160話 樽を灼く
サブタイトルを分かりづらい「チャーリング」から「樽を灼く」に変更しました。
新しい話と思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
「えっ? 樽を燃やす……のですか? アレク様」
カーチスもアスコットも少し口を開き、眼を泳がせながらお互いを見遣った。
「そうだ。もちろん全てを燃やすわけじゃない。樽の内周だけを、まあ、焦がすという感じだが」
「焦がす……」
「いずれにしても、そのような技術は聞いたことがありませんが」
見せて貰った樽は、普通に製材しただけのオーブル材だ。既に熟成に使った古材か新材かの違いはあれど、焦がした物はなかった。
「うぅん。そうだな、おそらくはこの種の酒ではなかった気がするが、木樽で熟成する酒で焦がし、やっていたのを……聞いた気がする」
おそらく俺は、前世で酒工場に行ったか、あるいはネットの動画か何かで見たのだろう。明確な樽の内部を赫赫と燃やす動画像が頭に浮かんでいる。
「どうなんですか、父さん」
「うーん。聞いたことはないが可能性はあると思う。是非試してみたいと思います」
「試す……か。これから昼食という話だが、そうだな蓋も底も抜いた胴だけになった樽を、できれば新材が良いだろう。3つ用意してくれ。できるか?」
「まさかアレク様! ……できます! できます! なあアスコット」
「はい。父さん。いえ社長、お任せ下さい。400リットル3つですね」
◇
それから、昼食を戴いたのだが。
「いかがでした。お口に合いましたでしょうか? 子爵様」
この恰幅が良い、というのは女性に対して褒め言葉では無いのかも知れないが、元気そうで良い感じの婦人が、最後の紅茶を運んできてくれた。
あああ……まずい。いや料理がじゃなくて。食事が上の空だった。
あらぁ。ニコニコと微笑んでいる。何か言わないとな。
「白身魚のソテー……ハーブが効いていて、とてもおいしゅうございました」
カレンが助けてくれた。
そうだった。うん、と頷く。
一層、にこやかになった。
「オルドナ。アレク様は、我々のために考えごとをされている。邪魔をしないでくれ」
ああ。この人、カーチスの夫人だったのか。
改めて見ると子福者の……なんだろう、優しさが伝わってきた。そうだ!
「そうなのですか。それは、それは」
「いえ、私こそ。優しい味でした。お料理ありがとうございます」
夫人は、にこやかに下がって行った。
◇
「これでよろしいですか」
芝生の地面に枕木を敷いて、2つの樽が横倒しに置かれていた。蓋も底も外れていて、向こうが透して見える。
「ああ。ありがとう。カーチスとアスコットは、少し下がっていてくれ」
さて。どうやって灼くかな。
熾焔陣では、一瞬で燃え尽きる。
火焔では焔が大きすぎる。
多少時間は掛かるが、あれで行くか。
灰燼と化せ! 紫炎となりて 万象を灼き滅ぼせ ─ 焔陣 ─
腕の先から、絞った炎が放射され、時間を掛けて樽の内壁に着火させた。間もなく樽自身が燃え上がり、内部全体を緋色で包み込んだ。
おおっと後から声が上がった。
次!
火焔を隣の樽へ向かわせる。暫くして、こちらも炎が着いた。
「こんなに燃やしてしまって、大丈夫なのですか? アレク様」
「ああ。問題ない」
ゆらゆらと、樽一杯に炎が揺らめいている。なかなか絵になる。
1分も見ていたか。
そろそろ頃合いだ。
精霊よ! 怨敵を悉く吹き飛ばせ ─ 烈風 ─
─ 烈風 ─
風の強さを調節して、炎を吹き消した。歩いて近寄る。
「ふーむ。結構燃えたな」
こっちは、深さ5mm、鱗状にまで炭化した。触ってみると、もう冷めている。
炭化はしたが、ボロボロと崩れる感じまでは行っていない。良い感じかも知れぬ。
さてとこっちは……後で火を付けた方だ。
消すまでの時間が短い。まんべんなく焦げては居るが、炭化は深さ2mmと言った程度で、さっきの樽ほど火は入っていない。
「良いだろう。焦げ具合が2段階の樽ができた。今までの通りの樽と合わせて3基に、原酒を注いで封をしてくれ。持って帰る」
◇
次の日。
青く抜けた空。雲1つない。日差しは強いが流石に季節は冬だ。外でも暑くはない。
サーペンタニアの館。
石畳の庭には、いくつもの簡易の竈が設えられ、既に煙を上げている。
メイド達が解体された魔獣の肉を灼いている。
俺と言えば。
薪に着火してからは、やることがない。
折り畳みの椅子に腰掛けてあたら時間を持て余している。
先程から、肉が焼ける良い匂いが立ち込めてきた。胃が鳴ってる……もう昼だものなあ。
「アレク様!」
振り返ると、ゾフィに伴われた客達の姿があった。
「ベスター、カーチス。それにカーチス酒造の……」
昨日酒造工場を案内してくれたアスコットに、ブレンド職人のトーマスだ。男ばっかりと思ったら、ご夫人方はエプロンを着けて向こうの方に居て、メイド達を手伝い始めた。
「本日は、お招きありがとうございます」
「うむ」
立ち上がる。
「ああ、みんな。少し聞いてくれ! 今日はささやかながら宴を催したが、皆々良く来てくれた。山の獲物は、沢山あるから好きなだけ食べていってもらいたい。普段ならば、乾杯と行くところだが。今日はその前に、皆には大事な役目がある……利き酒だ!」
俺は勿体付けて、3つの樽を魔収納から出庫した。
「マセリ酒の新酒だ。飲み比べを頼むぞ!」
「では、私が準備致しましょう」
トーマスが、進み出て鞄から大きなスポイトを取り出した。樽の胴に明いた孔に突っ込み吸い上げると、アンが持ってきたお盆の上の載せてきた大きなデキャンタに注ぎ込んだ。そこへ別の水差しから同量くらい水を注ぐと、デキャンタを手で振って混ぜた。そして、少しグラスに注いで一口含む。トーマスは肯くと、デキャンタをアンに渡した。アンはそれを、少しずつグラスに注ぎ別ける。
「どうぞ」
アンからグラスを受け取る。透明度が高い。少し含む。
「ほうぅぉ。いつもの味です」
隣でカーチスが驚いている。3年間熟成が必要なところを、これは昨日仕込んだばかりだからだ。ところが、それを知らない皆は余り芳しい反応を示さない。それはそうだ。いつもの味なのだから。
「では、次の樽へ行ってみましょう……おぅう?」
栓を開けただけだ。まだスポイトも差し込んでいないのにトーマスが唸った。
手で仰いで香りを嗅いでいる。そこへカーチスが寄っていく。
吸い上げて、おおっとまた唸った。確かに、酒の色が褐色になっている。
「しょ、少々お待ち下さい」
鞄から小さなグラスを取り出し注ぐ。デキャンタには注がないのか?
なんだか、手順を変えるようだ。
それを、カーチスとアスコットに渡すと、酒造メンバーだけで加水しない原酒を試飲し始めた。
「こっ、これは! アレク様!」
かなり興奮している。
「まさか、これが昨日の……」
アスコットは目が泳いでいる。
そう。樽は昨日灼いた物だ。それに未熟性のマセリ酒を入れ、促成魔収納に入れて約18時間。通常の3年が経った計算だ。
「ふむ。芳醇な甘い香りと、味も全体的に甘い中にコクがありますな。ああ、すみません」
俺の顔を見て、待たしていることを思い出したようだ。先程同じように、加水してグラスに注いだ。
やっと、回ってきた。
「おお。いいんじゃないか?」
「ほんのり甘い! 風味も好きです、これ!」
隣でカレンも喜んでる。そうだな。なんだろう。最初の樽とそれほど糖分は変わらないのだが、香りだろうか。口当たりも少し刺激があって面白い。
「そうなると、これが楽しみですな……おおう! 濃厚だ!」
2番目の樽が焦がした程度なら、最後の樽は鱗状になるまで灼いたものだ。
原酒の色が濃い。さっきのが茶色なら今度は黒っぽい。
また酒造メンバーで、喜び合ったあと、やっと加水して回ってきた。
「これは……」
さっきより、甘い香りが強くコクも深い。
「ほぅぅ……。さっきのもおいしかったですが、これもいいですね、アレク様」
「そうだな」
酒造メンバーが寄ってきた。
「アレク様。とても、可能性を感じました。嬉しくて、そして悔しいです」
「ほぉ」
「永年、酒を造り続けながら、この樽のような発想が出ませんでした。それはともかくも、これを我が社で作ってもよろしいんでしょうか?」
「もちろんだ」
俺は前世で見ただけだ、手柄ではない。
「ありがとうございます」
カーチスは涙ぐんでいる。
「ありがとうございます。どの樽で、どの程度焦がして、どの程度熟成させるか。もっと研究します」
「おいらも。もっと、加水の割合を突き詰めまさあ。そして、最高の物を子爵様にお届けしますです」
「ああ、それについてだが……」
トーマスに耳打ちする。
「へい。あっいや。社長とも談判しないと」
戻っていって相談している
「アレク様。承知しました。お待ちしています」
「どうだ、みんな!」
どれが好みかと味の反応を訊くと。1番目の樽1人、2番目の樽12人、3番目の樽8人だった。
「割れたな」
「いいんじゃないか? どっちも旨いぞ!」
「先生……」
「わっ、私は3番目に1票!」
「エマ! どうやってここに?」
なんと、セルビエンテに居るはずのエマがいた。
「ん、ビアンカもいるよぅ」
本当だ。遠くで会釈してる。
「そりゃあ。フレイヤちゃんは……やることがありゅから、来れないけろさあ。私は来てもいいじゃない」
「ふーむ。酔っているな、エマ」
「いいでしょ、これが飲まずに居られますかてんだ、ヒック!」
どれだけ飲んだのか?
呼気を感知魔法で見る。あれ? なんだ大したことないな。エマは下戸な上に絡み酒のようだ。
「私が連れてきたのだ。許してやれ!」
はあ、そうですか。先生。なんだか機密がダダ漏れの気もするが……今更か。
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