見えていなかったもの
私は、ぐちゃぐちゃな気持ちのままで一人で森に入り、出くわした獣に追われて迷子になって彷徨い、足を踏み外して低い崖から落ちた。なんとかしようと魔法を無駄遣いし、知らぬ間に強い毒のある草の葉で切り傷を作っていた。
初心者丸出しの初歩的なミスのフルコンプもいいところのドジをやらかして倒れた私は、親切な銀狼に助けられてなんとか助かったのだった。
戻った私の無事をパーティメンバーは喜んでくれた。
寝泊まりしていいと貸してもらった炭焼小屋は炭焼き窯の周りに粗末な屋根と壁があるだけだったが、炉端に並んだ丸太を椅子にして、みんなで簡単な夕食を食べていると、なんだかそれだけで団欒っぽく感じられて、ホッとできた。
しかし「アークも無事に帰ってきてくれるといいのに……」と言い出した私に、彼らは怪訝そうな眼差しを向けた。
「マナミ、アークは見つかったじゃないか」
「それは……無事とは言い難いかもしれませんが、一応五体満足でしたし」
「マナミまでおかしくなるとか、勘弁してよね」
何を言っているのだろう?
その時は、本当にわからなかった。
「アークは見つかってないよね?ちょっと背格好の似た変な男がいただけだよ」
「マナミ、気持ちはわかるが現実を見なければいけないよ」
グレンは切々と私に道理を説いた。
私はあの男がアークであることを認めると答えざるを得なかった。
「でもこれで、アークが冒険者を続けられないことが確定しましたから、やっとギルドにメンバー更新の申請を出せますね」
「ああ。残念だがアレでは仕方ないだろう」
「前衛職なら、最近、王都から来たアイツなんかどうかな」
みんなが腑抜けになったアークを切り捨てて、次の話をしているのが、聞いていてつらかった。
「……ねぇ。アークは助けられないのかな」
突然、切り出した私の言葉に、皆は顔を困ったように見合わせた。
「未解明のダンジョントラップの効果は専門家でも分析に数年かかるというし、僕達の中で一番専門知識があったのがアーク自身だったからね」
「え?アゼリアではないの?」
「私が得意なのは直感とフィーリングでなんとかなる精霊系の魔法ですから、体系的な学問はさっぱりなの」
自分たちみたいなこのあたりの叩き上げの冒険者では、アークのようにきっちりと中央で学問を学んだ者はいないのだと説明されて、私は驚いた。
「でも、アークは自分は身寄りのない孤児で貧民街生まれの浮浪児だったって言っていたわ」
私がまだこちらに来て日が浅い頃。家が恋しくてないていたとき、すぐ隣りにいるくせにろくに慰めてもくれないアークに、腹立ち紛れに「あなただってお母さんに会いたい気持ちぐらいわかるでしょ」とあたったことがあった。
その時に彼は、自分は孤児で母親の顔も知らないからわからないと答えたのだ。貧民街の浮浪児だったと言う彼は「俺には帰る家なんかあった試しもないし、家に帰りたい気持ちなんかこれっぽっちもわからないね」と冷たく言って、元の世界に帰りたいという私の気持ちをぺしゃんこにしたのだった。
「これは他言無用にしてもらいたいんだが、アークはさる良い家柄の落し胤らしい。一度は引き取られて、王都でかなり良い教育を受けさせられたそうだ」
「ええっ?アークって魔法戦士だよね?王都で魔法戦士でかなりいいところって、王宮騎士団のエリート層だったってこと?」
エイゼルが素っ頓狂な声を出した。
「流石にそれはないんじゃないかしら。王立学院で魔法の基礎を学んで、剣の方は冒険者になってから身につけたのかもしれないし……」
そう言いながらも、アゼリアも声が動揺している。
「え、なに?じゃぁアークって貴族の道楽で冒険者してたの?」
エイゼルが眉を寄せた。彼女はお偉い様が嫌いなのだ。そうじゃないと、グレンは首を振った。
「家の相続のゴタゴタに巻き込まれてかなり揉めた結果、権利をすべて放棄して出てきたそうなんだ」
表向きは勘当か出奔の末、死亡したことになっているから、具体的なことは詮索しないでくれと言われたと、グレンは語った。
「生きているとわかると、命を狙われるか、利用しようと担ぎ出されるかだからな。人付き合いに慎重だったのもわかるよ」
グレンは同情的な表情を浮かべて、ため息をついた。
「しかしこうなると、彼がああいう状態になったことは彼の家の者に知らせた方がいいだろうな」
「どうしてですか?言ってはなんですがむしろなんの害もなくなって、名実共に気にしなくて良い存在になっただけのように思いますが」
日頃、気遣いを忘れないアゼリアの割り切った言い方が、聞いていてつらかった。
「今の彼は他人の言いなりだ。判断力はないに等しい。にも関わらず身体は頑健で身体能力的にはなんの問題もない」
グレンは眉間に皺を寄せた。
「血筋の中継ぎとして、あれほど便利な状態もないだろう」
何の話をしているのか、すぐにはわからなかったが、理解できた途端に胸が悪くなった。
「薬師の婆さんの目があるうちは大丈夫かもしれないが、彼女もいつ亡くなるかわからない」
「ないとは思うけれど、村の誰かんちに婿にでも入っちゃったら厄介だよね」
どこからどう話が漏れるかわからないから、戻ったら早めに連絡を取らねばと話し合うグレン達の会話が、聞いていられなかった。
「ごめんなさい。私、まだちょっと本調子じゃないみたい。悪いけど先に休ませてもらうね」
一言ことわって席を立つ。
炭焼小屋に別室なんてないが、なんだか皆の話が聞こえる場所にはいたくなくて、薪置場で休むことにした。
炭を焼き終えたばかりなのか、薪置場には半分ほども薪は置かれていなかった。
私は厚手のマントを体に巻き付けて、薪の山にもたれかかった。
目を閉じると、こちらに背を向けて立つアークの姿が思い浮かんだ。
「家とか家族とか、そんなもん、知るかよ」と言った彼がどんな顔をしていたのか、どうしても思い出せなかった。
代わりに思い出したのは、年老いた薬師に”私の大事な坊や”と呼ばれながら、頭を撫でられて嬉しそうにしている男の姿だった。
くすぐったそうにはにかむその顔は、なんだかとても子供っぽくて、無邪気で幸せそうだった。
ああ、ひょっとしたら、彼にとっては元の自分を取り戻さないで、このままここで暮らしたほうが、幸せなのかもしれないな。
そんな考えが頭に浮かんだ。
火の気のない薪置場は寒くて、身体が強張るのを感じた。
私はギュッとマントをかき寄せて丸くなった。
知らない村娘に手を引かれて、素直に従いながら、彼が険のない穏やかな顔で笑う姿を想像してしまい、私はギュッと奥歯を噛み締めた。
手足がとても冷たいのに、頭の芯は熱くて、胸が苦しかった。
私は、これ以上彼の姿を見たくなくて、目を開けた。
薪置場の扉のない出入り口の向こうに、あの銀狼がいた。