残念な奴だったなんて、本当になんて俺の生は残念なんだ、早いところ一生を終わらせてくれ」
「へー、大叔父さん」
こんな、こんな話を大叔父から聞かされて如何しろと話を聞かされて如何しろと? と、似た台詞を返さなかった自分を俺は誉めたいところだ。気が利かない返答ぐらいは見逃して欲しい。
「そう、大叔父。よくいるだろう? ぶらぶらしてて集りにきてんだか時々ひょっこり顔見せる何してんだか解らない一族の厄介者みたいな、あれ」
「まぁ、聞くな」
大抵は叔父さんだが。大叔父と呼ばれる程の年齢にいきつく前に客死を遂げるというのが相場と思っていたので、その点は巷間耳にするのとは違って耳新しいかもしれない。
「全くさ、うちは、そんなよくいる、ぶらぶら厄介者だって受け入れる懐の深い一族だと思っていた訳だよ、俺は」
一族なんて言葉を、こいつは餓鬼の頃から使っていて、その点は、よくある御家族とは違うような気が幼い頃からしていたんだが。
「だから、家業を襲ぐ気が無いって宣言したときだって、そういう優しさを、まぁ、甘えって言ったって良いけどさ」
不満つらつら顔に泣きが入った。酒は、向こうから言ってきたしろ、止めた方が正解だったか。『こんな話』こそ予想外だったものの、美酒乾杯に成りようもないことは想定の内だったというのに。
「とにかく、実際、許してくれたんだろ? それで良いじゃないか」
「だよな。だよな、解っているんだよ。でも……」
うじうじうじ、の理由が解るだけ声を掛け難い。先駆けした後ろめたさが、益々不味くなっていく酒の味を甘受させる。
「やっぱりさ、騙してなんぼってところがあるじゃないか。今日だってさ、今更疑似面接してもらったんだけどさ、莫迦正直に言うだけじゃっていつもの如く言われてさ」
うんうんうん、今日ぐらいは、いくらでも毒吐くが良い。騙して入社決めたんじゃないぞっては言わないよ、俺は。
「でもさ、でもさ、俺は正直真正面から人と向き合いたいからこそ、家業襲がないって決めたんだ。そんなんじゃ社会の荒波渡っていけないって言われたってさ、人類社会に荒波立てるのが先祖代々襲いできた家業で家訓の一族の裔って立場放棄しようってときに言われたってさ」
「へー、お前のおじさんおばさん」
この場合、父母の意である。
「穏やかそうってか、実際、優しいよな? なのにそんなんなんだ」
「そんなんだよ。ほら、人を騙すんだから、信用は大事だろ?」
ほら、と言うことなんだ?
「コンゲーム的に? 奈何にも騙せない奴同士での騙し合いってのも愉しいって言うけど、ほら、近所だし? 契約している訳でもないし、基本でいってる。まずは信用。基本は大事だよ」
「へー、近所付き合いは基本かぁ」
「近所付き合いというか、人基準での暮らし方だな。で、さ、俺は大叔父さんはそういうの、基本からして駄目な奴だと思ってたんだよ。基本の真当人暮らしもできない。だからぶらぶらしてる」
「そうだねー、真当社会人なら近所付き合いぐらいしないとなー」
俺も早いところ家出て一人、いや、嫁さん欲しいなー。
「そうだ。俺だってそういうのは嫌じゃない。寧ろ積極的にやっていきたいんだ。真当に地に足着けて、駆け引きや裏なんてなく。それで、大叔父さんみたいな駄目な奴だって、一族なんだから、駄目駄目でも、仕方無く御近所視線鑑みてからであっても、面倒を看るって、そういう義理人情的なものも含められたらもっと良いって、そんな人生に憧れているんだ」
毒入ってるが、義理人情とはそういうものでもある、か?
「だから、俺の生涯設計には、人を騙し出し抜く諸々は含まれてないんだ。なのに、そうだ、大叔父さんなんだ。あんな大叔父さんだって、眼零ししてやる一族なんだから、俺の細やか反抗ぐらい許してくれるって安心してたのにさ」
「安心?」
てっきり落ち込みかと思っていたが、もしや、これは不安酒なんてものだったのか?
「あぁ。基本すらなってない大叔父さんでも、ちゃんと出し抜いたんだ。それも人でなく悪魔だ。高が一度切りでも、実績としちゃ充分だ。まぁ、相手が残念悪魔だったからってものでもあるが、一族から抹消されるのを延期するだけのことはしたってことになったんだろうな。未だ、ってか、ついこの前会って、あんな話していったんだから」
あんな話を、という話を思い出す。抹消というのが何を指すのか知らんが、ってか知ってはきっと拙い事柄に違いが無いから自分から嵩すが、とあれ、出し抜けてはいないんじゃないかってのが感想だが。だって、生きてる、よな? いや、確認は止そう。不安とは伝染するものだ。うつされて堪るか。嗚呼、解っていたこととはいえ、祝杯気分からなんて遠のいていくことか。
「まぁ、不安ってのは、済まん、俺には解らんもんだが、元気出せよ。怯え顔ってか、はきはき明るい前向き顔はそれこそ基本だから、面接の。てっきり俺はお祈りメール貰って、あ、いや、ともかく、一応は一度は許して貰ってんだし、就職とは別物と分けて考えられる事柄だろ? 切り替えてってのも基本だ、まずは就職に専念専心してさ」
「お祈りメールは今日も貰った」
ずーん、と来るかと思いきや、きりっと前を向く。
「大丈夫だ。覚悟はしていた」
「そ、そうか」
「あぁ、祈り――信仰とはそれこそ性が合わないが、だからこそ覚悟はしていた。人に採っては大事なものだ。慣れ合っていかねば人と交わって生きていかれないだろう」
うーむ。懼らくは無意識だろう、時々(?)こいつが毒吐いたつもりなく毒吐く理由が見えてきてしまった気がしないでもない。
「こうもダメージ喰らうものとは思っていなかったが、これしきでへたばっていたら、一族との決別なんて夢の亦夢だ。だから、耐えるさ」
まぁ頑張ってくれ。
「悪かったな」
うむ、と、前向きに自分に活を入れるように頸肯してから。
「今日はお前の就職決定祝いのつもりでいたのに、俺の愚痴聞かせてばっかりで」
「や、まぁ、お祈りメールの辛さは俺だって、よく解っているよ」
「そうなのか? お前、まさか」
「いやいやいや、いや、いや、違うよ」
何が違うのか解っていない、と、良いなぁ。
「お前の一族とかって、そういうの、ほら、俺、一族一族っては聞いてたけど、詳しくは、なーんも知らないって」
「言ったことなかったか?」
そうだな、そういや、お前(達)を指して人と言うのも聞いたことは無かったよ。
お読みくださり有難うございます。
束の間且あなたの貴重なお時間の、暇潰しにでも成れたら幸いです。