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村人Bになりまして  作者: 鈴川流
2. 村の日常と
5/7

2-1

 目覚めて二週間と一日の朝、魔王はアネモネに告げた。

「人の殻で試したいことがある。来い」

 その言葉に対する返答を待たずに、魔王は玄関の戸を引き開く。

「えっ、はっ」

 柱に手を添えて立っていたアネモネは慌てて外へと小走りで飛び出す。

 そして、開けた景色に息を飲んだ。

 老婆たちから、村の全景は聞いていた。

 だが、百聞は一見に如かずとはかくもよく言ったものだと思う。

 小高い丘の上に建てられた家から見下ろせる村の全景は、実に豊かで、そして、寂れている。

 広がる新緑の小麦畑、季節ごとの野菜畑、そして点在するこじんまりとした家々。

 遠目からでも、その家に住人がいるかどうかは良くわかった。

 一部の家の屋根は朽ち崩れ、窓は細板でバツを描いて釘打ちされ、家の周りとその軒下から雑草が生え伸びる。

 誰かが踏めば一目瞭然な雑草地帯の中に、朽ちた家があるようなものだ。

 対して住人のいる家は、屋根は雨漏りがしないように所々に補強が加えられた趣のある良い家だった。

 雑草は綺麗に抜き取られ、その雑草もまた休畑の中心あたりでこんもりと盛られた堆肥の一部となっている。

 かつては、多くの子供と多くの大人と多くの老人がいた村は、今は静まり返り、実をつけ始めた小麦が風にしなり、揺れる音しか聞こえてはこない。

 鼻腔をくすぐる土と新緑の匂いは、決して魔界では知る事のできない極上の香りだった。

 風に流れて視界を遮る髪を左手で押さえたアネモネは、更に村の周囲へと視線を向ける。

 青々とした山々が連なって村を取り囲み、ここが盆地地帯だということは一目でよく分かる。

 交通の便やら何やらは、とても悪そうだった。

 そんなアネモネに、

「行くぞ」

 魔王は把握する時間を与えてから声をかけた。

「はい」

 見るべきものを全て見終えたアネモネは、村に背を向けて背後の山へ向かう魔王の後を追うのだった。


 誰も開拓していないであろう山の中を、魔王はわずかにある獣道を辿って進んで行く。

 その後をついていかなければならないアネモネは木の根に足を取られかけては、左手を地面に付いて、どうにか無様に転げる事だけは防ぐ。

 そんなアネモネを時に振り返り、時に足を止めて振り返る魔王は、しかし、決して手を差し出す事はしなかった。

 その意図もよく理解できるアネモネは微かに浮いた汗を右手で拭って、肩で息をしそうになっては細く長く息を吐き出して堪える。

 足りていない体力と筋力を鍛えるためであれば、これほど手っ取り早いことはない。

 魔界に戻る時に、自分の足でついてこれない従者ほど迷惑極まりないものはないだろう。

 そうして魔王と共に到着したのは、山の中腹付近、地面を均したような不自然に開けた場所だった。

 先ほどまでは鬱蒼と木々が茂り、生い茂った草の中から蛇が突然飛び出してくるようなところだったというのに。

 目算で約50メートルほどもある小石一つ転がっていない広場の中央に魔王は歩いていく。

 アネモネもつられたように魔王について行き、そして中央付近で魔王が足を止めれば、アネモネも即座に足を止める。

 アネモネの方に最小限の動作で振り返った魔王は、その手に握った短剣を抜き放つ。

「何をなさるおつもりですか?」

 アネモネはキョトンとした顔で聞けば、魔王は短剣の腹を自分の左手の上に乗せた。

「人の殻でどこまでの力が使えるものか、試す」

 言い切るや否や、魔王は短剣の刃をその左手で握りこむ。

 ブチッと皮膚と筋肉の切れる音と、ぶしゅっと血液の吹き出す音が重なり合い、左手から伝った赤い血液が薄茶色の地面に斑点を描き出した。

 その様に普通ならばギョッとするだろうところで、アネモネは溜息を小さく吐き、手を伸ばせば届く距離まで小走りで魔王に近づいた。

 そして、その両手を血塗れの左手にかざし、目を閉じる。

 祈りを捧げるは、死した先で相見える神へ。

 この者の再生を願い、奉る。

 蛍火が集まるように、かざした掌に淡い光が集まり出せば、左手から吹き出した血液が止まり、裂けた筋肉がお互いを手繰り寄せあって繋がり、皮膚は微かに斬った痕を残して肉を覆い隠す。

 発光が止まってから、アネモネはゆっくりと瞼を持ち上げる。

 魔王は再生した自分の手の平を見、落胆の息を吐いた。

「やはりこの程度に落ちるか」

 魔王の言葉にアネモネは溜息を吐き出して、首を横に振った。

「思い切りが良すぎます。せめてまずは指先を斬るところから始めてください。もし、筋が繋がらなかったらどうするおつもりですか?」

「この域は可能であると踏んでいる。問題は無かったろう」

 魔王の思い切りにアネモネはかすかな頭痛を覚えて、こめかみに指先を添える。

 人の殻で一度に使える魔力量を測りたいにしても、こんなやり方はそう歓迎できそうにもない。

 アネモネは溜息を吐き出しながらも、魔王に己の自己分析を告げた。

「今の魔力量から逆算して考えますと、蘇生魔術は日に二度しか使えそうにありません。それ以上は、おそらく殻の限界を迎えます。治癒術は程度によりますから答えようがありませんが」

 蘇生術を魔王様に使ったことは、一度たりとてないが。

「そうか。我の魔力は、およそ一万分の一ほどの制限がかけられておる」

 元の魔力量の桁が化け物の中でも化け物だったのだから、それもまた道理だろうとアネモネは頷くしかない。

「よって、人の殻の間は、近接戦闘が主になる。お前には弓術を会得してもらう」

 魔王の命令に、

「弓術、で、ございますか」

 と、アネモネは目を丸くして問うた。

 魔術の適性がほとんど治癒術だったが故に、魔王様に見出されるまで、自分の身を守るために剣技を会得しているものの、飛び道具の心得があるものは弱者であってもあり得ない。

 飛び道具で狙いを定めるよりも、目視した瞬間に攻撃できる魔法の方が使い勝手が良すぎるし、そもそも弓を作るための材料が魔界では揃わない。

「修練に励め。場所はここを使うと良い。山の者には告げてある。弓の作成方法についてはヤニクという老爺が知っている。聞くと良い」

 その言葉を投げかけられては、もはや弓術を会得する他はない。

「かしこまりました」

 恭しく頭を下げれば、魔王は、うむと小さく頷いた後に、

「それから、お前の村での役割だが、老婆と共に田畑の管理になる。良いな?」

 と、言葉を続けた。

「分かりました」

 拒否権などありはしないものの頷いたアネモネの表情は安堵を綯い交ぜていた。

 魔界に帰る準備をしておけと、そう告げる魔王にアネモネは心底ホッとした。

 魔王様のことだから、この今の生活に満足して、魔界に帰りたくない、と言い出すのかと微かに思わなくもなかった。

 だが、こうやって準備をしているのだから、魔界に帰る日もそう遠くはないのだろう。

 そんなアネモネの内心をよそに、魔王は会話を繋げた。

「我は老爺と共に山の管理をしているが、この山は村の者は入らぬ。故に、加減をする必要もない」

 血の気の引くような言葉を告げた魔王にアネモネは少し青ざめる。

「・・・・入らない? なぜ、ですか」

 あの老婆達はそんなことは口にしてはいなかった。

 だが、その老婆たちが入り込まない山、ということにはきっと意味がありそうな気がする。

「この山々の主の山だからだ。主の山を尊重し、主の山に傷をつけぬ。それがこの村の掟である」

 それを堂々と破り分け入った状態で話されては、アネモネの口の端が引きつらずにはいられない。

 だが、そう言われて、はたと気づく。

「先ほど、山の者には話をつけたと」

「ああ。山の主に相見え、話をつけた。よってこの山は我のものであり、また山の主のものである。故に決して動物を殺すことはならぬ。それは山の主の物よ。良いな」

 どんな姿をしているのか、どんな生物であるかをあえて濁すような言葉にアネモネは嫌な予感しかしなかった。

 その山の主は、動物なのか。それとも、見える人にしか見えないアレなのか。

 動物であればまだ良いが、そうでないのなら、知りたくはない。

 アネモネは逡巡の結果、知らないままを取ることに決めた。

「分かりました。気をつけます」

「うむ。では行くぞ。まずは田畑の事を老婆から習うと良い。修練は時間を見つけて行え」

「了解致しました」

 そうして、アネモネの慌ただしくも充実した毎日が訪れる羽目になるのだった。

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