馬鹿王子は間違っています。
登場人物の家名や苗字は出てきません。
学園が舞台ということなので、学園内では身分差をなくす為、名前で呼ぶ習慣があると思って下さい。
王太子だけは、その身分の高さと次期王という立場故に、名前で呼ぶのは畏れ多いということで、殿下と呼ばれている。
って感じです。
王立学園の卒業後に行われる舞踏会では、学生最後の時間を満喫しようと数多くの生徒達が、集まっていた。会場の中央では、優雅な音楽に身を任せ美しいドレスが舞い、壁際では談笑に花を咲かせ、みな無事卒業できた事に胸を張り、楽しそうに頬を緩めている。
女性の多くは、卒業後何処かの家に嫁ぎ、男性の多くは、王城に勤める事となる。
どの者達にとっても、今日という日が人生の大きな転換点となるのだ。
そんな、湧き立つ会場の中で、突然男性の大きな声が響きわたった。
「レイラ、私はようやく探し求めていた女性に出会えたのだ。」
端正な顔立ちの青年が、満面の笑みを浮かべ、目の前の少女に向かって声を張り上げていた。
張り上げられた方の少女は、感情の抜け落ちた顔で、青年を見上げている。
この会場に、この二人の事を知らない者はいない。
青年は、この国の第一王子であり、王太子でもあるユドルフ王子。
少女の方は、ユドルフ王子の婚約者にして、上位貴族でもあるレイラ嬢。
二人は、次期王と次期王妃という事以外でも、十分に有名であった。
「そうですか。それでは、私と婚約破棄いたしますか?」
「何を言う、レイラは私にとってとても大切な人だ。婚約破棄などしない。」
「では、どうされるのですか?」
「レイラには悪いと思うが、彼女を王宮へ迎え入れたい。」
居合わせた者達は、一様に思った。
馬鹿だ・・・
王家に連なる者達の殆どは、政略結婚だ。他国との繋がりの為、貴族間のバランスを取る為、様々な意図が絡まり合い、本人達の意思に関係無く結ばれる。だからこそ、暗黙の了解として王族や貴族達は愛人をもつ事が許されている。
しかし、愛人は愛人だ。隠されるべき者であり、例えそれが周知の事実だろうと、それを口にする者はいない。ましてや、大勢の前で愛人にしたい者がいると宣言するなどありえない。
普通の婚約者ならば、怒って婚約破棄を宣言されても仕方がないのだが、レイラにその様子は無い。
「殿下のおっしゃりたい事は、分かりましたわ。」
拒絶も容認もしていないはずの言葉に、何故がユドルフは目をキラキラと輝かせている。
「そうか、さすがレイラ、分かってくれるのか。これで正式に王城へ迎えられる。」
その言葉に、会場は一瞬水を打った様に静まり返り、次の瞬間には騒めきが広がっていく。
隠すべき愛人を、王城へ向かえるなどありえない。ましてや、それを大勢の前で宣言するなど、自分が愚鈍だと言っている様なものであり。更には、婚約者であるレイラを、威厳をもって権威を示す王族としての責務を、軽んじているととられても仕方がない。
騒めきだした会場に、レイラの凛とした涼やかな声が響きわたる。
「既にお相手の方は了承されている、という事でよろしいかしら。」
ただ、事実を確認しただけの言葉に、何故かユドルフの顔がパッと華やぐ。
「まだだ。しかし、必ずや受け入れてくれると信じている。」
会場全体が、呆気に取られた。
大勢の前で愛人を王城に迎えると言っていたのだ、もちろん相手の了解を取っているのだろうと、皆が思っていた。
会場が静まり返る中、ユドルフは辺りを見回し始めた。
会場に居る者達は、この場で愛の告白とやらをする気なのかと、皆驚愕し、それと同時に万が一にでも、自分達の愛する恋人や妻、娘達が巻き込まれる事の無い様に、自分達の背後や、物陰へとかくした。
ユドルフの視界から女性たちが消える。
それでも、ユドルフは目当てのお相手を見つけたらしく、一点を見つめると、華やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出した。
人々は少しでも巻き込まれるのは御免だと、ユドルフが一歩進むたび、息を殺し、目を合わさず、避けていく。
目の前に自然と道ができていく姿は、この様な状況でなければ、神々しく王位にふさわしい風格に見えた事だろう。
ゆっくりと歩みを進めたユドルフは、一人の人物の前で足を止めた。
人混みに紛れてしまえば、誰も気付かないのでは、と思われるほど、良くも悪くも、いたって平凡な容姿の人物。
ユドルフは、その人物に優しく微笑み、自分の左胸にそっと右手を当てる。
「一目見て直ぐに分かった、貴方は私が探し求めていた人だと。どうか、私の願いを受け入れてはくれないか?」
その言葉は、少し使い古された感はあるが、間違い無く愛の告白に聞こえる。
しかし、それを見た者達は、恐ろしい者でも見たかのように、小さな悲鳴を漏らした。
そして、言われた人物は、首を傾げ辺りを見回し、それらしい女性が居ないか確認した後、顔を真っ赤に染め上げた。
「殿下・・・私に言っておられるのですか・・・?」
低く唸る様な声が会場内に響いたが、ユドルフは気付いていないのか、和かな笑みをうかべている。
「勿論だ。サミュエラ嬢。」
サミュエラ嬢と呼ばれた相手は、赤い顔を更に赤くし、眉間に深い皺を刻み、右目は軽く痙攣を起こしている。
「・・・・殿下、私は男です。」
「分かっている。訳あって男のふりをしているのだろう。しかし、これからは、私が守ってやろう。だから何も恐れず、私の気持ちを受け入れてくれ。」
「ふりではなく、正真正銘の男です!!」
半ば叫ぶ様なサミュエラの声だが、ユドルフは動じない。
「ドレスを着たい年頃だというのに、その様な男の姿をせねばならんとは・・・大丈夫だ。これからは私が貴女を着飾ってやろう。」
話の通じないユドルフに、サミュエラの顔が怒りから、赤から白に変わり始めた頃、このままでは埒が開かないと思ったのか、涼やかな声が二人の言葉を遮った。
「殿下、少しよろしいかしら」
「何だ、今サミュエラ嬢を口説いている最中だぞ。無粋な真似はやめてくれ。」
遮った事で、ユドルフはレイラを睨みつけているが、サミュエラの方は縋る様な目でレイラをみていた。
「殿下、私の知る限りサミュエラ様は男性だったはずですが、何故男性のふりをしていると思われたのかしら?」
レイラの言葉に、ユドルフの顔が照れているのか、赤色に染まる。
「私は、見てしまったのだよ。更衣室で胸元に布をきつく巻いている姿を。」
「・・・覗き見ですか?」
「たまたま更衣室で見かけたのだ。」
「それでサミュエラ様は、胸元に布を巻いていただけなのですね。」
「何を言う。女性らしさを隠す為の涙ぐましい努力だぞ。」
言葉に力を込めて話すユドルフに、レイラは小さくため息を吐き出し、サミュエラの方に目を向ける。
「サミュエラ様は、騎士科に所属しておられましたわね?」
「はい、既に騎士団に配属される事も決まっております。」
何故突然のそんな事を聞いてくるのか、サミュエラは首を傾げているが、次の言葉で、その意図を察し、パッと表情を変えた。
「怪我も多いでしょう?」
「はい。訓練中は偽剣を使いますが全く切れない剣、という事ではありませんので、切り傷や打撲はかなり。」
「では、胸元に怪我をして、布で患部を巻く事もありますでしょう?」
「それは、勿論です。」
手の平を強く握り込んで言うサミュエラに、レイラは小さく頷き、今度はユドルフの顔を見上げる。
「殿下、胸元の布は怪我の為に巻かれたものだと思いますわ。」
「しかし・・・そうだ。女性達が、サミュエラ嬢の嫁ぎ先について、楽しそうに話しをしているのを聞いた事もあるのだぞ。」
「それは、最近城下町で流行っている小説の主人公が、偶々同じ名前だっただけですわ、そもそも、サミュエラ様が本当に女性で、その事を隠しているのでしたら、縁談など来るはずがないですし、その事を他家である令嬢方が知っているはずありませんわ。」
「しかし、サミュエラ嬢は・・」
最後まで言い切る前に、2人の横から、バサリと布が投げ捨てられる音がした。
どうやらサミュエラは、性別を疑われている事に我慢ができなくなったらしい。
着ていたジャケットを脱ぎ捨て、ボタンを引きちぎりながらシャツまでも脱ぎ捨てて、怒りに目を真っ赤に染めている。
もちろん、その胸元に女性特有の膨らみは無く、鍛え上げられた筋肉質の身体があるだけだ。
卒業後の舞踏会という事で、ある程度は羽目を外しても大目に見られるが、上半身を未婚の女性の前で、しかも舞踏会という場で、露出させるなど、この先の人生に関わる失態になる可能性もある。
それでも、性別を疑われ、男の沽券に関わる自体に我慢ならなかったのだろう。
女性達は、悲鳴を上げ、慌てて持っていた扇で顔を隠していたが、その目はしっかりとサミュエラの肉体美を捉えていた。
そんな、サミュエラの捨て身の覚悟を、ユドルフは見事に台無しにする。
「胸の大きさなど関係無い。」
静まる会場。
唖然とした人々。
完全に怒り狂い、目が血走っているサミュエラ。
「俺は・・・俺は・・男だぁぁぁぁぁぁぁ。」
こだまするサミュエラの声に、会場の全員が同情した事だろう。
・・・ただ1人を除いて。
「だから、心配を「殿下、黙って下さいませ。」」
まだ口を開こうとするユドルフに、レイラが強引に割り込むと、ユドルフの投げ捨てたジャケットとシャツを拾い、サミュエラに差し出しながら、ユドルフにたずねる。
「殿下、一つ質問を。」
「何だ?」
「サミュエラ様に、既に決めた相手がおられた場合、どうされるおつもりですか?」
「それは・・・・それならば、私の出る幕は・・・無いな・・」
ユドルフが、いじけた子供の様な物言いをしているが、サミュエラはホッとした顔をして少し気を抜くと、ようやくレイラの差し出している服に気付いたらしく、いそいそと着込む。
シャツのボタンが何個か飛んでいるが、それでも何とか見れる格好に戻ったサミュエラを見て、レイラが小さく頷く。
「ではサミュエラ様、既に心に決めたお相手がおられるなら、今この場ではっきりと、おっしゃった方がよろしいと思いますわ。」
「この、大勢の前でですか??」
「このまま、殿下の求めに応じますか?」
その言葉に、サミュエラの口から小さな悲鳴が漏れた。
「わ・・・分かりました・・・。」
青ざめた顔で意を決し、歩き出す姿に、会場中が同情の色に染まる。
告白せねば、殿下の愛人。
告白して、相手に断られたなら、皆の前で大恥をかく。
しかし、どちらがマシかと言われれば、間違い無く後者だろう。
サミュエラは、辺りを見回しながらゆっくりと歩き、1人の少女の前で足を止めた。
愛らしい顔立ちの少女は、下級貴族の娘ではあるものの、心優しく、品行方正な少女として、かなり人気であると同時に、異性と極端に関わろうとしない人物として有名であった。
「リオレット・・・・どうか私と結婚して下さい。」
サミュエラは、緊張しすぎて婚約をすっ飛ばしてしまった。
「あっ・・・いや・・・えっと・・こっ・・・婚約を。」
しどろもになりながら、慌てているサミュエラの姿に、皆 振られるだとろうと思った。むしろ、男性陣は真剣に振られる事を願った。
男性陣が、サミュエラを応援する気を無くしていく中、サミュエラの目の前に立つリオレットの瞳は、キラキラと輝やき、大粒の涙を流しはじめた。
「・・け・・・結婚・・・・お受け・・・いたします・・・」
微かな声が、リオレットの口から漏れ出し、サミュエラの目が限界を越えて見開かれる。
「ほっ・・・本当に?」
「はい・・・ずっと・・ずっとお慕いしておりました・・。」
小さな声ではあるが、その声は確かに皆に届き、会場内は割れんばかりの拍手に包まれる。
内心振られてしまえと願っていた男達も、まさかの求婚成功に、自分の事の様に大喜びして歓声を上げ、会場内は舞踏会とは思えぬ、異様な熱気に包まれ、その中心ではサミュエラとリオレットが固く抱き合っていた。
皆の注目は、抱き合う2人に注がれ、その側に居る王太子であるはずのユドルフや、その婚約者であるレイラには、誰も注目していない。
それを察して、ユドルフはレイラの腕を掴むと、静かに会場を後にし、会場の入り口で待っていた馬車に乗り込んだ。
「殿下、いい加減にしてくださいませ。本当に婚約破棄いたしますわよ。」
馬車が走り出して直ぐに、レイラの甲高い声が響いた。
「そんな事を言われては、流石に私も傷付くぞ。」
「そう思うなら、時と場合と、言い回しを考えて下さいませ。」
「何を言うんだ、私は、ただずっと探していた諜報員向きの人間を見つけただけだぞ。あの存在感の無さは、なかなか居ない。」
「サミュエラ様もそんな所を認められても、嬉しく無いとおもいますけれど。それならば、小声で教えてくだされば良いでしょう。何故大声で、あんな紛らわしい言い方をするのですか。」
「勝手に勘違いしたのは、あそこに居た者達だろう?私は一度も愛人など言っておらん。」
「ですが、『探し求めていた女性に出会えた』と言いましたわよね?」
レイラの言葉に、ユドルフはニヤリと不敵な笑みをうかべる。
「それは、俺の勘違いだったな。サミュエラには、悪い事をした。」
口ではそう言っているが、悪いとは思っていないと、レイラは知っている。
「殿下・・・ユドルフ様。」
あえて、名前で呼ぶと、ユドルフの顔がパッと華やぐ。
「私は、ユドルフ様が王位に就かれても大丈夫な様に、王妃教育をきちんと受けてきたと自負しておりますし、教師の先生方にも太鼓判を押していただいております。ですから、わざわざ馬鹿な真似をするのは、お辞めくださいませ。」
その言葉に、ユドルフは大きく目を見開き、次の瞬間には、ニヤリと笑っていた。
ユドルフは幼い頃、一眼見たレイラに恋をし、既に決まりかけていた婚約を破棄し、かなり強引にレイラを婚約者としていた。
レイラの家は、家柄的には何も問題無かったのだが。その頃病弱で、貴族社会で全く名の知られていなかった娘の、突如降って湧いた王太子との婚約に、同じ年頃の娘達から反発は凄まじく、加えて厳しい王妃教育もあり、レイラは一度だけ、ユドルフを責めた事があった。
『私は王妃になど、なりたくないのに・・・ユドルフ様が王子でなければ、こんな思いしなかったのに・・。」
泣きながら言うレイラに、ユドルフは困った顔をしながらも、泣き止むまで側に居てくれた。
それからユドルフは変わってしまった。
王太子としての振る舞いはどこへやら、自由奔放に振る舞うようになってしまい。おかげで最初は、レイラと婚約したせいだと攻撃は激しくなってしまった。しかし、時がたち、レイラの王妃教育が進むにつれ、しだいに周囲の反応は変わり、今では馬鹿な王太子に見初められた可哀想な婚約者という、哀れみの目で見られる様になっている。
「おや、気付いていたのか。」
「気付かれないと思っていらしたの?」
レイラは知っている。
本来のユドルフが他のどの王子達よりも王に向いている事を。
彼が国を治めれば、この国は今まで以上に安定し、潤うだろう事を。
しかし、ユドルフは、きっと王にはならないだろう。
「レイラを王妃にしたら、今まで以上に君の姿が、他人の目に映る事になるだろう?それが私には耐えられない。だから、もうしばらく付き合ってもらうぞ。」
ユドルフは、クスクスと笑いながら、レイラの腕を強引に引っ張ると、倒れ込んできたレイラを強く抱き寄せ、その背を意味有りげに、ゆっくりと撫で上げた。
最初にレイラの涙を見た時、ユドルフは王位継承権の放棄をしようとした。しかし、優秀過ぎた為に許されなかった。その為、わざと奇行を起こし、王位継承権から外れようとしたのだ。しかし、やり過ぎてはいけない。馬鹿だと思われれば、今度は丁度いい傀儡として、王位に就かそうとする者が現れる。そして、今後レイラとの平穏な暮らしの為に、悪評ばかりを広める訳にはいかなかった。
その為、ユドルフは外では奇行を度々起こしながらも、王太子としての仕事はキチンとこなし、城内と城外で極端な評判を確立した。
二つの極端な評判は、意地でも王位継承権から外れたいという意思表示と共に、貴族達や民達に馬鹿王子が王になる事の不安を植え付け、それと同時に傀儡には成り得ない能力を示し続けている。
しかしそれも、もうすぐ終わる事だろう。
ユドルフの愛はとても重たい。
王位を放棄するほどに・・・
レイラはきっと、婚姻を結べばユドルフに囲われ、今までの様な自由は無くなるだろう。
しかし、レイラはきっと受け入れる。
そんなユドルフさえも愛しているのだから。
愛していなければ、いくら王太子としての仕事を完璧にこなしているとはいえ、馬鹿王子と呼ばれている相手の為に、辛い王妃教育など続けられない。
「なあ、知っていたか?サミュエラとリオレット、ずっと好き合っていたのに、サミュエラの家がそれを許さなかった事を。」
「ええ、ですが今回の事で、サミュエラ様の名誉を回復した女性として、大切に迎えられるでしょうね。」
そうして、私達はお互いの顔を見てクスクスと笑い合います。
「ユドルフ様、愛していますから、何者になろうと私を妻にして下さいね。」
「レイラ、愛しているから、私が何者になろうとも、見捨てないで一生側にいてくれ。」
「もちろんですわ。」
「もちろんだ。」