177話 ミストレス
「伯爵様。伯爵様ぁ、うふふふ……」
隣に横たわったユリが、俺の胸の辺りを弄っている。いつもはアレク様と呼ぶが。ベッド脇の魔灯が、ほの明るく照らす彼女はとても嬉しそうだ。
「どうした? ユリ」
俯せの上体を少し起こして彼女の髪が持ち上がると、とても甘い匂いがした。
「呼んでみたかったんです」
「ユリーシャ」
アンっと啼いた。
重力引かれ、少し伸びた乳房を掴んでも、一層微笑むのみだ。
「はい」
「ミストレスに成らないか?」
ミストレス──
対外的にも認められる側室のことだ。
無論、正妻に対して地位は劣るが、称号としては夫人と呼ばれる。ルーデシアでは、ミストレスを同時に2人まで設けることができるので、第2夫人、第3夫人という感じだ。
ルーデシアというか、この世界の夫婦関係は、養えるなら良いんじゃないと言う感じで結構寛容だ。禁忌でも何でも無い。一夫多妻に加え、一妻多夫も可とされているしな。まあ、身分的には貴族が主体だが。
側室が産んだ子には相続権があるが、側室自身にはない。しかし、ミストレスとなると、身分の相続はできないが、財産分与の対象になる。産んだ子も、ただの側室の子よりは有利だ。
「そう言うことはぁぁぁああぁあん……手を止めて、ううむ……仰って下さいませ。思わずハイって応えそうになりますから」
「普通に聞いても、断るじゃないか。ユリは」
そう。王国子爵となった後、何度か訊いているのだが。
「もちろん、ミストレスとなることが嫌ではありません。ただ前にも申しましたが、奥様のお輿入れ前に成ってしまうのは、流石に憚られます」
答えは同じだ。
「でも、貴族の場合、正妻と婚姻を結ぶ前に、ミストレスを設けることは珍しくないぞ」
「それは……分かっていますが」
「カレンとの結婚は、まだ1年先だぞ」
彼女が卒業したらと言う話になっている。
カレンも彼女の親族も、ユリのことは知っているし。ミストレスにすることも合意している。
「アレク様の深いお考えは、分かりかねますが。身籠もっているわけでもありませんし。私は、死ぬまでお側を離れる積もりはありません。今のアレク様を、お慕い申し上げているのですから。1年などあっという間です」
そう言われてしまうと、返す言葉がなくなる。
カレンは、何と言っても正妻だ。レダは、首席従者、秘書官として地歩を固めている。
流石に、メイド頭にしておくのは不憫だ。
だが、ユリに言えば一笑に付すだろう。
「ならば実力行使といこう」
夜具を跳ね上げ、無防備となったレダを組み敷いた。
──今の、ねえ……
◇
「おはようございます。アレク様」
ユリは、とり澄ました顔で、俺を起こした。
昨夜は何度も攻め、その度良い声で啼いたが、陥落には至らなかった。
ミストレスのことは認めなかったのだ。
それにしても、あれ程乱れたというのに、今は毛ほども感じさせないのは、なかなかに小憎らしい。
俺に服を着せつつ、ユリは口を開いた。
「テレサ殿とリーザちゃんがお越しになっています」
「リーザ?」
「はい。テレサ殿の娘さんです」
そういえば、未亡人となって、娘を育てていると、シュナイダーは言っていた。
「分かった。朝食を摂ってから、面接するとしよう」
「はい」
◇
執務室のソファに座っていると、ユリが30歳代ぐらいの女性と少女と共に入ってきた。
「おお、テレサ殿久しいな」
隣に座っているランゼ先生が声を掛けた。そちらに軽く会釈して、親子で俺に跪礼した。
「御曹司様、ご無沙汰しております。テレサにございます」
「ああ、今日は良く来てくれた」
ソファを勧めるが、笑顔で辞退された。
立っている2人を見上げる。
眼と言い、頬から顎のラインと言い、シュナイダーに似ている。頭は切れそうだが、眉や口元は優しそうだ。
──うん、優しいけどね……。
むう。微妙な偏頭痛と共に、テレサの記憶が甦ってきたが、さほど強くない。最後に出てきたのは、今の俺ぐらいの歳のイメージだな。
その頃の容姿は結構可愛いし、今も世間で言えば中々の美人ではあるのだろうが、この館の女子は、かなり偏っているからな。
「それから、娘のリーザにございます……リーザ、リーザ?」
呼ばれた娘は、無反応。少し口を開いてこちらを見ている。
「リーザ!!!」
「へっ? はっ、ハイ。あっ、申し訳ありません。リーザです。よろしくお願い致します」
「うむ」
──アレクに見とれてたね
「アン!」
「はい。じゃあ、リーザちゃんは別の部屋で待っていようね」
「はい。失礼致します」
「行ったな……アレク殿。テレサ殿は、なかなかに得難い人物だし、身元もしっかりしている」
ランゼ先生は、発案者だけあって推してくる。
まあ悪くない話だ。
結婚を機に家令職を退いたらしいが、しっかり勤めていたと聞いているしな。
「頼めるか? 俸給に関しては……」
「承りました」
ん? まだ条件を言っていないのだが。
「俸給に関しましては、働きぶりを見て決めて頂きたく存じます」
テレサをまじまじと視たが、冗談ではないようだ。
「では、そうしよう。よろしく頼むぞ」
「はい。あのう、御曹司では、どうか思います。どのように、お呼びすればよろしいでしょうか? 例えば、ご当主様では?」
当主か……余りピンとこないな。
「アレク様で良いのではないか。皆、そう呼んでいる」
俺の方を見たので、肯いておく。
「承知しました。アレク様とお呼び致します」
テレサの向こうに視線を向ける。
「ユリ、皆に周知する。ここに……いや、広間に集めてくれ」
「アレク様、お待ち下さい。今ひとつ申し上げたいことがあります。ああ、ユリ殿にも」
テレサは振り返っている。
「はっ、はい」
「何だ?」
「ご不興を買う覚悟で申し上げます!」
む!
「ユリ殿のことは聞きました。なぜミストレスとされないのでしょう?」
おお、いきなり来たな。
「そっ、それは……」
「ユリ殿は、お静まり下さい。アレク様! 婚約者のお輿入れに気兼ねされているのですか?」
「いいえ、黙りません!!」
その剣幕に、テレサが2、3度瞬く。
「誤解です。アレク様は、何度もミストレスとして迎えたいと仰って戴いてます。私の方が、お待ち戴いているのです」
ユリが弁明してくれた。
しかし。
「それは真ですか。なんと嘆かわしい……アレク様!」
あれっ?
誤解が解けると思ったら、余計怒ったような……。
「そのお顔は、お分かりでないようですね」
はっ?
「なぜユリ殿に選択させるのですか?」
「いや……」
「アレク様は、伯爵なのですよ。ただ一言、ミストレスにすると宣言なされば済むことです」
むう。なかなか小癪な女だ。
が、言っていることは一利ある。
まだ引き摺っている前世の規範は、身分制度が厳然と存在するここでは役に立たない。
確かに、ユリに決断させば、カレンに、そして家に遠慮するのは当然だ。
俺が突き抜けねばならなかったのだ。
「ユリーシャを、我がミストレスとする」
ユリは、一瞬目を見開き、そして大粒の涙を零した。
「承りました。本日中に、内務省に届け出ます。差し出口を申しました。申し訳ありませんでした」
「ふん。遠慮しあいの膠着は、不躾な者に任せよと言うが、その通りだな。ふふふ……」
聞いたことないけどな。この国の慣用句か?
「ランゼ様? もしかしてそれは、私のことでしょうか?」
「自覚がないから不躾なのだ。どうだ、アレク殿?」
「初仕事がこれならば、確かに得難い人物なのでしょう」
地位が上がれば上がるほど、それを憚って耳が痛いことは言われなくなるのが世の常だ。テレサは、幼少の頃を知っている気安さもあるだろうが、苦言を呈してくれるのは助かる。まあ程度問題ではあるが。
「ふぅ。では、皆を広間に集めます」
ユリは会釈して、執務室を辞した。
「テレサ殿。今、ゲッツに命じて閉鎖していた離れを整備させている。そこに住むと良いだろう」
「はい」
「で、娘はどうする?」
「はい。ご提案の通り、この館でメイドをさせようと思いますが。よろしいでしょうか?」
俺の方を見た。
「テレサが、家令なのだから自分で決めると良い。レダ以外のメイドもな」
「はい。では、そうさせて戴きます。して、レダ殿は?」
「聞いていると思うが、俺の手が付いている。それでは魔人の従者と秘書官の仕事に支障が出る。レダには悪いが俺が魔人を辞めるか、彼女が現職をやめるまでは待って貰う。その代わり俺直属とし、他の者とは分ける。元々そうだがな」
「はっ。では、ユリーシャ様とレダ様とお呼びします。ただ、メイドの仕事もやられていると聞いておりますが」
「2人とも、趣味だからな」
「趣味……ですか」
「まあ、そう堅く考えるな。ユリには、客あしらいなどをさせなければ良いだけのことだ。第一、ユリの作る料理はどれも絶品だからな。やめさせるのは惜しい」
「はあ……はい」
「それから、テレサ殿。肝心の私のことは良いのか?」
テレサも、ランゼ先生が自分で言い出すとは思わなかったのだろう。驚いた表情だ。
「ランゼ様……父より、アレク様の家庭教師と聞いておりますが」
「それでいい。先生には、引き続きこの館に居て戴く」
「はい」
先生は少し複雑な顔をした。
広間では、皆にテレサを家令としたこと、リーザを新たにメイドに加えたこと、それにユリをミストレスとしたことを周知させた。
是非是非、ブックマークをお願い致します。
ご評価やご感想(駄目出し歓迎です!)を戴くと、凄く励みになります。
Twitterもよろしく!
https://twitter.com/NittaUya




