01 乾杯
「「かんぱーい!」」
長い時間をかけて見事目的達成した私たちは、満面の笑みを浮かべ細いシャンパングラスを鳴らした。
祝いの席に相応しい、涼やかな鈴のような音がした。
「と、言う訳で、念願の乙女ゲームクリアー! 昨夜での卒業式で、終了しましたー!!」
「よかったわねー! クロエ! おめでとう!」
「ほんっとうーに、レイラがこれまでいっぱい協力してくれたおかげだよ!! ありがとうー!!」
クロエは隣に座っている私の両肩に手を置いて、うるうるとしたくりっとした丸い目を向けた。
彼女は乙女ゲーム世界のヒロインだ。愛くるしい顔にはピンク色の瞳。ふわふわのピンク色の髪に、細くて華奢な体つきも保護欲をそそる。
私。レイラ・ルメッツァーネはというと、彼女をことある毎にいじめる係である悪役令嬢になるはずだった……けど、そんなことは神に誓って一度もしていない転生者。
そして、目の前に居るクロエだって、私と同じ転生者だ。
前世では隣同士の家に住む同い年の幼馴染だった私たちは、どんな偶然からか、同じ乙女ゲームの世界に生まれ変わってしまった。
なぜ、姿も声も変わってしまったクロエが、私のことを前世の幼馴染だと気がつき協力することになったかというと、乙女ゲームの舞台である魔法学園で、こっそり日本語で書いていた日記を偶然彼女に見られてしまったことから始まった。
乙女ゲームが基になっているこの世界には、三人の主要攻略者が居る。
絶対に外せない正統派な王子様に、ワイルド系の騎士、それにクーデレで甘え上手な年下魔法使いだ。
現代の一般的な日本女性ならば、この三人の中の一人が性癖に当てはまると言う人も多いと思う。もし異論がある方は私ではなく、乙女ゲーム開発チームの連絡先にまでお願いします。
けど、転生ヒロインクロエは、共に乙女ゲームを楽しんだ記憶のある私に、こんなことを言い出した。
「ねえ。レイラ……私。隠しヒーローの騎士団長オーギュストと結ばれたいんだけど……せっかく推しの居る世界に生まれ変わったのに、彼を素通りして違うヒーローと結ばれるなんて嫌よ。お願い! 協力してくれない?」
騎士団長オーギュスト・レナトガンは、ワイルド系騎士ジョルジュの上司だ。
騎士団長という物語上汎用性の高い属性を持っているので、どのキャラの攻略ストーリーにも深く関わっており、どんなルートに入っても何かと彼が現れる。
そして、隠しヒーローオーギュストは、その役職にしては若干三十三歳設定。実は可愛らしい童顔を隠すために、わざわざ髭を生やしている。
魔法学園を卒業したばかりのクロエは、十八歳。そんな二人は、なんと十五歳の年の差あり。
クロエは少数派に当たる、イケオジ派だったのだ。
そんなオージュストが攻略対象として出てくる条件は、ルート選択イベント前に全員の好感度マックスであることだった。
実は私はギャビンの婚約者ではあったんだけど、どのルートでも恋敵役として現れる。
多分、悪役のバリエーションを作るのが面倒だった開発チームに、便利に使われてしまった悪役令嬢だった。確かに大事なのは主役の二人であって、悪役令嬢は大々同じことを言っているよね。
二人で力を合わせて前世でのゲーム知識を繋ぎ合わせ、完璧な攻略法を編み出した後、私は自らの破滅フラグは入念に折った上で、ヒロインクロエの好感度をまんべんなく上げるために彼女に嫌がらせをする悪役令嬢らしく振る舞った。
乙女ゲームには三人のヒーローの好感度を一斉に上げるとなると、他キャラと一緒に居るところを見られてしまうと下がってしまうという、とても面倒くさい設定もあった。
なので、クロエが好感度を上げるためにヒーローと交流をしている時には、私は他ヒーローの足止め役をするなど、私たちは涙ぐましい努力を地道に続けた。
王子から悪行を暴露された挙句に婚約破棄され、令嬢としては致命的な破滅をしたくない悪役令嬢の私と、三人のヒーローと逆ハーレム状態という難しい条件をこなしつつ、隠しヒーローと結ばれたいヒロインクロエの利害が一致した結果。
かくして、乙女ゲームは無事にエンディングを迎えた。
「ねえ……クロエ。今日は、オーギュスト様はどこに居るの?」
現在、私たちは騎士団長オーギュストの所有する邸宅で昼食を取っていた。昨夜彼とドラマティックに結ばれたクロエと彼は、どうやらそのまま同居して結婚してしまうらしい。
この国の貴族としては十八歳は結婚適齢期なので、親同士も許してくれたんだろう。
彼のことを聞かれて照れた表情のクロエを見て乙女ゲームでのクライマックスシーンを、微笑ましく思い返してしまう。
魔法学園卒業パーティーが行われた大広間で、学長から不祥事の濡れ衣を着せられそうになるというピンチにあったクロエを見事救い、切々と彼女への想いを語ったオーギュスト様の告白。
どういった展開で台詞になるかなど、なんならゲーム時のスチルの記憶だって持っている私でも、感動のため息をついてしまった。
それはそれは、甘くて乙女心をくすぐられてしまう場面だった。
「今日は、どうしても外せない仕事なのよ。オーギュストは今日レイラと会うと言ったら、大丈夫なのかと心配していたわ。それもこれも何もかも、彼の好感度を上げるためにしてくれていた、レイラの演技おかげだったんだけどね」
可愛らしい笑顔でクロエはそう言って、肩をすくめた。
オーギュスト様のルートだって、私は漏れなく恋敵の悪役令嬢として現れる。自分だって、これは流石に登場し過ぎだろうと思ったりはした。
つまり、ここ一年の間、私は使い勝手の良い悪役令嬢として想い合っている二人の恋路を、わざわざ邪魔する嫌な役でいなければならなかった。
「まあ、そうなの……一刻も早く、彼の誤解を解きたいわ。だって、私はオーギュスト様のことは素敵だと思うけど、別に彼のことが好きだという訳でも何でもないもの」
「そうよね。前世でのレイラはどちらかと言うと、正統派王子のギャビン様派だったわよね」
「ええ。けど、もう私は悪役令嬢として、ギャビン様には嫌われてしまっているもの。乙女ゲームも無事にエンディングを迎えたし、そろそろ違う婚約者を見つけないといけないわね……」
第二王子ギャビン様の幼くして親に決められていた婚約者だった私は、早々に彼からの婚約解消を受け入れていた。
まだ共通ルートなのに婚約解消の申し出があった時、正ヒーローで最も攻略が簡単な彼は、クロエへの好感度が上がりきってしまっていた。
だから、それ以上私がギャビンの婚約者である必要性もなくなった。
そして、立場が上の第二王子からの申し出であれば、我がルメッツァーネ公爵家としても逆らう訳にもいかない。
通常時の乙女ゲーム内ではその申し出に逆らって、より嫌われてしまうんだけど、私は破滅を回避することで精一杯だったから、早々に彼からの婚約解消に頷いた。
ギャビンが聖なる魔力を持つ男爵令嬢クロエに夢中だったのは、貴族社会でも有名だった。
だから、幼い頃からの婚約者から振られた形になった私に同情してくれる人だって多い。
ギャビン様から婚約解消されてしまったという噂が消えるまでは少々掛かるだろう。けど、別に何か問題があったからと婚約破棄された訳でもない。
ゲーム知識を駆使して、そういう事態にならぬように完全に避けて来たからだ。
有力者の娘で公爵令嬢であることには変わらないし、嫁ぎ先には困らないだろう。
……なんて、私が自分の未来について呑気に思えていた時期は、ここまででした。
「まあ。レイラ。そんな心配なんて、ないと思うの」
にこにこと明るく微笑んでいるクロエを見て、私はたとえようもない嫌な予感を感じてしまった。
彼女がこんな態度だと言うことは……多分。
「え? 待って……クロエ。それは、どう言うこと?」
「ねえ。レイラ。この、乙女ゲームの案内役……サポートキャラの黒うさぎのトリスタンを覚えてる?」
「ええ。もちろんよ……好感度を見るのも、迷った時にどうすれば良いかを聞くのも、あのトリスタンだもの」
この乙女ゲームをプレイしていれば、当たり前のような知識をなんでここで聞くの?
黒うさぎのトリスタンは、首に赤リボンを結んだとても可愛らしい外見を裏切るかのように、ギャップのある関西弁を喋るおじさんが中身に入っている。
何を言いたいのかわからずに、質問に慎重に答えた私の言葉を聞いて、意味ありげに目を細めて微笑んだクロエは頷いた。
「……実は、昨夜私が乙女ゲームをクリアした時に、トリスタンが言ったの。せっかくこうしてクリアしたんだから、ひとつだけ願いを叶えてくれるって」
「え。そんな設定……あったんだ?」
なんだか、この流れは嫌な予感がしかしない。
クロエは前世から可愛くて甘え上手で、とてもちゃっかりしていて。
仲は良いとは思っているけど、前世から面倒と言う面倒は押し付けられ続けてきたのが私……利用されていると思いたくないけど、良く周囲の子から「大丈夫なの?」と、忠告されることがあった。
「そうなの。だから……私。トリスタンに、お願いしたの。ギャビンとジョルジュ、そして、ハイドの好感度を私からレイラに移してあげて下さいって♡」
個別ルートに入る前の三人居る主要ヒーローの好感度は、まだ落ちていない。
何故かと言うと隠しヒーロー騎士団長オーギュスト攻略は、それほどにまで条件が厳しい最難関ルートで、乙女ゲームの攻略wikiの掲示板でも「また駄目だった!」という、オーギュストを攻略しようとしていたイケオジ派たちの阿鼻叫喚に溢れていたものだった。
「え。待って。それって……クロエ。まさか」
オーギュスト様とのハッピーエンドに、好感度MAX状態にある三人が邪魔だから……それを、私に押し付けたってこと……?
「その、まさかなの♡ これからは乙女ゲームのヒロイン役、よろしくね。レイラ」
「え。待って。嘘でしょ?」
彼女の言っていることが、どういう意味かを悟り思わず声が震えてしまった私に、両手を合わせたクロエはピンク色の瞳を細めつつ申し訳なさそうに微笑んだ。
「なんだかレイラに、三人を押し付けるみたいになっちゃって……ほんとごめんねぇ♡ 誰かを選んでも選ばなくても、これから本当に面倒なことになると思うけど、レイラならきっと大丈夫。何とかなると思う! お幸せにねぇ♡」