グレイ・ハイラード
フィーヤは氷漬けとなり一つの彫刻のようになった青肌の青年を見る。
表情に変化はなく、完全に凍り付いていた。
足場には黒い板のようなものが敷かれており、空中に固定されていた。
『……』
注視していると、後ろにあった黒い亀裂が徐々に小さくなっていくのに気が付いた。
(……見たことがない魔術ね。四大属性の魔術でない事は分かるけど……闇属性の魔術かしら?見た感じ、一定の空間を隠す魔術?いや、それなら私に気が付かれずにここまでどうやって来たのかが分からない……空間と空間を繋げる魔術、つまりは――――――古の“魔法”とか?)
険しい表情を見せながら、小さくなっていく黒い亀裂に触れようとした。
しかし、自身の背後から聞こえた微かな音に意識は強制的にもっていかれた。
『……あら、血液ごと凍らせたのに動けるんですね?』
青肌の青年を覆っていた氷に小さなヒビが入る。
そして、次の瞬間には粉々に砕け散った。
『――――――全く、野蛮な女だ』
男は持っている青い剣を横なぎに振るった。
しかし、突如現れた薄いガラスのような壁に阻まれてしまい、奇襲的な攻撃はフィーヤへと届かなかった。
『どちらが野蛮なのか分かりませんね』
『全くだな』
生成された氷の刃が青肌の男を襲う。
しかし、青い炎を壁にするように周囲へと展開し氷の刃を一つ残らず溶かし防いでみせた。
フィーヤは空中に氷の足場を作りながら距離をとる。
そして間髪入れずに複数の氷の槍を射出した。
『なるほど、刃よりも貫通力のある槍ならば通ると――――――だが甘いな』
青肌の男は魔術を使用する事なく、飛んでくる氷の槍を体捌きのみで躱してみせた。
『軌道が直線的になった分、躱しやすくなっているぞ』
『ご丁寧にどうも』
『――――――ッ!!!』
青肌の男は自身の背後から危険な気配を感じとる。
そして、咄嗟に前方向へと転がりながら回避行動をとった。
先程まで自身がいた場所に氷の槍が突き刺さる。
軌道から考えるにそれは一方からきたものではなく、多角的に複数の方位から射出されていた事が分かる。
青肌の男は視線を遠くに移す。
するとそこには、先程攻撃を防いだガラスの壁のようなものが至る所に生成されていた。
『――――――反射か?』
『さぁ、どうでしょうね』
青肌の男に休む隙を与える事なく、氷の槍が霰のように降り注がれた。
――――――――――――――――――
【観客席】
フィーヤ・ヘイルの言葉を聞いた後、観客席に居た者達はそれぞれが出来ることを考え動き始めていた。
犬獣人の娘はあわあわと忙しない動きを見せながら他のギルドメンバー達に声をかける。
『み、みんな!いっ、一旦は落ち着こう!ステイ!ステイ!ステイ!』
『お主が落ち着くのじゃ……』
呆れた表情でクロエはコレットの顔を見る。
『大規模な祭りを狙った奇襲攻撃はよくある事じゃろう?』
『ないよクロエちゃん!今は平和な時代だよ!』
『……ふむ。確かにそう言われてみればそうじゃな』
クロエは顔を上げ上空を見る。
空には黒い亀裂があり、その中には奇妙な格好をした何者かが居た。
その時、アランがフィーヤを抱き上げ上空へと跳躍しているのが見えた。
『まぁ、上のあやつらは問題ないじゃろう。とりあえずは外におる者達を何とかせねばな』
『……感じますね』
既にドラコとベノミサスは意識をコロッセウムの外側へと向けていた。
そして、外にいる何か邪悪な者達の気配を感じとる。
『クロエ様、如何なさいます?』
『ワシらはここで待機じゃ。敵襲の目的がわからない今、非戦闘員の多いここを離れるわけには行かないのじゃ』
クレアはスッと立ち上がる。
『私は少し外の様子を確認してきてもいいですか?』
『そうじゃな、情報をとってくるのじゃ。もし危険な場面に遭遇したら即撤退をするのじゃぞ?』
『分かりました』
そう言うと、足に風を纏わせエアリアルブーツを起動する。
そして、空中を蹴るようにコロッセウムの外側へと跳んでいった。
――――――――――――
コロッセウムの外へと出る。
辺りには戦える者達が会場を囲むように隊列を作っていた。
すると、少し遠くの方から建物が崩れる音と、女性の悲鳴声が聞こえてきた。
息をのむような緊張感が体を走り、一瞬の静寂が訪れた。
クレアは静寂の帳を破る様に声を張り上げた。
『私が様子を見てきますッ!!!皆さんは警備の方をよろしくお願いしますッ!!!』
『おうッ!!!気を付けろよ嬢ちゃんッ!!!』
『ヤバくなったら直ぐに帰って来なさいねッ!!!』
屈強な体を持つ熊獣人の男と、露出度の高い豹獣人の女が激を飛ばす。
『はいッ!!!』
クレアは空気を蹴り上げ一気に跳躍し加速する。
建物の屋上を飛び移るように移動する。
コロッセウムから離れるにつれ、人の気配が薄くなり静かになっていく。
(みんな建物の中で息を潜めている……それに、なんだろう。凄く嫌な空気が漂ってる……きっとこの辺りで何かあったんだ)
外壁が破壊された建物が視界に映る。
クレアは一度地上へと降り建物の中に視線を向ける。
『……誰かいますか?助けに来ました』
囁くように声をかける。
すると、奥の方からガサッと何かが動く音が聞こえてきた。
『い、いますッ!!!ここに居ますッ!!!』
中からヨタヨタとおぼつかない足取りで一人の女性が出てきた。
その声は酷く震えており、残りの体力を全て振り絞っているかのように弱弱しかった。
『もう大丈夫です!』
『あ、ありがとうございます』
『他にもまだ誰かいますか?』
『今上階に一人います。逃げ遅れた人がいないか確認しに行ってくれてます』
すると、建物の階段部から子供を背負いながら降りてくるエルフの男と、その子供の母親と思われる女性の三人が見えた。
『グレイさん!?』
『クレアか、いいところに来た。外にいる化け物はもう見たか?』
『いえまだ見てないです。どんなやつでしたか?』
『全身が黒く、首が異様に長い化け物だった。動き自体は遅いが、攻撃力は高めだったから注意してくれ』
『わかりまし――――――ッ!?』
その場にいる全ての生き物に緊張が走る。
場を一瞬で支配圧するほどの圧倒的な圧を放つ何かは、建物の崩れた穴からコチラを見ていた。
二本の婉曲した大角と、3メートルを優に超えているであろう巨体。
服の上からでもわかる程に盛り上がった筋肉と、全身を覆う白と黒の模様。
屈強な体躯をした牛獣人の男は静かにコチラを見ていた。
『【死を喰らう者】が一体死んだかと思えば、やはり手練れの類だったか』
重厚感のある低い声で牛獣人の男は話しかけてきた。
その手には血に濡れた大斧が握られていた。
『……クレア、今すぐに彼女達を連れて逃げろ』
『2人がかりで行けば――――――』
『駄目だ、早く行けッ!!!』
グレイは背負っていた子供をクレアへと預けた。
その表情には並々ならぬ覚悟があった。
『――――――分かりました。絶対に死なないでくだいねッ!』
そう言うと、クレアは女性達を連れ建物の裏口から外へと飛び出していった。
牛獣人の男はその後を追う事はなく、グレイの方を静かに見ていた。
『我が身を捨て女と子供を逃がすか』
『別に死ぬつもりはない』
グレイはゆっくりと牛獣人の男へと近づく。
『外でやろう。狭い室内だと俺に有利すぎる』
『ほう、俺に気を使うのか?』
『違う――――――一人の武人として正々堂々と手合わせ願いたい』
『……いいだろう』
牛獣人の男はグレイの心情を悟ったのか、建物の入り口を開け道幅のある中央通りへと移動した。
遠くの方から建物が攻撃されている音が聞こえてきた。
そして、牛獣人の男の遥か後方からぞろぞろと先ほどの黒い化け物たちがこちらへと歩き向かって来ているのが見えた。
その数は10を超えており、ここを破られればコロッセウムへと向かって行くだろうことが分かる。
『では――――――始めようか』
『待て』
『……なんだ?』
グレイは牛獣人の男を一度牽制する。
『俺は【蒼風流】 師範 グレイ・ハイラードだ』
刀から手を離しグレイは軽く会釈をする。
それを見た牛獣人の男は一瞬、険しい表情を見せた後、直ぐに無表情へと戻った。
『……仕事中ではあるが――――――合わせねば不作法というものか』
牛獣人の男は血で濡れた大斧を地面へと置いた。
『【暴食の魔王】が配下 【無双】の カルタオロス』
互いの視線が交差する。
そして、静かにそれぞれの得物に手を置きその時を探り合う。
(……おそらくは一撃で決まる。直感で分かる。彼は俺よりもはるかに強い。二撃目以降に俺のチャンスはこないだろう)
風燐丸の柄に手を置き、居合の構えをとる。
空気を裂く風の刃がグレイの周囲を逆巻くように飛翔する。
カルタオロスは大斧をゆっくりと持ち上げ上段の構えをとった。
グレイは深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。
『死は終わりを告げ、春の訪れと共に世界は再び芽吹き始める――――――』
逆巻く風が刀の鞘の中へと入って行く。
『――――――蒼風流 参ノ段 【烈風禊月】】』
刹那の一撃。
目で追う事が出来ないほどの速度で抜かれた一刀は、視覚する事のできない風の刃を放った。
切断。
牛獣人の男の首を狙った一撃は僅かにずれ、大きな角を切断するに留まった。
傾けた首を元の位置へと戻しながら、カルタオロスをグレイの瞳を見る。
『……』
グレイの眼前に回避不能な一撃が振り下ろされる。
即座に風燐丸を斜めに構え防御の姿勢をとる。
『――――――お見事』
牛獣人の男は小さく呟いた。
刹那、グレイの右肩から左腰にかけて赤い線が浮かび上がる。
そして――――――ずるりと上半身が地面へと落ちた。
残された下半身は倒れることなく、その場に立ち尽くし、風燐丸の落下音が虚しく響く。




