愚者
そう、目の前で土下座をしている男は、かつて私が愛した男だ。
だけど、私は私の目的の為に――――――彼を裏切った。
もう二度と会うことはないだろうと思ってはいたし、その覚悟はできていた。
でもどうしてかな……運命はもう一度、私と彼を出会わせてしまった。
『あっ……あ…………』
彼の名前を呼ぼうとした。
しかし、喉元まで出かかった言葉は、恐怖、不安、焦りといった感情に塗り潰されて、最後にはかき消されてしまった。
罵倒され、貶される覚悟はできていた。
それは私が受けるべき罰なのだから。
……だけど、アランはきっとそんな事は言わないだろう。
ずっと一緒に居たから分かる。
彼はしっかり者で、そのくせ何処か抜けてて、それでいて凄く優しい。
自分以外の誰かの為に、平気で自分を傷つけてしまうそんな人だ。
でも、だからこそ……何よりも――――――私は自分が許されてしまう事が怖い。
『……』
エマは目元を手で隠しながら、静かにその場を後にした。
――――――――――――
フィーヤ・ヘイルは眼前で土下座をしている二人を見下ろす。
はぁ、さて……どうしたものか。
まさか、開会式に遅れてきただけでなく、飛び込んでくるとは思わなかったな。
本来であれば、こうゆう不届き者には罰を与える必要性があるんだけど、一応は他国の貴重な戦力ではあるから軽率な対応は出来ないんだよね……。
うーん、私の面子を保ちながらも、この場を上手く解決する方法は……うん、あれしかないね。
『という事で、今回の開会式を盛り上げる為のパフォーマンスに協力して下さったこのお二人に盛大な拍手の方をお願い致します!!!』
ざわついていた会場が、フィーヤ・ヘイルに合わせるかのように一瞬にして歓声と拍手に包まれる。
『おうッ兄ちゃん! なかなかに豪快な飛び込みだったぞ!!!』
『いやぁ~今回の参加者はアグレッシブでいいねぇ~』
『まさか会場の上から参加して来るとはなぁ~見せてくれるねぇ~』
関心と驚嘆の声が会場中央に集まっているギルドの面々に浴びせかけられる。
フィーヤ・ヘイルは会場の熱気、勢いを借りて一歩前に出る。
『では! 一時間後に第一試合を始めますので、それまでは自由時間とさせていただきます。参加者の方々は準備の程をよろしくお願いいたします(よっしゃああああああああああ!!! やり切ったッ!!!!)』
半ば強引にその場を閉める事になんとか成功した。
――――――――――――
【絶対無敵天上天下唯我独尊世界最強魔王軍控室】
アランは廊下を歩きながら、紙に書かれた指定場所へと向かった。
余りに長いギルド名だった為か、部屋看板には【魔王軍】と訳されて記載されていた。
『よう! おはよ――――――ぶへッ!!!』
挨拶が完全に言い終わる前に、イザベラの飛び蹴りが腹部へとクリーンヒットした。
『よくもまぁ、素知らぬ顔で来れましたわね』
『いやいやいや、あれはさ? 仕方ないじゃん?』
『まずは言い訳を聞きましょうか』
イザベラは自身の髪の毛を指でクルクルと遊ばせながら、地面に座るアランを冷めた目で見降ろす。
『朝起きて「ヤバイ寝坊した!」ってなって屋根上に登るじゃん?』
『はい』
『そしたら謎の合法ロリお姉さんに出くわすじゃん?』
『はい』
『それでなんか会場までレースしちゃうじゃん?』
『はい』
『で、俺が勝ったってわけ』
『死ね』
恐ろしく速い強烈なチョップがアランの頭を襲う。
しかし、アランはその手を軽々と止めて見せた。
『……成程。ちゃんと成長はしているようですわね』
『まぁな』
受け止めた手をゆっくりと自身の頭の上に持っていき、そのまま置く。
『それで? そっちは他のギルドの情報とか集めてたんだろ?』
『えぇ、初戦の対戦相手は西①の【妖精楽園】ですわ。西大陸における立ち位置としては、西大陸版のガリア帝国騎士団と言えば分かりやすいかと』
『結構強そうだな』
『【森羅】の逸脱者アイリス・エーデル・コード・フィ・アール・セン・バッハ・デール・フォルトの兄であるエラード・エーデル・コード・フィ・アール・セン・バッハ・デール・フォルトが大将を務めているらしいですわ』
『……ん、なんて?』
『とりあえずは西の【逸脱者】の兄が今回の貴方の対戦相手です』
『ふーん。まぁ、ヤバいのは妹であって兄ではな――――――』
ドガンと大きな音を立て、勢いよく部屋のドアが蹴破られた。
『これはこれはウジ虫諸君こんにちは。私の名前は――――――いや、君たち程度には名乗る必要性はないか』
腰の位置よりも長い金髪に細身の長身、種族的な特徴である先が尖った大きな耳。
宝石で彩られた指輪を複数付けているその男は、一同を見下すように勝手に話しを始めた。
『どちら様でしょうか?』
椅子に座っていたコレットが、長身のエルフに近づく。
『おいおいおい、それ以上近づかないでくれ、獣臭が服に移ってしまうではないか?』
『……え?』
『エルフと獣人とでは身分が違い過ぎる』
そう言うと、エルフの男はコレットを軽く小突き倒した。
コレットは『ぽてッ』と音を立てて尻もちを着いた。
『ちょっと何するんですか!』
『それはこちらのセリ――――――』
エルフの男が何かを言おうとしたその瞬間、アランの右こぶしがエルフの左頬に突き刺さる。
強烈な音をたてながら壁まで吹き飛ばされ、そして、そのまま壁を貫通していった。
パラパラと建材と思われる石材が崩れ落ちる。
空いた穴の向こうで、呆気にとられた表情を見せるエルフの男が見えた。
そして、左の鼻からは血が滴り落ちていた。
『おっと、左頬に小さな蚊が』
『……は?』
エルフの男は一瞬、アランが何を言っているのか理解できていない様子だった。
しかし、直ぐ様に立ち上がりこちらに向かって歩いて来た。
『おい貴様! この私を誰だと思っている? 王族に手を出すことがどういう意味を――――――グハッ!!!』
アランは目にも止まらぬ速度でエルフの男に再度近づき、今度は右頬を殴り付けた。
先ほどと同じようにエルフの男は廊下まで吹き飛ばされた。
『……汝、左頬を殴ったのであれば――――――ついでに右頬をも殴りなさい』
『ふざけるなッ!!!』
エルフの男は両の鼻から血をダラダラと垂らしながら、アランに向けて右の人差し指を指す。
『私はあの【妖精楽園】のエラード・エーデル・コード・フィ・アール・セン・バッハ・デール・フォルトだぞ!? 今の貴様の暴力は、大陸間ギルド対戦における完全な違反行為ではないのか!?』
『そんな訳ないだろ』
アランは無言でイザベラの方を見る。
イザベラは無言でそっぽを向いた。
『………………』
アランは無言でエラードの居る場所まで近づき、手を差し出す。
『……大丈夫ですか?』
『ふざけるなッ!!!』
パシッとアランの手を払いのける。
『うわああああああああああああああッ!!! 痛いイイイイイイイイイイイイッ!!!!』
アランは手を払いのけられたと同時に、大声をあげながら廊下をゴロゴロとのたうち回った。
『誰かァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!! 【妖精楽園】のエラードさんから場外暴力を受けてます!!! 助けてェエエエエエエエエ!!!』
『な……貴様! 待てッ!』
『貴方達! 何をやっているのですか!!!』
桃色髪の猫獣人の女性が駆け足で近寄って来た。
大陸間ギルド対戦管理委員会の制服を身に纏っているその女性は、困惑した表情を浮かべながら二人の前で立ち止まる。
『う……このエラードさんに右手を強く殴られて』
『違う!!! 私は軽く振り払っただけだッ!!!』
『西の実力者、【妖精楽園】の方の“軽く”は私の様な弱者にとっては十分な脅威になるんですよ!!!』
『ふざける小僧!!! それにどう見ても私の方が重症だろうがッ!!!』
『王族に手をあげるなんてそんな大罪……私には出来ませんッ!!!』
目をウルウルとさせながら、桃色髪の猫獣人の女性を見る。
『……確かに、エラード様程の実力者相手に流血沙汰を起こせるとは到底――――――』
『騙されるなッ!!! コイツは嘘を付いているッ!!!』
『うっ……ぐっ……』
桃色髪猫獣人の女性は部屋の中で蹲りながら呻き声をあげるコレットの存在に気がついた。
『ぐっ……そこのエルフの男に「汚い獣人風情が私に触るな」ってお腹を殴られました』
桃色髪の猫獣人の女性はキッと鋭い眼差しでエルフの男を見る。
『待てッ! 確かにそのような事は言ったが、殴ってはいないぞ!』
『エラード様。北大陸はわたくし共獣人の故郷とも言える土地です。いくら西大陸の王族関係者と言えども、そのような言動は看過できかねます』
『グッ……』
苦虫を噛み潰したかのような表情でエラードはアランとコレットの事を睨む。
『……確かに配慮に欠ける発言ではあった。すまなかった』
『もし、お二人が謝罪を受け入れるのであれば、この場はわたくしニルフィーが納めたいと思うのですが』
アランとコレットはやれやれといったジェスチャーをしながら、憎たらしい顔で言った。
『『しょうがないなぁ〜』』
『クッ……』
エラードは拳に力を入れながらも、踵を返す。
『この借りは必ず返す』
『おーけー。じゃ、大将戦で待ってるわ』
『……全く、ムカつく程に自由な男だ』
桃色髪の猫獣人の女性はアランとコレットの方を見る。
『わたくしの名前はニルフィーと申します。この度は剣を鞘に納めていただき誠にありがとうございました』
『俺の名前はアラン、よろしくな』
『私はコレット!!!』
『よろしくお願いいたします。アラン様、コレット様。では、わたくしは一度持ち場に戻りますので、何か困った事などがありましたら、気軽に話をかけてください』
そう言うと、ニルフィーは丁寧なお辞儀をしその場を後にした。
少し離れた位置で傍観していたイザベラが、ゆっくりとした足取りで近寄って来た。
『全く、危ない所でしたわね』
『ほんとだよ! 危うく不戦勝になるところだったわ』
イザベラはヘラヘラと笑うアランに呆れつつも、何処か満足気な顔もしていた。
『まぁ、あの腐れエルフをぶん殴った事に関しては、凄くスッキリしたので不問としましょう』
『そうだよアラン! 普通に私嬉しかったよ!!!』
『ぶっちゃけ普通にムカついたからな』
アランは自らの右こぶしを見つめる。
『どうしたの?』
『……いやさ、結構ガチ目に殴ったつもりだったんだけどさ、アイツ“鼻血を出す程度”で済んでたのが少し疑問でさ』
『わたくしは遠目で観察してましたが、魔術等の発動はしていなかったように見えましたわね』
『そうなんだよな。俺の方も見えなかったわ。エルフって皆あんなに硬いもんなの?』
『精霊の仕業じゃろうな』
パラパラと今にも崩れ落ちそうな穴から、アイスクリームを食べるドラコとベノミサス、そして引率のクロエが入って来た。
『あ、アランさっきは凄い入場の仕方だったね』
『アランさん! 無事に間に合ったんですね!!!』
アイスクリームをモグモグと食しながら、ドラゴンキッズの二人はアランの体に寄り掛かる。
『まぁな。ってか今度からは普通に起こしてくれ。で、クロエ。精霊の仕業ってどゆことよ?』
『今歩いて来たエルフの男と軽くやり合ったのじゃろう?』
『そそ、二発顔にぶち込んだ。でも謎に硬かったんだよな』
『精霊とは端的に言えば【意志を持った魔素】じゃ。あやつらエルフはその精霊との相性が良いらしくてな、中には精霊の加護を持っておる者もおる。あやつが硬かったのは恐らくはその【精霊の加護】の影響じゃろう』
『へぇ~って事は常時魔術的なバフがかかってる状態って感じか』
『そんな感じじゃ』
ドラコはチョンチョンとアランの服を軽く引っ張る。
『因みにアランさんには【金龍の加護】がかかってます』
『……え?』
『宝物庫を出る際に、さり気なくお父さんが加護を与えてました』
『マジかよ! え、どんな効果の加護なん!?』
アランは少年の様に顔をワクワクとさせながら、ドラコの言葉を待つ。
『【土で溺れない】です』
『……え、どゆこと???』
『土砂崩れなどで生き埋めになっても大丈夫です!!!』
『源流クラスの加護なのにちょっと微妙なのなに!?!?!?』
『微妙とは何ですか!!!』
ドラコはアランの右足にかじりついた。
『ちょっと待ってッ! 普通に痛いんだけど!?』
『ズルい……私も』
『ちょ、待って!!!』
『なら、わしもじゃ!!!』
『え、じゃ私も!!!』
喧騒の中にありながらも、部屋のドアを何者かが開ける音が聞こえてきた。
『すみません。運営と試合の段取りの確認をしていて遅れま――――――え、何をやっているんですか?』
クレアは両足をドラコとベノミサスに、右腕をクロエ、左腕をコレットに噛まれている奇妙な姿をした男、アランを怪訝な眼差しで見る。
『……これ最近流行りのファッションなんだよね』
『は?』
――――――――――――
エラードは自身の頬を簡単な治癒魔術で癒しながら、廊下をスタスタと早足に歩く。
なんだったんだ今の男は……いくら異国の地で精霊が弱体化しているとはいえ、私の加護を貫通してくるとは思わなかった。
しかもただの打撃でだ。魔術を使っている形跡が一切なかったという事は……つまりは単純に肉体強度がおそろしく高いのだろう。
他の大陸も本気を出してくるとは思ってはいたが、ここまでの化け物を出してくるとはな。
試合が始まるまであと一時間もない。
一度アイリスに連絡をしておいた方がいいだろうな。
しかし――――――
私が本気で戦うなんて事態にならない事を祈るばかりだな。
太陽が高い位置をとる。
しかし、土地柄的に経度が高い影響か何処かまだ肌寒い。
そう言えば、あの日も今日と同じで少し肌寒かったな……。
今でも鮮明に覚えている。
私の事を強く抱きしめながら泣く母の姿を。
――――――――――――
あぁ……母上。
貴方は何も悪くはないのです。
才能も、努力も、生まれた時の地位すらも、運命という大きな渦の前では些細なモノでしかない。
――――――私の運命は王道を示さなかった。
ただ、それだけなのですから。
――――――――――――
ガラスに映る自身の顔を見る。
治癒魔術のおかげで腫れは綺麗に引いていた。
『まぁ、いい。対戦相手の情報は手に入れられた事だし――――――俺は俺の仕事を全うするだけだ』
傲慢にして、愚かな、女王の兄。
今日も今日とて、エラードは愚者のフードを被る。




