第196話 兆しの少年
待ちに待った日が来た。
国会で何度も審議された後、近頼国の成人の基準が十七歳に定められたのだった。
こんなにうれしいことはない。
これは俺の意志を汲んで動いてくれた、優美や栞の働きが大きかった。俺のどうしても、もうセックスはしたくない。という強い思いに応えてくれたのだった。
だがこの法案が可決されるまで、すでに三年の歳月を費やしていた。それまでの間、明くる日も明くる日も延々と子作りさせられてきた。
「よかった…」
俺は拠点であるホテルの展望台で外を眺めながら、安堵のため息をついた。見下ろす大都会のビルは荒廃し、あちこちに木々が茂っている。ここがかつて、日本の中心だったとは思えないほどだ。
ボーっと外を眺めていると、後ろから声がかかる。
「近頼さん」
「美桜か?」
「ええ」
振り向けば美桜がいた。ここに来た時、美桜はまだ十四歳くらいだった。しかし今では、目尻に笑い皺がある三十過ぎの素敵な女性になった。
俺は彼女が第何夫人だかも覚えていない。
「ここから見てると、人の営みって一体何だったのかと思うよ」
「日本がこんな風になってしまうなんてね」
「ああ…夢でも見てるのかね…」
「夢…、どうかしら…」
「現実逃避したくなるよ…」
俺は遠い目をして窓の外をみる。
「実はね近頼さん、それとは違う夢の話があるの」
美桜が夢というキーワードに反応した。
「なんだい?」
「実は相談があるのだけど…」
「相談?」
「ええ」
「国会じゃ言えない事か?」
「そうね」
美桜は困ったような表情を浮かべる。判断の早い美桜にしては珍しい事だった。国会を通さない相談ごとは、基本しないルールになっている。美桜は、それがわかっていて相談しているのだ。
「一先ず聞くよ」
「ありがとう」
そして美桜が俺の目を見つめて言う。
「今回、成人が十七歳からと決まったでしょう?それでね、桜輔がね…」
「ああ!そういえば桜輔も十七歳になったんじゃないか?」
俺は美桜の言葉を遮ってしまう。十七歳法案は俺にとってそれだけ重みがあるのだ。
美桜が十五歳で産んだ息子の桜輔が、近頼国での成人となった。ああ、なんて素晴らしい法案が出来たんだろう!もう俺は、よく知らない女の人の裸は見たくないんだ。最近は種付けの前には頭痛すらしていたからね!種付け仲間が一人でも多く…
「でね!」
俺が思考の海にトリップしそうになるのを、美桜が美しい声で引き戻す。
「は、はい!」
「なんかどこかに行ってたよ…」
「すまん。最近、現実逃避ばかりしていたから癖になってな」
そう。最近は種付けから逃げる事ばかり、考える癖がついていた。
「重症ね」
「まあ、俺がこんなんだから、十七歳の成人法案が通ったんだけどね…というか…十五歳に引き下げにならないかなあ…」
俺はつい本音を漏らしてしまう。本当の気持ちは、俺の種付け作業ゼロ化を目指したいのだが、わがままばかりも言ってられない。
「よっぽどエッチしたくないんだね…」
「あ、ごめん。あの…みんなに魅力がなくなったとかそういうんじゃないんだ。ただとにかく憂鬱で、つい気を抜くと、どうやったらエッチをしなくても良くなるか、って事ばかり考えてるんだ」
「まあ…わかるわ…。近頼の体調が悪くない時以外は、ほぼ毎日種付けだもんね」
「そうなんだよ!もう十数年もの間、ほぼ毎日毎日よく知らない女性と子作り!ローテーションで美桜達、古参が来るのが待ち遠しくて!」
「はは…私達とはエッチなしで一緒にいるだけだしね。女として求められないのは微妙だけど、近頼さんが痛々しくて」
「感謝してるんだ。エッチしないでくれて本当にありがとう!」
「なんてお礼かしら…」
「いやっ…あの!ごめん!でも本音を隠せない!」
「痛々しいわね」
「なんとでも言ってくれ。言っておくが、美桜はもちろん美人だよ。目もくりっとしてて鼻もツンと高くて。スタイルも性格も良いし言う事はない!むしろ俺の好みだ!でも絶対に抱きたくないんだ!」
「わかったわかった!そんなに抱きたくないこと力説しないで!」
「あ、ああすまない。つい…」
「やっぱり、優美さんや里奈さんが正しかったのね」
彼女らは、俺の意志を最大限尊重する派閥だった。
「すまん。むしろ最近は種付けから除外されてる、華江先生や吉永さんといる時が一番おちつく」
「まあ。彼女らはアラフィフだしね」
「別に熟女好きってわけじゃないんだ。エッチをまったく意識しなくていいってのが天国なんだよ」
俺は俺の願望を、切々と美桜に語ってしまった。俺は気まずくなって展望台の外をみる。
「ごめん。俺だいぶストレス溜めてるらしい。で、なんだっけ?」
話をぶった斬って、俺の願望だけをぶちまけた事を反省する。
「えっと、今の近頼の話を聞いて、ちょっと言いづらくなっちゃったんだけど」
「すまなかった!言ってくれ!」
「どちらかと言えば、バッドニュースよ」
「なんだ?なおのこと聞かせてくれ!」
「じゃあ言うわね」
美桜は神妙な面持ちになり、俺の正面に回って来た。
「桜輔が…」
美桜が言いかけて口を閉ざす。かなり言いづらい事らしい。
「桜輔がどうした?言っていいよ」
「桜輔が近頼国を出たいって」
「どういう事?遠征先をさらに伸ばしたいって事?」
「違うの。私達とは別の世界で生きていきたいって言うの」
「このコロニーから出て生きていくって事か?」
「そう」
「いや…」
今度は俺が言葉につまる。桜輔が拠点を捨てて、外界で生きたいと言ってるのだ。誰も行ってない地域は、どうなっているかすらわからない。危険が待ち受けてるかもしれないのだ。
「危険だ」
「私も説得したわ」
「行くなら大調査隊を組織して行かなきゃ、だがまだそんな大掛かりなこと出来ないんじゃないかな?」
「それが…」
「それが?」
「一人で行きたいって言うのよ。一人で外界を冒険したいって」
えっ…
俺はあまりのことに言葉が出なかった。
「私も言ったのよ。そのゾンビを消す力だってどこまで有効かわからないし、もし生きている人が居たとしても、武装化してるかもしれないって」
確かに大変危険な事だ。食料を手に入れられるかもわからない。人間の餌食になる可能性だって否定できない。外界にはどんな危険があるかわからないのだ。
だが…
俺はそれを否定出来なかった。こうして飼い殺しのように、食事やエネルギーを用意され、毎日のように女を抱く暮らしよりも、それが魅力的に感じてしまったのだ。
むしろ肯定したかった。
「ごめん美桜。俺…桜輔の気持ちがわかるかも」
「えっ?」
「そういえば…あいつ種付け作業も避け続けてたよな」
「種付けは任意だからよ。まあ母親としては拒み続けてくれって本音もあるけど。国の事を考えたら、そうも言ってられないとかも思うし。微妙な心境だわ」
「すまん…いま俺は息子達に頑張れ!と思ってるよ」
「まあ男同士だしね。娘ならそうも言ってられないと思うわよ」
「確かに、娘達がかわいそうなんだよなあ…。華江先生曰く、あと二代世代下の子達同士なら、遺伝的な問題は薄くなるらしい。でもその頃には彼女らは年をとる」
「娘を持った人たちの悩みね」
「まあ、そうだな。とにかく桜輔の問題は、あいつ一人の問題じゃない。国会に持ち込む前に教えてくれてありがとう」
「動いてくれるの?」
「危険な部分を排除できるのならば、俺はおおむね桜輔の意志を支持する」
「よかった、ルールを破ってでも近頼に相談して」
「派閥によっては、男の子は貴重な資源と考える人もいる。王のような存在の俺が決めれば従うだろうが、この国の規律にヒビがはいりかねない。このことは内密にな」
「もちろんよ」
「その前に桜輔と二人きりで話がしたい」
「準備する」
「頼む」
この事は近頼国だけじゃなく、世界を変える出来事だと思えた。籠の中の鳥である俺は、このコロニーで使命を果たし続けなければならないと考えていた。だが息子達は違う。俺は前例を作り出す事で、この環境に変化をもたらす事が出来るのではと期待するのだった。
近頼チルドレンを解放する。そんな漠然とした思いを胸に。