エラード戦③
右手に【天秤】を持ち、左手には一振りの黄金剣が握られていた。
頭には目を隠すかの様に白い布が巻かれており、その表情を正確に把握することができなかった。
キラキラと光り輝く金髪が彼女の高貴さを代わりに主張していた。
しかしその反面、彼女の視線は天秤にのみ集中しており、何処か静かさを感じさせた。
(……天秤と剣を持った女の精霊。あの剣で攻撃してきたのか? いや、それにしては全く気配が感じなかったし、剣での攻撃なら殴られたかの様な打撃にはならない)
下手に動かず、アランはより一層注意深く観察する。
すると、エラードの足元に小さな血溜まりがあることに気がついた。
(……なんだ? 血? さっき顔面を殴った時に足でも怪我してたのか?……ん、足?――――――いや待てッ!なるほど、そうゆう事か)
ゆっくりと立ち上がり、エラードの元へと歩みを進める。
一定の距離まで近づくと、エラードは手に持っていた弓を構えてきた。
しかし、アランはお構いなしに進んだ。
『どうした?撃ったらどうだ?』
『お望みならそうするが』
容赦なく放たれた矢は、アランの顔のすぐ近くを掠めながら外れた。
『おやおやエラードさんよ、この距離で外すとはとんでもないクソエイムじゃねーか』
『……躱わす気が感じられなかったが――――――死ぬ気か?』
『いや? 当てる気がなさそうだったから躱わさなかっただけだね』
『……』
アランは持っていた大剣を地面へと突き刺した。
そして、意地悪そうに、煽る様な顔をしながらエラードの顔を見る。
『ってか、足大丈夫か? 止血した方がいいんじゃないか?』
『……流石に見落としてはくれないか』
『そりゃーそうよ。何たって、その傷“結構痛かった“からな』
『あぁ、俺も今、丁度それを痛感しているよ』
エラードはしゃがみながら緑色のローブを脱ぎ去り、袖の部分をちぎり布切れを作る。
そして、それでグルグルと右足首から先を包み込んだ。
『あれだな、そこの精霊のネーチャンの能力で発生したダメージは、加護で軽減されないんだな』
『されてこれだ馬鹿者が。貴様が無駄に頑丈なだけだ』
『え、マジかよ』
一通り治療が終わると、エラードは立ち上がった。
『今の隙に攻撃して来ないとはな』
『そりゃー、攻撃したらそのダメージが俺にもきちゃうからな』
『それでは負けを認めるか?精霊の加護のない貴様と俺とでは耐えられる限界値が違うと思うが』
『うーん。でもこうゆう時、俺の師匠ならきっとこう言うんだよな』
『【裁く者?知らんのじゃッ!――――――ワシが法じゃッ!】ってな』
『ッ!?』
アランは大剣を力強く抜き去り、【ただ裁く者】に向かって走り出した。
そして、無言で佇む【ただ裁く者】に向かって振り下ろした。
金属が削れる音。
【ただ裁く者】は左手で持っていた剣でアランの一撃を受け止めた。
『お前はただの仲介者であって、俺とエラードとの間にしかその能力は適応されないよなあ!?それに俺の攻撃をわざわざ剣で受け止めるって事はさてはおまえ――――――【光属性】の精霊だな?』
眼の付近に布が巻いてあるせいで詳しい表情が分からない。
しかし、属性相性の影響だろうか、どこか不快そうな感情を抱いているのが肌で感じられた。
『やめておけ。上位精霊には勝てない』
エラードは腕を組みながら、同情するかの様に語りかけてきた。
『精霊には大きく分けて三種類のタイプがある』
一つは目、自然現象から発生したもの。先ほどの初級土精霊達が該当する。
二つ目は、人工物を依代とし精霊と化したもの。イメージとしては、意思のない無機物に周囲の強い魔素が惹かれ集まり一つの精霊を形作る感じだ。愛を持って長く使った物には精霊が宿ると良く言うだろう?
そして、三つ目は――――――神の残滓が精霊化したもの。
まだその事実を知らない者が殆どで、貴様にも理解できないかもしれないが――――――神話時代の神々はその力の一端を世界に還元している。
より厳密には、世界の一部と成ったと言うべきだろうか。
神々の力は自然の摂理であり、概念的なものであり、普遍的な現象の在り方として変化した。
そして、その強すぎる力は稀に精霊として形を作ることがある。
エラードはビシッとアランに対し指を差した。
『それが今、貴様が戦っている【ただ裁く者】の正体だ』
『なげーよッ! クッ、こっちは今良いところなんだよッ!』
得意げな表情のエラードを放置して、アランは【ただ裁く者】に攻撃を仕掛け続けていた。
(精霊には三種類のタイプがある?コイツは神の残滓で強すぎるから勝てない?――――――知るかよッ!)
『オイオイオイッ! ちょっとは攻撃を仕掛けてきたらどうだ防戦一方の女神さんヨォ!!!』
アランは影の中に飛び込み、一瞬にして【ただ裁く者】の後ろへと移動する。
そして、体を回転させその勢いを殺す事無く大剣を薙ぎ払う。
しかし、【ただ裁く者】は軽やかに体をくるりと回転させ、その一撃を防いで見せた。
『マジか、目隠ししてんのに、これに反応できんのかよ』
『言っただろう? 残滓と言えども女神の力だ。そう容易くはない』
(余裕そうな顔で傍観しやがって……ってかなんで数的有利を活かしてこなんだ?どう考えても二対一で戦った方が有利だろ……いや待て、もしかして出来ないのか!?)
互いに負った傷は共有される。
手に持っている天秤。
援護射撃をして来ないエラード。
消えたままの初級土精霊達。
おそらく【ただ裁く者】の能力は『公平性』『バランス』『均衡』といったものだと予想ができる。
つまりは――――――“数的優位性“を彼女は認めない可能性が高いって事か!?。
『なるほど。強力であるが故に、その分、制約、ルールが厳しいタイプなんだな』
アランは【ただ裁く者】の近くへと歩み寄り、地面に両手の指を突き刺す。
『因みに、なんらかの要因で天秤が傾いちまったらどうなるよ?』
フンッと気合を入れて自身の腕に力める。
メリメリと地面が割れる音が聞え始め、【ただ裁く者】を囲む様に地面に亀裂が入る。
そして、左右から伸びた亀裂が逆側で繋がり、完全な円を作ったその時、【ただ裁く者】は足場ごと空中を一回転していた。
『……なんて馬鹿力だ』
間近で見ていたエラードは思わず感嘆の声を上げた。
【ただ裁く者】は力の流れる方向に逆らう事なく、くるっと一回転し、地面へと着地した。
そして、天秤を見る。
右手に持っていた天秤はグラグラと大きく揺れ動き、均衡は完全に崩されていた。
左手に持っていた剣を地面へと突き刺し、左手で天板の揺れを止めようとする。
しかしその時、視線の端で黒い何かが動いたのを見る。
【ただ裁く者】は咄嗟に剣に手をかけようと左腕を伸ばす。
だが、その一瞬の油断は余りにも致命的であった。
視界の端にいた黒い何かは氷が解ける様に消え去り、それと同時に自身の頭上に嫌な魔力を感じ取る。
そして、その事に気がついたときにはもう既に、頭上から降ってきた黒髪の男に、目の周りに巻いていた白い布を奪い取られていた。
青空よりも濃く、サファイアの様に青い瞳は感情を動かす事なく、強奪者の黒い瞳を覗き込んだ。
『随分なべっぴんさんじゃねーか』
感心したかの様にそう呟くと、いつの間にかに鎧を脱いでいたアランは手に持っていた白い布を自身のパンツの中へとしまった。
一瞬、【ただ裁く者】の顔がピクッと動いた様に見えた。
【ただ裁く者】は唐突に小さくしゃがむと静かに天秤を地面へと置いた。
そして、ゆっくりと立ち上がりながら、左手に持っていた剣の柄を両手で握りなおす。
ボロボロと【ただ裁く者】の体が崩壊を始めた。
崩れゆく、塵と化した一つ一つが照明の光を反射してキラキラと光り輝いていた。
『【よかろう。その蛮行の罪、私が直接裁いて見せよう】』
『なんだ喋れたのか。ってか余りに美しい声だったもんで一瞬、近くでカナリアでも鳴いているのかと思ったぜ』
『【戯言をほざくな】』
『まぁ、そっちの状態を見るにまともに戦える時間は少ないんだろ?じゃ、早速――――――始めようぜッ!』
崩れゆく黄金の剣と、漆黒の大剣が交錯する。
激しい閃光と共に強い衝撃波が発生し、観客席を襲う。
――――――――――――
『あわわわわッ!パシフィーさん大丈夫ですかッ!?』
『だ、大丈夫です』
『凄い衝撃波でしたねッ!? 剣と剣がぶつかり合っただけなのに……』
『おそらく光と闇の魔力がぶつかり合い、反発し合っているのでしょう』
固唾を吞み込みながら、獣人コンビはフィールドの二人を見る。
歓声からは大きな歓声が上がる。
――――――――――――
剣と剣の殴り合い。
大剣はその性質上、攻撃間の隙が大きい。
それに対し、【ただ裁く者】が持つ黄金の剣は小回りの効くショートソード。
近距離での打ち合いはショートソードの間合いと言っていもいいだろう。
しかし、その相性不利をアランは筋肉で何とかしていた。
『アハハハッ!!! どうしたどうした!? 防戦一方じゃねーかッ!!!』
『【クッ……脳みそアレスがッ!!!】』
【ただ裁く者】はアランの大剣を受け流しながら、間髪入れずに鋭い突きを差し込む。
アランはそれを短く素早いバックステップで最小限の動きで躱す。
そしてアランは、大剣による攻撃だけでなく、空いた左手で紐状の【楔影】を作成し【血針】と結合し射出した。
【楔影】が【ただ裁く者】の腕に絡まったその瞬間、自身の腕を強く引き相手の動きを阻害する。
態勢を崩した【ただ裁く者】は、攻撃チャンスがあるにも関わらず、防御に徹さざるを得なかった。
『【小癪な真似を……】』
(やっぱり護りが硬いだけで単純な戦闘能力は低いな。元々戦闘が得意な女神じゃなかったのか、もしくは【公平性】の部分が色濃くでた側面だから戦闘に関しては苦手なのか……まぁ、どちらにせよ――――――)
『今の俺の相手にはならないな』
『【――――――ッ!!!】』
黄金剣と【黒の大剣】がぶつかり合ったその瞬間、大剣はドロっとした粘性の高い、黒い液体へと変化した。
黒い液体は黄金剣をすり抜け【ただ裁く者】の顔面に付着する。
【ただ裁く者】は右手で顔を拭いながら、左手で持っている黄金剣で前方を横方向に薙ぎ払う。
しかし、黄金剣は空を斬り、視界が開けた時には――――――そこに居たはずのアランの姿は消えていた。
『【何処へ行っ――――――】』
『四十二式―――【血掌華】』
視線を下方へと向けると、姿勢を低く保ちながら自身の腹部に手を当てる黒髪の男の姿があった。
そして次の瞬間、自身の体から赤い棘が複数本、飛び出てきたのが見えた。
少しづつ崩壊していた体は完全に崩れ去りバラバラになる。
首だけとなった【ただ裁く者】は小さく呟く。
その顔には怒りの表情が消えていた。
『【……全く、いつの時代も人は厄介な生き物だな】』
『まぁまぁ、楽しめたよ。じゃ――――――お休み』
【ただ裁く者】はキラキラと光る塵を残しながら、宙へと消えていった。
背景の夜空と相まり美しい星空模様の様だった。
『……ふぅ、ヤバイ神様精霊でもルールが分かれば対処は出来るな。さて、待たせたなエラード――――――オッ!?』
右肩、左肩、右足、左足。
それぞれの付け根に強烈な痛みが走った。
良く見てみると、明確な形の無い“矢のようなもの”が突き刺さっていた。
『油断したな』
『……か、体が動かねぇ』
ガクリと膝を着き、うつ伏せになるように倒れる。
ゆっくりと歩いて近づいてくるエラードが視界に映る。
その手には、先ほどのものとは違う弓が握られていた。
木製で出来た簡素な弓だった。
しかし、直感が“あれはヤバイ”と執拗に訴えかけてきた。
『当然だ。強力な麻酔が付与された矢を四本も受けたんだ、三日はまともに動けないぞ』
『……卑怯だぞ』
『卑怯?勝つために最善を尽くしただけだが』
『……クッ』
『これ以上痛めつける意味はない。さっさと降参しろ』
『……や…………み………………』
『ん?なんだ?』
顔を下に向けながら、アランは小さく何かを呟いた。
エラードは、アランの直ぐ近くに歩み寄り膝を地面へと着ける。
『知らない仲ではないからな、最後の言葉くらいは聞くぞ』
『………………や………………み………………………………』
『良く聞こえないな』
エラードは顔をアランの頭の近くへと寄せる。
『………………やみぞ………………くせ………………』
『やみぞくせい? 何を言って――――――』
『闇属性に麻痺が効く分けないだろ?』
『ッ!?』
その刹那、アランはエラードの頭をガッチリと両手で掴む。
そして、黒い兜を部分的に出現させた自身の頭を勢いよくエラードの頭へとぶつけた。
『ガハッ――――――』
精霊の加護をもぶち抜く強烈な頭突き。
エラードはくらくらと目を回しながら、おぼつかない足取りで後退する。
そして――――――そのまま、立ったまま気絶した。
アランはゆっくりと立ち上がる。
『さっきの言葉はそっくりそのまま返させてもらおうか――――――』
人差し指と親指を立てながら、勝ち誇った顔で言う。
『―――――油断したな、兄弟ッ!!!』
観客席からは悲鳴と歓声が同時に湧き上がり、フィーヤ・ヘイルの試合終了の言葉がフィールドに鳴り響いた。
唐突な決着。
余りにも地味な終わり方に納得がいかない者達からはブーイングが巻き起こる。
アランは煽るような笑顔を浮かべながら、エラードを担いでイソイソとフィールドを後にした。
――――――大将戦 決着――――――【魔王軍】の勝利




