前夜②
旧魔王城中央広場にて、目を閉じ、両の手のひらを合わせながら、苦悶の表情を浮かべる女がいた。
茶色い毛に覆われた犬耳をピッタリと閉じ、なにやら集中している様子だ。
アランは気配を消しながら、その女の背中をチョンっと突く。
『ピャアッ!!!!!』
予想していた通りの奇声が聞こえてきて、アランはご満悦の表情を浮かべる。
『どうした? なんかあんまり上手くいってないっぽいけど?』
『ちょっと!!! 驚かせないでよ!!!』
『悪い悪い、なんか凄い面白い顔してたからさ』
『え、どんな顔してた?』
『飯を抜かれたパグみたいな顔してたぞ』
コレットはアランの両足めがけてタックルをくりだした。
アランはその攻撃に合わせ両足を縦に開き衝撃を後ろへと逃し持ちこたえた。
『いやいやいや、コレット氏それは甘いですぞ。砂糖たっぷりのシュークリームくらい甘いですぞ』
『って思うじゃん?』
コレットはアランの左足を掴んだまま、思いっきり体を捻った。
『ちょ、うわぁっ!』
重心を崩されたアランはその勢いに争う事ができずに、地面に背中を強く叩きつけた。
『柔よく剛を制す』
『……コレットは剛派かと思ってたよ』
『そうだね、でも結局のところは状況次第って感じかな』
地面に寝っ転がったアランの隣に座る。
『思った以上に【火】と【水】の魔力を均等に分けられなくてさ』
『まぁ、反発属性同士だからしょうがない感はあるんじゃね? と言っても、俺はベースが闇だからその苦労を知らないんだけどさ』
『体の中に小ちゃい爆弾があって、それを包丁で綺麗に真っ二つにする感覚に近いかも』
『うん、もっと難しくなったね』
物騒な事を言い出したコレットにやや引きつつも、自分なりに何かアドバイスが出来ないかを考える。
『なら右半身を【火】、左半身を【水】みたいに具体的に部位を決めておけばイメージしやすくなるんじゃね?』
『……なるほど、それいいかも!』
コレットは腕を左右に開き、自身の手のひらに魔力を集める。
右手には火を、左手には水を集めるイメージ!
右手にはフライパンを、左手には水入りのコップ!
うおおおおおおおおおおおッ――――――!!
『……コレットさん何してんすか?』
コレットは右手で何かを握りながら、腕を前後に動かしていた。
それはまるで、フライパンで何かを炒めているかの様であった。
『え、野菜炒め作ってる』
『エアフライパンでエア野菜炒め作ってるやつ初めて見たわ』
『……え、なんで私野菜炒め作ってるんだろう?』
『ちゃんと怖いのやめて』
コレットは自身の右手を見る。
『でも、ちょっとイメージが出来たかもしれない!』
『そ、そっか。じゃ、俺は自分の修行に戻るよ』
『うん! アランの方も頑張ってね!』
何かを掴んだ様子のコレットを少し心配しながらも、アランはクロエとの修行へと戻った。
――――――
『なんじゃ遅かったのう』
クロエは竹刀でアランの頭をポスポスと叩く。
『いや、ちょっとコレットの様子を見に行っててな』
『成る程。まぁ、あやつなら大丈夫じゃろうよ』
『ヘェ〜、随分と楽観的じゃん』
『そんなことより、お主の方は問題なさそうか?』
自身の体をよく見てみる。
すると、服の至る所が破けており、出血をしていた。
しかし、血は既に止まっており、外見上の目立った傷はなさそうだった。
とは言え、ある程度の外傷は治せるが、蓄積したダメージ自体は消すことができない。
つまりは、正直なところを言うと、身体中が痛い。
『変に手加減したらセクハラするからな?』
『ハッハッハッ! その覚悟や良し』
ピタッと隙のない構えで、竹刀の先をアランへと向ける。
『では行くのじゃ』
全神経をクロエの一挙一動に集中させる。
一瞬の無音が訪れたその刹那、クロエの姿が消えた。
強烈な衝撃が壊理剣を貫通して自身の体を貫く。
そして、気がついた時には旧魔王城の外壁にめり込んでいた。
『ガハッ、ハッ……ハッ…………』
肺から無理やり押し出された酸素を取り戻すべく、短く速い呼吸を繰り返す。
『……速すぎて見えねぇな』
『何度も繰り返せば目が慣れ見えるようにはなる。まぁ、それを防げる技量があるかは別の話じゃがな』
再度、竹刀の先をアランへと向ける。
『では続けるのじゃ』
『うっす!』
閃光の如き一閃が散弾銃のようにアランを襲った。
――――――
沿岸都市【アスラ】上空
中央都市ガリアから真っすぐ北方向へと飛行していると、眼下につい最近見たばかりの街並みが見えて来た。
沿岸部には大型の船が多数、寄港していた。
イザベラはその中でも一番大きいものを指差す。
『さて、ここからはあの船に乗り換えましょうか』
『確か【帝国騎士団】もあれで移動するんでしたね』
クレアは少し複雑そうな表情で船を見る。
『えぇ。同大陸同士とはいえ、順調に勝ち進むと準決勝で当たる可能性がありますからね。念のため、情報収集はしておきたいですわ』
決勝戦(北①×準決勝〇)
↑
準決勝
↑ ↑
第二A 第二B
↑ ↑ ↑ ↑
中①×西① 東①×南① 中②×西② 南②×東②
『わたくし達は中①なので一戦目は西①、二戦目は東①と南①の勝者、三戦目は他ブロックの勝者とで、最後に北大陸の氷雹霊廟戦になりますわね』
『凄い北大陸が有利なトーナメント方式ですね』
ドラコは苦言を吐いた。
『まぁ、大会の開催、運営をしているのですからそこは仕方のない事かと思いまわすわね』
そう言うと、着陸の邪魔にならない場所を指差し、ベノミサスに降りるように指示を出した。
――――――
『うわぁ、凄いおっきいですね!』
船へ乗り込むための入場口に並んでいると、ドラコは感嘆の声を上げた。
『ドラコさんは豪華客船は初めてですか?』
『そうなんですよね! 生活用品などはアスラの職員の方が持ってきてくれていたので、こうして実際に船を下から見上げたのは今回が初めてなんですよ!』
目をキラキラとさせながら、まるで子供の様にはしゃぎながらクレアの服の袖を引っ張る。
『……はぁ、ちょっと子供が欲しくなってきましたね』
『クレアさん、急にヒステリックにならないでくださいまし』
『す、すみません……母性が暴走しかけました』
『……クレアおねえちゃん』
ベノミサスがドラコとは反対の袖を掴む。
『やっぱり産むのなら最低二人は欲しいですねェェェェェ!!!』
『ちょ、クレアさん!!!』
周りに居た乗客が一斉にクレアの方を見る。
『……なんてね』
『なんだ落ちこぼれのクレアじゃないか』
声のした方向を見る。
そこには、長い金髪を紐で一つに結んだ美青年が立っていた。
『……ウェイン』
『中央大陸の代表ギルドの一つがまさか、お前達のギルドとはな呆れたものだ。まぁ、ガリアの面に泥を塗らないよう精々頑張るんだな』
『霊宝山の仕事を回して貰えなかったクセに随分と上から目線ですね^^』
『貴様……』
ウェインは静かにクレアを睨む。
『貴方も霊宝山での出来事をもう知っているのでしょう? そして、それがガリアにとってどれだけ“重要”な情報である事もね』
『……確かに陛下は我々ではなく貴様らのギルドを選んだ。だがそれは、失っても問題ない戦力だと判断したからだ。所詮貴様らは使い捨ての先兵でしかない。帝国騎士団はガリアにとって重要な戦力だ。そう簡単に使い捨てに出来ないのは自明の理だろう?』
『どうしました? 今日は随分と饒舌ですね^^』
『貴様ァ! 落ちこぼれの分際で――――――』
怒りに任せ、クレアの服を掴もうとしたその時――――――ウェインの後ろに見覚えのある女性が見えた。
『……エマさん!?』
『……えっ!? あれ!? クレアさん!!!』
ウェインを横に押しのけて、エマはクレアの手を取る。
『お久しぶりですクレアさん!』
『……えぇ、帝国騎士団試験以来ですね』
『なんで騎士団を辞めちゃったんですか! 私クレアさんと一緒に仕事が出来るのを楽しみにしてたのに!』
『それは……』
『こらこらエマ、あまりクレアを困らせないであげてくれ』
ウェインは取って貼り付けたかのような笑顔で二人の間に割って入り、話を強制的に中断させた。
『でも……』
エマは下を向き露骨にしょんぼりとして見せた。
『……今回の大陸間ギルド対戦にアランさんが出場します』
『――――――え?』
エマは唐突な言葉に一瞬キョトンとする。
しかし、直ぐ様に言葉の意味を理解しクレアの近くに行こうとする。
だがウェインはそれを許す事なく、エマの肩に手を置き動きを封じる。
『ねぇなんでアランの名前が出てくるの! クレアさん教えて!』
『落ち着けエマ。もう既に捨てた男の話だろう?』
その言葉を聞くや否や、エマは唐突に静かになった。
『……ごめん』
『別に構わないさ』
ウェインは再びクレアを睨むように視線を送る。
『あまりエマを刺激しないでくれるかい?』
『そうね。ただ、私が言いたかったのはアランは“大将”で出るって事だけ』
『……そうか。ならばあの男に伝えておけ。「あの時の決着を付けてやる」と』
『分かったわ』
一瞬、極わずか間、ウェインとクレアの目が合う。
そして、そのどちらの瞳にも確かな【闘志】が宿っていた。
『では我々はこれで失礼する』
そう言うと、ウェインはエマの肩を抱き寄せながら船の中へと消えていった。
そして、その後ろを追いかけるように騎士団員達がズラズラと列を成して移動した。
『……全く。相変わらず嫌な男ね』
クレアは自身の後ろに居る仲間達の方を見る。
『ごめんなさいね。ちょっと話をしてまし――――――え?』
クレアは目の前の光景を信じられずに、自身の目を疑う。
そこに居たはずのイザベラ、ドラコ、ベノミサスの姿がなくなっていたのだ。
『……待って、普通に置いて行かれた!?』
『おーい、そこの嬢ちゃん! 乗るのならサッサと乗ってくれ!』
腹の出ている中年のオジサンが大きな声で言葉をかけてくる。
どうやら話をしている間に、船の出発の時間が来てしまっていたようだった。
『……うっ』
必死に涙を堪えながら、クレア・スカーレットは豪華客船『エスポワール号』へと乗船した。
――――――
【?????】
『計画の方は滞りなく進んでいますか?』
ワイングラスをクルクルと回しながら、腰まである長い黒髪を揺らしながら女は目の前に跪いている男を見下ろす。
『はい。問題なく進んでおります』
『そうか』
地面に跪いていた男がその女性を見上げるように顔を上げた。
その刹那、綺麗に手入れされた黒いスーツを身に纏うその女性は、男の頭を強く踏み付けた。
そして、赤く光る瞳で再度、男を見下ろす。
『誰が見て良いと言った?』
『も、申し訳ございません!』
頭を踏みつけていた足を元の位置へと戻し、椅子に座り直す。
『ところで、“あの男”の精神制御の方はどうなっている?』
『問題ないかと思います。アレにとって最も大切なモノをこちらで押さえている限り、こちらの命令には背けませんので、計画に支障をきたすような事はしないかと存じ上げます』
『そうか。ならばよい。もう下がれミュリン』
『かしこまりました』
そう言うと、ミュリンと呼ばれた男は顔を上げる。
そして案の定、再び頭を上から押さえつけるように踏まれる。
『……何度言えば分かる?』
『申し訳ございません! ベルゼブブ様のお姿をこの目に焼き付けたく思いまして!』
『相も変わらずにキモイなお前は』
『滅相もございません。我々配下にとってはこれはこれでご褒美ですので』
『そ、そうか』
ミュリンは満足気な顔をしながら、部屋を後にした。
静まり返った薄暗い部屋の中で、ワイングラスに映る自身の姿を見る。
『……大陸間ギルド対戦。他の連中に後れを取る訳にはいかないな。今度こそ――――――かの者の目的を達成して見せなければ』
蠅の王【ベルゼブブ】は六対、十二枚の羽根を持つ黄金象を見ながら、残っていたワインを全て飲み干す。
その表情には恍惚としたものが宿っていた。




