壁 ~見えない向こう側に広がる世界~
よく物語の中で壁が出てくる。
時にそれは、外側と内側の世界を分け隔てるバリアとして。
またある時は、世界の小ささを示すメタファーとして。
あるいは、突破すべき障壁として。
世界には有名な壁が存在する。
ベルリンの壁。
嘆きの壁。
万里の長城もある意味壁と言えなくもない。
とある領域と領域を分け隔てる壁。
そんな壁について思うことを語っていきたい。
物語の中で壁が登場すると、まずその向こう側に何があるのかを想像する。
行きどまりにぶち当たった主人公たちは、どうしたらその壁を越えられるのかを考える。
壁は突破すべき課題のメタファーだ。
物語の中で主人公たちは、必ずその壁を乗り越えなければならない。
向こう側にある物を確かめてハッピーエンドにたどり着くか、逆に知りたくもなかった真実を突き付けられてバッドエンドに落ちて行く。
壁が覆い隠しているのは、何も幸せな世界であるとは限らないのだ。
隔離を目的としない壁。
別に土地の四方を囲っているわけではなく、ただ何となくそこに存在してる。
何かの侵入を防ぐわけでもなく、ただ壁としてそこにあるだけ。
そのような建築物のことをネットスラングで「トマソン」と呼ぶらしい。
そう言った無駄にスペースをとるだけの建築物を見ていると、不思議とワクワクしてしまう。
その壁がどうしてそこに存在しているのか、理由が知りたくてたまらない。
しかし……聞いてみると大して興味深くもない理由だったりする。
知ってしまった途端に魔法が解けて、ただのくだらない事実が判明して終わるのだ。
壁の正体を知ってはならない。
知らなければそれは、何かの意味を持つ不思議な建築物のままなのだ。
人と人との間に存在する間。
見えないその隔たりのことを壁と表現することがある。
まるで二人の間に壁が存在しているかのよう。
そんな言い回しを死ぬほど目にしてきた。
どちらかと言えば、壁よりも溝の方がしっくりくる。
しかし、壁と表現することで、絶望的なまでの隔たりを表現できると思っている。
好きな人との間に壁が存在していたら、相手の姿だって見えないし、何をしているのかも分からない。
けれどもそれが溝だったのなら、向こう側にいる相手の様子を伺い知ることができる。
壁を乗り越えるにしても、溝を飛び越えるにしても、障害を突破することに変わりはない。
しかしながら、あえて壁という表現を選択することで、視界を塞ぐメタファーとしての役割も与えられるのではなかろうか。
壁の向こう側に隠れされた相手の一面を知ってもなお、あなたはその人を好きなままでいられるか。
主人公に真意を問うこともできる。
壁。
視界を遮るそれは、行き交う人々の行動を抑制する。
無断で敷地に立ち入ろうとする者を拒む物。
その内側に何があるのか、容易に伺い知ることはできない。
だからこそ、世界が広がる。
壁の向こう側にあるものを無限に想像できる。
障壁を突破した先にあるのは、希望か、はたまた絶望か。
ハッピーエンドは壁の向こう。
バッドエンドも壁の向こう。
物語を終わりに導くには、その先を確かめなければならない。
それ以前に壁が無いとお話にならない。
今日もせっせとレンガを積んで壁を作るのだ。