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○第三回

 御倉井さんほど完璧な人間を、俺はほかに知らない。そのあまりの完璧さ故に、完璧としか表現のしようがないくらい完璧であって、もう完璧だった。

 たとえばここに御倉井さんと某グラビアアイドルが並んでいるとする。さて、どちらの水が甘いか。考えるまでもない。なるほど、雑誌の表紙を飾るだけのことはある。あなたも確かにお美しい。だがしかし、哀しいかな、御倉井さんには遠く及ばないのが現実だ。

 俺が何を言いたいのか、もうおわかりだろう。心して聞くがいい。

 ワタクシ廿楽坂史郎は――

 彼女に懸想しているのだ。

 何の因果か……一年の時、クラスは別々だった。二組と七組、一階と二階。同じフロアに立つことすら許されていなかった。焦心はいや増すばかり。ちくしょう、あんまりじゃないか。勉強も手につかず、担任からは「頼むから進級だけはしてくれ」と毎日のように懇願された。

 何よりも我慢ならなかったのが、夏の体育、水泳の授業だ。どうしてこの学校にはプールがあるんだ、しかもどうして男女混合でやるんだ、御倉井さんが薄汚い野郎どもの視線に汚されてしまうのを指をくわえて見ていろと言うのか、どいつもこいつも抹殺してやろうか、うらやましいにもほどがある。呪詛の言葉は次から次へと溢れた。

 それでも俺は耐えた。身の回りで起きること全てが何らかの布石であると信じ、人事を尽くして天命を待った。人事について、成績についてはあえて言及しない。

 そしてついに、日頃の行いの重要性が証明される。

 二年生へと無事進級を果たした俺は、御倉井さんと一つ屋根の下、同じ教室で学ぶクラスメイトになった。

 あの時の喜びといったらなかった。羽化登仙の胸中は言葉にならない。ならば全身で、全力で、全世界に向けて、幸せを表現するしかない。俺は便所に駆け込み、個室にこもり、涙、鼻水、鼻血、よだれ、その他諸々、ありとあらゆる汁をたれ流し、声にならない声を上げ、然るのち脱水症状を起こし、やむなく美咲女史に助けを求めた。「君は愉快なコだな」と変態養護教諭は笑った。

 まったく、愉快だった。愉快が過ぎて、俺は三日三晩眠れなかった。我ながらあの興奮度合いはプライスレスだったと思う。

 端からしてみれば逆に具合が悪く見えたに違いない。三徹を終え、目の下にくまをつくった俺に御倉井さんは言った。

「顔色がよくないみたいだけど、大丈夫?」

 それから更に一週間、俺はプライスレスな夜を過ごした。

 そんな心優しき完璧乙女の御倉井さんもまた、多分に漏れずマスクをしている。風邪を引いている様子はない。要するに、誰かに恋をしているのだろう。

 相手は何処の馬の骨なのか。狂乱してもおかしくない事態に、それでも俺は不思議と穏やかなままでいられた。奥歯が縦に割れたくらいですんだのは僥倖と言える。

 御倉井さんの邪魔をするつもりはない。俺にできるのは、彼女の恋路の行く末を陰ながら見守ることのみ。マスクによるおまじないの効果がどれほどのものなのかは知らないが、幸せになりたまえよと、そう願うよりほかにない。

 突如、心に居ます白銀の天使が現れ、俺にそっと囁く。

「貴君はなんと高潔なのでしょう。ほめてあげます」

 続いて心に巣食う漆黒の悪魔が姿を見せ、俺を「うへへ」とそそのかす。

「強がるんじゃないよ。素直になればいいんでないの?」

「そうだ、兄貴の言う通りだ。素直になれコノヤロウ」

 コンビを組むな。一喝して悪魔兄弟を追い払い、ふと心中を覗けば、天使もまたいなくなっていた。ほめる以外に何かなかったのか。

 俺は言う。

「強がってなどいない」

 そもそも強がって悪いか。

 マスクなど無用だ。



 ちなみに――

 今年は老朽化を理由にプールの使用が制限され、水泳の授業はあえなく中止となった。代わって行われたのは炎天下での持久走であり、遠く理解の及ばぬ出来事を前に多くの生徒が気を失った。殺す気か。

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