159話 緋色の記憶
バーゼル副工場長と別れて、渡り廊下を少し戻り、逆側にある建屋に来た。
手回し良く、入り口のところに別の人が待ってくれている。申し訳ないな。
近くまで寄ってみると。
「バッ、バーゼルさん! えっ、さっきあっちに居らしたのに」
カレンが驚いている。
ああ、いや……。
男と、カーチスが顔を見合わせて笑った。
「ああ、カレン様。すみません。これは長男のアスコットです」
「子爵様に、カレン様。カーチス酒造へ、ようこそ。こちらの工場長をやっております。で、バーゼルは、双子の弟です」
「……双子だったんですね。それでぇ……お顔がそっくりですなんですね。アレク様は、分かりました?」
カレンは笑うと可愛い……じゃなくて。
「まあ。髭でな」
「そうです。バーゼルは髭を生やしておりません」
「ああ、そう言えば」
それ以前に感知魔法で分かったのだけど……。
「それはそうと、ゴードは居ないのか?」
「はい。朝見たきりで」
「まあいい。蒸留棟に居るのだろう」
「ゴードさんとは?」
「ああ、3番目の息子です。蒸留の技師をやっております」
「またお顔が同じなのですか?」
「ははは……。ああ、いえ。ゴードは妻似でして。四男のヨハンと五男のアレンは私似なので似てますが……すみません。どうでも良いことで、お時間を取らせました。早速醸造工場を。アスコット!」
「では、こちらへ」
数分歩いて、建屋の端にやって来た。
「うわぁ。壮観ですね」
直径4メールもある巨大な樽が、10基も並んでいる。
「ああ。お客様をご案内しますと、よくおっしゃって戴きます。それで……あの入り口から、丁度来ましたね。あのように荷車に積んだ樽で、廃糖蜜を持ってきます」
「廃糖蜜というと……あの茶色い」
「ええ。そうです。先程見て戴いた砂糖工場で出てくる、結晶から分かれた液です」
カレンは好奇心旺盛だな。
まあ、カーチスはどちらかと言えば、俺に説明したいのだろう。無論下心ありで。
「やっぱり甘いんですか?」
「はい。まだ糖分は残ってますので、それをこの醸造樽に貯めます」
ストーンゴーレムが、運んできた一抱えもある樽を持ち上げ、大樽へ注ぎ入れている。
「そこに酵母を入れまして、発酵させます」
「発酵時間は?」
「およそ1日半です」
なるほど。
「中はどうなっているんですか? 見られますか?」
「中……ですかぁ。ん……あの梯子を登れば覗けますが。危ないので、お止めになった方が」
「はあ……あっ、ちょっと、アレク様?」
─ 翔凰 ─
カレンを姫様抱っこして、その場から舞い上がる。埃を舞上げないようにゆっくりと、樽の真上には行かように。
「見えるか?」
「はっ、はい。見えます。泡が沢山出ています」
「発酵しているな」
二酸化炭素だ。糖が酵母によってアルコールが生み出されるとき、分解されて出てくるのだ。絶え間なく、大量に泡となって。
ゆっくりを舞い降りた。
「いやあ。驚きました。聞いては居ましたが、本当に飛べるんですね……」
「アスコット!」
「ああ、はい。すみません。この後、手順としましては、発酵してできた液……醪と言いますが、それをこちらの樽に詰め替えまして蒸留に移ります」
「蒸留?」
「はい。それは別の棟でやっておりますので。参りましょう」
一緒に別の建屋に歩く道すがら。
「あっ、あのう。子爵様」
「うむ」
アスコットに話しかけられた。
「今から蒸留棟に向かいますが……そのう。やはりいいです」
なんだろう。話し難いことなのか、歯切れが悪い。
隣の建屋なのですぐ着いた。そこから階段を2階分ほど上って中に入る。
煉瓦床張りの部屋は、端のから向こうの端まで壁がない、一続きの間取りだ。
ん?
「はぁ……この球根みたいのは?」
カレンは物怖じせず質問する。
球根型の赤銅色の巨大な金属の缶が有る。当然は中は空洞だが、直径は2mもあるだろうか。それが建屋の奥の方に向かって10基並んでいる。
なんだか、以前にも見たことがあるような。
感知魔法で見てみる。球根の下部は床に埋まっており、さらに大きく広がっていた。要するに球根ではなく瓢箪型だ。
そして上部は、瓢箪の茎がきゅっとすぼまりながら真上に伸びており、さらに屋根に近い高さで直角に横に曲がっている。その茎の先は横の壁を貫いて室外に繋がっているようだ。
「これらは、蒸留器ですが……ああ、来ました」
アスコットは、口を引き結んで眼を閉じると、軽く首を振った。
「ああ、すみません。遅くなりまして」
「子爵様。三男で蒸留主任をやっております」
「ゴードです」
軽く会釈をする。
確かに、長男次男とは顔立ちがちがう。作業服も兄達とは違って、少しヨレっとしている。
「うむ。説明を」
「ああ、これらは単式蒸留器と言いまして。今見えているのは蒸留缶、ざっくり言えば鍋です。この中に隣の醸造棟から運んできた、醪をいれて、1階にある炉に火をくべて加熱し、蒸発させます。それがあの上に伸びた導管を通じて、外にある冷却塔で水冷して再び液に戻ったものを回収します」
ふむふむ。典型的な蒸留だな
「あのう。なぜ、わざわざ蒸気にして、またそれを液に戻すんですか?」
ああ、カレンは分かっていないようだ。
「それは、アルコール分を濃縮するためです。そちらは沸点が低いので、水と別けることができます。通常は、できた蒸留液をもう一度缶に戻して2回蒸留します」
「へえ、2回も」
「ええまあ。私は面倒臭いし、優れた連続蒸留器を入れようと何度か言って居るんですがねえ。兄貴や親父の頭が硬くって」
「ゴード。子爵様の前だぞ」
「ふん。その御方がどんな人かは知らないが。素人に何が分かるって……すみません」
「いや、その通りだ。連続蒸留器の方が濃縮度が高いのだったか?」
「へえ、子爵様はまるっきりの素人でもないようですね」
少し驚いている。
「そうです。他にも多種類の成分も同時に取り出せます。分留といいます」
カレンには難しすぎるのか、何度も瞬きをしている。
「ふん。酒の蒸留には分留はいらんだろう」
「だから、兄貴は頭が硬いって」
「とは言え、ウチのマセリ酒は、ただでさえクセや風味が少ないって言われているんだ、連続式は合わない」
「それは、蒸留の問題じゃなくて、醸造の問題だろう」
「おまえは、ただ自分が留学して勉強してきた、連続式の蒸留器を造りたいだけだろう」
「そうだよ、それの何がいけないんだ」
「やめないか!」
カーチスの一喝で、あっ、うっと呻いて、兄弟争いは中断した。
「申し訳ありません。アレク様。お見苦しいところを」
「いや。俺には、妹だけだし。いとこも女ばっかりだから、うらやましいなあと思っていた」
「はっ、はあ」
「ゴード」
「はい」
「連続式なら、マセリ酒じゃなくても良いか?」
「はっ? つまり、それ以外の物を蒸留するってことですか?」
「そうだな。少し先になるが、その時は力を借りることになるかも知れぬ」
「そっ、そうですか。やります。是非にも。楽しみにしています」
その後、急ぎ足で熟成棟へ行った。
沢山の樽が並び、蒸留が終わった未熟性酒を詰めている。
その奥では夥しい数の樽が並んでいた。樽の上にはうっすら埃が溜まっている。
「先程も申しましたが、この樽に入れて熟成させます。ウチの酒は風味が少ないので、期間は1年から長いものでは3年ほどです。樽の材は、オーブルという木です」
「へえ。木の樽に入れると風味が付くのですか?」
「ええ。木の成分が原酒に溶け出します」
「ああ」
「これが、熟成用の樽です。ああ、そちらで修理していますので、中も見えます」
傍らで、年嵩と若い職人が、底の抜けた樽に、箍と言う輪状の金具を嵌めようとしている。内部も見えた。
ふむ。普通の樽だな。そう思いながら、なんだか少し違和感を感じた。
「熟成期間が終わりましたら、原酒を活性炭で濾過します。一部は、加水して薄めてできあがりです。瓶詰めして出荷します」
「結構長いこと掛かりますね。これをアレク様の梅酒にも使うんですか?」
「そうですね。あれは、熟成した物を再度蒸留して、さらにクセをなくした物を、加水せず使います」
ふむ。それで、短い期間で調整できたのか。
それはそれとして、なんか頭にひっかかる。
光景というか映像が浮かぶことがあるのだ。竜化するようになって、度々起こるようになっている。
それはともかくも。
なんだか既視感があるんだよな。この世界のことじゃない、前世だ。
なんだろう。
何か緋色──。しばらく考える。
「いかがされました? アレク様。ご気分でも」
「いや……そうじゃない」
「そうですか。それでは、我が家に戻って、お食事を」
「いや、ちょっと待ってくれ。マセリ酒は風味が……軽いんだったな」
「はい」
「風味は、樽から移る」
「そうです」
「緋色……樽」
「緋色?」
そのとき、俺の頭に映像が甦った。
「樽は燃やさないのか?」
是非是非、ブックマークをお願い致します。
ご評価やご感想(駄目出し歓迎です!)を戴くと、凄く励みになります。
Twitterもよろしく!
https://twitter.com/NittaUya
訂正履歴
2025/09/23 誤字訂正 (コペルHSさん ありがとうございます)




