十二話
——ピッ——ピッ——
静かな部屋に、機械の音だけが響いている。ベッドに横たわる男は、まるで安らかに眠っているかのような穏やかな表情で、傍に座る少女はただ俯いてその寝顔を眺めていた。
「……あら」
病室の扉が開き、長い髪を束ねた女性が現れた。少女はゆっくりと振り返ると、小さく会釈する。
女性は病室の入り口にあった椅子を取り、ベッドの横に運ぶと、少女の隣に腰掛けた。
「今日も来てくださったんですね、マコトさん」
「ええ、まあ……」
少女は——おっさんは、剛の妻である叶恵の言葉に表情を暗くしながら頷くと、すぐに口を噤んだ。
ダンジョンが出現してから、1ヶ月と半月。地下迷宮に転送された100人のうち、ゲーム内ストーリーと同じ50人が生還し、遂には国によるダンジョンの調査まで始まった。ここまではおおよそ、ダンプリのストーリーに則った動きだ。
あのあと、すぐに救急車で搬送された剛たちは、なんとか一命を取り留めることができた。剛とリキチの傷は深かったが、苺大福の魔法が功を奏したのか、手術を受けるまでの時間を稼げたようだ。
過剰な魔法の行使で気を失った苺大福は、入院してから2日後に目を覚ました。若干の体調不良を訴えつつも、症状で言えば過労に近いようなもので、それから3日後には退院して元気に過ごしている。
だが、剛とリキチは……1ヶ月半が経過した現在でも、目を覚ましていない。
医師たちの懸命な治療で一命を取り留めたものの、ボスから受けた傷があまりにも深く、一度は心肺停止していたことからも、脳にダメージが残ったのではないかという見解だった。
苺大福も回復魔法での治療を試みたものの、ダンジョン外では魔法やスキルの行使が不可能で、現状はただ回復を待つだけ……神に奇跡を祈るのみとなっている。
剛が昏睡状態に陥ってから、おっさんは毎日面会に訪れていた。何かを話すのでもなく、何かをするのでもなく、ただ剛の回復を祈るためだけに、朝から晩までずっと、傍に居続けた。
そんな中で、おっさんは彼女たちと出会った。剛の妻である叶恵と、娘である美咲に。
「毎日毎日、主人のためにありがとうございます。きっと……主人も、喜んでいると思います」
「いえ……元はと言えば、俺を庇ってしまったことが原因ですから……」
非難こそすれ、感謝される権利など、おっさんにはなかった。おっさんは俯いたまま、血が滲むほど強く拳を握りしめる。
「俺なんかを助けなければ、剛は今頃……」
「そう自分を卑下しないでください、マコトさん」
叶恵はおっさんの手に触れると、ゆっくりと、拳を解く。
「主人は人助けをして倒れた。妻として、これほど誇れることはありません」
「しかし……」
「それに、主人はまだ……眠っているだけです。意外と寝坊助さんなんですよ、この人」
そう言って、穏やかな微笑みを浮かべる叶恵。おっさんは、何となく、2人が結婚した理由が分かった気がした。
「生きてさえいれば、きっと、いつか目覚めてくれる。今よりもっと良い薬が開発されるかもしれませんし」
剛に視線を送りながら、叶恵が言った言葉。おっさんは、その言葉に、妙な感覚を覚えた。
「……薬?」
何かを思い出しそうで、思い出せない。おっさんは眉間に皺を寄せ、あれでもないこれでもないと、記憶の整理を始めた。
薬……ではない。だが、何かそれに類するものがあったような気がする。
ダンジョン。地下迷宮を踏破したものだけが進むことのできる、地上最初のエリア、『大森林』。おっさんはその現物を見たことはない。しかし、知識としてそれがあることは知っている。
つい最近偶然発見された、地上8層の隠しエリア。その先にいる『ゴールデントレント』と呼ばれるモンスターを倒すと手に入る……『黄金のリンゴ』。それは、ゲーム後半に登場する超高級回復薬と同等の効果を持つ、序盤で手に入る中では破格で最強の回復アイテムだ。
どんな傷をも治し、全ての状態異常をも癒してしまう回復アイテム。もしそれを手に入れることができたなら、剛を目覚めさせることも可能かもしれない。
「どうか、されましたか?」
叶恵は、突然黙り込んだおっさんを心配して首を傾げる。そこで我に返ったおっさんは、再び拳を強く握りしめた。
「……すみません、叶恵さん。俺、しばらくは見舞いに来れないかもしれません」
おっさんの言葉の真意を、叶恵が理解したわけではない。しかし、おっさんの力強い瞳に、叶恵は微笑んで頷いた。
「……分かりました。主人には、そう伝えておきます」
おっさんは、すぐさま病室から駆け出した。やるべきことは決まった。命を救ってくれた恩人に、今度はおっさん自身が報いるべき時なのだと。
病室から出て少し歩くと、見慣れた顔があった。青髪の彼は壁にもたれかかり、誰かを待っているようだった。
「よう、マコト」
青年は……賢人はおっさんの姿を認めると、手を挙げて呼び止める。おっさんも同じように手を挙げると、2人はそのまま並んで歩き出した。
「リキチの見舞いか?」
「ああ。容体は安定しているらしいけど、剛さんと同じで、目を覚まさない」
「そうか……」
あの時、賢人を庇ってボスの攻撃を受けたリキチ。彼の置かれている状況も、剛と似たようなものだ。違いがあるとするなら……おっさん自身、彼の家族が見舞いに来ているところを見たことがないくらいだろうか。賢人曰く、何やら複雑な事情があるようで、おっさんはそれ以上踏み込まなかった。
「折角会ったのに申し訳ないんだが、少し急いでてな。話なら、また今度ゆっくりしよう」
一刻も早く『黄金のリンゴ』を手に入れるため、おっさんは賢人に断りを入れて、歩く速度を上げた。賢人もまた、おっさんに合わせて速度を上げ、並走する。
「聞いたか、ダンジョンが開放されたって話」
「……国の調査が全く進まないんだろ? 銃火器を持って突入しようとした連中が、入り口で軒並み弾かれて、ダンジョンに入ることすらままならないって」
「ああ。そんなところまでゲーム時代の再現がされてるなんて驚きだよ」
話を聞いていなかったのか、お構いなしに話を続ける賢人。
おっさんが聞いた話では、国は調査のために自衛隊や警察をダンジョンに派遣した。しかし、銃火器を手にしていた隊員などは入り口で弾かれ、そもそもダンジョンに入ることができなかった。
そればかりか、そうでない隊員でさえ、ダンジョンに入ることができるものと、そうでないものとで分かれ、調査自体がかなり難航しているとのことだ。
ダンジョンに入るためには、資格がいる。ダンプリのプレイヤーならば必ず聞いたことのある冒頭のセリフ。プレイヤーは『ダンジョンに選ばれたもの』であり、有資格者であると。
「ダンジョンに入るには資格がいる。ゲームではプレイヤー全員が有資格者だったけど、どうやら現実では違うみたいだ」
「まあ、誰かが垂れ込んだんだろう。ダンジョンを制覇しなきゃ、世界が滅びるってな。だから、有資格者にダンジョンを開放するしかなかった」
誰が垂れ込んだかは……おおかた予想がついている。おっさんのもとにも、事情聴取と称して警察の人間がやってきた。国が真っ先に話を聞く人物となれば、最初に転送された生還者たちだろう。
国は、有資格者……ダンジョンに入ることができるものたちに攻略を懇願するしかなかった。制覇しなければ世界が滅びる、なんて与太話を国の上層部全員が信じているとは思えないが、ダンジョンに入ることのできた自衛隊員や警察官たちの証言で、この世ならざる化け物が存在することは把握しているはずだ。
(もっとも……本当にそれだけかは怪しいところだけどな)
あまりにもゲームと同じように話が進みすぎていて、何か陰謀のようなものを感じないでもない。このダンジョン転送事件に黒幕がいるとするのなら、その人間が国に働きかけていてもおかしくはないだろう。
「で、それがどうした? その話なら俺もある程度は知ってるけど」
おっさんが並走する賢人に向かって話しかけると……彼は立ち止まり、突然、真剣な面持ちになった。
「なあ、マコト。俺たちと——パーティを組まないか?」




