四話
それは、おっさんの予想よりも早く、そして、突然現れた。
「おっ……と。ランタンが点いてる」
角を曲がり、通路の一番奥。薄暗くはあったものの、松明の一本もなかった地下10層では異質な灯り。見間違うはずがない。それは、地下9層に続く階段を示す、壁掛けランタンだった。
おっさんは小走りでランタンに向かう。壁に掛けられた二つのランタンの間に、確かに上層へと続く階段があった。
「一番手ではないみたいだけど……幸先がいいな。早速登るか」
この壁掛けランタンは、本来は無灯火の状態で放置されている。ただし、いずれかのプレイヤーがここを訪れると点灯するという仕組みのため、必然的に先行して9層へ向かった人間がいるという証明になっているわけだ。
槍を背中に預け、階段の一段目に足をかけたおっさん。その時だった。
「……お。第一村人発見」
おっさんの後方から、同じくおっさんの声が聞こえる。咄嗟に振り返ると、闇の中から頭を輝かせた中年のおっさんが現れた。見事な輝きっぷりだ。
輝いていない方のおっさんは、槍を構えて輝いているおっさんを威嚇した。ここはゲームと違って現実……プレイヤーキルだなんて馬鹿な考えを起こす人間はいないと信じたいが、万が一ということもある。
「おいおい。可愛い嬢ちゃんがそんな怖い顔するなよ。怪しいもんじゃねぇさ」
「どうだろう……それはあんたが判断することじゃないと思うが」
睨み合うおっさんとおっさん。外見だけで言えば美少女とおっさんだが。睨み合いはそう長く続くことはなかった。
ハゲている方のおっさんが、両手を宙にあげて小さな笑みを浮かべる。
「知らないのかい、嬢ちゃん」
「?」
警戒を緩めないまま、何のことだ、と睨みつけるおっさん。スキンヘッドのおっさんは、にかりと豪快な笑みを浮かべ、より一層頭を輝かせた。
「ガタイのいいハゲは、裏切らないんだ」
予想もしていなかった答えに、おっさんは思わず崩れ落ちた。ハゲたおっさんは相変わらず豪快に笑うと、その場に座り込む。
「嬢ちゃん、名前は?」
「……マコト。佐野マコトだ」
「そうか。俺は剛。相模原剛だ。よろしくな」
若干距離をとって警戒するおっさんと、無害さをアピールしながら握手を求める剛。『苦手な人種だ……』と心の中で毒を吐きながら、おっさんはその手を取った。
9層に続く階段から最も近い小部屋で小休止と洒落込む二人。剛は背負っていたリュックから桃の缶詰を取り出し、手早く蓋を開けた。
「ほれ、マコト。女の子は果物が好きだろ」
「ああ……ありがとう」
缶詰を受け取ったおっさんは、少し警戒しながらも桃を口へ放り込んだ。途端に、随分と久しぶりに感じる甘味が全身を駆け巡った。
思えば、ダンジョンに転送されてから何も口にしていない。ダンジョン内で食糧を得る手段は、ランダムに設置されている宝箱やモンスターのドロップ品がメインだが、地下10層ではメインとなるモンスターが幼体ゴブリンやスライムだったため、宝箱頼りとなってしまうのだ。
だが、剛が出したこの缶詰は、宝箱から得たものではない。恐らく、剛自身が外から持ち込んだものだろう。
「あんた……ダンプリプレイヤーだな?」
「なんでそう思う?」
「準備万端って風に見える。転送されることが分かってたのか?」
剛は頭を掻きながら、困ったように笑う。
「ああ、まあ……警戒するに越したことはないだろ。装備はともかく、序盤じゃ食糧の確保が難しいからな」
痛いところを突かれたような気がして、おっさんはダメージを受けた。警戒もせずにダンジョンに転送されて、食糧の確保ができなかったおっさんとは大違いだ。
「そういう嬢ちゃんもダンプリプレイヤーだな? こんなに小さいのにまだ生き残ってるってことは、ダンジョンの知識があるってこった」
「小さい……?」
おっさんは一瞬、剛が何を言っているのか分からなかった。そして……自分が、自分で作った美少女アバターの姿になっていることを思い出して、一人で納得した。ここまで生きている人間に会わなかったために、自分が美少女の肉体に変化してしまったことすら忘れていたのだ。
「……そうだ。ゲーム時代に苦戦させられた分、その知識が今役に立ってるって感じだよ」
「まだ小さいのに立派だよ。うちの娘ならとっくにリタイアしてただろうに」
「娘がいるのか?」
「ああ。ちょうど嬢ちゃんくらいのな。見にきたがってたんだが、連れてこなくて正解だったよ」
黄昏れるように、小部屋の壁を見つめる剛。そんな剛に対して、おっさんは声を掛けなかった。
「……『生きて帰れたらいいのにな』……とか、気が利いたセリフは言わないのか?」
声を掛けないおっさんに対して、剛がツッコミを入れる。それはまさしく、おっさんが言おうとしていた台詞そのものだった。
「言ったら帰れないだろ。フラグって言うんだぞ、それ」
「違えねえ」
敢えて言わなかったのに、と睨み付けるおっさんに、剛は豪快に笑ってみせた。そして、おっさんが桃の缶詰を完食していたのを確認すると、立ち上がって埃を払う。
「そんじゃまあ……行くか」
まるで、一緒に行動するかのような口ぶり。おっさんは缶詰をその場に置いて、槍を杖代わりにして立ち上がった。
「一緒に行動する気か? 戦力になるかも分からない、こんな女の子と?」
自分で自分のことを『女の子』と言うのが、なんだかむず痒いおっさん。そんなおっさんに対して、剛は表情を変えることなく言った。
「戦力になるかも分からないから一緒に行動するんだろ。俺の知らないところで死なれたら気分が悪い」
また、剛は黄昏れるような瞳をしていた。同い年くらいだという娘のことを思い出したのだろう。もしかすると、おっさんに娘の影を重ねていたのかもしれない。
おっさんは早歩きで剛に並ぶと、槍の石突で剛のふくらはぎを軽く小突いた。
「……疑って悪かったな」
「おう。気にすんな」
再び笑みを浮かべた剛は、先行する形で部屋を出た。そうして、初めての仲間と手を組んだおっさんは、地下9層へ続く階段を登り始めたのだった。