でもその選択肢は却下です
『こら、泣き虫。起きろ』
音ではない声だった。
『さっさと動け、グズ』
ああ、でもわかる。この腹の立ついいざまは彼だ。
『家に帰りたいんだろう。こんなところで、グズグズするな』
怒らないで。私はもう……。
『ヘタレ。根性なし。甘ったれ』
やめて……最後ぐらい静かに……。
『ああ、もう』
その声は苛立ったように語気を荒くした。
『いいから、さっさと俺を殺して昇格しろ!』
目を閉じた私の真っ暗な視界の奥に、仄白く光る姿が見えた。
ゆらゆらとして不確かなその影は、獣のようにも人のようにも見えた。
「狼さん?……アーク?」
『俺だよ』
それは両方への肯定だった。
「なんで?」
『知らねぇよ。気づいたらこうだった』
人の身体と分離した魂が、生まれかけの魔物に混ざってしまったらしいと彼は言った。
『でも、もう長くはこうしていられない』
魔物の体の死とともに、魂も消える。
「人の体に戻れないの?」
『無理だと思う』
薄いつながりは感じるが、戻り方はわからないと彼は苦笑した。
『魂のなくなった体はそれほど長くは生きられないから、心配しなくても直に体の方も死ぬさ』
面倒はかけないという彼は、さばさばしていて自分の死をなんとも思っていないようだった。
『どうせここで野垂れ死ぬのが決定しているんだ。ひと思いにやってくれ』
「そんなことできない」
『できるさ。蛇野郎だって一突きだっただろう。驚いたぜ。お前意外にガッツあったんだな。あの要領だ。首に奴がつけた結構深い噛み傷があるからそこを狙え』
「やめて……」
『どうした。俺、これでもかなり上位の魔物っぽいから、倒せばきっと昇格できるぞ。見た感じあと少しなんだろう?』
「わかるの?」
『そりゃぁ、お前のことは最初っからいつも見てたからな。今どれくらい強くなっているとかは、ちょっと見ただけでわかるよ。高位の魔法戦士職舐めんな』
それが職業上の能力かどうかはさておき、最初からいつも見ていたと言われて、私は気恥ずかしくなった。
そうか。一番私のことをよく見てわかってくれていたのは、やはり彼だったのだ。
『さぁ、思い切ってやれ!念願だろ?最上位への昇格は。さっさとやって助かって、無事に家に帰れよ』
「なんで……今までずっと無理だから諦めろって言ってたのに」
目で見えているわけでない白い影は、ゆらゆらと不安定に揺らいで掠れた。
『すまん。あれは俺のワガママだ』
白い影が揺らいで、音のない声にすらならない思いが、なぜか直接感じられた。
”カエシタクナカッタ”
『もう、いいから俺の戯言は気にしないで、スッパリ帰れ。ほら、短剣拾え。動けるときに動け。グズ。ノロマ。ぶきっちょ。泣き虫……』
言われても涙が止まらなかった。
『泣くな……泣くなよ』
途方に暮れたような声が薄れていく。
『本当に手間のかかる奴だな』
銀狼の大きな舌が私の頬を舐めた。
ハッとして顔をあげると、銀狼は傷のある喉元を私に晒して力なく横たわった。
私は取り落としていた短剣を震える手でなんとか握り直した。
『さあ!』
私は倒れ込むように銀狼の喉元に短剣を突き立てた。
温かい血が手を濡らして、私の身体から昇格の光が立ち昇った。
けっきょく、グレン達は弾き飛ばされて気絶していただけで、大した怪我はしていなかった。ヨルンさんは噛まれて重症だったけれど、私の回復魔法で一命をとりとめた。
その後は特に強い魔物や魔獣が現れることもなく、私達は無事に戻ることができた。
そして私は昇格によって習得した、一人に一度だけ使える”奇跡”の結果を噛み締めた。
「バカだ、バカだとは思っていたが、どこまでバカなんだお前は」
「もー、そんなにバカ、バカ言わないでよ。バカがゲシュタルト崩壊するじゃない」
「バカがちょっと小難しい言い回しを使ってカッコつけようとするな。バカ」
「かっわいくないわねー。ちょっとは狼さん時代の自分の態度を思い出して見習ってよ」
私は銀色になってしまったアークの髪の毛をわしわしと掻き乱してぐしゃぐしゃにした。
「ちょ、止めろ。触んな」
「やめませんよーだ。一体誰が”奇跡”でもとに戻してあげたと思ってんの。何なら弱点だって知ってるんだから」
「弱点?」
「お腹!」
私はアークのシャツの中に手を突っ込んで、毛のない無防備なお腹をこそぐった。
「ぐはっ!こら……止め……」
アークは身をよじって嫌がると、大きな手で私を腕ごと拘束した。
「やっぱり手があるってのは便利だな」
「あ、ヤダ。離して」
「てめぇ、なにを虫のいい事言ってんだ」
銀狼と同じアイスブルーになった目が、私を睨む。
彼は私の首元に顔を寄せた。
「ちょっと色々わからせておいてやらんといかんようだな」
彼は私の首筋をべろりと舐めた。
……髪や目の色だけではなく、なんとなく仕草や諸々に獣っぽさが残ってしまったのは、いくら奇跡とはいえ、混ざって昇天しかけた魂を元の人の体に突っ込むなんていう荒業には無理があったのだろうか。
「ら、乱暴はダメだよ」
「お前、優しくするとすぐつけあがるじゃないか」
「……ごもっともです」
彼は私を抱え直して、耳元に口を寄せた。
「それにちょっと目を離すと、他の野郎に手を出されてヘラヘラしているしな」
「え?それは冤罪……」
彼は私の抗議は丸ごと無視した。
「だからもう我慢しないことにする」
「うぇっ?!」
「お前が好きだ」
自重しない彼に、私はひとたまりもなかった。
けっきょく私達は冒険者を辞めた。
最上位の神聖職になった私は、王都から来ていた冒険者(のフリをした王宮の人)に招かれて王都に行くことになった。聖職者というよりは医療従事者という感じで、今は王立学院でこの世界の医療を学びながら、難病や重度障害の患者を治療している。医学部を受験していた私にとっては、ある意味志望通りの就職先かもしれない。
私と一緒に王都に来てくれたアークは騎士団に所属して私専属の護衛となった。
「コネってすごいわね。偉い人の子供だって聞いてはいたけど、あそこまで偉い人だとは思わなかったわ。天辺じゃないの」
「関係ねーよ」
髪と目の色が変わったんで、別人だと言い張りやすくていいと笑うアークは、実は凄い身元だったけど、”聖女”の護衛として生きる分にはなんの問題もないらしかった。
私達は肩書は偉そうだったけれど、実質は何も偉くないので、王都の小さな家に二人で慎ましく住んだ。
「アークライト殿、本日はもう上がって良いと聖女様にお伝え下さい」
「承知した」
廊下の方でそんな声がしたので、私は書きかけの書類を急いで完成させた。
「マナ、帰ろうか」
「うん。ちょっとまってね。机の上だけ片付けてしまうから」
私は手早く書類と筆記用具を片付けた。
「おまたせ」と言って、彼の髪を撫でると、彼は気持ちよさそうに目を細めた。
「お前さ、俺の髪を触るの好きだよね」
「あなたも撫でられるの好きでしょ」
「俺はさ。撫でられてるだけってのは嫌なんだけど」
彼の細めた目が、いささか剣呑に光った。
「家に帰る?それとも……」
彼は片付けたばかりの机の上に私を押し倒した。
「なし!それはなし!!」
いろいろ流され気味な私だけれど、その選択肢は流石に却下した。
実は今回使った奇跡の条件が、”心から愛する人一人に一度だけ使える”であって、この上の昇格で自分自身のために使える奇跡が入手可能だということは、彼にはまだ教えていない。あんまりオイタをするようなら、「実家に帰らせていただきます」と言って脅してやろう。
そんなことを考えながら、私は私のかわいい狼さんと一緒に今日も家路についた。
作者は中年のおっさんがわりと好きだったんですが、アーク、喋ったら強かった……。
おっさんの出る幕なかったです。
彼はヤキモチ焼いたアーク狼さんに噛まれて半殺しの目に合わされてとんだ災難でした。(狼アークは最後まで正気。自衛とヤキモチで殺気立ってただけで、瘴気での凶暴化はしていません)
まぁ、彼はその後、薬師を継いで、最初に怪我をして寝込んでいたときに看病してくれていた隣村の娘さんを嫁にもらって、スローライフ無双で、ちゃんと幸せになります。
というわけで、ここで完結。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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