真説 老人学入門編 これが本当の老後人生の処方要諦なのです。 10か条改訂版
そこらのありきたりのいわゆる「老人学」ではありません。
これぞ本音の老人学入門虎の巻です。
心して、、
その神髄を
とくとお味わいくださいませ
その1 先延ばししない
やりたいことは延ばさないことです。
そのうちやればいいや、、、と言って延期しないことです。
なぜ?
だってあなたは立派な病気持ち老人
そうとう、ガタも来てる使い古し老人
何時、寝たきりになるかもしれません。
何時、ぽっくり死ぬかもしれません
ことによると明日あなたはこの世にはもういないかもしれません。
明日がわからない
明日が約束できない
それが老人です。
だからやりたいことは決して先に延ばしてはなりません。
貴方に明日などはもうないに等しいのです。
さあ
だから
今すぐやるのです、
その2 がまんしない
仮に、、あなたが男性だとしたら、、、、
あなたは今まで35年間も ただただ妻子を養うためにしたくもない仕事を営々と
し続けてきたのです、それはもう毎日がまん、がまんの連続でしたね?
そしてやっと、、、
幸いにも過労死もせず、、
リストラもされず、、
やっと定年にたどり着いたのです。
もう我慢なんかするべきではないです。
35年間自分を殺してがまんし続けてきたのです。
もう、、、がまんは止めましょう
これからは好きなことをするのです。、
好きなことしかしないのです。
それで文句を言われる筋はないです。
もうあなたは我慢とはおさらばです。
ですが、、、、、余計なお世話ですが、、、
、世間のいわゆる「暴走老人」とか、、ゴミ屋敷老人だとか、、、
「切れる老人」だけはならないようにね。
あれはいけません
最低限のモラルや常識は守りましょうね。
その3 終活など絶対にしてはいけない
死の準備
身じまいをして、
身の回りを整理して
きれいに死にましょう?的な、論調が最近はイヤに多いと思いませんか?
これを「終活」というのだそうです。
私から言わせたら「バカ」です。
こんなこと絶対してはいけません。
いいですか
そもそも死ぬってことは、いつだか
どこだか
分からないんですよ。
極端なはなし
無様な場所でぶざまな死に方をするのかもしれない。
死は選べないんですよ。
終活なんて言う馬鹿なことするくらいなら
すきなこと
やりたいことして
野垂れ死にした方が1000倍マシですよ。
あなたは死ぬ準備をするためだけに老後を使ってる暇はないはずです。
その4 自分史など絶対書いてはいけない
自分史講座、というのがあるそうです。
バカじゃないか、と思います。
いいですか
そもそもあなたは名もなき、平凡きわまる庶民ですよ。
35年間ただただこき使われてきた、庶民ですよ。
そんなあなたが何を血迷ったか、「自分史」ですか
止めてくださいよ
貴方に書き綴るような人生内容なんか何もないじゃないですか
そんな物書いても誰も、、あなたの子供も妻も、、だれも読みませんよ。
そんなクダラナイモノ書いてないで
好きなこと
やりたい事をしましょうよ。
貴方に残された時間は少ないのです。
もしかしたら?
あなたは明日はもう死んでるかもしれないのですよ。
明日がわからない
明日が約束できない
それが老人の哀しい宿命なんですよ。
その5 死を考えない
世間では「理想的な死に方」を考えなさい」などと知識人が諭したりしてますが。。。
そんなバカなことはしない方が良いでしょうね。
家族に囲まれて
何か名言を残して
眠るように死にたい、
でも
もしかしたら?
あなたは庭でけつまずいてぶっ倒れて
ブロックで頭を強打して即死なのかもしれない。
あるいは散歩中によろけて、、
道端の汚水溜めに落っこちて溺死なのかもしれない、。
死は、、、、選べないのです、。
ですから死についてあれこれと
考えたり
準備したりしても全くムダなのです。
準備なんかまったくしないでも、、
ある日あなたは死んでゆくのです。
それがどういう死に方かは、、神のみぞ知ることです。
その6 人生は壮大な?あるいは矮小な浪費である
考えてみると、、
というか、考えなくても、、、
人生って、無駄な所為ですよね?
というかひまつぶし、みたいなものです。
あなたという、無名の、、これといって才能もない、
平凡な庶民が、、生きてきた
生かされてきたという事実は
そうです
人生ってただのひまつぶしに類することでしかなかったのです。
一方大天才の人生ってのは、、、壮大なこれまた「ひまつぶし」でしかなかったのです。
その天才が何をしたか知りませんが
死んでしまえば、、「ああ、そんな人がいたよね」、、でしかないのです。
死は平等に人生を消し去ってゆく
そのあとには、、何にも残らないのです。
終わってみれば、、みんな同じ無駄な人生?
その7 あなたはこの世では客人にすぎない
あなたはこの世ではお客です。
この世に招かれて暫時、お客にきた、、だけです。
そこであなたは知恵と才覚とで、、ひと財産こしらえたかもしれない。
だが?
実はそれはホントウハ貴方のものでなんかないのです。
いや
この世にあなたのものと言えるものは絶無です。
ただ
暫時、預かってるだけです。
仮に所有してるだけです。
というのは、
あなたが死ぬときその大財産のうちのほんの小さな金の指輪一つすら
あなたは持っては冥土に行けないからです。
財産はすべてこの世に残してあなたは裸で閻魔大王の前に引きずりだされるのです。
あなたが30年ローンで建てたあの豪邸も、あなたが死ぬときそれを担いで冥土には行けないのです。
すべてこの世に置き去りにして、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
「あなたは裸で母の胎より出でた、だから。裸でまたこの世から去ってゆく」 ヨブ記1の11
「あなたはこの地上では旅人であり仮住まい人である。」
ヘブルびとへの手紙11
その8 長命必ずしもも幸せとは限らない
人はいつか必ず死ぬのです。
私の兄は2歳で病死しました
それが彼の運命だったのでしょう。
それが神の計らいだったのでしょう。
ところでこのようにあまりにも早い死は悲痛ですが
といって誰でもみんな
長生きすればそれが幸せ?というものでもないのです。
というのは、、人にはそれぞれの都合の良い「死に時」というものがあるからです。
しいていえば
時代に生まれて
時代に生き
時代に死んでゆく
これこそが最高の人生ではないでしょうか。
時代に取り残されて、、
時代が過ぎてもまだ老残の身をさらす
こういう死に時を逸した人生は悲痛でしかないのです。
そういう意味では、いたずらに、、延命措置などすべきではありません。
のどに穴をあけて、
胃に穴を開けて
そこに流動食を流し込む
あるいはまったく脳死状態なのに
点滴で生かし続ける。
これは人間の驕りなのかもしれませんね。
あの良寛和尚はこういっています
「死ぬべき時には死ぬがよろしかろう」と。
ちょうど良い死に時に、死にっぱぐれた人ほど哀れな人はいません
貴方の絶妙の「死に時」はいつですか?
そういう幸せな死に時があなたにも、もたらされますように、、、。
その9 人生は、、遊園地に似ている
遊園地、、、、、、、、、、、、、、。
ホラーもあれば楽園もある
それが遊園地、、まるで喜怒哀楽の人生行路みたい。
楽しいコワイいろいろな乗り物に乗ってもっと遊びたい、、でも、
やがて「終園時間」です。
え?もうおわり?
そうですよ。
もう終わりですよ
どうぞ遊園地から退場してくださいね。
そうしてあなたは名残惜しそうに遊園地を追い出される、、、。
まるで人生の終焉のように。
そうです。人生からの退場もまるでこんなもんでしょう?
え?、、もう終わりなのか。人生もそうですよね?
遊園地なら、、今度また休日に来ようっと。ですが
人生はまた今度来ようとしても
来られないんですよね。人生は遊園地ではないです。
死んだら終わりです。まあ悠久の時の流れから見たら
人の生死は繰り返しますがあなたとか私の
今回の人生という短期的な視点で見るならそれこっきりです。
「坊や、もう遊園地は終りの時間ですよ」
「え?おかあさま。もう、、終りなの?」
「そうですよ、坊や、終わりですよ」
「 じゃあ、また今度、きっと来ようね。ね?おかあさま?」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
その10 神に全託して命ある限りは生きる
いずれにしても人生とは魂の見ている夢にすぎない。
せいぜい明るく、深刻になりすぎずに与えられた人生時間を生きようではないか。
あなたが死ぬのは明日かもしれない。
それは神?だけが知っている。
それまでは、与えられた生を全うすることだ。
できることをして、悔いなきように生きる。
「地の塩」として、「隅の首石」として
そのように生きることを、われらに生を与えてくれた神?はお望みだ。
それ以外に人生の意味はないのだから。
おまけ
これからのあるべき老人像とは?
ダンディーに(男なら、、、)
エレガントに(おんななら、、、)
風爽と、、、
知恵ある梟のように
神出鬼没に
自由気ままに
当意即妙に
磊落に
洒脱に
風のように、、
雲のように
do or die (のるか そるか)
与えらえた命を生き抜き、、、、
そして
ある日
絶妙の死に時に、
ぽっくりと逝きたいものですね