黒剣【後】
しばらく歩くと、木造三階建ての大きな宿舎が見えてきた。
外観はボロボロで、築900年は超えるとかなんとか。
風系統の魔術で防音、防振耐性がガチガチに組まれた結構な建物らしく、現在は、村長が来客用の宿舎として活用している。
ってか木造で築900年はバグにも程があるだろ。
宿舎の入り口まで近づいたところ、見慣れた顔の女性が扉を開けようとしているのが見えた。
『お疲れ様ー今帰りか?』
『あっ、アランさん、お疲れ様です。丁度今、周辺の安全を確認し終えて帰って来たところです』
肩甲骨辺りまで伸びた赤髪を紐で一本に結んだクレアの姿がそこにあった。
『アランさんはどうしてここに?』
『エマがウェインに呼ばれて宿舎に行ったらしくてな。それで迎えに来たんだよ』
アランの言葉を聞くや否や、先ほどまでの緩やかな顔は一変し、青ざめた険しい表情になった。
『――ウェイン隊長がこんな時間にエマさんをですか?』
『どういう……事だ? 騎士隊関連の仕事で呼ばれたんじゃないのか?』
最悪な考えが頭の中に浮かんでしまい、俺はすぐさま宿舎の扉に手をかけた。
『待ってください! 念の為に姿を消す魔術をかけます。一般の方が宿舎内をうろついているのは不自然ですから』
――――――
クレアに姿消しの魔術をかけてもらい、恐る恐るクレアの後ろを付いていく。
宿舎の中は静寂が支配しており、他の隊員はみな中央広場に行っているようだ。
床がギィッと音を立てて軋む。
音が鳴るたびに俺の心臓の鼓動がだんだんと、強くなっていくのが感じられた。
気配を消しながら、先を歩いていたクレアが一室の扉の前で立ち止まる。
扉は不自然に少し開いており、中から光がこぼれ出ていた。
俺は自分自身に『大丈夫だ大丈夫だ』と言い聞かせながら、震える体を強引に動かし中を覗いた。
『んっ……んっ……待って……もっと、ゆっくりでお願い…………』
『こっちは長旅で色々溜まってんだ、無理を言うな。それに、誰のおかげで生きていられたと思ってるんだ?』
『ご、ごめんなさい。“ウェイン様”……あんっ、激しい』
そこには、最愛の婚約者と長髪金髪の男が体を交えている姿があった。
こみ上げる吐き気と眩暈で、その場に静かに座り落ちた。
そんなはずがない。
ありえない。
嘘だ。
夢でも見ているのか?
震える体で縋るようにクレアの方を見る。
静かに目を伏せ、扉とは反対方向にある窓の方を向いていた。
そして、その手は微かに震えていた。
『なぁ! あのアランってやつとどっちが気持ちイイ?』
自身の名前を呼ぶ声に反応し、意識は一瞬で現実に引き戻された。
『ん、んっ……そうゆう事は聞かないで……』
ウェインはその反応を楽しむかのように、腰を振るペースを上げた。
『いや気になってさ! 魔獣を前に漏らしちゃうような腰抜けが、どんなもんだったのかってさ』
『アランを悪く……言わないで……んっ……彼なりに、んっ……彼は……優しい人だから……』
ウェインは口角を吊り上げ、エマの体を抱きよせる。
『なら聞かせてくれよ。今の俺とあのガキ……命を預けるならどっちを選ぶ?』
エマの開いた口に、貪るように舌を入れる。
『あっ……んっ……ウェイ……ウェちゅる……イ……んっ……』
『良く聞こえないな。もっとハッキリと大きく言ってごらん』
ラストスパートと言わんばかりに速度を上げる。
『あっ……んあっ……ウェイン……ウェイン様です!』
『いい子だ。いい子にはご褒美をあげなくちゃな』
上がった速度が一気に緩やかになった。
エマの太ももを白濁状の液体が流れる。
『俺と一緒に来てくれるな? エマ・ウィンター』
『……はい』
その言葉を聞いた瞬間、俺は……逃げ出した。
――――――
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
ここに来るのはいつ以来だろうか。
村の外にある崖沿いの洞窟。
村の者でないと入り方が分からないほど複雑なその洞窟は、言い伝えによると“勇者の祠”と呼ばれていたそうだ。
洞窟の奥には“勇者の剣”と呼ばれている黒剣が一本刺さってはいるが、その話を真に受ける者は誰一人としていなかった。
何故なら、その黒剣は人が持つにはやや大きすぎるのだ。
分厚く、重く、そして……みすぼらしい。
そもそもの話、勇者アレクの剣はガリア王家にて丁重に保管されている。
所詮は、来訪者獲得を目的とした観光名所化が目的だったのだろう。
それが『嘘である』と分かっていても、ついつい来てしまうのが人の性というものだからだ。
まぁ、あまりにも立地が悪すぎた結果、その企みは失敗に終わったんだがな。
『俺もお前も、誰にも必要とされなくなった、忘れられた存在だな』
黒剣に背中を預けながら真っ暗な洞窟の天井を見る。
ぽちゃん……ぽちゃん……ぽちゃん
規則的なリズムを刻みながら水滴が落ちる音が聞こえる。
『なんじゃおぬし? 恋人にでも振られたのか?』
『あぁ。まぁ、そんなと――――――』
瞬時に立ち上がり、辺りを見渡す。
この洞窟には自分以外、誰も居なかったはずだ。
『誰だ!? 出て来い!』
額から大量の汗が滝のように流れ落ちてきた。
『なに、そんなに焦る事もなかろうて、ワシはただのしがない魔王じゃよ』
『ふざけんな! 何が魔王だよ、二千年前に勇者に打ち取られて死んでんだろ!』
『……二千年、二千年も経っておったのか。ならばもう勇者は生きてはおらぬか』
改めて周囲を注意深く見渡すがネズミの一匹も見当たらない。
『ワシはずっとお前さんの目の前におるぞ。よく見てみぃ』
『黒剣以外……見当たらないが?』
まるで生き物であるかのように、黒剣がガクガクと震えだす。
『ふーむ。やはりワシ単体の力では抜けぬか』
『――冗談……だろ?』
無機物であるはずの剣が独りでに喋り、ガクガクと動き出す。
NTRのショックで頭でもやられたか?
『冗談ではない。ワシこそが! 二千年前、邪知暴虐の限りを尽くした先代の魔王を、空を支配し地を這う者達の夢をも喰らった傲慢なる全竜王を、夜という名の闇を我が物顔で跋扈し殺しの限り楽しんだ真祖なる吸血鬼を、そして、命ある者達の運命を弄び享楽に耽った神々をもぶっ殺したワシこそが――』
『絶対無敵天上天下唯我独尊世界最強魔王! ディアボロス様その人なのじゃ!』
シーン
ただでさえひんやりとしている洞窟内の温度が更に低くなったのを感じた。
『恐怖で言葉を失ったか、無理もないのじゃ』
『いや胡散臭すぎる! なんだよ絶対無敵天上天下唯我独尊世界最強魔王って! 長すぎんだろ! あとなんで魔王ディアボロスがそんな可愛い女の子みたいな声してるんだよオカシイだろ!』
『か、可愛いじゃと!? ワシがか!? おぬし見える目あるのう!』
『いや何でだよ! 喜ぶなよそこは! お前は絶対無敵天上天下唯我独尊世界最強魔王だろ!』
心なしか、剣がぐにゃぐにゃと左右に動いているように見える。
どう見ても剣がしていい動きでない。
だが、今はそんな事よりもだ……
『ってか何で勇者にやられたはずの魔王が、こんな辺鄙な場所で、ボロッボロの黒剣に成ってんだ?』
『ふむ。おぬしらが教えられた歴史がどういったもなのかはワシは知らぬが、実際のところは―――』
『【勇者に一目ぼれして剣に封印されることを許した】というのが正史じゃな』
『どうゆうことだよ……』
『ワシはな。来る日も来る日も勉学に励み、ついでに目についたムカつく奴らぶっ殺す。そんな荒んだ日々を送っていたのじゃ』
『シンプルに怖いよ……』
『そんなある日、あの男、勇者が現れたのじゃ。あやつは開口一番ワシに対しこう言ったのじゃ』
貴方がもう苦しまなくていいそんな世界を僕が作ります。
だから、平和な世になったその時は――
【もう一度貴方を迎えに来て幸せにしてみせます】
『こんなん惚れるじゃろ』
『流石に惚れるな』
『じゃろ?』
『あぁ、男の俺でもグッときたわ』
『それでワシが作った最高傑作であるこの【|壊理剣《かいりけん】の中に封印される事を受け入れたのじゃ』
『そのボロボロ黒剣ってそんなイカつい名前だったのか』
正直ニワカには信じられない内容ではる。
がしかし、剣が喋るとかいう信じられない事が目の前で起きている以上、今の話を完全否定するのは難しい。
『因みに二千年感ずっと意識はあったのか?』
『いや、20年前くらいに起きたのじゃ。それまでは寝とった。壊理剣の中には食べ物も、本も入っているからのう、ずっとダラダラしとったわ』
『その剣凄すぎない!?』
『当然じゃ。ワシの最高傑作じゃからな。物を大量に収容できその上、収容物の時間経過をも止める事が出来る優れものなのじゃ。おそらくこの大量の食べ物も、ワシが寝た後に勇者が入れてくれた物じゃろうしな』
『それで? おぬしはどうしてこんな場所でメソメソ泣いておったんじゃ?』
『……見られてたのか』
『おぬしの方がワシの前まで来たんじゃろう』
俺は話すべきかどうか悩みはしたが、素直に話す事にした。
きっと誰かに聞いてもらいたい気分だったのだろう。
――――――
『ふーむ。自身の婚約者をぽっと出の騎士にネトラレたと』
『……はい』
改めて自分が置かれている現状を自覚し気分が沈んだ。
あと若干お腹も痛い。
『まぁ、聞く限りその騎士が居なかったら婚約者は死んでいた訳じゃし、おぬしが弱いのが悪いのう』
『……あぁ。俺はエマに【どんな災厄が来ても君を守る】って約束をしてたんだ。最初に約束を破ったのは俺の方だ。エマは悪くない。悪いのは口だけだった弱い俺自身なんだ』
暫しの沈黙が流れる。
『なら強くなればいい』
『……そんな簡単に強くはなれないだろ』
『当然じゃ、そんな簡単に強くはなれないのじゃ』
『――ワシも最初は弱かった。病弱で外で友達と遊ぶことすらままならなかったほどに。じゃが、ワシは世界最強の魔王と成った。そうなれたのは何故か?』
『――ひたすらに研鑽を積んだ。それだけなのじゃ』
ただ絶望し、天井を見上げていただけの俺には――その言葉は重く痛かった。
『……俺も。ひたすらに努力すれば世界最強に成れるのか?』
『無理じゃな。世界最強はワシじゃからな』
『そっか……』
『じゃが――』
『世界最強が鍛えれてやれば、その者は世界最強をも超えられる可能性があるかもしれん』
『――!?』
『ワシが鍛えてやる』
『本気で言ってる?』
『本気じゃ。丁度、今のダラダラ生活に飽きてきたところじゃったからの。まぁ、と言っても――』
『――おぬしの覚悟次第じゃがな?』
俺は自分自身に問いかける。
ニワカには信じられないこの黒剣の言葉を信じ、修行に身を投じられるか?
その答えは直ぐに返って来た。
『――どんな災厄が来てもぶっ殺せるくらいには強くなりたい』
『いい答えじゃ』
この日から、俺の三年間の地獄の修行ライフが始まったのだった。