三枚目
初めのころはできるだけ気にしないようにしていました。授業中でも当然のように歩き回っている彼女をできるだけ見ないようにしていたんです。相手は幽霊ですから怖かったんだと思います。でも、そんな時間を長めに過ごして、彼女に害がないということがわかると僕は彼女が普段どうやって過ごしているのか気になり始めました。
まあ、つまりストーカーの思考なわけですが。たぶん、好奇心が大部分を占めていたと思います。
彼女は教室にいることもあればどうやらほかの場所にいることもあるようでした。ただ大半は三年五組にいました。僕は授業中歩き回る彼女を時たまばれないように眺めるところからはじめることにしたんです。
彼女は教室にいるときはたいてい窓の外をぼーっと眺めているか、教室の後ろの方で体育座りをして授業を聞いていました。時折歩き回りはするものの、座っている生徒全員の邪魔にならないように移動してるのがわかりました。おそらく誰にも見えていないのに、です。そこにどんな意図があったのかは今でもわかりません。だから未来の僕はもう一度会った時にそのことを聞いてみてください。
それから一か月ほどたったころ、僕は次に彼女が教室にいないときは何をしているのかを調べようとしました。といっても、僕が自由に動けるのは休み時間ぐらいです。彼女は時間割に合わせて行動しているわけじゃないのでその行方を知るのが難しいのは確かでした。でも、毎日の時間の中、ちょうど彼女が教室から出るのが休み時間に重なったことがあったんです。
当然僕は追いかけました。それは昼休みではなく、ただの休み時間です。僕は時間を気にしながら追いかけ続けて、彼女が音楽室に入るところまで見ました。
追いかけるのは簡単でした。なにしろ彼女は自分が見えていないと思っているからです。でも、その時はなるべく遠くから追いかけるようにしたのを覚えています。
時間が迫ってきていて、結局その日の尾行はそこまででした。チャイムが鳴るギリギリに教室に滑り込んで、みんなから少し変な目でみられたところまで覚えています。
彼女は二時間ほどたったころに戻ってきました。僕はその日、初めて放課後残ってみようと思いました。
それまでは放課後に探索することは避けていました。なぜなら教室で用事もないのに一人になればさすがに彼女にも不審がられる気もしましたし、なにより目立つのは嫌だったのです。
なのにその日はなんだかそんなことがどうでもいいと思えていました。それでも教室に残ると彼女にばれる恐れがあったので僕は音楽室一つに狙いを絞ったんです。
幸いにも音楽室に行くには必ず図書室の正面を通る必要がありました。図書室は放課後にもいくらかの時間なら勉強用に開放されていたので、僕は図書室の廊下が見える位置に座って勉強するふりをしながらそこを彼女が通らないか見張ることにしたのです。
僕の狙いは当たりました。横目で見ていた廊下に確かに彼女の姿をとらえたんです。僕はすぐに勉強道具を片付けました。音楽室の前まで急いで行って、その扉を開けようとしました。その行為は彼女に気付かれる可能性が高かったんですが、きっと僕は興奮していたんだと思います。その可能性に思い至りませんでした。
その日の僕は本当に運がよかったんだと思います。とうぜん知っていると思いますが僕は帰宅部で部活に入っていませんでした。だから部活のことなんて考えてもいなかったんですが普通音楽室は合唱部とか吹奏楽部とかが使っているはずでした。その日は偶然休みだったんですがもし休みでなかったら僕は変な人の烙印を押されていたかもしれません。
それに、先ほど書いたように部活は休みであったので、音楽室の扉があくことはありませんでした。僕が彼女に不審がられることもなかったってことです。
音楽室には鍵がかかっているので僕にはもうできることはありませんでした。あきらめて帰ろうとしましたが、そのときかすかに聞こえた音がありました。
その時のことは強く、本当に強く記憶に残っています。その出来事から一年もたっていないので覚えているのは普通なのかもしれません。でも、今の僕はこの記憶は薄れることがないという確信を持っています。ほんとうに不思議な感覚です。今これを書いてるのは一番最初に書いた通り忘れたときのためではあるのですが、この記憶が消えない限りそんなことはないと思っています。未来の僕の頭の中にこの記憶はあるんでしょうか。あってほしいと思います。僕は忘れたくない。この記憶は絶対に忘れたくないと思います。
今のこの思いが未来の僕につながっていればいいなと、今思いました。
話をもどします。その音は音楽室の防音なんか関係ないとでもいうように僕の耳に届きました。伴奏なんてありません。いわゆるア・カペラというものです。
歌声が、音楽室の中から聞こえてくるのでした。
僕は耳を澄ましました。知っている曲でした。名前は確か「旅立ちの日に」です。
僕はその歌声をしばらく音楽室の扉に寄りかかって聞いていました。その歌を歌っているのが誰なのか、疑いようがありませんでした。だって、音楽室の中には今誰もいないはずなんですから。
きれいな歌声でした。それこそずっと聞いていたいと思うくらいにはきれいでした。
やがて最終下校時間になって僕は名残惜しくもその場を離れました。放送の下校を促す音楽が歌声を打ち消して、少しむっとしたのを覚えています。
その日以降、僕は時々彼女が歌うのを聞くために放課後残ることが増えました。そのうち彼女が歌うのは誰も音楽室を使わない放課後だとわかってそれからはそういう日だけ学校に残っていました。
でも、まあばれます。次は彼女が僕に見えていることに気付いた時のことを書きます。自分のストーカー行為を理解することができたら次に進んでください。
僕はこれを書きながら割と自分気持ち悪いとか思っていました。未来の僕もきっとそう思っていることでしょう。