八話
地下1層。ボス部屋まで続く短くも長く感じる通路を歩きながら、おっさんは頭の中で情報を整理していた。
(ここを突破すれば地上……一度ボスを倒せば、しばらくは安泰だ)
もしもボスの再生——リポップ条件がゲーム時代と同じであれば、ボスを討伐し、地上へと続く扉を開いた状態でボス部屋に『生きている人間が1人以上』残っていれば、その人間がボス部屋を離れるまでボスは湧かない。しばらくすれば素材や経験値欲しさに再びボスを湧かせることになるだろうが、今現在地下に囚われている人々が皆脱出するまでは、誰かが代わる代わる湧き制御をすればいい。
問題は、やはり、現実とゲームのシステムの違い。ここまで進んできた段階で、ゲーム時代と大幅に違う動きをするモンスターはいなかった。だが、ボスも同じだとは限らない。
槍を握るおっさんの手に、力がこもる。その様子を見ていたのか、賢人のパーティメンバーであるリキチが、隣から声をかけた。
「……大丈夫?」
「ん? ああ……大丈夫、ではないかな」
ダンプリをプレイしていた頃のおっさんは、いざボス戦となると心が躍り、デスペナに怯えながらも戦闘を楽しむ余裕を持っていた。
だが、今は違う。ここは現実世界で、死ねば冷たい屍となる。少なくとも、戦闘を楽しむ余裕などない。
「君は大丈夫なのか?」
「……僕? 僕はまあ……他に生き甲斐もないから」
目を隠すほど長い前髪の奥から、リキチの優しい瞳が見えていた。自殺願望、というほどでもないだろう。しかし、おっさんほど死に怯えていない印象も受ける。
「……そのくらい悲観していた方が、むしろ生き残れるかもな」
「うん。勝って生き残るか、負けて死ぬか。難しい話じゃない。ダンプリと同じ」
「それもそうだな。ありがとう、リキチ」
リキチはふっと微笑むと、再び視線を通路の先へ向けた。
そうして、地下迷宮1層、ボス部屋に続く大きな扉が現れた。戦闘に立つ賢人が扉に触れると、重々しい扉が、これまた重々しい轟音をあげながら、ゆっくりと開いていく。
扉の先には暗闇。しかし、何か強大な存在の殺意が、ひしひしとおっさんたちの肌を焦がしていた。
前衛陣が足を踏み入れると、それまで薄暗かった広間に、次々と灯りが灯されていく。徐々に姿を現したのは、この地下迷宮の主。ここまで見かけた幼体や、その二倍近い体躯を誇る成体とは比べ物にならないほどの巨体。まるで大きなトラックと相対したかのような存在感。
成体までは灰色だった毛並みは、迷宮の主らしく薄く銀色に輝いていて、赤く鋭い瞳には、眼光だけで生者を仕留められるほどの威圧感があった。
「……っ、早速、ゲームとは違う要素が出てきてるなっ……」
ダンプリにおける状態異常、プレイヤーに与えられるバッドステータスの中に、『恐怖』というものがある。これはプレイヤーより一定以上レベルが高い一部モンスターと遭遇した時に付与されるもので、そのモンスターと敵対している限り永続的に『全ステータス大幅低下』のデバフを受ける。
ダンジョンに現れるボスモンスターは、その殆どがこの『恐怖』の対象となるモンスターだ。つまるところ、ボスモンスター討伐の『適正レベル』というのは、プレイヤーがこの『恐怖』の状態異常を受けないラインのことなのだ。
地下迷宮1層のボスならば、レベル10。これが、『恐怖』によるバッドステータスの影響がないラインであり、本来ならばおっさんたちも、ステータス低下のデバフは受けないはずだった。
しかし、どうだろうか。おっさんを含め、レイドパーティの16人は、全員がボスを前にして動けずにいた。『恐怖』の状態異常を受けたのか?
——否。この場にいる誰も、ステータス低下のデバフは受けていない。動けないのは、システムに依存しない、純粋な『恐怖』によるものからだった。
「これが地下迷宮のボス……キングラビリスウルフ……」
ラビリスウルフたちの王。強大にして絶対的なオオカミは、訪れた餌を前に不気味な笑みを浮かべた。
「——ウォークライッ!」
背後から、支援職の男の声がする。ウォークライという、パーティメンバーの全ステータスを一時的に微上昇させるバフスキルだ。同時に、ゲーム内では『士気』を高めて戦闘意欲を向上させるという隠し効果も持っていた。
おっさんたちの体内を駆け巡る血が、熱く湧き上がる。先ほどまで感じていた恐怖は薄れ、16人全員が、次々と武器を構え始めた。
——作戦、その1。もしも想定外の出来事が起きて全員が怯え、動けなくなったら、支援職は即座に『ウォークライ』を使う。
賢人の立てた作戦は、ものの見事にこの状況を的中させた。先ほどまで怯えて動けなくなっていた面々は、それが嘘だったかのように、闘志に満ち溢れた目をしている。
それは、おっさんも同じだった。これまで見たことのないほどの脅威に遭遇した恐怖は、『必ず生きてここを出るのだ』という強い意志に置き換わった。
「——総員、戦闘開始ッ!!」
剣を突き上げ、号令をかける賢人。広間にビリビリと響き渡った声を皮切りに、皆がボスに向けて駆け出した。