登山前
ルシアナはとある一室の前で足を止めた。
静かにコンコンコンと扉を三回叩く。
すると、扉の向こうから低い男性の声が聞こえてきた。
『おーもう来たのか。想定していたよりも早いな』
ゆっくりと扉が開く。
『お待ちしておりました。わたくし、アスラ大商会会長の【ダレス】と申します』
身長は二メートル程だろうか。
ルシアナとは違い、灰色のやや長めの体毛を靡かせながら、扉の向こうから大型の猫獣人の男が現れた。
『こんにちは。ガリア国王陛下からの勅令で来ましたアランと申します。後ろに居るのは今回のクエストで必要になってくる私の仲間達になります』
アランは慌てる事なくダレスと握手を交わす。
『おや? シャーナ様はいらっしゃらないのですか?』
『えぇ。少々お腹のトラブルで遅れそうでして……』
『おっと、これは失礼した。入り口で話すのもなんですし、どうぞ中へ』
ダレスに促され、長方形状の長机の前にある椅子に腰をかける。
不自然にならないようさりげなく部屋を見回し、内装を観察する。
執務室って感じではなさそうだな。
どちらかと言うと応接間と言った所か。
ってかこのソファタイプの椅子とかいくらするんだよ。
全体的に赤を基調としており、所々に金色の刺繡が入ったそれは、もはや日用家具と言えないレベルの高価さがあった。
『こちら、アスラ名物の【スカイブルー】になります』
ルシアナは人数分のグラスに青色の液体を注ぎ始めた。
グラスの中を注視していると、最初は青色をしていたはずなのに途中から急に、透明な部分と青色の部分とで上下に分離した。
グラスの下部分が青色で上が透明と、まるで空模様を現しているかの様だった。
『凄い綺麗ですね』
『えぇ。お土産としての人気も非常に高く、塩分とミネラル、糖分を補充できるので船乗からの支持も厚かったりします』
『それは楽しみですね。頂きます』
グラスを手に取り一口、口に含む。
その瞬間、甘さが口いっぱいに広がり、甘味を食べているのでは?という錯覚を覚える程に美味であった。
更に驚くことに液体を飲み込んだ後、口の中に甘ったるさが残らず清涼感ある後味に成った。
『う、美味いな……』
他のメンバーの方を見ると
コレットとクロエは美味しそうな反応を見せているのに対し、イザベラは無表情のままだった。
『イザベラはそんなに好きな味じゃなかったか?』
『クロエ様の血の方が5兆倍は美味しいですからね』
『今度俺も飲んでみてもいいか?』
『ぶっ殺しますわよ』
イザベラは純粋な殺意をこちらに向けて来た。
『これクロエの使用済み靴下な』
『し、仕方ないですわね。……ちょっとだけなら』
アランはイザベラに向けて小さな靴下を放り投げる。
『ちょ、ちょっと待てぇーいっ! なんでお主がワシの靴下を持っておるのじゃ?』
『いやさ、クロエってちょくちょく俺の影の中で寝る時あるじゃん? そん時に脱ぎ捨てっぱなしになってんだよね? トイレでうんこしてる時にポロっと足元に少女の靴下が出てくる人の気持ちが分かる? ねぇ? 普通にびっくりして口からうんこ出かけたからね?』
クロエの額を指でぐりぐりとしながら問い詰める。
いつか文句を言ってやろうと思っていたので丁度いいタイミングだった。
『うむ、それは普通にすまんな。お主の影は居心地が良くてなぁ……同じ属性同士じゃから相性が良いのかもしれんのう』
『相性!?』
ギロリとイザベラはこちらを見る。
『ま、まぁ。イザベラとクロエの方が相性はいいんじゃないかな? 遠目で見ると双子みたいに見えるし』
『それはもう実質相思相愛ですね』
全く言っている言葉の意味が分からなかったが、めんどくさそうなのでスルーする事にした。
すると、部屋の奥からA4サイズの書類を持ったダレスが戻って来た。
『お待たせして申し訳ない。こちらが現在の被害状況になっています』
ダレス会長はこちら向きに書類を机に置いた。
『最初の被害が出たのが今から七日前で、アスラ近郊の農場が小型の飛竜の襲撃を受けました。一体ではなく複数体による襲撃だったそうです。更に奇妙なことに人的被害は現在時点で一件も発生おらず、あくまでも農作物に限っているという話です』
『因みに、その飛竜ってのは意思疎通できる個体なのか?』
『いいえ。霊宝山では【宝龍】が組織のトップであり、その他の竜達は宝龍の命令で動くコマにすぎません。現時点で人と意思疎通ができると確認できているのはで宝龍のみになります』
うーん。
まぁ、普通に考えるのなら宝龍の命令で農場を荒らしに来てるって線だよな。
『因みに、宝龍との関係に何か問題等は発生していましたか?』
『いいえ。七日前までは良好な関係を築けていました。宝龍側はアスラ周辺に湧く害悪な魔獣を狩り、アスラ側は穀物や服、食器といった日用品を献上していました』
『……日用品? 龍やドラゴンに必要な物なのか?』
『どうなんでしょうね。宝龍はその名の通り宝を集める習性があるようなので、その一環かと思いますよ』
『成程ね。確かに自分が作れない加工品ってのは宝に見えなくもないな』
次に何の質問をしようかと考えていると、ダレスは何かを思い出したかの様な反応を見せた。
『そうですねぇ。今回の件と関係があるのかは分かりませんが、九日前に大きい嵐が発生していましたね』
『アスラと霊宝山が襲われたのか?』
『いえ、アスラはそこまでの被害は出ていませんでしたね。元々立地的に嵐がよく通る場所で万全な対策が出来ていたのでそのおかげかと。霊宝山の方からも特にこれと言った問題は発生していないとの事でした』
九日前の嵐で“何か”あったとみるべきか……タイミング的に“ここ”だよな。
『あの! 私からも質問いいですか!』
コレットは元気よく手を挙げる。
『えぇ、構いませんよ』
『なんか毒の霧が発生してるって話を聞いたんですけど、宝龍って闇属性の魔力持ちなんですか?』
『違いますよ。宝龍は【土属性】の魔力持ちです』
『実は複数属性持ちって可能性は?』
『可能性は限りなく低いかと。【源龍】は一つの属性の頂点に至った個体の龍の事を指します。宝龍は【金】つまりは土属性の頂点に位置する龍なので、周辺を攻撃するのならわざわざ毒の霧なんて発生させるよりも、地震や地割れを起こした方が合理的でしょう』
なるほど、毒の霧の発生源は宝龍ではないと。
現状、気になる点としては
・九日前の嵐
・毒の霧
・宝龍との連絡網の断絶
・周辺の農作物への攻撃
まとめてみると分かるが、話の流れに一貫性がないな。
―――ただ、それは宝龍を元凶としてみた場合に限るが。
毒の霧を発生させた元凶が別にいて、“そいつ”が宝龍を黙らせ霊宝山の主権を奪っていたとしたらどうだろうか?
今まで穏健に築いていた関係を壊す事に一切の躊躇いがないような“何か”
農作物への攻撃も見方によっては【土】に対しての攻撃に見えなくもない。
派閥争いか?
……うーん。今はそれを断定できるだけの情報はないな。
『まぁ、なんにせよ。とりあえずは直接行って見ないと詳細は分からないんだろ?』
『えぇ。その為に中央政府に助けを呼ばせていただきましたので』
『因みに結界が張られてるって事らしいけど霊宝山には入れるのか?』
『入れはします。結界で遮断するものを“毒霧”に限定する事によって結界の強度を上げています。つまりは、毒霧以外のものは出入り自由な状態であるという事です』
『……そうでもしなきゃ防げないレベルの毒って事か?』
『そうなります』
アランはコレットとクレアの方を見る。
『……毒耐性のない二人はヤバくね?』
『フフフ、こんな事もあろうかとコレット特製のガスマスクを用意してきたよ!』
コレットは背中にあるバッグから布製のガスマスクを取り出した。
『……皮膚から侵入する【経皮毒】とかだったらどうする?』
『……死ぬね』
コレットは涙目になりながら高らかに掲げた腕を下げ、スッとバッグにガスマスクをしまった。
『……お留守番できるな?』
『……バウバウ』
コレットは耳をしょんぼりさせながら椅子に腰かけた。
『クレアもいいか?』
『いえ、私はエアリアルブーツで風の膜を作りながら行けま―――グフッ』
コレットの目にも止まらぬ速さの腹パンを受け、クレアはぐったりと気絶した。
『……ふふふ。クレアさんちょっと疲れてるみたい』
『……そうだな』
一瞬コレットの闇を見たかのような気がしたが、きっと気のせいだろう。
俺は何も見ていない。
――――――
薄い膜の様な物を抜けるとそこには―――頂上が見えぬ程の山が聳え立っていた。
幾多の冒険者を退け、数多の宝が眠るとされる秘境の地。
『準備はいいか二人とも』
『わたくしは全く問題ないですわ。こんなのピクニックデートみたいなものでしょう』
『ワシも問題ない。帰りになんかレアそうな宝があったら謝礼でパクっていこうなのじゃ』
俺は頼りになりそうで、ならなそうな二人に不安を感じつつも、それをかき消すかのように声高らかに宣言する。
『これより我々【絶対無敵天上天下唯我独尊世界最強魔王軍ぐんぐん登山隊】は【問題を解決しつつなんかレアそうな宝はパクって結果ほくほくデート大作戦】を実行する!』
『『おー!』』
問題児二人とその弟子のふざけた山登りがここに開始された。




