113話 老師
6月も後半となったが、相変わらず王都は暑い。
知らせに拠れば、セルビエンテは少し涼しい秋風が吹いたようだ。
しかし、王都を吹く風は、ルーデシア西岸に座するマルベリア脊稜を越えて来るため、乾いた暑さを運んで来ている。ただ5月の頃の湿気は影を潜めており、幾分過ごしやすい。
「おいしかったですわ。アレク様」
「そうだな」
学園の私室。今、昼食をカレンと食べ終わったところだ。
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
レダがトレイに乗せて、紅茶を運んできた。
「ありがとう……レダちゃんも一緒の食べれば良かったのに」
「いえ、私は……」
いつもは、この部屋でレダも食べるのだが、カレンが相伴するときは、遠慮して7区画奥のカレンの部屋で、ルーシアと共に昼食を摂る。
レダは、紅茶を俺の前にも置くと、食べ終えた皿を魔収納へと入庫し始めた。
「それにしても、ユリさんのお料理はどれもおいしいわ。レダさん、お帰りになったら、私がお礼を申していたと」
「伝えます」
「あとは、アレク様のお好みの味を覚えないと」
ユリも、レダも内心思うところはあるのだろうが、カレンを受け入れては居る。ただそれは、カレンの方も同じだろう。俺から側室であることを認めろと言い、それを受け入れた。大貴族としては珍しいことではないと言われるが、彼女達の振る舞いを見ているとなんとなく罪深いことをしている気がしてならない。
香気溢れる紅茶を喫しながら、他愛のないことを話していると、あっと言う間に、時間が結構過ぎる。そろそろ時間か。午後の実習まで10分となった。
ノックがあり、カレンの従者であるルーシアが入ってきた。
「あら、もう時間ですの?」
カレンが立ち上がる。
「俺達も着替えるか」
「それが……」
「ルーシア?」
「アレク様。先程すぐそこで、事務員から伝言がありました」
「ほう。なんと?」
「午後の実習の時間になったら、アレク様は、ヴァドー師の部屋へお出で下さいとのことでした」
「老師の?」
「はい」
俺とレダは、顔を見合わせた。
◇
鐘が鳴ったが、実習場へは向かわず、学園中央の塔に登る。この5階にある部屋へ向かう。
「アレックス・サーペント。参りました」
扉を開け中に入ると、中央のソファセットに老師が座っていった。
窓の外は、王都が見渡せる眺望。
ここは学園なのかと思う程、贅沢な調度に囲まれている。学園長の部屋など比べるべくも無い。あちこち見ていると。
「こちらに座られれよ、サーペント議員」
足が止まりかけたが、指された対面に座る。背後にレダが立った。
「議員? ここは学園で、今は実習の時間なのですが……」
「うむ。貴公がここに通うことになれば、我が手で鍛えようかと思っていたが、不用となった……授業……実習など、これから一度も出席せずとも卒業させてやるわ」
あんた、学園でどれだけ偉いんだよ。
「そもそも、生徒1人の学業など、国防を鑑みればどうでも良いことだ」
いや、そんなことはないと思うが。というか、あんたも教育者じゃないのか?
「……それで、ご用は何でしょう? 議長」
老師は、顎髭をまさぐりながら答えた。
「訊きたいことがある」
「はい」
「貴公、何を企んでいる?」
漠然としているな。少し韜晦しておくか。
「議員とは企むのが使命。使命通り、他国に負けないようと考えております」
「考えているだけではあるまい」
深い眼窩の奥から、炯々(けいけい)とした光が俺を射る。
「自ら動かねば、誰も付いては参らぬかと」
「それで、貴公は産業を振興させたいのか? それとも、武力を蓄えたいのか?」
その鋭い眼差しは、偽りを許さぬとの強い意志が籠もっている。全く、怖い人だ。
「……両方です。当然ながら」
「むっ」
ヴァドー師の老人特有の厚い眉が、片方持ち上がる。
「……欲張るか?」
「軍船の革新には鉄が要る。そして鉄の大量生産には、まとまった需要が要る。そういうことです」
「煉瓦に塩、梅、酒……」
どこまで知っている?
「統合部諜報局ですか」
「言っておくが、園外演習での件。儂や手の者ではないぞ」
ふっ。
「それを聞いて安心しました」
なぜだか、信じられそうだ。もっとも、この爺さんの仕業にしては、せこいとは思っていたがな。
「何がやりたいか、わからぬが。全て繋がっているのか?」
「繋がっている物もあれば、そうでない物もあります」
瞑目した。
「まあいい。手並みを見せて貰おうか。ところで……」
「はい」
「貴公とこうして話すのは……」
「初めてです。老師」
「ふむ。長い付き合いになりそうだな」
◇
実習途中の練兵場へ戻る。
「教官!」
ゼノビア教官が、一瞬振り返った。
「サーペント。話は聞いている。観覧席で待て!」
「はっ!」
空中に飛ばした的を、火属性魔法で撃墜する訓練だ。ちょうどエマがやって居るのか。
的が2つまでならそれほどでもないが、普通3つ以上になるとなかなか追い切れない。地味ながら難度が高いやつだ。エマは、4つで危なげなくこなしている。
観覧席に座ると、隣でレダが手を擦り併せている。つい、さっきのことを思い出す。
『どうした。レダ! 指が震えているぞ』
老師の部屋を辞して、自室に戻った俺は、まだ半分以上残る実習に戻ることにした。そのために実習服に着替えている訳だが。
レダの指が震えて、なかなか俺のボタンが留まらないのだ。
『どうも、あのヴァドー師は苦手で』
『レダにも苦手があるんだな』
なんだか無意識に威圧を放っている気がするよな、老師は。
『ご冗談を。あっ、アレク様……』
『こうしたら止まるかな』
レダの手を自らの手で挟んだ。
「……アレク様! アレク様ったら」
おっと。回想に浸りすぎたようだ。エマが横に来て座っている。
「老師のご用ってなんだったの?」
「国防の話だが、聞くか?」
「うぇ。聞かなくて良いです……あっ。カレンの番だ。相変わらず上手いね」
エマより1つ多い5つの的に向かっている。
「確かに無駄がないな」
「そうだね。迷いがない」
それはカレンに向けた言葉か、それとも自嘲なのか。
「ああ、エマ。頼みがある」
「えっ。私に? ……何かな?」
なんだか、顔が紅くなっている。
「エマのお父上に会わせてくれ!」
「えっ、えぇぇぇえええ!」
エマの叫び声が、練兵場に響いた。
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