二話
——地下迷宮10層。ダンジョンにある全エリアの中でも屈指の広さを誇るエリア。全域に渡って複雑な迷路のような形状をしており、さほど強くはないモンスターが比較的少数での群れを作って生息しているため、ゲーム内での『チュートリアルエリア』としての立ち位置にあった。
ゲーム内では最初に突入した100人のNPCのうち、生き残った50人……そこから更に、新人育成のために名乗りをあげた20人が、ここで『チュートリアルNPC』としてプレイヤーたちに操作方法などの指南をしてくれる。
だが、そんなNPCたちも今はいない。何せ、送り込まれる100人のNPCの代わりに、おっさんたちが転送されてしまったのだから。
「お……あったあった。敵に遭遇する前に見つかってよかった」
迷宮を徘徊していたおっさんの目の前には、大きな宝箱があった。チュートリアル名物の、『何故か身体にピッタリ合う新品の武器防具一式が入っている宝箱』だ。ダンプリ界隈では『新人を死なせないためにNPCたちが設置にしたのでは?』などという仮説が立てられていたが、今ここにあるということは、その仮説は間違っていたのだろう。
おっさんは重たい蓋を開け、宝箱の中身を取り出す。中には全身用の軽鎧と小さな盾、短剣と槍が入っていた。入っている武器はキャラクリの情報から最適なものが選ばれると聞いたことがある。背が低く、リーチの短い今のおっさんには、槍という武器は確かに最適解だろう。
それに加え、何故か身体にピッタリ合う防具の存在は大きい。今のおっさんが着ているのは、おっさんがまだ身長180センチの冴えないサラリーマンだった時に着用していたものだ。普段使いならまだしも、いざ戦闘となった時、ゆとりがありすぎるこの服では動きが制限されてしまう。
おっさんはその場で服を脱ぎ、宝箱から入手した防具に着替える。薄暗い迷宮の中で着替える女児など、はたから見れば異常以外の何物でもない光景だが……脳内がおっさんのままであるおっさんには、そこに至る思考回路が存在していなかった。
「さて……ひとまずはこれでいいだろう。後は、地下9層に繋がる階段が見つかればいいんだけど」
地下10層はダンプリ内でもトップクラスの広さを誇るエリアだ。チュートリアルのために常に大勢のプレイヤーが集まるため、というメタ的な要素からだろう。ゲーム内ではNPCの案内でここを抜けることになるが、NPCがいない今、脱出の方法はひたすら歩き回ることだけ。
それに加え、ゲーム開始地点は複数ある部屋からランダムに選ばれる。幸い、地下9層に進めば脱出ルートは確立されているものの、地下10層に関しては多少の運も必要となる。
おっさんは短剣を腰に差し、槍を構えながらゆっくりと歩き出す。少しの物音も聞き逃さないよう、足跡を極力立てないように。
そうして、しばらく迷宮内を探索していた頃だろうか。おっさんの耳が、対面から発される妙な足音を捉えた。
「……?」
おっさんはすぐさま角に身を隠し、音のした方向に向けて片方の目だけを出した。対面の角から現れたのは、小学生低学年ほどの身長しかない、緑色の肌をした人型の何かだった。
こういったゲームでは一般的なモンスター……ゴブリン。その幼体が、2体。
「武器は……棍棒だけか」
地下10層に主に生息しているのは、生まれて一ヶ月程度のゴブリンの幼体や、小さなスライムなど弱いモンスターばかり。チュートリアル用に作られたエリアなのだから、当然、弱いモンスターが集中しているのだ。
欲を言うなら、人型のゴブリンよりもスライムの方が……罪悪感は少なかっただろう。だが、贅沢は言っていられない。ゴブリンが角にいる限り、おっさんはこれ以上進むことはできない。成体のゴブリンならともかく、幼体のゴブリンはまだ知性も低く武器の扱いも拙い。リーチはおっさんの方が上。
問題があるとするなら……これが、ゲームの中ではなく、現実だということだろう。
(ダンプリは限りなくリアルに近いゲームだった……とはいえ、動かしていたのはアバターだ。現実の肉体じゃない。それに、今の俺は女の子の身体だし……やれるのか?)
おっさんがおっさんであった頃は、全身の関節が痛み始め、運動機能が低下し始めた年齢。一方、今は元気な美少女の肉体だ。体の痛みはない。が、正直、この体でどこまでやれるのかは分からない。
しかし、何度も言うように、やらねばなるまい。ここが現実だということは、いずれは食糧問題にも直面するということだ。無駄な時間の浪費は避けたい。
おっさんは意を決して飛び出した。ゴブリンはまだおっさんに気が付いていない。ゲームで扱ったように槍をまっすぐ構え、手前にいたゴブリンの胴体を突き刺す。ゴブリンは何やら言葉にならない悲鳴をあげていたが、おっさんはそんなことを気にも留めず、槍を引き抜いて2体目のゴブリンを突き刺した。
2体目への攻撃は浅かった。槍はゴブリンの右肩を貫いていたが、致命傷にはなっていなかった。
(武器を落とした……!)
しかし、右肩を貫かれた痛みで、ゴブリンは右手に持っていた棍棒を落とした。おっさんはこの機を逃すまいと、槍を手放して腰の短剣に持ち替え、後退りするゴブリンに肉薄し、その喉元に短剣を突き刺した。
「ギ、ゲェッ……」
「悪いね。恨みはないんだが」
短剣を引き抜くと、ゴブリンは喉元から大量の血を噴き出して地に伏した。幼体のゴブリンに『死んだふり』をする知性はない。間違いなく、2体とも死んでいる。
次の瞬間、ゴブリンの体が光に包まれた。体の端の方から、光の粒子のようになって消えていく。ダンプリと同じだ。ダンジョンから生まれたモンスターは、死ぬとダンジョンに還る。いくつかの恩恵をプレイヤーに残して。
「おお……経験値周りのシステムもあるのか……?」
光の粒子は大部分が天井に向かって飛び立ったものの、ほんの少しだけ、おっさんの体に吸収される。これが恩恵。ゲーム的な用語で言えば、『経験値』だ。モンスターを倒せばこうして光の粒子——経験値がプレイヤーに吸収され、その量が一定を超えれば、プレイヤーはレベルアップする。ゲームではそういうシステムなんだと納得する話ではあるが、現実世界でのレベルアップってなんだ、とおっさんはツッコミたくなった。
「……ま、細かいことは気にしても仕方ないか。そういうもんなんだと思うしかないな」
先ほどまでそこにゴブリンがいた、だなんてことが信じられないくらい、綺麗さっぱり消えた死体。おっさんは思っていたよりもよく動く美少女の肉体と、思っていたよりも抱かなかった罪悪感に疑問を覚えながらも、道の先へと足を進めた。