第175話 実験体の鹿に
スーパーの二階駐車場には野犬は来なかった。
夜が明け野犬を警戒しながらも、罠を仕掛けた場所にいくと鹿がかかっていた。その檻をそのままクレーンで釣りトラックに乗せる。
「昨日仕掛けた罠は全部閉めて行きましょう。」
吉永さんが言う。
罠を仕掛けたままにしておくと、万が一動物がかかった場合そのまま放置されてしまうため、すべての檻を閉める事になった。
「昨日の野犬は居ませんね。」
「恐らく夜に行動しているんじゃないかしら。」
「夜行性って事ですかね。」
「その方が得物が捕りやすいんじゃない?」
とにかく野犬がいないのは助かる。私たちはまた3台の車に乗車して移動を始めるのだった。私は遠藤さんと吉永さんとあゆみと一緒にRV車に乗り、瞳マネと翼さんが鹿の檻を乗せたトラックに、愛奈さん、未華さん、みなみさん、梨美さんがもう一台のRV車に乗る。
「やっぱりそのへんにいるね。鹿。」
隣のあゆみに言う。
「だね。こんなこと言ったらあれなんだけど、あの鹿って食べれるのかな?」
「あゆみちゃんは鹿食べたことない?」
遠藤さんがあゆみに言う。
「ない。」
「遠藤さん、私もないよ。」
私が言う。
黙っているので、どうやら吉永さんは食べたことはあるらしい。
「たまーにそう言う肉を出す飲み屋とかあったりして、食べた事あるんだけど意外に美味しいよ。」
「そうなんだ。」
「だけど、俺達には動物をさばける人が居ないからね。」
遠藤さんが言う。
「私がさばけますよ。」
吉永さんが言う。
「え!そうなんですか?」
「私がSPになる前にはいろいろな訓練をしましたから。」
「凄い。」
「捕らえた鹿も華江先生が調べて問題なければ、またあそこに取りに行けばいいんじゃないかしら?」
「それはいいですね!今度はトラックをもう一台追加して2頭くらいとりたいです!」
遠藤さんがきらりと目を輝かせて言う。
恐らく今回の一頭は試験体として使うため食用にはならない。そのため食用としての鹿を捕獲する事には皆も賛成するだろう。しばらく新鮮な肉を食べていない私たちにとっては、とても貴重なたんぱく源になりそうだ。
そして私たちは数時間ほどかけて拠点に戻って来た。
あずさ先生が拠点のホテルから出てきて、鹿に麻酔銃を撃って眠らせる。
「それじゃあ鹿を運びます。」
あずさ先生の指示で鹿をナイロンシートに乗せ、みんなでホテルの1階に作った仮の飼育場へと運び込む。飼育場は皆で金網を加工して敷居を作った場所で、一応扉がついており出入りする事が出来るようになっている。とはいえ本格的な物でもないので、検査を行い鹿の採血などを行ったら一旦檻に戻す事になる。今は足を縛り動けなくしてあるので目が覚めたとしても暴れ出す事は無いだろう。
既に華江先生がスタンバイしていて、すぐに鹿を入念に調べ血液や体液、細胞などを採取したのだった。
「まずはこれでいいわ。」
「使えればいいのですが。」
華江先生が言うと菜子様が答えていた。菜子様は生物学も学ばれていたため、華江先生の助手として手伝っているようだった。
「じゃあ一旦檻に入れましょう。」
「かわいそうだけど。医学の進歩のために頑張ってもらうしかないわね。」
華江先生が言う。まあ大自然からいきなり連れてこられて、医学の実験に使われる鹿の身になってみるとたまったものではないが、ここにいる人たちはある意味ドライにそれを受けいれている。
再び鹿を外にある檻に戻して1時間ほどたつと、ムクリと起き出して怯えているように隅によっている。
「草食獣用ペレットも気に入ってくれるといいよね。」
私が言う。
「賞味期限切れてるからまずかったりして。」
あゆみが答えた。
「鹿も味を気にするかな?」
「まあ好き嫌いくらいはあるんじゃないの?」
ここに鹿を飼った事がある人はいないので、とりあえず動物の餌を取り扱う倉庫を見つけて、草食獣用ペレットというものを回収してきたのだった。山から連れてきてしまったので葉っぱや木の実などが無く、これを食べてくれない場合は他の方法を検討する必要があった。
私は鹿に話しかける。
「鹿さん。いきなり連れてきてごめんね。もしよかったらこのエサを置いておくから食べて」
檻の中に置いてあるバケツには草食獣用ペレットが入っている。
「まあ私達が居たんじゃ食べないかもしれないわ。そっとしておいてあげましょう。一応ここは屋根があるし雨風はしのげるからいいんじゃないかしら?」
瞳マネが言った。
人間が死に絶え動物が増えて生態系が変わってしまった世界。いままでの歴史で人間が動物たちの住む世界を奪い、そしてまた動物が自分たちの生きる場所を取り戻しつつある。そんな自然のなかで力強く生きている鹿に感動すら覚えるのだった。
「鹿君に名前いるかな?」
「あーいいね!」
私が言うとあゆみが答える。
すると…
「里奈、もしかしたら生体実験で死ぬかもしれない動物なのよ。情がうつったりしたら大変だからやめた方がいいわ。」
そう言われてみればそうだった。この鹿はペットとして飼われたわけではなく、動物実験の為のモルモットだった。さらに安全が確認されたら食肉用に鹿を調達する事になっている。
「里奈…やめとこ。」
「そうね…。」
私は鹿に名前を付けるのを断念するのだった。
結局は名前を付けてあげるなんて言うのは人間のエゴでしかない。この鹿はいままで平和に森で暮らしていたのを強制的に連れて来られたのだ。私は自分の言った事があまりに心無い一言だったので反省するのだった。