174話 スカーレット(5章本編最終話)
魔人誕生祝賀会が始まった。
状況からいって自粛するのかと思ったが、崩御でもされない限りはやるらしい。そもそも元首の不予、つまり不健康状態は、国防上の都合でギリギリまで公表されないらしい。
宰相ストラーダ侯爵が、乾杯の挨拶に立った。
「先程、陛下より魔人殿への指令権を下賜された。先程は生きた心地がしなかったが……少し安心してアレックス卿と接することができる。いや、実に目出度い」
はっ?
安心してと言う意味がよく分からないが。
「ああ、目出度いと言えば、魔人そして伯爵に成られたのだった。サーペント辺境伯殿、おめでとう!」
親父さんは、左胸に右掌を当てて感謝の意を示した。
「さて、余り長いと、タウンゼント侯爵に悪いので、この辺りで挨拶を終わることにしよう。魔人殿の酒が有るからな」
笑いが起こった。
そう、タウンゼント侯爵は、俺が持ち込んだ酒に興味津々だ。しきりに鼻先にグラスを持って行って幸せそうな顔をし、離してはまだ飲めないことに哀愁を漂わせているのだ。
「それでは、新たな魔人の誕生を祝し、乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
周りの皆さんと、グラスを合わせ呷る。
その数秒後、おおうと主に年配男性から響めきが挙がった。
「あっ、アレックス卿。いい、いや魔人殿。これは? 何と言う酒なんだ? マセリ酒のようで、色も風味も違っている」
タウンゼント侯爵に、なんだか怒っているように訊かれた。
「お気に召しましたかな?」
魔人は、国王以外には謙らないのが慣例だ。少なくとも表向きは。
国王以外には仕えないと言うのが、その理由だ。
「もちろんだ。文句なく旨い。そして、このような酒は初めてだ。甘く香ばしい魅惑の香り、そして僅かな苦みとまろやかな飲み口ながら辛い後味。すばらしい。だから教えてくれ、魔人殿」
侯爵は、かなり興奮している。だが、講評はトーマスが言っていたことと同じだ。
「酒の名は、マセリ・スカーレット」
「マセリ……スっ、スカーレット?」
「はい」
名前をどうするかで、カーチスと揉めたが。結局俺に委ねられたので、俺が命名した。
「スカーレットとは?」
「古き伝承で、緋色と言う意味ですな」
もちろんルーデシアに、スカーレットと言う言葉は無い。発音は前世のものだ。
「ほう。緋色……」
「しかし、魔人様。この酒の色は、緋色と言うより、暗褐色のように見えますが」
侯爵の隣に居たヨークス男爵が訊いてきた。俺は、軽く口角を上げる。
「酒の色ではなく、製法に由来する物だ」
「そっ、それは、どういう」
「秘密……とさせて戴こう」
「そっ、それは……そうでしょうね。これだけの酒だ。ナップ酒も凄かったが、これは名酒ですよ。ねっ、ねえ。侯爵様」
「うむ。それでだ。これはどこで、買い求められるのか?」
俺の周りに、おっさん達の環ができて──皆、酒好きのように見えるが、固唾を飲んで待っている。
「これは、まだ試作段階だが。少量であれば……」
「しょ、少量であれば?」
「カーチス商会で販売すると聞いている」
おおう……響めきが起こる。
「やはり、カーチスか……」
「魔人様」、「魔人様」…………
えーと、新しいマセリ酒が好評なのは良いが、それで人気がある魔人てのはどうなんだ。囲まれる俺を尻目に、出番が終わったストラーダ閣下は、こちらに軽く手を振ると広間を出て行く。
「失礼。宰相閣下にお礼を言上して参る」
そう言って、人の輪を割ってストラーダ候を追いかけ廊下に出た。
「ストラーダ閣下!」
先を歩く候爵が振り返った。
「おお、アレックス閣下、どうされた?」
追いついた。
閣下って。まあそうなのだが。
「少々お話ししたいことがあります」
眼に力を乗せる。
まあ、ストラーダ侯は俺の指揮権を持っているから、今まで通りの言葉遣いで良いだろう。
従者のヴェルフェスの眉間に皺が寄る。礼ぐらいで呼び止めるなと言うことだろう。
「うむ。そこに控え室がある。入って話すとしよう」
「はっ」
廊下の角を曲がり、小部屋に入った。
「それで、話とは何かな。アレックス閣下」
人の悪い顔で笑う。
「閣下というのは……」
「将軍なのだから、閣下で合っているぞ」
うううむっとヴェルフェスが咳払いした。
「済まぬな、少し急いでいるのだ」
「はっ。では、簡潔に。国王陛下の患いの件です」
一瞬で候の顔に緊張感が走った。
「むう……」
「あれは、尋常の病ではないと存じます」
「くぅぅ。魔人とはそのようなことまで判るものなのか……」
こんな閣下は、初めて見る。
あのダンディーな漢が、眉根に皺を寄せて苦悶している。先程までは笑みを浮かべていたのに。
「……我らも、宮内省も手は尽くしているが、未だに原因さえ分からぬ。魔人殿はどうか? 尋常とはどういう意味か?」
「なにやら、人為的なものを感じます」
「人為的? 毒か?」
「そこまでは分かりませんが。この状況と延長線上に機を窺っている者達が居るはずです」
「何者かが陛下を害し奉らんということか。ふぅぅ。そうだな、医師にだけ頼るのは止めることにする……魔人殿も頼むぞ」
少し笑みを取り戻した。
「はっ」
小部屋を辞し、祝賀会会場へ戻った。
「魔人殿!」
入り口付近で、白い軍礼服の男に呼び止められる。
「これは、ゴルドアン次長。いや、シーヴァルド卿と呼ぶ方がよろしいか」
同侯爵家嫡男にして子爵。階級は中将。年齢は27歳か。
貴族の中の貴族。何でも初代侯爵は、ルーデシア建国の元勲。それ以来の武人の家系だそうだ。領地は、ルーデシア北西の中核都市ゴルレア。
栗毛で、線が細いが眼は鋭い。なかなかのイケメンだ。俺が用意した酒とは違う発泡酒を飲んでいる。
「どちらでも、お好きなように。それより、伯爵への陞爵めでたく存ずる。療養中の父シギスミュンドからも、よしなにと」
「痛み入る」
一応略礼で応える。
階級は彼が上だが、俺に対する指揮権は無論持っていない。対応が微妙だな。
「戦術演習がお得意と聞いたが、どうだろう。参謀共の教官となって貰えぬものかね?」
「さて、魔人とは独断先行するが役割。魔人となったからには、まずはそちらの研鑽を積む所存。よってお断りする」
「それは残念。いずれにしても、貴公とは話したいと思うので、何時でも尋ねて来られよ。いや、魔人殿を呼びつけるのは恐縮だが」
明らかに外交辞令だな。
隣にいる副官の目が鋭い。
「機会があれば。では」
少し歩くと、見知った顔がある。
「ゾディアック殿」
すらっと細身の軍人が振り返る。
──いい男だよね
確かにな。
「おお、魔人殿。いや少将閣下とお呼びした方が良いかな。この度はおめでとうございます……それで、次長は何と言われていました?」
そうか。この人にとっては上官に当たるのだな。
「特段は。なにやら少し話があるとのことだったが」
「ふーむ。なんの話何だか。いやあ、あの人も見た目と違って……おっと、上官批判はいかんな。聞かなかったことに。そんなことより、この酒は美味いですな。度も強くて、すぐに酔ってしまいそうですが」
「グラスを」
「ん? ああ」
まだ半分余り入っているそれを受け取り、小瓶を取り出す。注ぐと泡が立って、色が薄くなった。
「どうぞ」
「おお……これは! さらに美味くなったではないですか。ただの炭酸水ではなくて、爽やかだ」
「マセリで採れる柑橘の果汁を混ぜてある」
「それは凄いで・す・な……魔人殿、後を」
ん?
振り返ると、人集りがしていた。
「魔人殿。なかなか帰って来られないと思ったら、酷いではないか!」
酷くはないと思うが。
タウンゼント侯の眼が怖くなっている。
「もちろん。皆様方へも用意がある」
そう言って、脇のテーブルに小瓶を並べ、先ずは一本と、侯爵に渡す。
焦って、コルクを抜くと自分のグラスに注いだ。周りの人もそれに倣う。
再び、会場を響めきが包んだ。
●5章本編了
お読み戴いてありがとうございます。
本話にて、5章が終了致します。
構想自体は半分くらいなのですが、一旦締めた方が良いが気がしています。
まだ迷っていますが、元々物語は区切りは付ける予定なので、第6章が最終章になるかも知れません。
それはともかく、精進して参ります。よろしくお願い致します。
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訂正履歴
2025/09/23 誤字訂正 (コペルHSさん ありがとうございます)




