幕間 ユリーシャの回想
天使だ!天使がここに居らっしゃる。
童子のような無垢の表情。
何物にも代えがたい。
私も誘われて笑ってしまう。
「はい。あーん」
林檎…磨って少し蜂蜜を混ぜたものを、華のような唇へと差し上げると微笑まれた。
私の顔をじっと見つめられる。
それから視線が下がって・・・。
「あぁん。まだ日が高こうございます」
胸をたぷたぷっと持ち上げると、きゅっと少し力が籠もる。
あっ、痛いですぅ。
でも、なんと甘やかな痛みだろう。
「もう。アレク様ったら」
綺羅綺羅しいほど、お美しいのに。アレク様が殿方でよかった。
そして、御執心戴ける胸を持った…私は女で良かった。
アレク様こと、アレックス・サーペント様は、死の淵から脱した。
◇◆◇◆◇◆◇
私がこの御館に来たのは、6年程前だ。
9歳だった私は、それまで孤児院に居た。
院長先生によると、私は孤児院の庭先でピーピー鳴いていたところを見付けられた。
ハーフエルフの赤子。
私は、人の父とエルフの母から生まれたはずだ。
どちらも知らないが。
その頃、院長先生が皆に読み聞かせていた童話に出てきた子の名前。
それが私の名前ユリーシャだ。
でも。私のことなど、どうでも良い。
孤児院では、最低限の読み書きができるようになると、奉公に出される。
初めてやって来たのは、この御館だ。
今から思えば、なんと幸運なことだろうか。
もちろん、その頃は分かっていなかったが…。
私の居場所はキッチンだった。キッチンメイドになったのだ。
天才肌のホビットの料理長。そしてとても怖いストーブ頭、何人もの下働き。物静かなメイド長がいた。
最初の役目は、キッチンのどこに何があるかを憶えることだった。
コックやそこに居る皆さんが何々と言えば、それを取りに行き、持ってくるのだ。
そして、運命の日がやって来た。
「ねえ」
昼下がりだった。
昼食が済み、食器洗いが終わると、キッチンは暫く静寂に包まれる。
そこに、高く気持ちの良い声が響いた。
「ねえ」
「はっ、はい」
キッチンに迷い込んだ子供。
とても良い身形。私が死ぬまで決して着ることがない上質の服を着た女の子が居た。
「お腹がすいた。チョコレートはどこにあるかな。君知ってる?」
何て綺麗な子だろう。
一目で、この館の主人の一族。貴族様だと思った。
私は薄汚れているであろう、自分の顔を見せるのが嫌だった。
「ねえ、知ってる?」
「はい」
貴族様は、雲の上の人だ。
私が口を利くことなどない。そのはずだった。
隣の部屋に移った。
その部屋は、パーラーメイド達の領分だった。
でも、この子の希望は、全てに優先されるはずだ。
誰もおらず無人だった。
「この戸棚にあるはずです」
その子は、何の躊躇もなく戸棚を開け、ガラスの器を取り出した。
チョコレートという暗褐色の塊を1つ摘むと、蕾のような唇を開いて放り込んだ。
どんな顔をしても綺麗だ。
「甘ぁーい」
にこやかに笑った。
孤児院の横にあった教会の、天井画で見たような笑顔だ。
確か天使…神様の御使いと聞いた気がする。
その子は、ガラスの器をこちらに突きだした。
もう戸棚へ仕舞えと言うことだろうか?
器を受け取ろうとしたら、首を振って、一旦引っ込め再度突き出された。
どういうことだろう?
「君も食べるんだよ」
「えっ。私ですか?」
チョコレート…無論それが食べ物だとは知っていた。
しかし、それが自分の口に入る物と言う概念がなかった。
あれは偉い人が食べるものだ。そう思っていた。
味も知らないし。さっき食べていたのを見ても、何の感慨もなかった。
「いえ、私が食べる物ではありませんから」
「ん?そうなの?おいしいよ!」
「でも」
「ああ、メイド達には、僕が食べたって言っておくからさ。なんの問題も無いよ」
そう言われて、私は恐る恐る、塊を摘んだ。そして、この子がやったように、口を大きく開き中に入れた。
ああ、直後、私の口の中は、溶けた。
この甘さは、一生忘れないかも知れない。天使のようなその子と共に…。
「ねっ。甘くておいしいでしょ」
「はい」
これが甘いということか。初めて知った。
そうして、その子は、時々、決まって昼下がりに現れると、にっこり笑って、お菓子を私に食べさせてくれた。
その子が、男の子と知ったのは、暫く経ってからのことだ。
「ユリは何歳?」
「9歳です」
「へえ。僕と同じなんだ、もっとお姉さんかと思ったよ。何月生まれ?」
「7月です」
孤児院では、預けられた日が誕生日になる。
「そうか。すぐに10歳だね。僕は8月だ。やっぱりちょっとお姉さんだね。妹は居るけど…お姉さんは居ないんだ。ユリがなってよ」
「わっ、私でよろしいんですか?」
「うん。ユリになって欲しいんだ」
男の子は、何歳になっても甘えたがりだ。
「ユリ、泣いてるの?」
そうだ。もちろん、ごっこだ。本当の姉弟じゃないことはわかってる。
でも私には初めての家族だった。
それから、数年続いたお菓子のように甘い関係は、突如終わりを迎えた。
私が初潮を迎えたからだ。
メイド長から、おめでとうと言われたが、その後が衝撃的だった。
もうアレク様と一緒に過ごしてはならないと宣言された。その言いつけが守れなければ、解雇すると言われた。
いつもは物静かな彼女が怖くて、その夜は眠れず、泣いて明かした。
その後も何度か、アレク様は、キッチンに私を訪ねて来て下さったようだったが、その度にメイド長がやんわりと追い返した。それからは、あきらめたのか、やがて来られなくなった。
そして、私はメイド件料理人見習いとなり、修行を始めた。
それしか、もうアレク様に近づくことはできないからだ。手っ取り早くパーラーメイドに成れれば良いのだが、お客様の前に出るため、身元がしっかりしていることが必要とされ、孤児の私には成れない職種なのだ。
そうして、修行が軌道に乗り始めた頃、悲劇が起こった。
アレク様が、病気になられたのだ、しかも命に関わるという。
私は意を決して、専属メイドになりたいとメイド長に申し出た。しかし、当然のことだが一蹴され、言うことを利かねば、解雇すると脅かされた。
専属メイドは、何でもできることが必要だ。メイド長にとっては当たり前の判断だったのだろう。しかし、私は絶望した。もうアレク様が亡くなるまで会えないのだと。
でも、そこに救いの主が現れた。
ランゼ先生という魔法の家庭教師様だ。
ご主人様の信頼が厚く、御館では執事長に匹敵する権勢を持たれているようだ。
その方が、私をアレク様の専属メイドにしてくれたのだ。
喜び勇んで、アレク様の元に馳せ参じたのだが。
アレク様は、人が変わられていた。
何があったら、こんなになるのだろうか。
まるで見た通りの女性になってしまわれたような反応だった。
それはまだしも、問題は無気力さだ。
食事も満足にされず、周りの者が無理に摂らせても、すぐに嘔吐されてしまうのだ。
それから、お優しいのは変わらないのだが、私を見る目も何となくよそよそしく、じっと胸や、腰を憎々しげな目で見てらっしゃることが何度もあった。
何となく捨て鉢になられて、婚約した相手も、なんであの人をと思う人だった。
それから、少しでも空気が良いところへと、ハイエストへ転地療法されたが、病状は悪化するばかりだった。何度も、私が代わりに死にますからと、神様に祈った。
でも、意識不明となって、とうとう明日をも知れぬところにまでなられてしまわれた。
でも神様は、アレク様をお見捨てにはならなかった。
奇跡は起こったのだ。
聞いたところでは、ランゼ先生が大魔法を使ったそうだ。
突如意識が戻られ、お身体は衰弱されているのだが、生きる意思が溢れていた。
嬉しかった。徐々にお元気になられる姿を見るのが。
そして、アレク様のお世話ができる。
今、私は幸せだ。
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訂正履歴
2016/5/21 細々訂正(ばたばたして、すみません)




