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夏色空に

作者: アリス

久しぶりの投稿ですww


今回の作品は前作とは色の違うものとなっております。

ダイレクト投稿は初めてなのでしっかりできてるかわかりませんが読んでいただけると幸いです。


それと、自分としては最後の方が好みの作品となっておりますので最後まで読んでいただけると嬉しいです。


それでは、ご刮目あれ?

空は青くどこまでも透き通ったこの町で……。

僕達は出会ったんだ。

ずっと、そばにいたいのにいることが辛くて。

何よりも悲しくて、愛おしい夏色の物語。




 季節は春の終わり。

 温かな風が夏の香りを運び始める頃。

「席につけ~」

 今日、会ったばかりの担任の声が教室中に響く。

 僕はその後に続き教室のドアをくぐる。

 教室には一目で年齢の違う生徒が男女合わせて7人。

 あまりの人数の少なさに内心 驚きつつも顔には出さず、教卓の横に先生と並ぶように立ち止まる。

「転校生を紹介する。最上 智樹君だ。仲良くしてやってくれ」

「最上 智樹 四年生です。よろしくお願いします」

 僕は先生の後に続き頭を下げる。

「はい、よくできました。じゃあ、席は一番後ろの席が空いてるからそこに座ってくれ」

「はい」

 僕は緊張混じりに返事をして指定された席に座る。

(ふう、終わったぁ……)

 何かいろいろ聞かれたりするのかと緊張していた自分が恥ずかしくなるほど簡単に自己紹介は終わってしまった。

「…………」

 そんな風に緊張感なく授業を始まった。

授業の途中、隣から無言で俺よりも年上か同い年くらいの女の子が僕のことを無言で見ていた。

「?」

「…………」

 女の子は僕がそのことに気づいたとわかるや、顔を背ける。

(やっぱ、転校生だし興味とかあるのかな?)

「では、国語の教科書の96ページを開け~」

 教室を見渡せば僕を見ながらヒソヒソ言っている人間もいれば、退屈そうに先生にだけ注目生徒もいる。


「ねぇねぇ。最上君で良かったよね?」

「はい……」

 国語の授業の終了と同時にクラスの背の高い女の子に声をかけられた。

「私、霧島 梓って言うの。学年は六年生だから君の一個上だね」

 快活な声を上げるいかにも体育系なショートカットの女の子が僕に自己紹介をする。

「僕は夏井 暁人 三年生だよ。で、こっちが妹の亜美」

「夏井 亜美です。一年生です」

 続いて、元気な兄と大人しめな妹が自己紹介をする。

「そして、ここにおります。無愛想な女の子は無花果 雫」

「……よろしく」

 隣の席のさっき僕を見ていた女の子がぶっきらぼうな口調でそれだけ言うと黒板に視線を向ける。

「ちなみに彼女は君と同じ五年生だよ」

「そうなんだ……」

 僕はもう一度彼女を見るが彼女は僕と話してくれる気はないらしく黒板の方を向いたままこっちを見ない。

「で、あっちに固まってるのが三馬鹿トリオの鈴木 辰也、中本 洋太、今田 浩二だよ。アイツ等は嫌な奴らだから近づかないほうがいいよ」

 彼らは僕とは反対側の角の席で大声で談笑していて僕の視線に気づく気配はない。

「それで、それで、最上君はどんなところから来たの?」

 期待に満ちた表情で暁人君が僕に質問を投げかける。

「えっと、特に何にもない田舎だよ」

「そうなんだ。ここと同じくらい?」

「ここよりは家が多いよ。田んぼばっかりのところは田んぼしかないけどね」

「ではでは、好きな男の子のタイプは?」

「女の子じゃなくて……?」

 僕は質問に苦笑いを浮かべながら聞き返す。

「ほほう。そんなに聞いて欲しいなら聞いてあげよう」

「え……」

(なんか、墓穴掘ったかな……)


 こうして、僕のこの町での生活が始まった。


「おい」

 僕は放課後に梓さんが言っていた鈴木 辰也率いる三馬鹿トリオと言われていた三人組に公園へ呼び出された。

「な、何かな?」

「何かな? じゃないッスよ」

「俺達は今から君をいじめるんですよ~」

「と、言うわけで素直にいじめられろww」

 そう言っていきなり僕はランドセルを剥ぎ取られる。

「なっ!」

 僕は地面に後頭部を捕まれ、地面に頭を擦り付けられる。

「余所者が目立ってんじゃねーよ」

「そうッスよ~」

「梓さんに話しかけられてんじゃないですよ!」

 僕はそんな言葉を聞きながら逃げようともがく。

「何やってんの……」

 とても冷たい通った声が少し離れたところから聞こえた。

「あ? なんだよ。余所者」

「よーそもの」

「余所者ー!」

 僕はかろうじて上がった視線で彼女の姿を確認する。

「無花果さん?」

「梓ー!」

 無花果さんが自分が来た道に向かって大きく叫ぶ。

「やっべ、梓の姉御が来る!! 逃げろい」

「ッチ」

「逃げるッス」

 すると、鈴木達は一目散に公園の外に逃げていく。

 僕はその光景を呆然と見ていた。

「大丈夫?」

 無花果さんの言葉に僕は我に返り、僕に近づき見下ろすような形で彼女は僕を見ていた。

「だ、大丈夫」

「そう」

 それだけ聞くと彼女は僕に背中を向け、公園の外に足を向ける。

「あ、あの!」

 僕は急いで立ち上がり、彼女に話しかける。

「なに?」

 彼女は嫌そうな顔をしながらも立ち止まり振り返ってくれた。

「ありがとう」

「……ッ!」

 彼女は一瞬、驚いたような顔をするがすぐに無表情に戻す。

「別に……、たまたま、通りかかったから声をかけただけ」

 僕の目から視線を逸らしながらそれだけ言うと彼女は公園の外に向かって早足で歩いて行った。


「ただいま」

 その言葉は誰もいない家の中に消えていく。

 僕は担いでいたランドセルを降ろしリビングに入る。

おかえりなさい


夕御飯用意しておいたからレンジで温めて食べて


母より

 机の上にはそんなメモとどこのスーパーで買ってきたんだろうと思われる惣菜を皿に盛っただけの夕食。

 僕はそれをレンジで温める。

「結局、何も変わらない……」


 転校二日目。

「あ」

「…………」

 僕は登校中に無花果さんを見つけた。

「おはよう」

「おはよう」

 僕は無花果さんに近づき挨拶をすると素っ気ない口調で挨拶を返される。

「昨日はありがと」

「別に……。あいつら、嫌いだから邪魔しただけ」

 昨日と違う回答に僕はクスリと笑う。

「何よ」

 無花果さんが怒ったような声を僕に向ける。

「ご、ごめん。なんでもない」

「ハァー」

 僕がすぐに誤ると無花果さんが溜息をつく。

「そんなんだとまたいじめられるよ」

「ゴメン……」

 僕は呆れたように言われた彼女の言葉にまた誤ってしまう。

「また謝るし……」

「あ……」

 僕は口を抑える。

「ま、私にとってはどうでもいいけど……」

 それからは無言で学校に着く。

「私には話しかけないで」

 校門をくぐる直前に無花果さんはそれだけを言ってスタスタと僕を引き離すように行ってしまう。

 無花果さんより少し遅れて僕は自分の中履きを掴むと重さで床にそれを落とす。

 中履きの中にはギッシリと画鋲が入っていてそれは床に散らばった。

「あははは……」

 僕はそんな光景を見て作り笑いを浮かべた。

 そして、そんな僕を見て無花果さんは無視するように行ってしまった。




「おはよう♪」

「おはよ」

「おはようございます」

 教室に入ると梓さんと夏井兄妹が挨拶をしてくれる。

「おはよう」

 僕は笑顔をつくって挨拶を返す。

「今日さ、一緒に虫取りに行こうぜ」

 暁人が僕を虫取りに誘う。

「いいよ」

「おっ! ノリがいいね。さすが、転校生だ」

「転校生は関係ないでしょ……」

(確かに転校生だと断りづらいというのもあるかもしれないけどさ)

「よし、じゃあ、この四人で虫取りに行くぞ!」

 暁人が気合いっぱいに叫ぶ。

「放課後に神社の前に集合な。後々、持ってくるものは――」

 僕は暁人の話の途中に隣に視線を向けると無花果さんが僕達から視線を逸らす。

「智、聞いてる?」

「聞いてる、聞いてる」

 僕は暁人の声に暁人達に視線を戻す。

(無花果さんは一緒に遊ばないのかな……)


 そして、放課後の神社の前。

 僕はいろいろな蝉の鳴き声が響く中、一人で待っていた。

 熱い太陽光が木々の合間から漏れて、影が風と共に揺れている。

「早いな~。智ちん」

 僕が来てすぐに梓さんが現れる。

「僕も今 来たところですよ」

 僕はデートの待ち合わせでよく使われるような返しをしてみる。

「うん。知ってる」

(知ってるんだ……)

「おーい」

 僕は苦笑いを浮かべるとすぐに夏井兄妹がやってくる。

「亜美が遅いから最後じゃんか」

「亜美のせいじゃないもん! お兄ちゃんが亜美の網 失くすからでしょ」

「それはお前が俺の網 折ったからだろ!」

 そして、来て早々に夏井兄妹の言い争ういが始まる。

「はいはい、そこまで虫取りすんでしょ」

 それを梓さんが両手を叩いてすぐさま状況を収集する。

「ちぇっ」

「ふんだ!」

 僕達はそんな険悪な感じで出発する。


 僕達は神社の裏手にある山の中に入る。

「あ、カブトムシだ!」

「お! ホントだ」

 亜美ちゃんが本日三匹目のカブトムシを見つける。

「お兄ちゃん届かない」

 亜美ちゃんはつま先立ちになりながら網をカブトムシに向かって伸ばす。

「しかたねえな」

 暁人がそんな亜美ちゃんの後ろから網を伸ばしてカブトムシを捕らえる。

「さすが、お兄ちゃんだね」

 梓さんが暁人を茶化すようにニッコリと笑う。

「別に妹だから手伝ったわけじゃねぇし」

 暁人が照れ隠しするように亜美ちゃんの籠にカブトムシを入れて、それを亜美ちゃんに投げる。

「ありがとう。お兄ちゃん」

 亜美ちゃんは籠の中のカブトムシを胸に抱きながら暁人を見て笑う。

「お、おう……」

 そんな亜美ちゃんの態度に暁人は頭を掻きながらそっぽを向く。

(ははは、本当に仲がいいな)

「はいそこー。ここで獲った虫達を置いて行けッス」

 僕達の通ってきた方向から例の三人組がやってくる。

「どういうつもり」

「って、姉さんもいるんだけど……」

「どうするッスかリーダー」

 梓さんの怒りの滲んだ一言に鈴木以外の二人が弱腰になる。

「黙れ」

 鈴木が一言で二人を黙らせ、前に出る。

「また繰り返すのか?」

「繰り返すつもりなんてない。そもそも、アイツのことはもう関係ないでしょ」

 鈴木が梓さんに真剣な目で質問を投げかけ、梓さんは顔色を変えることなくそう返した。

「どうだか……」

「何が言いたいの?」

 鈴木が皮肉さを込めて呟いた言葉に梓さんが拳を握りしめる。

「何もないならいいさ。けど、俺は絶対によそ者を許さない」

 鈴木はそう言い残すと「行くぞ」と、二人を連れて来た道を引き返す。


「ホント。やな感じだな。あいつら」

「昔はあんな感じじゃなかったのにね」

 虫取りをする雰囲気じゃなくなったので早々に虫取りをやめて神社に戻る途中、夏井兄妹が僕の後ろでそんな事を話す。前を先行して歩く梓さんの後ろ姿は何とも言えない雰囲気を放ち話しかけづらかった。




「…………」

 僕は学校に置きっぱなしにしていた教科書を見て唖然とする。

「汚い教科書ッスね」

 黒と赤のマジックで落書きされたそれを見て中本が僕を嘲笑う。

(なんでここまで……)

 僕はそんな思いを心ごと握りつぶす。

「あんた達!」

「いいんだよ……」

 それを見て梓さんが鈴木達に叫ぶのを僕は止める。

「いいって、こんなことされてんのに」

「僕のことは気にしなくてもいいから」

「席に付け~」

 そんな僕達のことなど知らないであろう担任が相変わらずのダルそうな声で皆が席つく。

「ッチ」

 鈴木の舌打ちが聞こえた。


「ほらほら、昨日獲ったカブトムシとクワガタ~」

 休み時間に亜美ちゃんが嬉しそうにランドセルの中から籠を机の上に載せる。

「亜美。なんで、学校に持ってきてんだよ……」

「いいじゃん。みんなで獲ったんだからみんなで見ても」

 暁人の不満そうな声に亜美ちゃんが拗ねたように返す。

「俺の分も入ってるんだから逃がすなよ」

「私そんなにおっちょこちょいじゃないもん」

 僕はそんな楽しそうな二人の横で笑顔を作ってそんな光景を見ていた。




 放課後。

「やっべ、教室に忘れ物した。亜美は先に帰ってろ」

 お兄ちゃんがそう言って教室に戻っていく。

「…………」

 私はそんなお兄ちゃんの後ろ姿を見送り、虫籠を揺らしながら家路につく。

「わっ!」

 私は道端に落ちていた石につまづき転ける。

「痛い……」

 私は目に涙を溜めながら痛みの強い右膝を見る。膝はすりむけ少量の血が滲んでいた。

「うぅ」

 私はそこで持っていた虫籠がないここに気づく。

「あれ? あれ!?」

 私が慌てて周りを探すと虫籠は蓋が取れ何匹か虫が逃げた後だった。

「どうしよう……」

(お兄ちゃんに怒られる……)

 私はどうにかしなきゃと頭を巡らせる。


「はい」

 学校が終わり、畳の上で漫画を読んでいるとインターホンが鳴らされたので僕は玄関のドアを開ける。

「亜美 来てない?」

 ドアを開けるとすぐに暁人が僕に切羽詰ったように尋ねる。

「いないよ」

 僕は咄嗟にそう返す。

 暁人は傘を持っていたが五時くらいから降り始めた雨に濡れ、ビショビショになっていた。

「そっか……。ゴメン」

「ちょっと待って」

 僕は誤ってどこかに行こうとする暁人を引き止める。

「亜美ちゃんがどうかしたの……」

「帰ってこないんだよ」

 現時刻は六時も回ってもうすぐ半になるところだ。いつもは普通に遊んでいるような時間だが

「梓姉ちゃんが一緒に探してくれてるけどまだ見つかってないんだ」

「わかった。僕も捜す」

 僕は亜美ちゃんが心配になり、手伝いを申し出る。

「悪い……」


「ダメ。いない……」

「こっちもいなかった」

 梓さんと無花果さんが息を荒くしながら集合場所に現れる。

「後、捜してないのなんて山の中だけか」

 僕は皆が捜した場所から亜美ちゃんが行きそうな最後の場所を口にする。雨の日の山は薄暗く独特の雰囲気を醸し出していた。

「亜美―!」

「亜美ちゃーん」

 僕達はそれぞれにつかず離れずの位置で亜美ちゃんを呼ぶ。

「やっぱりここにもいないのか……」

 暁人が諦めにも似た声を漏らす。

「俺が忘れ物なんかしなきゃこんなことには……」

 僕は顔を下に向けた暁人の肩に手を置く。

「だったら、探さなきゃ」

 僕は大きな声で亜美ちゃんの名前を呼ぶ。

「亜美――――――――!」

 暁人は服の袖で目元を拭き、大声で妹の名前を叫ぶ。

「お兄ちゃーん!」

 何分経っただろうか、小さくはあったけど亜美ちゃんの声が聞こえてきた。

「亜美!」

 暁人を筆頭に僕達は声のした方に走る。

 そこには木に登って降りれなくなってる亜美ちゃんがいた。

 気の横には雨で流れの早くなった革が茶色く濁った水を流し続けている。

「お兄ちゃん……」

「今、助けるから待ってろ」

 暁人は雨に濡れた木によじ登る。

「後もうちょっと」

 後、少しというとこで暁人は亜美ちゃんに手を伸ばすが暁人は木から滑り落ちる。

「お兄ちゃん!」

 亜美ちゃんが落ちていく暁人に向かって伸ばしてた手をもっと伸ばす。

 僕は落ちてきた暁人を受け止めるが暁人は擦れた手を抑える。

 

バキッ。


「亜美!!」

 木が折れる音と共に梓さんが叫ぶ。

「えっ?」

 亜美ちゃんは川に向かって落ちていく。

 梓さんは迷いなく落ちていく亜美ちゃんの手を握る。

(落ちる)

 僕はそう思ったが動くことができない。

 亜美ちゃんの腕を握った梓さんの体が川に傾いていく。

「なにやってんだばかやろう!」

 そんな彼女の腕を握ったのは鈴木だった。

「「リーダー!」」

 その後から中本と今田が駆けつける。僕と暁人は今にも傾きそうになる鈴木の体にしがみつき引っ張る。

「辰也……」

「クッソ!!」

 必死に掴んだ腕を握る鈴木を見て梓さんは笑う。

 僕達の後ろを中本と今田が引っ張る。

『せーの!』

 僕達は声を揃えて梓さんと亜美ちゃんを引き上げる。

『せーの!』

 掛け声は鈴木から始まった。

『せーの!』

 ただ、がむしゃらに。僕達は力いっぱい声に合わせて引っ張る。

『せーの』

 梓さんが上がるとすぐに亜美ちゃんが上がる。


 亜美ちゃんは引き上げられるとすぐに暁人に飛びつき泣き出した。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 何度も何度も謝罪の言葉を口にする妹に暁人は優しく抱きしめる。

 皆で獲った虫を逃がしたこと、自分のせいで手を怪我させたこと。嗚咽を漏らしながら彼女は謝った。

「無事でよかった」

 暁人はそんな妹に優しく言葉をかけ、亜美ちゃんはそんな兄の胸で泣いた。




「智樹だったか?」

「うん」

 次の日の体育の時間、体育の時間に僕は鈴木に話しかけられた。

「バスケで勝負だ」

「なんで?」

「なんでって! こっち来い!」

 梓さん達と今日の体育は自習になっていて、みんなで何をするかという話し合いをしていた僕は鈴木に体育館の隅に連れて行かれる。

「な、梓をかけての勝負に決まってんだろ! 昨日は梓を助けるのに力を合わせたからな。特別に決闘してやろうって言ってんだよ!」

 鈴木は僕に小声で話しかけてくる。

「なんで、僕がそんな勝負するのさ……」

 意味が分からずに本気で嫌そうな声で答えてしまう。

「もう、『梓は僕のだ』とでも言うのかコンチクショウ。取り敢えず、勝負だ。俺が勝ったら、もう梓に近づくな! いいな!」

 どうやら、鈴木は本気で梓さんが好きなようだ。そして、なぜか僕が梓さんを好きだと思い込んでるらしい。

「智君ガンバ~」

「智いけ~」

「がんば~」

 梓さんと夏井兄弟が僕のことを応援してくれている。

「行くッスよ。リーダー」

「行けー!」

当然のように中村、今田が鈴木のことを応援する。

無花果さんは興味なさげに読書をしている。

「フリースローの三点先取だ!」

「うん」

 僕は頷く。

 まずは、鈴木がフリースローラインに立ち、ボールをジャンプシュートで投げる。

 ボールはリングに跳ねて外れる。

「クソ~」

 鈴木は悔しそうに跳ねたボールを拾い、僕に向かって投げる。

「ドンマイ」

 僕は半笑いで鈴木に声をかける。

「次は入れてやるからな!」

 火に油を注いでしまったみたいだ。

 僕は鈴木から目を離し、ゴールリングに目線を向ける。

(シュートはあんまり得意じゃないんだよな……)

 僕は通りたいルートをイメージしながら右手でボールを押し出す。

 ボールは綺麗な放物線を描いてリングに当たり、一度 空中へ上がったがゴールネットを揺らす。

(入った!?)

 一度で入ったことに自分でも驚きつつ、落ちたボールを拾う。

「智君いいぞ~!」

「スゲー!」

「後、二本」

外野から僕に対しての応援の声が聞こえる。

嬉しいというよりも気恥ずかしいさの方が強い。

(ただの、まぐれなんだけどな……)

「俺だって……」

 続いて鈴木がボールを投げる。

 ガンっと板を叩いてゴールに入る。

「よっしゃ!」

 鈴木はボールを取りに行き、余裕の笑みを浮かべながら僕にボールを投げる。

「さすが、リーダーだ」

「さすがッス」

 中村、今田から鈴木に応援がいく。

 続いて俺が投げる。


 スパンとリングに当たることなくリングの中に収まり、試合が終了する。

結果は二対三で僕の勝ちだった。

「おめでとう!!」

「やったな、智」

「おめでとうございます。智さん」

 入れた瞬間、応援してくれてたみんなが僕の周りに集まってきて勝利を祝福してくれる。

 ただ単純に運が良かっただけなのでちょっと心苦しいけど喜んでもらえるのはちょっと嬉しかった。

「負けた」

 鈴木が四つん這いになってそう呟いた。

 僕はそんな鈴木に近付く。

「僕が勝ったから僕の願いを叶えてもらってもいいかな」

 僕は鈴木にそう言って微笑みかける。

「なんだよ」

 鈴木は睨むように僕を見る。

「僕の友達になってよ」

 僕はそう言って鈴木に手を伸ばす。

「…………」

 鈴木は僕の言葉に呆気にとられて大きく目を開き僕の顔を見る。

「なんで……」

「僕は梓さんの事、狙ってないから。争う理由なんてないよね?」

 僕は鈴木にしか聞こえない声で尋ねる。

「べ、別に梓の事なんて関係ねぇし!!」

 鈴木はみんなが見てることもお構いなしに大声を出しながら慌てて立ち上がる。

「……あ」

鈴木はみんながいたことを思い出すやいなや顔を紅潮させてみんなに背中を向ける。

「負けたことは事実だ。友達になってもいい……」

 鈴木はみんなに聞こえるか聞こえないかのか細い声でそう呟いた。

「鈴木、……で、良かったかな?」

 僕はその背中に呼びかける。

「辰也でいい」

 まだ少し赤みが残った顔でこっちを見る。

「じゃあ、たっちゃんで!」

 梓さんが照れている鈴木に茶々を入れる。

「なっ!」

「よろしく。辰」

 梓さんの発言に驚いてる辰に僕は手を伸ばす。

「…………」

 辰は一瞬 躊躇いながらも僕と握手を交わす。その手は緊張からか恥ずかしさからか手が少しだけ震えていた。

「よろしく……」

 



「……おはよう」

 次の日、教室に向かうと辰から挨拶をされた。

「おはよう」

 僕は驚きつつそれを返す。

「…………」

 辰は無言でそのままいつもの二人のところへ行ってしまう。

 でも、それでもいいと思った。

 ちょっとずつでも、誰かと仲良くなることがこんなに嬉しいものだなんて知らなかった僕にはこの感覚がとても気持ちが良かった。

「おっはよう♪」

「おは」

「おはようございます」

 梓さんと夏井兄妹が挨拶をしてきた。

「おはよう」




僕が転校来てから数日がたったある日の夕方、僕は家から一番近いが一キロもの距離があるコンビニに行った帰り、海の見える坂の入口の片隅にダンボール箱が置いてあった。

「?」

 中を覗くと小さな犬が一匹入っていた。

 僕はその場に座り犬を抱き上げる。

(捨て犬か……)

「クーン」

 犬は僕が抱き上げると困ったような顔で鳴き声を上げる。

 可愛そうだが、僕の家は親がアレルギーで飼うことはできないのだ。

「ゴメンね」

 僕はその犬をダンボールに戻す。

「動物だって生き物なんだよ」

「え?」

 前にも聞いたことのある冷たく通った声に僕は振り返る。

 そこには僕を睨む無花果さんがいた。

「動物だって生きてるんだから捨てるのは良くないと思うよ」

「そ、そうだね」

 僕は訳が分からずそれだけ返す。

「なら、なんで捨てるの?」

「僕が捨てたんじゃないんだけど……」

「そう、なの?」

 無花果さんは驚いたようなどうしようと困ったような顔で固まる。

「ごめん、なさい」

 彼女は僕に視線を合わせないように視線をずらし謝罪する。

「気にしなくていいよ。僕も紛らわしい態度とったし」

 僕は立ち上がり、無花果さんと向かい合う。

「…………」

 彼女がそんな僕の顔を見つめる。

 そして、僕の後ろのダンボールに視線が向けられていた。

「かわいそうだよね」

「うん」

 僕の言葉に彼女は頷く。どちらが捨てられたのかわからないようなそんな表情で……。

「かわいそう……。だよね……」

「…………」

 彼女はダンボールから犬を持ち上げる。

 犬は僕が持った時のように「クーン」と鳴くばかりで元気がない。

 どれくらいの間、ここにいたのだろうか。僕が気づかなかっただけで数日間ここにいたのかもしれない。 

 ダンボールは電柱の影の気にするか何気なくそこを見なければ見つからないような場所に置かれていた。

「僕のうちはさ。親がアレルギーで犬とか猫とかダメなんだ」

 僕はなぜか言い訳をしていた。

「そうなんだ。私の家もそんな感じ……かな」

 とても悲しそうな顔で彼女は犬をダンボールの中に返す。

「そう、なんだ」

「ごめんね。変な雰囲気にしちゃって」

 僕はそこで初めて彼女の笑顔を見た。

 夕日に照らされたその笑顔はよく見れば、儚げで悲しげで今にも泣き出しそうで……。

「べ、別に僕は……」

 がだ、僕はそんなことには気づかず。彼女の笑顔の可愛さに僕は咄嗟に視線を地面に落とす。

「ありがと」

 海の波の音が時折大きく聞こえる。

「じゃ、私 帰るね」

「うん」

 彼女は振り返ることなく彼女の家の方向だろう方に歩いて行った。

 僕は一度ダンボールの中の犬に視線を送り、コンビニのビニール袋からツナ缶を取り出し蓋を開けてダンボールの中に入れる。

 犬は僕のあげたツナ缶を最初は警戒して匂いなどを嗅いでいたが、それが食べられるものだと知るや無心にそれを頬張る。

「バイバイ」

 僕は犬に小さく手を振ってその場を後にする。


「ただいま」

 僕は玄関のドアを開けて家の中に入る。

 誰もいない部屋。明かり一つついてはいない。家に親が帰ってくることなんてほとんどない。

 僕は電気をつけ、さっき買ってきたコンビニの袋を机の上に置き、台所にあるカップラーメンの蓋を開け、ポットのお湯を注ぐ。規定の量までお湯を淹れたら蓋を閉める。

 コンビニの袋からペットボトルを取り出し、キャップを開ける。

 昔は良かった。

 いつも家族に囲まれて過ごしていた。

 いつからだろう。

 こんなにも家族がバラバラになってしまったのは……。

 両親は会社に行って忙しい。

 だから、僕はお留守番をする。

 昔はそんなことはなかった。

 始めは週に一度。

 そして二度、三度と徐々に一人になる数が増え、今ではほとんど両親二人が一緒にいることはなくなった。

 そして、父親と母親の間には壁があるように感じ始めた。


 僕は夕食をすませるとお風呂に入る。


 お風呂から上がるとポツリポツリと雨が降り始めたのがわかった。

(あの犬。大丈夫かな……)

 行かない理由を見つけようと考えを巡らせるがやめる。

 僕は傘を一本つかみ家を出る。


 小走りで走ること数分、僕は例の犬がいる場所につく。雨は次第に強くなり、僕が着く頃には大雨になっていた。

「…………」

 そこには犬を抱いて腰を浮かせながら座っている無花果さんがいた。

「智、樹?」

 無花果さんは意味がわからないものを見るような目で僕を見る。

「……えっと」

 僕は予想外のことに驚きつつ出すべき言葉を探す。

「どうしたの?」

「い、犬が心配で……」

 僕は無花果さんから視線を地面に逸らしながら答える。

「そっか。智樹もこの子が心配だったんだね」

 彼女は柔らかな口調でそう言うと表情を曇らせる。

「ねぇ。どうして、こんな酷いことができるんだろうね……」

 それは僕にたいして言った言葉なのか犬に向かって言った言葉なのか、はたまた自分自身に言った言葉なのかわからなかった。

「知らないからじゃないかな……」

 僕はそう答えた。

「何を?」

「一人になる寂しさ……かな」

 時に人は誰もいない世界を望む。今の世界が嫌いで、誰も信用できなくて、誰からも見てもらえなくて……。

 でも、また誰かと笑い合えて一人になりたいなんて気持ちがなくなって行く。

「そうかも、しれないね」

 彼女は僕の答えに賛成し、悲しそうな声でそう言った。

「……あのさ、神社に行かない」

 僕は彼女を神社に誘う。

「…………」

 彼女は無言で頷き、犬をダンボールに入れる。

 僕は首に傘を挟んで両手で奪い取るようにダンボールを持つと彼女は驚いた顔をした後、ニッコリと微笑んだ。

「頑張れ男の子」

 彼女はそう言うと立ち上がり、傘をたたむ。

「ん?」

 僕が疑問を抱いていると彼女は僕の首に挟まれていた傘を取り、僕に身を寄せる。

「智樹の傘の方が大きいからね」

 僕は至近距離で見る彼女の笑顔にドキドキし、それを落ち着けようとダンボールの中の犬を見る。

「クーン?」

 犬は不思議そうな顔で小首を傾げる。


 僕達は短い石段を上がり神社に到着する。

「どうするの?」

 僕は神社の縁の下にダンボールを入れる。

「なるほど」

 無花果さんが感心したように僕を見る。

「こうすれば、僕達がいなくても濡れなくてもすむよね」

 僕は彼女に微笑みかける。

「そうだね。それに」

 彼女は花が咲くような綺麗な笑顔を浮かべる。

「ここなら、親にバレることなくこの子を飼えるしね♪」

「…………」

 僕は彼女の言葉に笑顔に言葉をなくす。

「ねぇ、一緒にさ。この子を飼わない?」

「…………」

 恥ずかしそうに尋ねてくる彼女の小さな声が仕草が可愛くて僕の心臓が跳ね上がる。

「うん……」

 僕は小さく頷く。

「…………♪」

 僕の返事に彼女はパアッと顔をほころばす。

「なら、まずは名前を決めなきゃね」

 無花果さんがそう言って顎に手を当てて考え出す。

 僕はそんな彼女を見て笑いそうになる。

(無花果さんってこんなに表情が変わる子だったんだ……)

 僕は親近感を沸かしながら犬の名前を考える。

「ポチとか?」

「ありきたりだよね?」

 すぐに却下されてしまった。

「サイ……。うん、これにしよう」

 無花果さんは楽しげに頷く。

「最上の『サ』に無花果の『イ』でサイ」

「…………」

 僕は自分達の名前の一文字をつけるやり方を子供につけるようなやり方だなと思った。

 実際にそんな風に名前をつけている人はそう多くないが僕はそう思った。

「いいよね?」

「うん」

 彼女は少し恥ずかしそうな態度で僕を見上げたので僕は頷く。

「……♪」

 僕の返事聞いて彼女はサイを見る。

「サイ」

「?」

 サイは自分の名前なのかわかっていないのだろう、首を傾げる。

 

 しばらくして、無花果さんはサイをダンボールに戻して、「バイバイ」と手を振って立ち上げる。

「帰ろっか」

「そうだね」

 もう夜も遅い。そろそろ帰らないと彼女の親は心配するだろう。

「あのさ」

「なに?」

 帰路につくと彼女は僕に話しかけてきた。

「学校では私に話しかけないで」

 彼女は真剣な表情でそう言った。

「なんで?」

「お願い」

 僕は頷くことしかできなかった。


 次の日。

 何事もなく授業が進む。

 彼女は僕に話しかけてこなかった。

「どうした、智」

「いや、なんでもない」

 無花果さんを見ていた僕に辰が話しかけてきた。

 辰とはあの日以来、何度か話してるうちに仲良くなれた。

 辰も本来は悪い奴ではない。

 たまに梓さんのことで暴走はするが……。

「それでどうよ。今日、一緒に野球しようぜ」

「ごめん。今日はちょっと用事があるんだ」

「そうか。なら、しかたないな。あ、そうだ」

 辰は思い出したように僕に顔を近づける。

「お前って雫のことが好きなのか?」

 茶化すような声色で辰は僕にそう言った。

「ち、違うよ!」

 僕は予想外の言葉に驚いて大きな声を出してしまう。

「いいじゃんかよう。友達なんだし正直になれよ」

「確かに可愛いとは思うけど好きとかじゃ……」

 次の時間のチャイムがなる中、僕は辰也にそう返す。

「やっぱり、か~。ま、頑張れよ」

 辰はそう言って自分の席に戻る。

(なにを頑張るんだよ……)

 僕はそんなことを考えながら無花果さんを見る。

 彼女は気にした様子もなく黒板に目を向けていた。


 学校が終わり、僕は一度家に戻り、ソーセージを一本持って神社に向かった。

「サイ」

 僕よりも早く来ていた無花果さんがボールを使ってサイと遊んでいた。

「あ、智。遅いよ」

「ご、ごめん」

 僕は彼女に駆け寄る。

「はい、ボール」

 彼女が投げてサイが持ってきたボールを手渡される。

「え、いいの?」

「いいのって。一緒に遊びに来たんでしょ?」

「うん」

 僕達はサイと遊んだ。

「そう言えば、なんで智樹はこの学校に転校してきたの?」

 立たせるようにサイの前足をあげながら僕に無花果さんが尋ねてくる。

「それは……」

 僕はその隣にしゃがみながら一瞬 目をそらそうとしたがそれをやめる。

「僕はさ。いじめにあってたんだよね……」

 僕は開き直れるように笑みを作りながら話し始める。

「ご、ごめん……。変なこと聞いた」

 だが、そんな僕の笑みはなんの効果もなく無花果さんが僕を心配するような憐れむような視線で見つめる。

 僕はそれに対して心を荒立てることもなく悲しむでもなく何も感じることはなかった。

「いいよ。もう、終わったことだから……」

 そう、終わったことだ。

「僕はさ。弱いんだよ。人が怖いんだ……」

 僕は前の学校のことを思い出す。

 友人を助けていじめっ子に敵対視され助けた友人もそこに混じり僕をいじめる。

人は自分の思い通りにならないことを許さない。自分が全てで。でも、誰かと一緒じゃないといけないと思い込んで。みんな一緒じゃないと異物扱いされる。

「いつ裏切られるんだろうって。いつ僕を嫌いになるんだろうって。そう思うと怖くて怖くてたまらなくなるんだ」

「私も……」

 僕の言葉を無言で聞いていた無花果さんがそっと言葉を漏らす。

「私も怖いんだ。人が……」

 そう言って、悲しそうな顔をした後、さみしそうな笑みを浮かべた。

 僕はそんな彼女に何も言えなかった。


 そして、サイと無花果さんとの数日が過ぎていった。

「なあ、最近付き合い悪くないか?」

「ゴメン……」

「ま、気にすんな。お前にも事情があるんだろ?」

 そう言って辰は洋太と浩二のもとに向かう。


「智樹」

「?」

 夕日が半分ほど山に隠れて山と空の境界線がオレンジ色に染まる。

 無花果さんが僕の名前を呼んだ。

「辰也達と遊んでもいいんだからね……」

 彼女は少し悲しそうな顔で僕にそう言った。

「私のせいで智樹まで一人ぼっちにさせたら困るし……」

 サイが彼女に顎の下を撫でられて気持ちよさそうにしている。

 もしかしたら、学校で辰が僕を誘っていたことを聞いていたのかもしれない。

 いや、隣なんだから聞こえないはずない。

「うん。じゃあ、もし今度、誘われたら一緒に遊ぼうよ。サイも」

「……私はいいよ」

 僕の言葉に一瞬 驚いて優しそうな笑みを浮かべて首を横に振る。

「私ね。もうすぐ死ぬかもしれないんだ」

 唐突に彼女はそんなことを言う。

「だからね。私は友達をつくっちゃいけないんだよ」

 悲しそうな今にも泣き出しそうな顔で彼女はそう言った。

「だから、ごめんね……」

 彼女はサイをダンボールに戻し、僕に振り返る。

「さようなら」

 そう言って、僕の脇を通り過ぎる。

 僕は何も言えず、何もできず彼女の背中が見えなくなるまでその場に立ち続けていた。

 僕は何をすれば良かったのかな。

 後から抱き締めて上げれば良かったのか。

 優しい言葉で彼女のことを支えてあげるべきだったのか。

 そのどちらも、弱虫で臆病な僕にはできなかった。

 何より彼女の言葉の意味を理解すべく頭は彼女が言った言葉を反芻することしかできなかった。

『私ね。もうすぐ死ぬかもしれないんだ』

 その言葉を反芻するたびに僕の胸は締め付けられるように痛かった。


 次の日の放課後、僕は神社ではなく、広いだけで何もない公園に来ていた。

「智! そっち行ったぞ」

「了解!」

 僕は地面を跳ねて僕に突撃してくる野球ボールをグローブに収め、一塁に向かって球を投げる。

 ボールは一塁を守る暁人のグローブに収まる。

「やるじゃん、智!」

「まぐれだよ」

 僕のプレイを見て辰が賞賛する。

「いや、智さんはそう言っていつもやりますッス」

「もしかしたら、リーダーよりも強いです」

「なんだと!」

「「ヒィ~!」」

 敵チームの洋太と浩二が笑いながら悲鳴をあげて自分達の持ち場に戻る。

「ほらほら、次、行くよ~」

 梓さんがバットを持って待ち構えている。

「頑張れ梓姉さん」

「頑張って梓お姉ちゃん」

 こっちのチームであるはずの夏井兄妹が梓さんを応援する。

「OK任しといて~」

「お前らコッチのチームだろ!?」

 ボールを持ってピッチャーベースに立っている辰が叫ぶ。

 僕と辰、夏井兄妹がチームで梓さんと洋太と浩二のチームで戦っている。

「だって、梓姉さんの方がいいもん」

「うん……」

 バカ正直な暁人と控えめながらも頷く亜美ちゃんに僕は苦笑いを浮かべる。

「チキショウ。覚悟しろ梓!」

「こい。馬鹿辰」

 お互いに戦意むき出しでその瞬間を待つ。

「喰らえ、ウルトラストレート!」

 普通のストレートがキャッチャーである洋太 目掛けて投げられる。

 スパン。

 それは洋太のグローブの中に収まる。

「なんて、酷い名前なの……」

 梓さんはバットを抱えて笑っていた。

「笑うな!」

 辰は顔を真っ赤にして叫ぶ。

「卑怯だ」

「卑怯だ」

 夏井兄妹が辰に非難の声を投げかける。

「俺は被害者だ!」

「さ、次、行ってみようか~」

 梓さんが辰の叫びを聞かずに試合の再会の声をかける。

「クッソ~」

 辰が悔しそうに梓さんを睨み、洋太から受け取ったボールを握り締める。

「喰らえー!」

 辰が投げたボールは梓さんの前で少しカーブする。そして、振りかぶられた梓さんのバットに当たりファールエリヤに跳ねる。

「見たか、カーブだぜ」

「まさか、辰がそんな人間みたいなボールを投げられるなんて!」

「驚きどころはあってるけど、驚き方がおかしい!?」

 そして、運命の三本目。

「これで、終わりだ」

「ホームラン」

 辰がボールを投げる。

 さっきと同じようにボールは梓さんの前で曲がるが。梓さんはわかっていたようにそのボールをいとも簡単に打ち上げる。

 ボールは後ろの林に消える。

「さすが梓の姉御ッス」

「お姉ちゃんすごい」

 辰と僕以外の賞賛の声を浴びて梓さんは胸を張って笑う。

「また、負けた……」

 肩を落とし四つん這いになった辰を僕は苦笑いを浮かべながら辰を元気づける。

僕がふと公園の外を見るとサイを抱いた無花果さんがコッチを見ていた。

「無花果さん……」

 僕が気づいたことに気づくと無花果さんはすぐにいなくなってしまう。

「どうした。智?」

「なんでもない……」

 僕は笑顔をつくって辰に振り向く。

「そか? ならいいけど……。つうか、次こそは三振とってやる!」

辰は闘志を燃やしながら再びピッチャーベースに戻る。

僕は公園の外に視線を送る。

(どうしろって言うんだよ……)

 僕は苦しくなった胸の痛みを振り払うように立ち上がり自分のポジションに戻る。


 夕方になり、解散になった。

「智。ちょっといいかな?」

 僕はなぜか梓さんに呼ばれた。

「何ですか?」

「そう、かしこまらなくていいよ。ただ、君に質問があっただけだから」

 そう言って、梓さんは真面目な顔で僕を見る。

「雫のこと好きなの?」

「……!」

 僕はいきなりの質問に驚いて目を大きく開く。

「そかそか。なら、いいんだけどね」

「ぼ、僕は――」

「言い訳なんてナンセンスだよ。智君」

「ん……」

 梓さんは僕の言葉を遮るとホッとしたように微笑む。

「今日、雫を見てる君の表情が悲しそうだったからさ。何かあったのかなって、ね。ほら、雫って私とかともあんま喋んないから何かあったのか心配でさ」

 遠くを見るように夕日に目を向けながら彼女は語る。

「恋の痛みなら心配ないね」

「…………」

 イタズラっぽく笑う梓さんはどこか大人びて見えた。

「後悔しないようにがんばんなよ。じゃ、私は帰るわ」

 言いたいことだけ言ってあっさりと梓さんはその場からいなくなってしまう。


 そして十数分後、僕は神社へと続く石段の前にいた。

 日は完全に沈んで辺りは薄暗くなっている。

 僕はもういるはずないと思いながらもその石段を上がる。

 神社に近づくに連れその足は早まる。

 今、会わないともう会えない気がして。

 僕は公園で見た無花果さんの姿を思い出す。顔なんて見えなかったのに悲しそうに見えた。

「…………」

 そして、誰もいない神社を見て思う。

(間に合わなかった……)

 期待してなかったのに胸が苦しくて目頭が熱くなった。

 違う。心の中では期待していたんだ。彼女が僕のことを待っていてくれるんじゃないかって。

 約束してたわけじゃないのに。

 昨日、来なくてもいいって言われたばかりなのに……。

 僕は彼女に謝りたくて、会いたくてしょうがなかったんだ。


 だって、僕は彼女のことが好きだから……。


 僕はそこで初めて自分の気持ちに確信を持った。好きだから胸が痛くて、好きだから会いたくて、好きだから嫌われたくなかったんだ……。


「智、樹?」

 僕は声のした方に視線を向ける。

 そこには、サイを抱えた無花果さんが神社の裏手から出てきた。

「無花果さん」

「どうかしたの?」

 驚きと不安の入り混じるような口調で無花果さんは僕にそう言った。

「良かった……」

 僕はそう言って涙を流した。

 なんで、流れたのかわからない。

 流すつもりなんてなかったのに……。

「な、なんで、泣いてるの!?」

 僕が泣いたことにたいして無花果さんは慌ててすぐに僕に駆け寄ってくる。

「なんでもない」

 僕は涙を流しながら笑った。

 自分でもなんで泣いてるのかわからないのだ。

 でも、きっと嬉しいからだと思う。

「ん?」

 僕は彼女を抱きしめる。

 サイは驚いて僕と彼女の隙間から地面に降りる。

「……ッ!」

 彼女は驚いて体を硬直させ、小さく驚きの声を漏らす。

「会いたかった」

「学校で会ったじゃん……」

 彼女は僕の言葉に恥ずかしそうに言葉を返す。

「ここで、会いたかった」

「…………なんで?」

 彼女は体重を僕に預け訪ねる。

 言いたいことが多すぎてうまく言葉が選べない。

 なんで、みんなと一緒に遊べないのか?

 なんで、ここでだけ話してくれるのか?

 どうして、彼女が死ぬのか?

 でも、一番 言いたいことはそんな質問じゃない。

「だって、ここだと無花果さんが自分のこと話してくれるから」

 僕は一緒にいるだけじゃ嫌なんだ。もっと話して、もっと彼女のことを知って、もっと笑い合って、もっと泣き合っていきたいんだ。

「私なんかと話したっていいことなんてないよ……」

「そんなことないよ!」

 僕はそれを全力で否定する。

「なんで……」

「だって、僕は無花果さんのことが好きだから」

 僕の言葉に彼女は目を大きく見開く。

「無花果さんが辛いのは嫌なんだ……」

「辛くなんて……」

「無花果さんのこと、教えてよ……。どうして、無花果さんが辛いのか知りたいんだ」

「……うん」

 僕達は夜の神社の階段に腰をかけていた。

「ごめんね」

 彼女は僕に誤った。

「なんで、謝るの」

「謝りたいから」

 彼女はおどけたように笑う。

「嬉しかったよ」

 彼女は空を見上げ月に目の焦点を合わせる。

「私ね。自分の病気が死ぬかもしれないものなんだ。って、わかったら、とっても怖かったんだ。それが、半年ぐらい前」

「…………」

 僕は何も言えず、何も言わず。ただ彼女の話に耳を傾ける。彼女は楽しい思い出を語るようなテンポで話す。

「『なんで、私だけ』って、思った」

 彼女は自嘲するように自らを語る。

「でね、その後に思ったのが私が死んだらどうなるんだろうってこと……」

 消え入りそうな声で彼女はそう言った。

「思い上がりだって思われるかもしれないけど。私が死んだら私と仲良くしてた人は悲しいと思うんだ……。だから、私は誰とも仲良くできないの……」

 普通、自分が死ぬのに周りの人の事なんて考えないだろう。

 でも、彼女には考えるだけの時間があったのだ。

「そんなことはない」

「あるんだよ」

 僕の解答にわかっていたように軽く返される。

「病気が治るかもしれないし」

「ダメなんだよ。薬で病状を遅らせることはできても完全に止めることも治すこともできない。悪い部分だけ取り除くのも、もしかしたら手術中に死ぬかもしれない」

 完全に手詰りじゃないが死なないとは限らない。

 彼女はそんな中、世界はどんな風に見えていたんだろうか……。

 サイが捨てられているのを見て怒ったのもきっと彼女がそういうことに敏感になっているからなのだろう。

「気にしなくていいよ。後、半年。もう、覚悟はできてるから……」

 無花果さんは笑ってみせるが僕には泣くのを我慢している女の子の顔にしか見えなかった。

『そんな覚悟はいらない』そう言って励ましてあげたかった。

でも、何も知らない僕には、そんなこと言えなくて……。

言う資格もなくて……。

「なら、楽しまなきゃ」

 僕はそう言った。

「えっ」

「一度キリの人生だよ。楽しまきゃ損でしょ?」

 驚いた彼女を無視して僕は言葉を続ける。

「こんな私なんかと一緒にいても楽しめるわけないじゃん」

「今のままで十分楽しいよ……」

 必死に笑顔をつくって

「今だけだよ……。私が死んだら辛くなる」

「そうだとしても君といたい」

「嘘だ……」

「ホントだよ」

 涙を頬に流しながら……。

「なら、なんで泣いてるのさ」

「欠伸、だよ」

 涙を拭うが涙は止まることなく流れる。

「だって、私、死ぬんだよ? 私と仲良くしたってすぐに会えなくなるんだよ」

「人はみんないつか死ぬんだよ!」

「私はもうすぐ死ぬの。いつかなんかじゃない!」

「僕だって、明日死ぬかもしれない。明後日、死ぬかもしれない」

「でも、――」

「それでも、一緒にいたいんだ」

「――ッ!」

 彼女は顔を真っ赤にして俯く。

「好きだから……。後悔して欲しくない」

 俯いた彼女に言い聞かせるように。

「誰だって、他人に迷惑かけて生きてるんだよ。辛い時は言って欲しいし、困ったときは相談して欲しい。もっと、頼ってよ……」

 僕は再び彼女を抱きしめる。

「――ッ!う、ウ……」

「好きなんだ。好きで好きで……。もう、君の事しか考えられないんだ……」

 彼女は泣いてるのだろうか小刻みに震えている。

 そんな彼女が愛しくて。

 そんな彼女を守りたくて。

「だめ、かな?」

 僕は彼女の答えを確かめる。

「私、も、一緒にいて、欲しい……」

 彼女は嗚咽を漏らしながらそう言うと僕の服の胸元を握り締める。

「好き……。私も好き……!」

 消え入りそうな音量で。でも、ハッキリと彼女は答えてくれた。

「うん」

「ずっと、そばにいて欲しい」

「うん」

「絶対に、離さないで欲しい」

「うん」

 その後、僕達はしばらくの間、抱き合っていた。

 

「帰ったら、怒られちゃうかな?」

「そうかもしれないね」

 すでに時計の針は八時を回り、辺りは月明かりだけが照らす暗闇が広がっている。

 そんな中、僕達は手を繋いで帰り道を歩いていた。

「私達って、彼氏彼女の関係でいいんだよね?」

「うん……」

 僕は恥ずかしながらも頷く。

「そっか……♪」

 彼女の手が暖かくてこのまま時間が止まってしまえばと、本気で思った。

「そう言えば」

 彼女が気づいたように頬を膨らませる。

「な、何?」

 僕は少し怯えながらなんで怒っているのか訊く。

「なんで、名前じゃないの?」

「え?」

 僕は意味がわからなくて素っ頓狂な声を上げる。

「なんで、私だけ苗字なの?」

「なんでって?」

 特に気にしたことがなかったので、急に言われてもわからない。

「雫って、呼んでよ……」

 消え入りそうな声で彼女はそう言った。

「し、雫……ちゃん」

 僕は緊張で声を震わしながら彼女の名前を呼ぶ。

「うん♪」

 彼女は満足したように頷く。

「また、明日。智樹」

「うん、また明日」

 雫ちゃんの家につき、僕達は手を離し彼女と向かい合う。

「雫、ちゃん」

「うん♪ またね」

 彼女はそう言って玄関に向かい最後にバイバイと手を振って家の中に入る。

 僕は彼女が家に入るのを見届けて帰路につく。




(また明日、か……)

 私は靴も脱がずにさっきの言葉を反芻しながら玄関のドアに寄りかかっていた。

「雫?」

 リビングから母が小走りにやってきた。

「今、何時だと思ってるの。心配させないでよ。って、どうしたのその目!」

 母が私のことを心配するが、私は母に笑顔を向ける。

「なんでもない……」

「なんでもないって事ないでしょ……」

 母は困ったように私を見る。

「ねぇ、私、生きられるかな……」

「…………」

 母は私の言葉に固まるが、すぐに私を抱きしめてくれる。

「当たり前の事聞かないでよ……。アナタは大丈夫。大丈夫だから……」

「うん……」

 もう、残されてる時間は短いかもしれないけど……。それでも、もし奇跡があるのなら生きたい……。

 『死ぬ覚悟』を決めたハズだったのに、私の心はそう思っていた。




「おはよう」

「おはようッス」

「おは~」

「おはようございます」

「おはよう」

 クラスに入ると元気な挨拶で迎えられる。

「おい、智。今日も野球しようぜ! 梓にリベンジだ」

「いいぞ~。かかってきなさい!」

 お互いに闘志をむき出しにして睨み合う。

 周りがそれをはやし立てるように声を出し盛り上げる。

「あのさ、今日はもう一人参加してもOK?」

「OKだ。 いつでも、メンバーはギリギリだからな」

「そもそも足りてないしねww」

 僕は二人の言葉を聞いて雫ちゃんの席に向かう。

「おはよう。雫ちゃん……」

「おはよう。智樹……」

 ぎこちない挨拶をかわす。

 これだけでも、満足なところなんだけど、そういうわけには行かない。

「一緒に野球しよう」

「……うん」

 少し間を置いて雫ちゃんは頷く。

「マジか! あの無花果 雫が智樹と!?」

「いや~。めでたいね。今日は野球やめてパーティーにしようか?」

 辰と梓さんが面白がって茶化してくる。

「なっ!」

「ま、でも、あの二人が野球やりたいみたいだからダメかww」

「智さんはやる男だと思ってたッス」

「おめでとうございます」

「おめでと」

 ただ、野球のメンバーに誘っただけなのに何やら僕達に何かあったことに気づかれてしまった。

 横を見れば雫ちゃんが恥ずかしいのか耳を真っ赤に染めて俯いている。

「良かったじゃん」

 辰に肩に手を回される。

「辰も頑張んなきゃだね」

「な、なんのことだよ!?」

 辰は驚いて顔を赤く染める。

「梓さんのことだよ」

「ブッ!! 何言ってんだお前は! 俺は別に……」

 そんな、僕達を見ていつの間にか顔を上げていた雫ちゃんが笑う。

「お前ら、席に付け~」

 担任の呼びかけに全員が席に戻る。

「智樹」

「ん?」

 席についた僕に雫ちゃんが僕の服の袖を引っ張りながら話しかけてくる。

「好きだよ」

 耳元で小さく囁かれる。

 僕は顔を真っ赤にして硬直する。

 雫はそんな僕を見て小さく笑う。

 僕はお返しに誰にも見えないように彼女の手を握る。

「――ッ!」

 彼女は驚いて小さく呻く。

「どうした。無花果」

「な、なんでもないです」

「変な声を出すなよ」

「はい!」

 先生が黒板に目を戻すと僕らは声を出さないように笑いあった。


「夏休みだー!」

 僕と雫ちゃんが付き合い始めて数日。夏休み前、最後の授業が終わって、辰が教室の真ん中で騒ぐ。

「夏といえば!」

 それに梓さんが続く。

「海ッス」

 洋太が一番先に答える。

「いやいや、祭りだよ」

 暁人がそれを否定して違う意見を主張する。

「私はかき氷かな?」

 亜美ちゃんが笑顔で答える。

「太るぞ。亜美」

「太らないよ……」

 暁人の言葉に亜美ちゃんが拗ねたように返す。

「雫ちゃんは?」

「私は……、失恋?」

「え……」

 僕は付き合って数日の彼女の言葉に絶句する。

「冗談。夏は恋の季節だよ」

「よ、よかった……」

 本気で心臓に悪い冗談だ。

 彼女はなにが面白いのか腹を抱えて笑っている。

「ちょっと、聞きました奥さん」

「聞きましたわ。奥さん」

「聞きましたッス」

 辰、洋太、浩二の三人が僕達を茶化す。

「そう、夏といえば恋!」

 テンションが以上に高い梓さんが声を張り上げる。

「そんな訳で明日はみんなで海ね」

 彼女の言葉に異論の声はなく明日はみんなで海に行くことになった。


「海か……」

 僕はサイを持ち上げながら呟く。

(雫ちゃんはどんな水着 着てくるのかな……)

 学校では夏休みが開けないとプールの授業がないので僕は彼女の水着姿を見たことがなかった。

「クウン?」

 サイは首を傾げる。

「サイも来る?」

「ワン!」

 サイは言葉がわかっているかのように吠える。

「智樹、早いね」

「そんなに早くないと思うよ?」

 学校が終わってから二時間以上経っていたので彼女が来るのが遅かったのである。

「雫ちゃんが遅かったんだよ」

「そうだよね。私は去年の水着が着れるか確認しに家に帰ってからきたから」

「着れた?」

「無理だった」

 彼女は落ち込んで肩を落とす。

「そ、そんなに落ち込むようなこと?」

「う~ん。前まで着れてたものが着れないとなんか太ったみたいな感じがして嫌なの」

「太ってないから大丈夫だよ?」

「ありがと」

 そう言って、雫ちゃんは僕の手からサイを抱き上げる。

「だからね。新しいの買ってて遅れたの」

「そうだったんだ」

 僕は苦笑いしながら彼女の方を見る。

「ねぇ」

「なに?」

 彼女は僕を見て笑みを浮かべる。

「私の水着姿みたい?」

「――ッ!」

「見たいんだねww。男の子ってなんでそういうのが見たいの?」

 僕は顔を熱くして雫ちゃんから視線を逸らす。

「だって、可愛いから……」

 僕は彼女に聞こえるか聞こえないかの声でそう呟いた。

「――ッ! あり、がと」

 雫ちゃんは顔を赤くして俯く。

 無言の時間が過ぎていく。そんな中、サイだけが不思議そうな顔でこっちを見る。

 付き合い始めて数日、僕達はよくこういうふうな雰囲気になる。

 でも、それは嫌なことじゃなくてどちらかというと心地よいことなのだ。

「明日の海、楽しみだね」

「そ、そうだね」

 そうして僕らは笑い合うのだ。


 次の日。

 僕達は誰もいない砂浜に立っていた。

「水着のお姉さんがいないッス」

「いつものことだ」

 洋太の発言を辰が切り捨てる。

「何が恋よ!!」

「お、落ち着いて梓さん」

「落ち着いてるわよ!」

 服のまま海に飛び込もうとする梓さんを僕と雫ちゃんで押さえつける。

「海のバカ野郎~!」

「バカ野郎~」

 夏井兄妹は海に向かって叫んでいた。

「バカヤロー!」

 それに釣られて梓さんも叫ぶ。


 なんとか収集をつけ、みんなは服を脱いで水着になる。

「下が水着だって知っててもエロく感じる不思議」

「そんなこと言ってないで辰も脱ぎなよ……」

「おう!」

 僕は女性陣の服を脱ぐところを凝視している辰に僕は呆れながら話しかける。

「海は最高だぜ!」

 辰が服を脱いで海に走って飛び込む。

「自分は岩場から飛び込むッスよ!」

 洋太が飛び込みその後に続くように浩二が飛び込む。

「みんな子供だねぇ」

 梓さんがあまりない胸を張りながら言う。

「僕達、子供でしょ?」

「わかってないな。智は」

 梓さんは腕を組み、首を振る。

「男なら女の子の水着でしょ」

「なっ! 何、言ってんのさ!」

 僕は恥ずかしさから咄嗟にツッコミを入れる。

「にゃ~、シズミン」

「ハハハ……」

 脱ぎ終わった雫ちゃんが困りながらも苦笑いを浮かべる。

 雫ちゃんの水着は白をベースにピンク色のチェックとヒラヒラのフリルをあしらった可愛らしいデザインで頭には日除けに使うのであろう黄緑色のリボンが付いた麦わら帽子を被っている。

「…………」

 僕はあまりの可愛さに見惚れる。

「どう、かな?」

「いいと思う」

 僕は我に返り慌てて彼女から目を逸らす。

「智君。何がいいのかにゃ~」

 梓さんが襲ってきそうな勢いで顔を近づけてくる。

「な、何するんですか!」

「私の夏は終わった。つまり、人の夏を面白おかしくするほかないでしょ!」

「どんな理屈!?」

「で、どうなの? 可愛いの? 綺麗なの? どうでもいいの!?」

 雫ちゃんに助けを求めようと視線を向けるが雫ちゃんも聞きたそうな顔をしてコッチを見ている。おまけに亜美ちゃんまで興味津々な目でコッチを見ている。

「可愛い……」

 僕はそう言うと顔から火が出そうな程熱くなった。

「……智樹」

 雫ちゃんが僕に抱きつく。

 僕は倒れそうになるのを堪えながら自分に何が起こってるか考える。

「大好き」

「――ッ!」

 そんな不意打ちに心臓が一気に高鳴る。

「なんなのこれは……。甘すぎる甘すぎるよ……」

「梓が余計なことするからだろ?」

「うっ……」

 梓さん呻く。

「海のバカヤロー!」

 そして叫んだ。

「智樹、一緒に遊ぼ!」

「うん」

雫ちゃんがその光景を見て苦笑している僕の手を掴んで走り出す。

 とても小さく、とても柔らかで、とっても暖かな手のぬくもりが僕の手に伝わる。


「雫お姉~ちゃ~ん! 智お兄ちゃ~ん!」

 僕と雫ちゃんが海水をかけ合っていると砂浜から亜美ちゃんが僕達を呼ぶ。

「ん?」

 僕達は同時に砂浜を見る。

「ビーチボールしよー!」

 亜美ちゃんがビーチボールを持ってジャンプしている。

「自分達はなんで呼ばれないんスか」

「意地悪だからだよ~」

「そんな~」

「入れてくださいよ~」

 洋太と浩二が亜美に近付く。

「いーや!」

「イジメッス!」

「イジメだ!」

「うるさいぞ。お前ら……」

 梓さんに連れてこられた辰が二人に文句を言う。

「だって。俺らだけのけ者ッスよ~」

「そうですよ~」

「あれ、そうなの?」

 梓さんが驚いて辰を見る。

「だそうです」

「どう言う事」

「梓姉はお前をいらないって言ってる」

 暁人がそこらへんに落ちてた木の棒でラインを描きながら言う。

「なんで!?」

 その様子を見て、僕と雫ちゃんは顔を見合って笑う。

「そこ! 笑うな!!」

 辰に怒鳴られながら僕と雫ちゃんは砂浜に上がる。

「亜美ちゃん。みんなでやったほうが面白いよ」

「そうだね♪」

 雫ちゃんの言葉に亜美ちゃんが元気よく頷く。

「「「えー!」」」

 亜美ちゃんの意見の変わりように三人揃って驚いて声を上げる。

「良かったね。三人ともシズミンに感謝しなきゃ」

「だ、誰が!」

 辰は梓さんの言葉を否定しながら誰とも目を合わせないように視線を海に向ける。

「「ありがとございやす。雫の姉御」」

 そんな中、洋太と浩二が雫ちゃんに土下座する。

「えっ? え?」

 そんな二人の態度に雫ちゃんが動揺する。

「何してんだよ。お前ら……」

 辰が非難するような態度で二人を見る。

「何してるってお礼を言ってるッス」

「仁義を通さにゃ男じゃないです」

「うっ……!」

 辰は雫ちゃんを見て、僕を見て、頭を掻く。

「……ありがとな」

 最後に地面を見ながらそう言った。

「女に頭を下げるのはアレだが。その……。友達の彼女だからな」

 それを聞いてみんながクスリと笑う。

「ほらほら、そうと決まれば早速ビーチボールやるぞー!」

 梓さんがちょっと湿っぽいような温かな雰囲気を吹き飛ばす。

 その言葉を聞いてみんなはパッを顔をほころばせて梓さんの周りに集まる。


 時間はあっという間に過ぎ去り、夕日が砂浜を照らしていた。

「いやぁ、まさか荷物番になるとはね~」

 僕が砂浜に敷かれたレジャーシートに腰をかけているとさっきまでどこに行ってたのかわからなかった梓さんに話しかけられる。

「そんなこと言ってさっきまでいなかったじゃないですか」

 僕達は当初の予定通り、花火をしようと私服に着替え。荷物番になるか花火の調達係かのジャンケンで僕と梓さんは負け、退屈な荷物番をしている。

「悪い、悪い。ちょっと、お花を摘みにね……」

 僕が拗ねるように言った言葉に梓さんは困ったように頭を掻く。

「なるほど……」

 結構、普通の解答にどう答えていいのかわからず当たり障りのない答え方で返す。

「…………」

「…………」

 それで、二人の会話は終了する。

 何か話題を考えようとするが。そういう時に限って話題が出て来い。

 沈黙の時間がしばらく続き、梓さんが溜息をつく。

「智君には話しておこうかな~」

 梓さんは話を切り出し、僕は梓さんを見る。

「うん、そうしよう」

 梓さんは笑顔を絶やさず。でも、真剣味の見え隠れする表情で奥を見る。

「なんですか?」

「辰也の事なんだけどさ。ありがとね」

 僕は彼女の言葉の意味がわからず顔を顰める。

「って、言ってもわからないよね……。う~ん。どこから話すべきかな? 私、こういうの苦手なんだよね」

 そう言って、顎に手を当てながらしばらく唸り声を上げる。

「えとね。取り敢えず、私って去年の今頃に振られたんだよね……」

「えっ!?」

 僕は衝撃的な告白に吃驚しながら彼女が何を言いたいのかを模索する。

「昔ね。島の外から君みたいに転校してきた男の子がいてね」

 そんな、僕のことなどお構いなしに彼女は体育座りになり言葉を続ける。

「その子は私の一個下なんだけどしっかりしててね。辰也の面倒をしっかりと見てくれてね」

 懐かしむように夕日の沈む水平線上を見つめながら彼女は語る。

「辰也ってさ。あんな、性格だからすぐに友達になってさ。何をするにもみんな一緒でさ。楽しくて、楽しくてしょうがなかった」

 時折、混じる涙声に僕は海に視線を移す。

「私はいつの何か彼に惹かれてさ。冗談混じりに告白したらさ。OK。されちゃって。もう、わけわかんないくらい舞い上がっちゃってさ」

 彼女も見て欲しくなかったのか顔を隠すように俯く。

「こんな時間がいつまでも続くんだって。ずっと一緒に笑い合えるんだって、本気で思ってたんだ」

 『思ってた』その一言がズシリと僕の心にのしかかる。

 夕日は彼女の言葉に呼応するように海に自らを沈めていく。

「でも、違った。彼は引っ越したんだ」

 僕には口を挟む余裕なんてなくて、励ましの言葉をかけることができなくて。

「ただ、引っ越すだけなら良かった……。また、会おうって。それだけが聞きたくて。私はその話を聞きながら彼に期待してたんだ……」

 ただただ、僕は部外者だった。

「でも、彼は私にこう言ったんだ。『別れよう』って……。『もう、君には会えない』って」

 なんで、彼女がこの話を僕にするのか僕には全く理解ができなかった。

「私は泣いたよ。泣きに泣いた。でもね。私以上に辰也はそんな彼を怒ったんだ……」

 彼女は鼻を啜りながら空を見上げる。

「『別れるくらいならなんで、付き合ったんだよ! いなくなるクセになんで仲良くなんかなったんだよ!!』って。もう、私の入る隙がないくらい辰也は彼に怒鳴りつけたんだ」

 つくったような笑い声を上げるように彼女は語る。

「その後は教室だったから先生に捕まって終了したけど……。それからは、辰也グレちゃって。誰とも本気で付き合わなくなってたんだ」

 そこで、話が終わったのか梓さんの口が止まる。

 僕はどうしたのか振り返ると、彼女はそんな僕の顔を見て微笑む。

「でも、君のおかげでまた辰也は本当の意味で笑えるようになったよ。まだぎこちないけどさ。だから、……ありがと」

 ここで、ようやく話が繋がった。

「辰也がまた外の人。いや、誰かと一緒にいて笑えるようにしてくれて……」

 そうして、彼女はパンッと膝に手で叩いて立ち上がる。

「昔話終了! このことはみんなには話しちゃダメだよ! いいね!」

「う、うん」

 彼女はいつものように元気な声で僕の顔を見ながら言う。もう、終わったことだから、みんなには思い出して欲しくないのだと。

 僕はさっきまでの話がなかったかのような豹変ぶりに驚きながらも頷く。

 彼女の目元にはまだ夕日の光が輝いていて、さっきまでのことが現実であることを証明する。

「おーい! 買ってきたぞー!」

 暁人が大きく花火が入っているであろう袋を振るう。

「戻って来たみたいだね♪」

 梓さんは服の袖で軽く目元を拭き、いつもの元気な顔で僕に笑いかける。

「そうだね」

 僕もそれに応えるように笑顔で彼女の顔を見る。

「どうかしたの?」

 僕達が笑い合っているのを見て雫ちゃんが怪訝そうな顔をする。

「浮気」

 僕が何かを言う前に梓さんがこの状況において最悪の冗談を言う。

「な、な!」

「なんだとー!」

 それに、雫ちゃんだけじゃなく辰まで反応する。

「って、のは冗談で――」

「智のクセに羨ましいぞ。このやろう!」

「羨ましッス!」

「コツをお教えください!」

 なぜか問い詰められるのではなく羨望の眼差し……。

「お兄ちゃん浮気ってなに?」

「ロマンだ」

 亜美ちゃんの疑問に暁人が腕組をして答える。

「こらこら、違うでしょ……」

 梓さんが苦笑いを浮かべながらやんわりとツッコミをいれる。

「本当に冗談なの?」

 雫ちゃんが心配そうな顔で僕のことを見てくる。

「うん。冗談だよ」

 僕は笑顔を作って答える。

「そっか」

 雫ちゃんはすぐに笑顔になってくれる。

「ようし、パアッと花火大会でもしますか!」

 梓さんが暁人の持ってた袋から手持ち花火を何本か取り出す。

「まだ、明るいよ?」

「確かに!」

 梓さんは腕を組んで考える。

「よし、鬼ごっこをしよう。鬼は辰だ!」

「えっ! なんで、俺!?」

「みんな逃げろい!」

 辰の言葉なんてなかったように梓さんは駆け出す。

 達也以外のみんなはそれに連れられるように駆け出す。

「しかたねぇな」

 辰は頭を掻き数を数え出す。

「智樹、行こ♪」

 雫ちゃんが僕の手握る。

「うん」

 僕もその手を握り返す。

「あ! そうだ! 辰がみんなを捕まえてね~」

「なんでだよ!?」

「捕まえて欲しいからだよ~!」

「ば、ばっかじゃねぇの!!」

 辰は顔を赤面させながらも数を数え出す。

(からかわれてるな~……)

僕は笑い、雫ちゃんを見る。

彼女もまた楽しそうに笑っていた。

「ん? 何?」

彼女はそれに気づき首を傾げる。

「な、なんでもない」

「ん?」

 僕の言葉に彼女は首を傾げる。

(楽しそうで良かった……)

 僕は心からそう思った。


「やっと、終わった~」

 辰は砂浜に倒れるように腰を落とす。

「いや~、捕まっちゃった~!」

 最後まで逃げ切っていた梓さんが満足したような声を上げる。

 梓さんが頑張ったおかげで辺りは真っ暗になって月明かりと星の光だけが辺りを照らしている。

「さぁ、花火の時間だ!」

 さっきまで走りまわっていた人だとは思えないほど余裕の表情でポケットからうんこ花火(正式名称 蛇花火)を取り出しポケットからライターを出して火をつける。


 シュー……。


「シュールだね~……」

 どこからかそんな声が聞こえてきて、子供だけでやる花火大会が始まる。

「見よ! 二刀流!」

 浩二が手持ち花火を二本振り回す。

「何を俺は三刀流だぜ!」

 それに対抗するように両手と口に手持ち花火を持つ。

「自分はロケット花火ッス」

「「いやいや、それは危ないから!」」

 そんな三人を見て全員が笑う。

「ほら、智も混ざれよ」

 手持ち花火を片手に他の四人と半円になるように花火をしていた僕に辰が話しかける。

「なら僕はこれかな?」

 僕は一番でかい花火を手に持つ。

「それも危ないから!」

 すかさず、辰がツッコミを入れる。

「え? これダメだった?」

 二番目に大きな置き型花火を梓さんは手に持ちながら火をつける。

「「ダメでしょ!」」

 俺と辰がツッコミを入れる。

「本気でやる姉御パないッス」

「さすが、姉御だぜ!」

 大きな音をたてて火花が噴射する。

「ほりゃ」

 梓さんはそれを大きく振りかぶって海の方へ投げる。

それは小さな打ち上げ花火にも見えた。

「綺麗だね」

「うん」

 雫ちゃんの言葉に僕は頷く。が、その花火はポトンという音と共にすぐに海に落ちる。


 その後もビームソードなんて言いながら花火を振り回したり、花火で文字を書いたりといろんなことをした。

「花火って、こんなに面白いものだったんだね……」

 雫ちゃんが線香花火を見ながら笑う。

「そうだね。僕もあんまりこういうことしないから。こんなに楽しいのは初めてだよ」

 僕も線香花火を見ながらそう返す。

「うんこ花火だよ!」

「蛇花火だって!」

 少し離れたところから辰達の声が聞こえる。

(みんな、気を使ってくれてるのかな?)

 そう思うと嬉しい半面少し寂しく思った。

「こうして、楽しいのも智樹のおかげだね……」

 線香花火がパチパチと音を立てながら散らす火花が彼女の心情を表すように暗くて明るかった。

「もし、智樹に会えなかったらきっとこんなに生きることが楽しいなんてわからなかった……」

「…………」

 雫の線香花火の火の玉が落ちる。

「……本当に、ありがとう」

 彼女は今までで最高の笑みを浮かべて笑う。

 その笑顔に見蕩れた僕の線香花火の玉が落ちる。


 この気持ちはなんて言うのだろう。

 胸の中が暖かくて、心が満たされて、涙が出そうになる。

 僕は怖かったんだ。

 もしかしたら、自分がしてることは彼女を不幸にすることなんじゃないかって。楽しい記憶が逆に彼女を傷つけることになるんじゃないかって、彼女の笑顔を見る度に頭をよぎった。

「良かった」

 僕は心から安堵の声を漏らす。

 彼女はそんな僕に笑顔を向けてくれる。

「おーい、智~、雫~。ロケット花火するぞ~」

 辰が大声で俺達を呼ぶ。

「行こ♪」

「うん」

僕は雫ちゃんの手を取り辰達の元に向かう。

「って! 何、俺にロケット花火向けてんだ!」

「いいじゃん。どうせ減るもんなんだし」

「そういう問題じゃねー!」

 こうして、僕らの夏休みが始まった。


「サイ」

「ワンワン!」

 僕が石段を上がったところでサイを呼ぶとサイは叫びながらコチラに向かって走ってくる。

「お前も随分慣れたな~」

 僕は笑いながらサイを抱き上げる。

 抱き上げるとサイは僕の顔をキャンディーのように舐め回す。

「ははは、くすぐったいよ」

 僕はその場に座り込む。

「雫ちゃんはまだ来てないの?」

サイを顔から引き離して僕は周りを見る。

「クウン?」

 サイは鳴きながら顔を傾ける。

「そっか。来てないのか」

「ワン、ワン!」

 何時に集まるなんて約束はしてないが僕より先に彼女がいなかったほうが希なので心配になるが。希にあることなので特にどうするということはない。

「食う?」

 僕は家から持ってきたソーセージを見せる。

「ワンワン」

 サイはソーセージを取ろうと元気よく僕に飛びかかる。

「うわっ!?」

 僕は勢いに負けてサイに押し倒される。

(ど、どうしよう……)

 ソーセージを食べているサイは一向にどいてくれる気配がない。

「智樹!?」

 そこへ遅れてきた雫ちゃんが駆け寄ってくる。

「な、何やってんの?」

「見ての通りです」

 雫ちゃんは困った顔をした後、サイを抱き上げる。

「全く、智樹は……」

 さっきあったことを話すと雫ちゃんはサイを抱きながら少し呆れたように笑う。

「ワウン」

 サイは雫ちゃんに両手を掴まれてバンザイしながら立つような格好でコチラを見ている。

「エヘヘ……」

 僕は照れ笑いを浮かべて、頭を掻く。

「ほら、サイ」

 雫ちゃんがサイの前にソーセージを置くとサイはそれをなんの迷いもなく食べる。

「♪」

 そんなサイを雫ちゃんは母が子供に向けるような優しい笑みで見つめる。

「ねぇ、智樹」

「ん?」

 雫ちゃんはサイから目を放すことなく僕に話しかけてくる。

「再来週の日曜日にサイと一緒にピクニックに行こうか」

「いいんじゃない」

 僕もサイに視線を向ける。

「ワン!」

 サイも僕達が何を言っているのかわかってるように吠える。

「でも、なんで再来週の日曜日」

 今日は金曜日で明後日だって構わないし、夏休み中なので平日でも問題ない。

「来週の日曜日はお祭りがあるし……」

 なぜか雫ちゃんは俯く。

「日曜日の方が家族っぽくていい……から」

「そう、かな」

 僕はあまり共感できなかったが雫ちゃんがそう思うならそうなのだろうと思った。

「そうなの。ねぇ、サイ」

 雫ちゃんはソーセージを食べ終わったサイを抱き上げる。

「クウン?」

サイは首をかしげる。

「よーし。今日も遊ぶよ~! 行くぞサイ!」

 雫ちゃんはサイを下ろし、神社の下のダンボールに遊び道具を取りに向かうとサイと僕がその後ろについて行く。

「やっぱり、ボールが一番だよね~」

 そう言って、雫ちゃんがボールを取り出し立ち上がる。

「サイ」

 雫ちゃんが小さく投げたボールがサイの頭の少し上を山なりに飛び越え弾む。

「ワンワン!」

 サイがそれを取りに向かう。

「ワン」

 すぐにボールを喰わえて戻ってくる。

「よしよし」

 僕はボールを持ってきたサイの頭を撫でてボールを受け取る。

「よーし、こっちこっち」

 僕はボールを餌にするみたいにボールを頭の高さで左右に動かす。それを追うようにサイが飛び跳ねる。

「行ってこい!」

 僕が少し遠目にボールを投げ、それを目掛けてサイがかけて行く。


 そして、今週の日曜日。

「夏祭りだね~」

「夏祭りッスね~」

 僕達は夏祭りに来ていた。

「一つ聞きたいことがあるんだが……」

「どうしましたリーダー」

「なんで、女の子がいないんだ?」

「梓お姉ちゃんのこと?」

 暁人が辰の質問に質問で返す。

「なんでそうなる!?」

「落ち着こうよ、辰」

 僕が辰をなだめる。

「俺は極めて落ち着いてるぞ」

「そんなに焦らなくても来るって言ってたんだから……」

「誰も来て欲しいなんて思ってねーし!!」

(辰は素直じゃないな……)

 僕はそんなことを考えながらパラパラと人のいるだけの小さないかにも田舎な会場を見る。

 それも若者というよりもお年寄りの方が多く。自分達のような子供という歳の人間はおらず。本当に小さな子や中学生、高校生くらいの人が片手で数えられる程度だ。

「あんまり、人がいないんだね……」

 僕は何気なく呟く。

「こんなもんだろ?」

 辰は普通の顔で答える。

「そか……」

 僕も特に気にしたことではないのでこれで話題が途切れる。

「お兄ちゃん達発見!」

「おまたせ~」

「待った?」

 集まってから十五分、浴衣を着た女の子達がようやく到着する。

「待ちくたびれたぞ……」

 辰が女の子達から目を逸らす。

「そんなこと言わないの~。ほら、見て浴衣だよ」

「だ、だからなんだよ!」

 辰が照れながら大声を張り上げる。

「リーダー照れてるッス」

「リーダー照れてる」

「やっぱり、梓姉ちゃんか」

 洋太と浩二、そして暁人の三人に図星を突かれ辰はテンパってる。

(助けた方がいいのかな?)

「智樹」

「ん?」

 雫ちゃんが僕の近くに歩いてくる。

「ど、どうかな……?」

 赤とピンクの下地に黄色や水色などの水風船の柄がとっても可愛い着物を着て、後ろ髪を頭の後ろでまとめた雫ちゃんが上目遣い僕を見る。

「に、似合ってるよ」

 恥ずかしいと思いながも僕は自分の感想を雫ちゃんに伝える。

「あ、ありがと」

 雫ちゃんは顔を赤くして俯く。

「お兄ちゃん。私のは?」

「可愛い、可愛い」

 暁人が女の子達が来る前に買っていたたこ焼きを頬張りながら亜美ちゃんに答える。

「ありがとお兄ちゃん」

 亜美ちゃんは暁人のたこ焼きを食べる。

「何すんだよ!」

「可愛い妹にタコの手を」

 怒っている暁人に亜美ちゃんは笑って返す。

「可愛くない!」

「可愛くないの?」

 亜美ちゃんが泣きそうな顔で暁人を見る。

「うっ!」

 暁人が怯んで一歩下がる。

「か、可愛い。可愛いから泣くな!」

 暁人は慌てて亜美ちゃんをなだめる。

「本当に?」

「ホント、ホント。だから、泣くのだけはやめてくれ……」

「えへへ、わかった」

 暁人はちゃんとお兄ちゃんをやってるなと感心する僕。

「辰、私は? 私は可愛い? ねぇ、ねぇ」

「し、知るか!」

「照れちゃって~」

 辰は梓さんに絡まれて顔を真っ赤にしてる。

「なあ、洋太」

「何スか。浩二」

「なんか、俺らだけアウェイじゃないか?」

「浩二。それは言わない約束ッスよ……」

 洋太は浩二の方に手を置いた。


「ねぇ、ヨーヨー取りしようよ!」

「やだよ。子供っぽい……」

 梓さんの意見に辰が反対する。

「子供でしょ?」

「子供だけど……」

 僕達は二列になって並んで屋台を見て笑っている。


「よし、射的をしよう!」

「なついな」

「夏だけに?(笑)」

「リーダー寒」

「さすがリーダーッス。なにをも恐れぬ暴虐ぶりッス」

「ちげえよ!」

「お兄ちゃん。あれ取って! あの猫さん!」

「あ、アレは無理なんじゃ……」

「射的って、私始めて」

「僕も初めてだ……」

 僕達はお金を払いおもちゃのライフルをお姉さんから受け取る。

「なら、私達がお手本を見せてあげよう」

 梓さんが兵隊のような構え方でライフルを持ち狙いを定める。

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「って、なんで俺に撃つんだよ!?」

 辰の胸あたりに玉が当たり地面に落ちる。

「これで辰のハートは私のものだね」

「うっ!!」

 見事に打ち抜かれていた。

「よし、俺が一番でかいやつを取ってやる!」

「自分は一番小さいのを狙うッス」

「僕はどうしようかな……」

「お兄ちゃんはアレ!」

「だから、無理だって……」

「私はどうしようかな……」

 みんなが景品の値踏みを始める。

 僕もどうせ落とせないだろうと思いつつ景品を見つめる。

「あ」

 僕は見つけた景品に思わず声を上げる。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。ゴメン」

 僕は咄嗟に作り笑いでごまかす。

「ふ~ん。あ! あのぬいぐるみ、可愛い♪」

 雫ちゃんが一匹のぬいぐるみに狙いを定めて、みんなも自分の見つけた景品に目を向けている。

「よし」

 僕も自分の見つけた景品に向けてライフルを向ける。

(たまは五発。いけるかな?)

 一発目の玉が景品の横を通り過ぎる。

二発目は景品の上を通り過ぎる。

(思ったより、難しいな)

 三発目は景品に当たるも落ちない。

 四発目は隣の景品に当たるがビクともしない。

(最後の一発)

 僕は狙いを集中して引き金を引く。

 ストン。

 小気味いい音と共に景品が落ちる。

「やった」

「おめでとう♪」

 僕はその景品をお姉さんから受け取る。

「え? 何とったの?」

 自分の取りたいぬいぐるみに意識を集中してたからか雫ちゃんは僕が何を取ったかわかっていない。

 僕は咄嗟にポケットに景品を隠す。

「内緒」

「えー、なんでよ」

「それより、雫ちゃんはとれた?」

 僕はあまり触れられると言ってしまいそうなので話をすり替える。

「ダメだった」

「そっか……」

 僕は雫ちゃんが欲しがってたぬいぐるみを見る。

 それは少し大きめでさっき僕が見た位置から動いてないように見えた。

「辰、梓さん。手伝ってもらっていい?」

 僕は二人に尋ねる。

「いいよ~」

「まさか、同時撃ちとかするのか?」

 辰の言葉に僕は頷く。

「一度やってみたかったんだよね」

「確かにロマンがあるッス」

「俺達も手伝う」

「仕方ねーな……」

 洋太と浩二を見て呆れ笑いを浮かべながら引き受けてくれた。

「私も!」

「って、お前のはいいのかよ!」

「取れそうにないからいい♪」

 確かに亜美ちゃんが狙ってるのは雫ちゃんが欲しがってたものの三倍近くある大物でアレが落ちるところなんて想像ができない。

「これが取れたらそっちもみんなでやってみようか?」

「やったー!」

 僕の言葉に亜美ちゃんが喜びの言葉を上げる。

 そして、僕達は銃口を一匹の熊のぬいぐるみに向け構える。

「いっせーのーで!」

 僕の掛け声でみんなが一斉に引き金を引く。

 球は四発が熊のぬいぐるみに当たり、熊のぬいぐるみが大きく前後に揺れる。

「一気に叩き込め!」

 辰の叫びに弾が熊の周りに乱射される。


 そして、ぬいぐるみが棚の上から落ちる。

「よっしゃー!」

 辰が拳を握りしめてガッツポーズを取る。

「よし、次はあのデカ物だ!」

「やるッス」

 浩二の声に洋太が答えてみんなが大きな猫のぬいぐるみに狙いをつける。

 結果はびくともしない。

「取れなかったね」

「アレはしかたないだろ」

「そだね~」

「なんかくやしッスね」

 みんなが結果として動きもしなかったことに残念そうに言葉を漏らす。

「祭りだからそういう景品があってもいいんだろうな。盛り上がるし」

「確かに、盛り上がりすぎて財布の中が空っぽだよ」

「確かにもうほとんど残ってないよ。でも――」

 僕は斜め前を歩く亜美ちゃんを見る。

「見て、見て。雫お姉ちゃん」

 亜美ちゃんがお姉さんにお金をほぼ使い切った僕達を見かねてくれた大きな猫の人形を持ち上げて雫ちゃんに話しかける。

「可愛いね。猫さん」

 それに対して雫ちゃんがさっき落とした熊のぬいぐるみを胸に抱きながら雫ちゃんが答える。

「雫お姉ちゃんの熊さんも可愛いね」

「うん」

 僕はそんな二人を見て口元をあげる。

「楽しいからいんじゃない?」

「そうだな」

 辰も同じく口元をあげる。

「辰! 型抜きでバトルしようぜ!」

「型抜きかよ……」

「お兄ちゃん! あっち行こあっち!」

「って、走っちゃダメだろ!?」

「仮面屋ッスよ!」

「ホントだ」

 みんながバラバラに祭りを堪能し始める。

「雫ちゃんはどこ行きたい?」

「私は金魚すくいかな?」

 そう言って、金魚屋の屋台まで僕の手を握って小走りに向かう。

「一回お願いします♪」

「あいよ!」

「僕もお願いします」

「恋人かい?」

 屋台のおじさんが僕と雫ちゃんに網を渡しながら聞いてくる。

「そ、そうです」

「ハッハッハ、若いのはイイねぇ。ほら、嬢ちゃんにもう一本!」

「あ、ありがとうございます!」

 もう一本 網を渡されて雫ちゃんは慌てて受け取る雫ちゃん。

「俺の若い頃はな――」


「この仮面カッコよくね」

「マジぱねッス」


「お兄ちゃん綿飴買って」

「どれ?」

「このピンクのやつ」


「辰は不器用だな~ww」

「型抜きなんてかったるいもんやってられっか!!」

「できないからって。プププッ」

「笑うな!!」


「次、行くよ~♪」

「ま、待ってよ~」

 僕は掬った金魚を受け取り雫ちゃんの後を追う。

「気張ってこいよ。坊主!」

屋台のおじさんが僕達に手を振る。


ヒュ~……バーン。


 みんなが祭りを堪能し終わって集まると空から懐かしい音が鳴り響く。

 僕は顔を上げる。

 少し向こうでピンク色の光が夜空に煌き、その色は時間と共に青に変わり消えていく。

「花火だ……」

 遠くからしか見たことのないそれは近くで見るととても圧力があって綺麗で神々しかった。

「お! 今年も綺麗だね~」

「花火なんて見飽きたよ……」

「こういう人間が増えてるから現代社会にゴミが増えるんだよ」

「それは、俺のことをゴミだと言ってるのか?」

「そう言ってるんだもんよ!」

「酷いな!」

 梓さんと辰が漫才を始めてしまった。

「梓お姉ちゃん。いつものところ行こうぜ!」

「だね」

「めんどいな……」

 そう言って、僕と雫ちゃんを除いたみんなが一斉に歩き出す。

「あ、そうだ。智達は知らないだろうけど俺らいつも近くの高台から花火見てるんだよ」

 そんな、俺達を見て辰が話しかけてくる。

「そうなの?」

「そうなんだよ。めんどいことに」

 辰は溜息をついてだるそうな表情をつくる。

「そんなこと言うもんじゃないッスよ。リーダー」

「俺達なんて梓の姉御に会うまでは男二人で花火を――。うぅ……」

「浩二……。泣いちゃダメッス」

 洋太と浩二が抱き合った。

「ダメだな。こいつら……」

「それは言いすぎじゃ……」

 そんなこんなで俺達は近くの高台に到着した。

 足首ほどある草が風に揺れ、花火がそれらを色鮮やかに染め上げる。

「おっきい……」

 雫ちゃんが両目を見開くように一面に広がる大きな花火を見上げる。

「…………」

 僕は無言で息を呑む。

「どうどう!? ここからの眺めは最高でしょ~ww 何より島の半分が見渡せるのだ~」

 梓さんが目をキラキラと輝かせながら僕達を見る。僕はその言葉に首を縦に振る。

「あくびの出る光景だ」

「あんだと! 辰坊!」

 辰があくび混じりに漏らした言葉に梓さんは両手を挙げて辰に襲いかかる。

「んなっ!」

 辰は軽くポコポコと殴られて慌てて梓さんから逃げる。

「おりゃあ!」

「なんの!」

洋太と浩二が仮面を被って手頃な枝を持ってチャンバラごっこを始めた。

「とう!」

「「暁人!?」」

「ヒヒン、僕も買ったからね~」

「ふふふ、望むところッス!」

「頑張れお兄ちゃん!」

 暁人がチャンバラごっこに参戦し、亜美ちゃんが応援する。

「智樹……」

「ん?」

 隣にいた雫ちゃんが僕を見る。

「その、さ……」

 僕の手を見て自分の手をモゾモゾと動かす雫ちゃん。

 僕はそんな彼女の手を包み込むように掴む。

そして、そんなことをした恥ずかしさから雫ちゃんから花火の咲き乱れる空に視線を背ける。

 僕とは反対に雫ちゃんは視線を地面に落とす。

「智樹……」

 もう一度、呼ばれて視線を雫ちゃんに向ける。

「ん!」

 雫ちゃんの顔が僕の視界いっぱいに広がり唇に柔らかな何かが当たっている。

 時間は止まり頭の中が真っ白に変わる。

 そんな中、花火の鳴り響く音と友人達の声だけが聞こえてくる。

 数秒後、雫ちゃんが僕の顔から顔を離し俯く。

「こ、こういう時にするもの、だよね?」

 雫ちゃんが顔を赤くして怯えた表情で僕を見る。

 僕はそんな彼女を本気で可愛いと思った。

 さっき、射的で取ったおもちゃの指輪をポケットから取り出し、雫ちゃんの左の人差し指に通す。

「え!?」

「好きだよ。雫ちゃん」

 僕は笑顔を作りながら自分の左手の人差し指に刺さったおもちゃの指輪を見せる。そして、僕は彼女に目を力一杯 瞑ったままキスをした。

 甘い香りがして、彼女の髪が僕の頬を撫でる。

 触れるだけのキスが心臓を激しく高鳴らせ顔を熱くさせる。何もかもが夢のようなそんな気さえする。

どちらからともなくお互いの唇を話す。


ヒュ~……バーン。


「雫ちゃん……」

「智樹……」

 僕達を祝福するように一段と大きな花火が咲く。

「智~♪」

 不意に横から梓さんの声が楽しそうに聞こえた。

「なっ!」

 僕達は声に振り返るとみんながコッチを見ていた。

「こら、梓。邪魔すんなよ」

「え~。このくらいが妥当なとこだと思いますよ。ねぇ亜美奥様」

「私としてはもうちょっと見たかった、かも?」

「悔しッス!」

「なんで、お前ばっかり……」

「僕は見てないからな」

 みんながそれぞれに言ってくるが僕達はその光景を顔を真っ赤にして見ていた。


「智樹」

「何?」

 僕達は花火が終わった後、すぐに解散して家路についている。そして、辰達の配慮であろう僕と雫ちゃんの二人で歩いている。

「楽しかったね」

「そうだね」

 雫ちゃんの下駄の音だけが夜道に響く。

「このまま、時間が止まってしまえばいいのにね」

 恥ずかしいセリフだとわかってるのか笑顔を保ちながらも空を見上げる。

「うん」

 雫ちゃんの手を握ってる手に力を少し込める。

「ついちゃったね」

 無言の時間が過ぎて雫ちゃんの家に到着する。

「そうだね」

 僕は作り笑いを浮かべながら手を離す。

「また明日ね」

「うん。また明日」

 雫ちゃんは駆けるように玄関のドアの前まで行くとこっちに振り返って手を振る。僕もそれに対して手を振り返す。

 僕が手を振り返したことを確認すると笑みを強め家の中へと消えていく。

 僕はそれを黙って見送った後、自分の家に向かって歩き始める。

「また明日、か……」

 僕は雫ちゃんの温もりが残る右手を見つめる。




 祭りの日から三日目の午後。


(まだかな)

 僕は梓さんの呼び出しに雫ちゃんと向かうために雫ちゃんの家を背に玄関の前で待機していた。

辺りからは帰ると蝉の合唱が奏でられ静かというには余りにも声に溢れている。

「待った?」

 そんな合唱に耳を傾けていた僕に後ろから心地よい重みとともに明るい声をかけられる。

「おとと……」

僕は転びそうになる体を立て直す。

「ちょっとね」

そして、彼女の質問に笑顔で返す。

「ゴメンね」

 僕の返しに上機嫌に謝罪の言葉を口にする。そんな彼女の手をそっと握る。

「……」

 彼女は一瞬 驚きで表情を無くしたがすぐに笑顔で僕の横につく。

「祭りでもないのに夜に外に出るなんて新鮮だね。祭りの日でも新鮮なんだけどね♪」

歩き出すとゆっくりと楽しそうに腕を振る。

「確かに」

 僕はそんな彼女の言葉に共感する。

 夏の湿っぽく暑苦しい風がどこか新鮮で、どこか不自然で、不思議だった。

「ねえ、智樹」

「ん? 何?」

 僕は彼女の呼びかけに顔を傾ける。

「ずっと、こうしていたいね」

「……うん」

 僕は彼女の言葉に頷いた。

(本当にそうなればいいのに……)

 ただそれだけを思って。

「そういえばさ、辰也が最近 梓のことばっかり話してきて困ってるって洋太と浩二が相談してきたんだよね」

 叶うはずのない願い。それは、みんな同じだ。

「へー、それで、どう答えたの?」

 だって、永遠なんてないんだから……。

「『それが春ってものでしょ?』って、言ったら『リア充爆発しおろー!』って走って行っちゃった」

 でも、それでもきっと僕達よりも長い時間 一緒に居られることができるって決まってるんだ。

「何それww」

 僕はそれが恨めしく羨ましかった。

「何なんだろうねww」

 誰かは言う。

『付き合うなんて遊びだろ? 結婚なんて考えられないし、好きじゃなくても付き合うものでしょ?』

 と。

 でも、僕は違う。好きで好きでしょうがなくて……。

「きっと、リア充な僕達にはわからないことなんだろうね」

ずっとずっと、そばにいたいんだ。

「だね~」

 この笑顔をずっと見ていたくて……。

「今が一番人生で幸せかもしれない」

 この暖かい手を握っていたくて……。

「これから、もっと幸せにするよ」

「うん」

 彼女は握った手に力を少し込めて、花の咲くような笑顔を僕に向ける。

(絶対に……)


 学校の校門に着くと皆が先に待っていた。

「やっと来たなこのバカップル」

 梓さんが僕達を冷やかすように笑いながら手を振る。

「誰がバカップルよ」

 雫ちゃんが笑いながら文句を言う。

「アンタら二人でしょうが……。この熱々カップルが……。コンチクショー」

 なぜか、途中から叫びだした。

「梓。泣くくらいならいじるなよ……」

 辰が呆れ混じりに溜息をつく。

「だって~」

 そう言って、梓さんは呻くように言い訳を言おうとするが言葉を詰まらせる。

「クッソー! よし! 肝試しやるぞー!」

 梓さんが仕切り直すように叫ぶ。

「オッシャー!」

「えぇ……。怖いのヤダな……」

 はしゃぐ暁人に怖がって暁人に隠れる亜美ちゃん。

「肝試しなんてこここここ、怖くなんてないッスよ!」

「洋太って、馬鹿だ馬鹿だと思ってたがここまでとは……」

 怖がってる洋太に浩二が呆れる。

「誰がバカだーー!」

「お前?」

「言ったなこの野郎」

「言ったがどうしたこの野郎」

 そう言って二人は拳を顔の前に構える。

「うるさいな。二人して!」

「「すいません、姉さん!」」

 梓さんの一言に洋太と浩二が90°に腰を曲げて謝る。

 他のみんなはそれを見て笑う。それを見て、洋太と浩二が互いの顔を見合って笑う。梓さんは呆れ顔で笑う。

「そんなわけで、肝試しするよ。肝試し」

 こうして、楽しい楽しい肝試し大会が始まった。

「ルールは簡単。学校の音楽室、教室、トイレ、保健室、体育館にこの順序通りに回ってスタンプを押してくること。以上!」

 そう言うと、梓さんが俺と雫ちゃん、暁人に亜美ちゃん、洋太に浩二へと手書きの地図とスタンプカードを渡される。

「あれ? 辰のぶんは?」

 僕は辰が地図をもらってないので梓さんに尋ねる。

「辰は私と一緒で脅かし役だから」

「なるほど」

 僕は納得すると梓さんが籤を取り出し皆の前に向ける。

「籤で組みあ合わせを決めなきゃ不公平だよねww」


 組み合わせは

 僕と雫ちゃん

 暁人と亜美ちゃん

 洋太と浩二


「な、なぜだ! なんで、コイツとなんだ!」

「それはこっちのセリフッス」

「お兄ちゃん、一緒だね」

「お、おう」

「よかったね。智樹」

「だね」

 それぞれに籤の結果の感想を言い合う。


 校内は静まり返り、いるのが二人だけだと実感させる。

「夜の学校って怖いよね~」

「不気味だよね~」

 雫ちゃんの言葉に僕は思ったことを口にする。

「でも、楽しい」

 雫ちゃんはクスリと笑う。

「うん」

 僕は小さく頷く。


 教室につき、ドアを開けると教卓の上にスタンプが一つ置いてあった。

「あったね。スタンプ」

「なんの、仕掛けもなかったけどね」

「拍子抜け?」

「そんなとこ」

 僕がスタンプに触れるとその手に雫ちゃんの手が触れる。一度、手を放し合い。

「一緒に押そうか」

「そうだね」

 雫ちゃんがスタンプに手を置き、僕はその手の上に手を置く。

ストンと小気味いい音と共に赤いマークがカードの上に残る。


 屋上のフェンスに寄りかかりながら二人で星を眺める。

「なんで、肝試しなんてやろうと思ったんだよ」

 辰也が私に話しかける。

「ッフッフフ。楽しいからに決まってるじゃん♪」

 私は冗談まじりにテンションを上げる。

「だったらなんで俺達まじんないんだよ。脅かし役って言ってもやる事なんも決めてないだろ」

「それは、内緒」

 私は唇に立てた人差し指を当てる。

「内緒って。スゲー退屈なんですけど……」

「まぁまぁ、気にしないで待とうよ。二人でね」

(二人っきりでさ……)

 夏の生暖かい風が私の髪を靡かせる。

「ま、いいけどさ」

 辰也は興味を失ったように溜息をつく。

「でもさ、たまにこういうのもいいよね」

「たまにって、この間。祭りとか花火とかいろいろしただろうが……」

「あれも楽しかったな~」

 私は今年の夏のことを思い出しながら笑みをつくる。

「今年は楽しくなってよかったね」

「これからどうなるかはわかんねーけどな」

「なるよ。きっと……ね」

 私は辰也に笑顔を向ける。

「なるといいな……」

 辰也は私から顔を背けて、ぼそりとそう呟いた。

「な」

 そう言って、私はまた天を仰いだ。

(早くみんなこないかな……)




 僕達が屋上に着くと僕達以外の皆が集まっていた。

「はい。皆到着だね~」

 梓さんが僕達の到着を見て立ち上がる。

「今日の集まりはこれからが本番だよ!」

 皆が一斉に梓さんを見る。

「そういうこと」

「知らん」

 僕は辰に説明を求めるとその一言で一蹴される。

「ま、見てればいんでねーの」

 退屈そうに辰は梓さんに指を指す。

 梓さんは大きく腕を振りかぶり、何かを宙に散蒔く。

「さぁ、刮目するがいい」

 無数の蒼い点が梓さんの周りに降り注ぐ。

(ねぇ、辰也。覚えてるかな……)

 降り注いでいた蒼い点が空に舞い上がる。

 それは、幻想的で美しくて神秘的な輝きだった。

「あ」

「お」

「すげぇ……」

「ッス……」

「すごい……」

 皆が息を飲んでその光景を見つめる。

(三人で見たこの光景を……。約束を……)


「遅いぞ。辰也!」

「オメエがはえんだっつの」

 私は辰也に向かって呼びかけると機嫌悪そうに返してくる。

「ってか、荷物ちょっとくらい持ってくれよ……」

「確かに!」

 もう一人の彼に文句を言われ、辰也がそれに同調する。

「もうちょっとだから頑張れ男の子!」

「「え~」」

 そうして、ようやく目的地に到着する。

「すっごーい!! 早く早く! やっばいよ!!」

 それは、蒼く輝く川の辺。中に浮遊する蒼が水面に写り全ての視界が蒼一色に支配される。

「って、だったら手伝えよ……!」

 辰也が肩で息をし、苦しげな声を上げながら上がってくる。

「すげ~」

「お~」

 そして、感嘆の声を上げる。

 三人が並んでその光景に見入る。

「来年また来ようね」

 それが、三人の約束。


(だけど、三人で見れなくなっちゃったからね)

 私達は飛び立っていく螢を追って天を見上げる。

(せめて、今いる皆で見たかったんだよね)




 螢を見た日の次の日の昼。

「あち~」

「暑いね~」

「暑いッスね~」

「暑い……」

 僕達男陣(暁人を除いた)は僕の家で畳の上に寝っ転がっていた。風に揺られ風鈴だけが涼しげな音を立てている。

「なぁ、なんでこんなに夏は暑いんだ……」

「リーダーが熱血だからではないですか?」

「なんだそれはー……」

「今は熱血というよりもグッタリ怠け者ッスけどね~」

「確かにね~……」

 全員がだらけながらダラけた話をする。さっきまであったであろうアイスの棒が口から落ちる。

「これ、マジで死ぬ!!」

 辰が上半身を起こす。

「よし、川に行こう!」

「海じゃなくて?」

 僕が辰に聞き返す。

「川だ! 今日は川な気分なのだ! 水鉄砲を各自準備だ」

「いっちょ、遊びますか」


 そんなこんなで僕達は川に水遊びをしに行くことになった。

「智。お前との因縁の対決ここでつけてやる!」


 僕と洋太vs辰と浩二


 辰が海パン一丁で岩の上に上り水鉄砲を僕に向ける。

「いやいや、そんな因縁ないでしょ?」

「そう言う設定なんだよ!」

 僕の冷静な返しに辰が地団駄を踏んで返す。

「リーダーはこういうのが好きなんスよ。最近は特に……」

 僕は洋太の言葉に苦笑して辰に水鉄砲を向ける。

「よし、来い!」

「そうこなくっちゃ!」

 辰が岩から川に飛び込む。

「まずは、弾の補充だ!」

「イエッサー!」

 辰達が水を水鉄砲の中に補充し始める。

「よし、僕達は辰達を狙って撃ちまくるぞ」

「了解ッス」

 僕達は辰達が岩に登ってる間に水を補充した水鉄砲を向ける。

「卑怯だぞ。お前ら!」

「万全の準備をして戦場に挑む。これこそ、武士というものだよ」

「聞いたことのない論理だ!?」

 僕の答えに辰がツッコミで返す。

「勝負は戦う前からついているッス!」

 洋太は楽しそうに水鉄砲を乱射する。

「イッケーー!」

「こっちも充電完了!」

 それを向かい打つ形で辰達が水鉄砲を構えてすかさず打ってくる。

「オラオラオラ!」

「くらわないよ」

 僕は辰の攻撃を岩に隠れてやり過ごす。

「ふっふっふ。こちらは弾の補充がいくらでもできるのだ観念して出て来い!」

「こっちはいくらでも隠れられるッスよ! 降参するなら今のうちッス」

 僕達はそう言いながら岩に上り、辰達に水鉄砲を向ける。

「外は暑いんだ。長い間、川を出てることなんてできるものか」

「その通りです」

 僕達がさっきまでいた岩場に叫びかける辰と浩二を見て僕と洋太はお互いの顔を見合わせ笑い合いもう一度二人に視線を向け引き金を引く。

「「うわ!?」」

 辰達は驚いて川の中で転ぶ。

「成功!」

「行くッスよー! ヒャッホー!!」

 僕達は辰達が転んでるうちに川の中に飛び込む。

「クソ。やられた!」

 辰達は立ち上がり僕達に水鉄砲をむけて水を乱射する。

「ウリャー!」

「トリャー!」

 僕達はそれぞれに掛け声をかけながら体力が尽きるまで遊び倒した。

「つ、疲れた……」

「も、もう、動けん……」

「死ぬッス」

「いや、もう死んでる」

 川原で川の字プラス一で寝っ転がって荒い息をしていた。

「そういやさ。智」

「なに……?」

 息を荒くしたまま辰が僕に質問をしてくる。

「前から思ってたんだが――」

「ついに、リーダーが禁断の愛の道に!」

「しかたないさ~」

 辰が話し出そうとするのを洋太と浩二が遮る。

「違うはーー!! つうか、禁断の愛ってなんやねん!!」

 話を打ち切られた辰は大声を出してそれを打ち切る。

「俺はいつも雫と智が何をしてるか気になっただけだ!」

「聞きました洋太奥様。恋人同士の営みを教えて欲しいそうですよ」

「たっちゃんもそう言うお年頃ってことッスね。浩二奥様」

 洋太と浩二が近所のおばちゃん口調で辰をからかう。

「誰がたっちゃんだ、こら!」

「きゃー。怒られたー」

「怒られたッスー」

 僕はその三人の漫才を苦笑いしながら聞く。

「つまり僕が辰達と遊んでない時、雫ちゃんと何をしてるかってことだよね?」

「そうそう」

 このままだと話が進まないので助け船を出すと、辰は目を閉じて腕を組み二回頷く。

「犬と遊んでるよ」

 僕は小さくまとめてそう言った。

「犬? お前の?」

「いや、違うよ」

 そうして、僕はサイについて辰達に話した。

「なるほどね。それで、あの時期は俺達の誘いを断ってたのか……」

「まぁ、そういうことかな?」

 僕は苦笑いを浮かべながら答える。

「犬ッスか~。昔はよくいましたが今はあんま見ないッスね~」

「そうですな」

 洋太と浩二が『犬』というワードに腕を組みながら難しい顔をする。

「よかったら、みんなも見に来る?」

「マジッスか!?」

「いいね」

 僕の誘いに洋太と辰が乗っかる。

「でも、雫の姉御はいいんでスか?」

 浩二が僕が考えもしなかったことについて質問してくる。

「ん~、どうだろ?」

 特に秘密にするとか言ってなかったとは思うが誰かに見せる許可をしたわけじゃない。

「明日にでも聞いてみるよ」

「おう。よろしく~」

 そんな感じで僕達の明後日の予定が決まる。

「じゃ、また明後日な~」

「うん、また~」

 僕は軽く手を振って辰達と別れる。

 何も不安に思うことのない明後日のことを考えながら僕は夕焼け色に染まる道を歩いて帰路につく。


 そんな明後日など訪れはしないのに……。


「雫ちゃん。こんにちは」

「こんにちは~」

 僕は昼ごはんを食べた後、雫ちゃんとサイに会いに神社に来ていた。

「智樹、智樹」

「ど、どうしたの?」

 いつも冷静な雫ちゃんがはしゃぐように話しかけてきたので僕は戸惑いながら答える。

「見て、見て。行くよ!」

 雫ちゃんはそう言って右手を前に出す。

「お手」

「ワン」

 雫ちゃんの右手にサイが左前足を置く。

「おお!」

 僕はその様子を自分の目で初めて見たので驚く。

「よしよし」

 雫ちゃんはもう片方の手でサイの頭を撫でる。サイは嬉しそうに尻尾を振る。

「昨日、いっぱい練習したんだよ」

 そう言って雫ちゃんは僕に微笑む。

「すごいよ」

 僕は心からの感想をいい雫ちゃんが照れる。

「智樹もしてみる?」

「うん」

 僕は雫ちゃんの隣に座り、手を前に出す。

「お手」

「ワン」

 サイは僕の右手に左前足を置く。

「おお!」

 僕は感動にも似た感情を声に出す。

「どうよ、どうよ!」

 雫ちゃんがはしゃぎながらサイの頭を撫でる。

「すごい……。感動した……」

「でしょ、でしょ♪ 次はおかわりに挑戦だよ! 智樹も手伝って」

「うん」

 そうして、僕達は時間を忘れてサイと遊んだ。

「そう言えば、明日、辰達がサイに会いたいって」

 僕は昨日の辰達の話を思い出して話し出す。

「ん? そうなの」

「うん。ダメだったかな……?」

「いいんじゃないかな? サイもその方が楽しいと思うし」

 雫ちゃんはサイを抱き上げ、快く了承してくれた。

「そっか。よかった」

 僕はそれを聞いて笑う。

「よし、今日はそろそろ帰ろうか……」

 雫ちゃんが雨が降りだしそうな空を見て、サイを下ろし立ち上がる。

「あ」

 サイの足がボールにあたりボールが石段の方に転がって行ってしまい、雫ちゃんが小さく声をあげる。

「ワンワン」

 転がったボールをサイが追い、サイの頭がボールにあたりボールが石段から落ちる。

「あ、サイ」

 サイがボールを追って石段を降りていく。僕と雫ちゃんがそれを追う。

 何度かあったことなので特に心配することもなかった。そのはずだった……。


ドンッ。


 だがその瞬間、世界に違和感が生じた。

 「キャウン」と言う小さな悲鳴が鈍い音と共に響く。

「サ、イ……?」

 雫ちゃんがある一点を見つめて硬直する。

 僕は言葉を発することすらできずにそれを見つめた。


 そこには、車に引かれたサイの姿があった。


「サイ!」

 雫ちゃんはグッタリとしたサイに駆け寄り、抱き上げる。

「サイ!」

 僕もサイに駆け寄りサイの状態を確認する。

 まだ息はしている。

「は、早く病院に運ばなきゃ!」

「う、うん!」

 僕の言葉に雫ちゃんは立ち上がり病院に向かう。

 雨が僕達の心を表すようにポツポツと降り始める。

(なんで……)

 僕は雫ちゃんを気にかけながら走る。

「わっ!!」

「!」

 何分走っただろう。ポツポツと降り始めた雨も強くなり、濡れた小石に雫ちゃんが滑って倒れそうになるのを僕が支える。

「大丈夫?」

「うん。早く行かないと!」

 雫ちゃんは息を荒げながら狂ったようにまた走り始める。

「急がないと……。急がないと……」

 雨で濡れた体を必死に動かす。

「早くしないと死んじゃう。サイが……。サイが死んじゃう……」

 ヨタヨタとした足取りに僕はサイのことよりサイを抱えて走っている雫ちゃんの方が心配になった。

「私のせいでサイが……、サイが死んじゃう……!」

 雫ちゃんは何度も何度も砂利道に足を取られ転びそうになる。

 君のせいじゃないと叫びたかった。でも、こんな状況で言えるはずもない。

「あっ!」

 雫ちゃんは転び、抱えていたサイを投げ出す。

「サイ……。サイ……」

 雫ちゃんは必死に手を伸ばす。

 僕はそんな彼女に駆け寄り、彼女を抱き寄せる。

「大丈夫!」

 彼女はとても冷たく全身を震わせている。

「サイを早く。病院に連れて行かないと……」

 彼女はそれでも立ち上がり、サイを抱きしめ歩き出す。

(なんでそこまでするのさ……)

 僕はそんな背中を見て最低のことを思ってしまった。

「行かなきゃ……」


「残念だけど……」

 僕達が病院についた頃にはサイの体は冷たくなって、雫ちゃんも涙を隠すようにずぶ濡れになって泥で汚れていた。

「なん、で……」

 医師の言葉に雫ちゃんはサイを抱いたまま地面にへたり込む。雫ちゃんの濡れた体から病院の床を濡らす。

「う、う、うう。サイ、サイ……」

「雫ちゃん……」

 僕は泣き出した雫ちゃんの肩を抱いて病院の外に出る。

 外は晴れることのないような重い雲を黒々と彩り、涙のように生暖かい雨を降らしていた。

「雫ちゃん……」

 僕は未だにサイを抱きかかえている雫ちゃんの背中に手を置き、そっと話しかける。

「死んじゃった……」

 雫ちゃんは雨で泣いてるのか泣いてないのかわからない顔を歪める。

「死んじゃった……。死んじゃった……、死んじゃったよ……」

 僕はどうしていいかわからず彼女を抱き寄せる。

「なんで? これからだよね? なんで? なんでなの? 一緒にピクニックに行くって言ったじゃん……! ねぇ、なんで? なんでなの? 教えてよ……。教えてよ……」

 僕の腕の中で雫ちゃんが嗚咽混じりの涙声に自分の額を僕の肩に押し付ける。

「……」

 僕は何も言わず彼女を抱きかかえていることしかできなかった。

「サイを埋めよう」

 僕は涙も枯れた彼女に僕は一番的確で残酷な提案をする。

「……」

 彼女は俯いたまま動かない。

 僕はその彼女の手を引き神社に向かう。


「サイを……」

 僕はサイの入れていたダンボールの中にあったシャベルで穴を掘り、雫ちゃんにサイを僕に渡すように両手を雫ちゃんに向ける。だが、彼女は僕の言葉など聞こえておらずサイを見たまま放心していた。

「雫ちゃん!」

 僕の声になんの行動も示さない雫ちゃんにもう一度 僕は声を上げる。

「いや……」

 雫ちゃんが静かに呟く。

「サイは……、サイは! 生きてるもん! サイは!」

 サイを抱える力を強くし地面にへたりこむ。現実を拒否するように強く目を瞑って。

「サイは死んだんだよ!」

 僕は雫ちゃんの肩を掴んで叫ぶ。

 彼女を現実に連れ戻す一言を。

「さっき、自分で言ってたじゃないか……。死んじゃったって……」

「でも……、でも、サイは私達の友達なんだよ!」

 彼女は僕を見上げて、涙をこぼす。

 僕はそんな彼女の顔に罪悪感を抱く。

「なんで、埋めるなんてできるの!? そんなこと、そんなこと……」

 僕はなんでこんな冷静にサイの死を受け入れ、土に埋めようとしているのかと。おかしくないはずのことで。何も間違っていない、当然の誰もがするであろう行動。

 けど、彼女は違う。

 離れたくない。

 そう感じて、当然の行動ができなくなっている。

 もしかしたら、それが普通なのかもしれない。

「じゃあ、どうするのさ……?」

 でも、僕にはその選択はできない。

 そんなこと考えられない。

 死んだのなら埋めるしかない。

 涙ひとつ僕は流すことはない。

(だって……)

「うっ……」

 さっきまでの勢いは失せ、言葉につまる。

「ずっと抱いてるとでも言うの!? 君はそれでいいのかもしれないけどサイがかわいそうだよ!」

(僕はこんな雫ちゃんをこれ以上見てられない……)

 『死人に口なし』

 僕は心の中で呟く。

「死んで腐っていくサイの姿を見続けることができるの!? サイはそんな姿を見られることを望んでるの!?」

(ただ、僕は彼女の笑顔を見たくてサイが死んだという現実を土の中に埋めてなくしたいだけなんだ……。そんなことわかってる!)

「サイは埋めなきゃいけないんだ……」

(だからって、わかってるからって他にどんな方法があるんだよ! 一緒に嘆けばいいのか? 一緒に放心すればいいのか?)

 僕は再び僕から目を背けて地面に視線を落とす雫ちゃんからサイを奪い取る。

 彼女の手は力を失い簡単にサイは僕の手の中に収まる。

「サイ……」

(僕は間違っていない……。こうするしかないんだ)

 自分の行動を正当化するように自分自身に言い聞かせサイを穴の中にゆっくりと寝かす。

 こうして見るとすぐにでも起きだしてきそうなそんな感じすらする。


『サ~イ♪』

『ワン』

 雫ちゃんが抱き上げながらサイを呼ぶといつも尻尾を振って答え、時には雫ちゃんのホッペを舐める。

『くすぐったいよ、サイ』

『ヘッヘッへッ』


『ソーセージだ!』

『ワンワン』

 サイは僕に飛びかかりソーセージに齧り付く、僕は三度目 サイの下敷きになって、雫ちゃんがそれを見て笑い、自分が持ってきたソーセージをサイに食べさせる。

『智樹はダメだね~』

『ワウン?』


 なんで、こんなことになってしまったのか……。

 きっと、運が悪かったからだ……。

 そんなことは知ってる。

 だからって、それで諦め切れるのか?

 答えはみんなが揃って『NO』と言うだろう。

 誰かのせいにして自分は悪くないと自らを守る者。自分がこうしていればこんなことにはならなかったと自らを攻める者。

 誰かが悪くなくちゃいけなくて、曖昧なことは許されない。


 サイが雨で流れ込む泥の中に姿を埋めていく。

「サイ……」

 雫ちゃんが立ち上がることなくサイに手を伸ばし、僕はそんな彼女を抱き締めて抑える。

「私のせいで……? 私がボールがある場所にサイを下ろしたから?」

 彼女の体は雨に濡れ氷か何かのように冷たい。夏の雨なのでそんなことはないはずなのに僕はそう感じた。

「私のせいでサイが……。サイが……」

 雫ちゃんは抱きしめた僕を押し倒そうと力をかけ続ける。見開いたまま閉じない目は焦点が定まっていないのか揺れる。

「いや……、いや、イヤ、嫌、嫌ァァァアアあああああああぁあああ!」

 言葉を紡ぐ度に埋もれていくサイの姿に雫ちゃんが絶叫する。

「さい、サイ、サイぃ!」

 そして、最後に残った耳が完全に泥に埋まる。

 雫ちゃんは糸の切れた人形のように力をなくす。

「……」

 雫ちゃんは無言で何もなくなった地面を見続ける。

「雫ちゃん……」

「智樹……」

 雫ちゃんは力を失った瞳で僕を見る。

「私もこんな風に死ぬのかな?」

「え?」

 僕は一瞬なにを言われたのかわからずに聞き返してしまう。

「ゴメン……」

 雫ちゃんは呟き僕の腕の中から立ち上がる。

「帰るね……」

 彼女は歩き出し、僕はそれを止めようとして手を伸ばすがその手は彼女を掴む前に壁に当たったかのように止まる。

 僕には彼女を呼び止める言葉が思い浮かばなかった。




どうして、こうなった。

私がサイをボールのあるところに下ろしたから。

私さえちゃんとしてればサイは死ぬことはなかった……。

「雫?」

 私は母の言葉を無視して自分の部屋に入り、ドアにもたれかかる。

 涙は枯れたのか髪を湿らせていた雨水だけが瞳から頬に流れて落ちる。


 私がもっと早く死んでいればこんなことにはならなかった。

 私なんて死んでしまえば……。


 言葉の鎖が胸を縛り、その痛みに違う鎖が産まれ胸を縛る。

 繰り返して、繰り返して、繰り返して……。

 止まるはずのないと思える連鎖は唐突に終焉を迎える。

 意識が朦朧とする。

 視界は歪み、体中の力は抜け、私は倒れこむ。

(死ぬのかな?)

 死んだら、サイに会えるだろうか?

 会って、謝れるだろうか?

 そう思うと少しだけ心が楽になった。

 そして、睡魔にも似た感覚に身をゆだね私は意識を手放した。




「智」

僕は辰達との約束のため鉛のように重い体を起こし、神社に続く石段の前に来ていた。

「おはよう」

 辰の呼びかけに僕は作り笑いで答える。

「どうかしたッスか?」

「なんか元気ないですね」

 洋太と浩二が眉を顰める。

「ゴメン」

 僕は唐突に辰達に頭を下げる。

「どうか、したのかよ……」

 気まずそうに辰が僕に尋ねる。

 そして、僕は石段に座り昨日あったことを辰達に話す。

「そんな、ことがあったんスね」

 洋太が声を沈めながら出した言葉に僕は頷く。

「悪い。俺が今日会いに来たいなんて言ったから……」

 辰は今日のことを話した直後に起こったということに責任を感じて謝っているのだろう。僕はその言葉に首を横に振る。

「サイが死んだのは誰のせいでもない。ただ、運が悪かっただけだ」

 僕の言葉にみんなが言葉をなくす。

「げ、元気だすッスよ!」

 洋太が励まそうと声を張り上げる。

「そうだ。これから、遊びにでもいきますか?」

 浩二もそれに続いて言葉をかけてくれる。

「ありがとう。でも、遠慮しとくよ……」

「なんでッスか? 遊べば気が紛れるッスよ?」

 僕は洋太の言葉に困り笑いを浮かべる。

「行くぞ」

 辰は立ち上がる。

「リーダー?」

「リーダー……」

 洋太と浩二が不満そうな声を上げる。

「一人になりたい時もあるだろ」

 辰は静かにそう言って僕に振り返る。

「もし、なんかあったら相談しろよな」

 照れたように辰は僕の視線を合わせずにそう言った。

「ありがと」

 僕の答えに安心したように辰は歩き出し洋太と浩二が僕を気にしながらその後を追う。


 僕は辰達が完全に見えなくなることを確認し、ゆっくりと石段を登る。

 誰もいない神社はとても静かでとても悲しいような気がした。

 いつもは来たことに気づいて飛び出してくるサイも。僕よりも早くここに来る雫ちゃんもいない。

「……」

 僕は何も言わずにサイの入っていたダンボールまで行き、それを覗き込む。

 そこには今までサイと遊んだ証のようにおもちゃが散らばっていた。


 なのに、もう遊ぶ相手はそこにはいない。


ずっと、一緒だと思っていた。

 別れなんて想像できなかった。


 なのに、もうそこにはいたという証しかない。


 僕の頬を何かが流れ落ちる。

「なんで?」

 サイが死んだ時には流れなかった涙が止めどなく流れ出す。

「なんで、今更」

 僕は溢れてくる涙を手の甲で拭うがそれは止めることはできない。

 

 そこで気づく。

 一番 現実が見えてなかったのは自分だったんだと。

 サイの死を本当の意味で感じられなくて、体を動かすことによってその痛みを忘れて。

 今ある喪失感を気づけずにいたんだ。

 僕は叫びたくなる衝動を抑えて、地面に膝をつき自らを抱きしめるように自らの腕を握り締める。

「僕は……!!」

 僕は呻くように言葉を吐き出す。


 泥に汚れたボールが転がっていた。

『サイ、取ってこい!』

『ワンワン』

 僕がボールを投げるとサイはそれを拾いに走り戻ってくる。

『よくやった。サイ』

『ワウン!』


「僕は……」


 猫じゃらしが置いてある。

『ほらほら、サイ~』

 雫ちゃんが猫じゃらしをサイの前でゆっくりと振る。

『ワン、ワン』

『犬に猫じゃらしって……』

『』


「僕は弱虫だ……!」


 バスケットボールが落ちていた。

『ほらこっちだ。サイ』

 僕はボールをサイの届きそうで届かない位置で左右に振る。

『ワン! ワン!』

『智樹、サイが可哀想だよ』


「あああああぁぁぁあああああアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 何を思っても戻らない現実が憎らしい。神がいるのならなんでこんなことをするのかわからない。今、自分のいる場所が夢の中ならいいと本気で思った。

何もかもが胸の中から抜け落ちて壊れていく。

どうすればいいのかわからなくて……。憎しみの対象を探して、悲しみの捌け口を探して、自分への怒りを忘れようと叫んで、胸の空白を埋めようと何かを求めた。


 ひとしきり泣いた僕は目を腫らしながら帰路につく。

 空は昨日に続き翳っていて、明るいはずの昼頃だとは思えなかった。

 何もかもがどうでも良くなったようなそんな気分だ。

「智!」

 そんな、僕を梓さんの声が現実に引き戻す。

「?」

 僕は視線を上げる。

「雫は、雫は大丈夫なの!? 倒れたって聞いたんだけど!」

 僕は梓さんの言葉に死んだ魚のような目を大きく見開く。

(何、それ?)

「どうなの!?」

 何も言わない僕の肩を梓さんが掴み、揺さぶる。

「知らない……」


 昨日、サイが死んだ。

 今日は雫ちゃんが死ぬ?


 なんで?


 僕は何がどうなっているのかわからなくて。混乱から何かを考えることもできなくて。

「本当に知らないの?」

 そんな、僕の様子を見て心配そうに梓さんが僕を見る。僕はそれに頷いて視線を地面に落とす。

「えっと、この先の病院に入院してるみたいだから一緒に行こ?」

 僕は力なく頷く。

 その後はどんな道を通ったかなど覚えてないが梓さんに手を引かれながら数十分の道のりの末に古びた病院にたどり着いた。

「305号室だって」

 受付から病室の番号を聞いてきた梓さんが僕にそれを伝える。

「何があったか知らないけど。そんな顔してると雫ちゃんが心配するよ……。今は落ち着いてるみたいだから」

 僕はその言葉に顔を上げる。

「男の子でしょ?」

 僕は頷いて立ち上がり、梓さんと一緒に病室に向かう。

 誰もいないと錯覚するような静かな廊下。

 電球が切れそうなのかチラついている階段。

「ここだね……」

 梓さんは305と書かれたドアの前で立ち止まる。

「開けるよ?」

 僕に確認し、僕は頷く。

 梓さんはゆっくりとドアを開ける。

「いらっしゃい」

 病室に入ると雫ちゃんの乾いた笑顔に迎えられる。

「あら、梓ちゃんと……、智樹君かしら?」

 雫ちゃんの母親と思われる女性に僕達は話しかけられる。僕は静かに頷きで返し、雫ちゃんに視線を移す。

「わざわざ、ありがとね。歩いて来るなんて遠かったでしょう」

「いえ」

「雫ちゃん……」

 僕は彼女の母の言葉を無視して彼女の名前を呼ぶ。

「お母さん、ちょっといい?」

「わかりました。お邪魔虫は退散しますね」

 彼女の母親は笑顔をつくり病室から出ていく。

「わ、私も邪魔かな?」

 梓さんが自分を指差して雫ちゃんに尋ねる。

 雫ちゃんは微笑みながら首を振る。

「そ、そう?」

 梓さんに雫ちゃんが頷く。

 梓さんは安堵の息を吐き、雫ちゃんが僕を見る。

「智樹」

「なに?」

 僕は無理矢理に笑みをつくる。

「別れよっか♪」

「え?」

 笑顔で彼女は僕にそう告げた。僕はつくった笑みを固めたまま声を上げる。

「私達別れえたほうがいいと思うんだ」

(なんで?)

 僕はその言葉を言葉にしようとしてそれを止める。

「何 言ってんの雫!? アンタら付き合ったばっかじゃん!?」

 彼女の左手の人差し指に指輪がついてなかったからだ。

(本当に終わりなんだ……)

「私達はサイがいたから出会ったの……。サイがいなくなった。つまり、これで終わりなんだよ」

 梓さんの言葉を無視して雫ちゃんが話を進める。

「夢は終わったんだよ……」

 夢の終わりの儚い笑顔で彼女は僕を見つめる。

「わかった」

 僕はそれだけを言い残して病室を後にする。

 



「何があったのさ?」

 梓が私を見て尋ねる。

「何も……なかったんだよ。何も」

 私はこれまでのことを思い出しながら締め付けられる胸を抑える。

(全部、夢だったんだ。神様が最後にくれた楽しい楽しい夢)

 サイのことも、みんなのことも


 智樹のことも


 全部が全部、夢で私なんて存在はいなかった。

「それだけだよ……」

 私は顔に力を入れて梓に微笑みかける。

「私には何も言えないってことかよ」

 そう言って、梓は智樹の消えたドアを開けて出て行った。

「雫……」

 聞いていたのかいなかったのか母が入れ替わりに病室に入ってくる。




「待って!」

 ゾンビのようにふらつきながら歩いてる僕を梓さんが肩を掴んで振り向かせる。

「何があったの?」

 僕は待合室の椅子に座り梓さんにこれまでの経緯を話す。

「だからって、なんでアンタらが別れることになるのよ!?」

「知らない。けど……」

 僕はこれからいう言葉が本当に今言うべき回答でいいのか頭を巡らせ確認する。

「サイを忘れたいんじゃないかな……」

 そうして、僕はそれを口にする。

 それに対して梓さんは怒ることも何することもなく無言で僕の顔を見る。

「すいません。僕は帰ります……」

 僕は梓さんを残し、病院から出る。

(もう、何も考えたくない……)

 なんで? どうして?

 そんなことを考えても答えなんて返ってこない。そればかりか、考えれば考えるほど胸が苦しくなる。

 ならいっそ、何も考えない方がマシだった。

(もう、いっそのこと全てがなくなってくれればいいのに……)


僕は誰もいない家の鍵を開け、中に入る。

暗い廊下を通り、静かな階段を上がる。

 部屋は自分のものと思えないほど自分が異物のように感じたが気にせずにベッドの上に自分の体を埋める。

「雫ちゃん……」

 僕がそう呟くと涙が溢れてきた。

 もう、会えない。

 どんなに手を伸ばしてもあの時間は帰ってこない。

 僕はこれからどうすればいい?

 どうしたらいい?

 考えることをやめた筈なのにまた何かを考えてしまう。どうして、こんなに辛いのに楽しかったあの頃のことを思い出してしまうのだろうか? もう帰れないと知って辛くなるのは自分なのに……。

 僕は結局 逃げることしかできなかった。

あの時のように――

[

「やめろよ!」

 僕は、友人である福岡 晴人がクラスメイトのいじめっ子に蹴られてるのを見つけて止めに入る。

「ちっ! 智樹か……。何度も何度もウザってぇこって」

 いじめっ子達が僕の姿を見て退散する。

「大丈夫か。晴人」

「うん。ありがと……」

 彼は僕にお礼を言って立ち上がると僕に背を向けてどこかへいってしまう。


「いった!」

 次の日、学校に向かうと靴の中に画鋲が入っていた。

「あれ? いじめにでもあってんの? だっさ」

 昨日、晴人をいじめていたいじめっ子のリーダーが僕を見て笑う。

「永井……」

 僕はそいつの名前を呼ぶと鼻で僕を笑って教室の方に歩いて行った。


 授業中に紙くずを当てられる。

「おい、ゴミ箱」

 永井の声が僕の後から聞こえた。

 そしてまた、紙くずを当てられる。

 だが、そんな光景を見ても誰も何も言わない。


そして、放課後。

「ごめんね。智樹」

 僕は晴人が僕を後から押し倒して、押し倒された僕を永井達が僕を蹴る。そして、そんな僕を見て晴人が泣きながら謝るのだ。

「ゴメン。……ごめんね」

「ヒヒヒww 何がゴメンだよ! やった時のお前の顔 超楽しそうだったじゃんかよww」

「そんなこと!」

「ないわけねぇだろうが! 人ってのは結局 誰かを傷つけることが好きで好きでしょうがねんだよ!」

 永井はあざ笑うように俺を踏みつけながら叫ぶ。

「だから、いじめはなくなんねぇ。そして、死という安寧があるから自殺だってなくなんねぇ。だがな」

 永井はいっそう笑みを強めて歪んだ表情をする。

「俺は絶対いじめられる側の人間にはならない。絶対にだ」

「永井……」

]

 その数日後、僕は逃げ出したんだ。

 そして、友人を無くした。

 また逃げるのか僕は……。あの時みたいに……。




 智樹と別れた次の日の昼。

「雫」

 ドアが開いた音にスケッチブックを隠し、目を向けるとそこには梓が立っていた。

「梓……」

 私はホッと胸を撫で下ろし隠したスケッチブックを閉じながら自分の膝の上に戻す。

「期待しちゃった?」

「何を?」

 私は彼女の質問に笑みをつくって返す。

「智が来たって」

「してないよ……」

 私はゆっくりと首を横に振る。

 嘘だ。

 ドアが開く度に期待して顔がドアの方を向いてしまう。もう一度、彼が私のもとに来てくれるんじゃないかと……。

「そっか……」

 梓は笑いながらもその声はテンションを下げる。

「なあ、なんで智と別れたんだ?」

 梓は真剣な声で私に尋ねてくる。

「私が死ぬからだよ……」

 私は自分でつくれる最高の笑みで彼女に微笑みかける。

『思った以上に病気の進行が早い。このままではもう一ヶ月ももたない』

 昨日、私の両親は医師にそう告げられた。

『手術をしても今のままでは30%あればいいほうです……。するかしないかはご両親にお任せします』

 そして、私にその話が回ってきた。

『手術をしないか?』

 父は私にそう言って私は彼の言葉に頷いた。

「なによ、それ?」

 梓は信じられないと言った顔で私を見つめる。

「私ね。もう、一ヶ月も持たないんだって……」

 私は他人事を話すように努めて明るい声で話す。

「なんで、黙ってるのよ。そんなこと!」

「本当は後、半年あるはずだったんだけどね♪」

「そういう問題じゃないでしょ!」

 梓は怒っているのだろう声を荒げて私に詰め寄る。

「怒ってるの?」

「当たり前じゃない……! 怒るに決まってるじゃん!」

 怒ったかと思ったら今度は泣き出した。

 本当に忙しいことだ。

「友達でしょ? 私達……。なんで、そんな大事なこと黙ってたのよ……」

 泣き崩れながら彼女は私の掛け布団を握る。

「言う必要がなかったから……」

 私はそんな彼女を見ながら答えを返す。

「本当はこんなに仲良くなるつもりなんてなかったから……」

 彼女は私の言葉に顔を上げる。

「私は死んじゃうから。誰とも仲良くなっちゃいけなかったのに」

 私の視界が歪み、頬に何かが流れる。

「ごめんね……」

 泣くはずなんかなかったのに服の袖でいくら涙を擦っても次から次へと涙は溢れる。

「なんで、謝るのさ……! なんで……。なんでなのさ……」

 梓が私に抱きついてくる。

 私も彼女の背中に手を伸ばす。

 雨がポツリ、ポツリと降り始めた。



「智」

 雫ちゃんと病院でわかれてから二日目の夕方、僕はインターホンの音で玄関の扉を開くと辰が玄関の前に立っていた。

「なんのよう?」

「話がある」


 そう言った辰に僕はいつかの川原に連れてこられる。

 昨日の雨のせいかじめじめとした暑さが全身を蝕む。

「これ、読んで見ろよ」

 僕は辰にスケッチブックを手渡される。

 『NAME』と書かれた横に女の子の可愛い字で無花果 雫と書かれている。

「……」

 僕は無言で辰を見る。

 辰は顎を上げ、スケッチブックを開けろと訴える。

 訴え通り僕はスケッチブックの表紙を開く。

 そこには可愛らしい女の子が暗い闇の中に一人佇む姿があった。


[

 あるところに一人の女の子がおりました。

 彼女は死の呪いをかけられ、呪いが移るからと友達を失くしました。

]


 きっと、雫ちゃん自身のことが書かれているのだろう。

 僕は次のページを開く。

 次は何もない真っ白な背景に何人かの人達が輪を作ってる中、女の子はただ真ん中で佇んでいる絵。


[

 彼女は呪いのことを誰も知らない場所に引っ越しました。

 ですが、彼女は誰とも関わりを持とうと思いませんでした。

 死んでしまった後、親しくなるほど相手に辛い思いをさせる。そんなのは建前で。本当は友達になって裏切られるのが怖かったからです。

]


次のページは犬を拾った男の子の絵が描かれていた。


[

 彼女がこの町に来た後に一人の男の子が引っ越してきました。

 男の子は気が弱く、男の子には見えませんでした。

 その男の子は捨てられていた犬を見つけました。

 女の子は男の子に近づいて、その男の子と捨てられていた犬を両親に黙って近くの神社で飼うことにしました。

]


次のページには神社を背景に犬と男の子と女の子が楽しそうに遊んでいました。


[

 男の子と女の子はすぐに仲良くなりました。

 犬と一緒に遊び、友達と呼べるような人達もできました。

 本当に楽しい日々が続きました。

]


次のページはお墓が書かれていた。


[

ですが、楽しいことは続きませんでした。

彼女の呪いによって犬が死んだのです。

]


次のページは女の子が男の子と向き合っている絵が描かれている。


[

彼女は彼の記憶から自分の記憶がなくなるようお呪いをかけました。

そのおかげで男の子の記憶から女の子の記憶はなくなりました。

]


 女の子が眠るように棺桶の中に入っていた。


[

 女の子は自らの呪いにより永遠の眠りに着きました。

]


 そして、僕は最後のページを開く。


[

 男の子は女の子以外の友達と楽しく過ごしましたとさ。


 めでたしめでたし。

]


 僕はスケッチブックを閉じる。

「これがどうかしたの?」

 僕はスケッチブックを辰に向けながら質問を投げかける。

「どうかしたって……。お前は何にも感じないのかよ……」

(感じないわけないじゃないか……)

 僕は辰の問いに怒りのような感情を沸かすがすぐに飲み込む。

「感じない」

 そして、僕は言い切る。

「なんにもか?」

「そうだよ」

 僕は辰の目を見ながら告げる。

「嘘ついてんじゃねーよ!」

 辰が僕の胸ぐらをつかみ引き寄せる。

「雫が死ぬかもしれねんだぞ! 何も思わねぇのかよ!?」

「思って、どうなるんだよ……? 思っただけで生き返ってくれんの? 死なない体にでもなってくれんの?」

 僕はそんな彼に目を逸らし、全てを諦めた声を出す。

「……。そんなことはできないかもしれない。でもな」

 辰は一度 僕の言葉に言葉を詰まらせたがすぐに言葉を返してくる。

「そばにいることくらいできるだろ……? どんなに短い時間でも一緒にいられるだけで幸せなことだろうが……」

「そんなことをして誰が喜ぶのさ。雫ちゃんだって死にたくなくなるかもしれないし、僕だって雫ちゃんを手放したくなくなる! お互いに傷つくんだよ!」

「今なら手放してもいいのかよ!? 雫は死にたいなんて思ってるのかよ!?」

「そんなことは――!」

「お前の言ってることはそういうことだろうが!」

 僕が「ない」と言う前に辰が僕の言葉を遮る。

「自分が逃げるためにそんな言い訳 言ってんじゃねぇよ!」

 辰が僕を殴りつけ、僕は転倒し川原に転がっている石に顔を擦る。

 僕は拳を握り立ち上がる。

「逃げて何が悪いんだよ!」

 僕は辰を殴りつける。

「僕だって怖いんだよ! サイが死んで、もしかしたら雫ちゃんまで死ぬかもしれない。そんな僕の気持ちわかんのかよ!?」

 倒れた辰に僕は叫ぶ。

「わかるよ! 確かに、死ぬかもしれない。でも、絶対に死ぬわけじゃないだろ!!」

 辰は立ち上がる。

「そんなのわからないじゃないか!?」

「まだ結果は出てねーだろ!」

「でも――!」

「でもじゃねー!! それにな、人間みんないつかは死ぬんだよ!」

 彼の言葉に僕は息を飲み、彼はそんな僕を殴る。


『だって、私、死ぬんだよ? 私と仲良くしたってすぐに会えなくなるんだよ』

『人はみんないつか死ぬんだよ!』

『私はもうすぐ死ぬの。いつかなんかじゃない!』

『僕だって、明日死ぬかもしれない。明後日、死ぬかもしれない』


「俺だってお前だっていつか死ぬんだよ! 遅いか早いかの違いで俺達は仲良くなれねぇのかよ!? お前はあいつのことが好きなんだろ! 違うかよ!」

 辰が僕の上に馬乗りになって僕の胸ぐらを掴んで激しく揺らす。

「好きだよ! 好きで好きで壊れそうなほど好きだよ! 会えないだけで辛くてしょうがないんだよ! でも、死んじゃうんだよ! どんなに正しいこと言ったって! どんなに辛くたって! どんなに愛したって死ぬんだよ!」

 僕は馬乗りになっている辰に掴みかかり、逆に辰を押し倒す。

「死んだらもっと辛いんだよ……。このまま別れるより死んだことがわかる方が……辛いんだよ……」

 僕はいつの間にか涙を流していた。

「苦しんだよ……。辛いんだよ……。こんなに辛いなら出会わなければ良かったって」

 辰は瞬きすら忘れ僕の言葉に聞き入る。

「もう、そんなこと思いたくないんだよ!」

 僕は自分でも何を言ってるのかわからない文脈なんてあってないような言葉で叫ぶ。

「そんなこと言ってもさ。後悔のないようにするしかないんじゃないのか?」

 辰は叫んでる僕の肩に手を置いて、僕は叫ぶのをやめると同時に言葉が僕の耳に届く。

「もう、会えなくなるかもしれない。なら、後悔のないようにやりたいこと全部やっちまえばいいだろ」

 辰はニッコリと悲しそうに笑う。

「じゃないと、本当に後悔するぞ……」

 僕は辰の胸ぐらから手を放す。

「どんなに離れてたって、好きなんだろ? 会いたいんだろ? そんなヤツが死に目に会うこともできなくて後悔しないわけがないだろうが」

「辰……」

 僕は立ち上がる。

 僕はどうすればいい。どうすることが正解なのかわからなくなってきた……。

 サイが死んで、雫ちゃんも死ぬかもしれないってなって……。僕はどうすればいいかわからなくなった。そして、雫ちゃんに別れを告げられた。でも、……それでも僕は……。

 どちらにしろ、後悔するのかもしれないなら――

「雫の手術は明日だ。もう、時間はない。さっさと行きやがれ!」

 最後に雫ちゃんに会いたい……。

「ありがとう……」

「さっさと行きやがれ、バカ野郎……」

 僕は病院に向かって走る。




「はぁ、辛えなぁ」

「何 言ってんのさ。良かったじゃん」

 岩に隠れていた梓が俺の前に現れる。

「良かったのか。良くなかったのかなんてわかんねぇよ」

「なにさ。大人ぶっちゃって」

 呆れたとばかりに俺を小馬鹿にする笑みを浮かべる。

(そう言えば、アイツがいた時もあんな感じの雰囲気だったっけ)


[

「なんで、梓と別れた!」

 俺は奴の胸ぐらを掴みながら叫ぶ。

「お前には関係ないだろ……」

「関係ないわけ無いだろ!」

 奴(黒石 純)を川原に押し倒し、俺は拳を握った

「俺はアイツが! 梓が好きだったんだよ!!」

 俺の涙が純の頬を伝い流れる。

「お前ならって。お前にならって、思ってたのに……。なんで、なんでお前は!」

 俺は純の頬を殴りつける。

「俺だって……、俺だって……」

 純は小さく声を捻り出すように声を出す。

「俺だって離れたくねえよ!」

 純が叫びながら俺の額に頭突きをかます。

「うっ!」

 俺が額を抑えてのけぞると純に突き飛ばされる。

「俺だってできることなら梓とずっと一緒にいたいんだよ……」

 突き飛ばした俺を見ながら立ち上がることなく涙を流す。

「一緒にいたいならなんで別れるなんて言ったんだよ!」

 俺はそんな純に怒りをぶつける。

 なんで、一緒にいたいと思ってるのに一緒にいない! 俺は一緒にいたいと思ってもホントの意味で一緒にいられないのに!

「もう、ダメなんだよ……」

「なにがダメなんだよ! 何がダメだって言うんだよ!」

 俺は拳を天に振り上げる。

「俺、死ぬんだよ……」

「え……」

 死んだ魚のような目で俺を見つめる。俺は振り上げた拳を止める。

「俺、一ヶ月もしないうちに死ぬらしいよ……」

 悲しみを帯びた目をしながら俺を見てるようで俺を見てなかった。

「梓のこと頼んだよ」

「お前は。 お前はそれでいいのかよ! お前にとって梓はその程度の存在だったのかよ!」

「そんなわけないだろ!」

 純は俺の言葉を振り払うように言い切る。

「お前だから! 親友であるお前だから言ってんだよ!」

 今度は逆に俺の胸ぐらを純が掴む。

「もう、俺は後戻りできないんだよ!」

 純はすがりつくように叫び声を上げる。

「俺じゃ、ダメなんだ……。俺はこれ以上、アイツを悲しませたくないんだよ」

 俺は何をしていいのかわからず純の言葉に耳を傾ける。

「お前なら……。お前だから任せるんだよ……。親友のお前だから……」

 そう言って泣きついてくる純を前に俺は何もできなかった。


]


あれから俺は少しでも成長できただろうか……?

 少しは梓にふさわしい男になれているだろうか……?

 なぁ、どう思うよ。純……。

 

 俺は雲の切れ間から覗く太陽を見上げる。

「何、黄昏てんのよ。らしくないぞ~」

 梓はイタズラをしてる子供のような悪そうな笑顔で俺を見下ろす。

「たまにはそういう時があるんだよ!」

「またまた、大人ぶっちゃってさ」

 そう言って、梓は俺に近寄り背中を叩く。

「いって! 何すんだ!?」

「背中を叩いただけだよ?」

 『悪いことしてないいよね?』とでも言いたげな表情で俺を見る。

「はぁ」

「きっと大丈夫だよ。あの二人なら」

 梓はそう言って俺が見上げていた方向を見上げる。

(俺がコイツをしっかりと支えなきゃいけない)

 俺はそんなコイツを見ながらそう思った。

「何もないよ? 中二病?」

「うるさいわ!」

(やっぱり、支えなくていいかな!?)

「帰ろうか。後は若い二人に任せてさ」

「そうだな」

 そんなこんなで俺達は帰ることになった。




昨日の雨で田んぼ道は泥濘んで足を取られる。僕は全力で雫ちゃんのいる病院に向かっている。

『別れよっか♪』

 僕は地面に転ぶ。

「っく!」

(痛い……)

辰に殴られたところもこけて擦れた足も痛くて痛くてしかたがない。

(それでも、僕は立たなきゃいけない。立ち止まっちゃいけない!)

 僕は立ち上がり足を動かす。

『夢は終わったんだよ……』

 夢は終わったのかもしれない。でも――

『どんなに離れてたって、好きなんだろ? 会いたいんだろ? そんなヤツが死に目に会うこともできなくて後悔しないわけがないだろうが』

(僕は夢が終わっても雫ちゃんが好きなんだ)

 小石につまづいてこけそうになる。

「だから!」

(後悔しないように今は全力で走らなきゃいけないんだ!)

 僕は力強く一歩踏み込んで体制を立て直す。



「……」

 僕は病室も前でドアを睨みつけている。

 会って何言えばいい。会ってどうすればいい。

「いや」

 決めたじゃないか。後悔しないようにするって。

 僕はドアをノックする。

「はい」

 僕のノックにドアの向こうから雫ちゃんが返事を返してくる。

 僕はそっとドアを開く。

「雫ちゃん……」

「智、樹」

 雫ちゃんは僕を見ると大きく目を見開く。

「なんで……、なんで来たのよ……」

 驚きの顔を怒りの顔に変えて声を漏らす。

「別れようって言ったじゃん!」

 だが、その怒りの表情も崩れ泣き顔へと変わる。僕はそんな彼女を見てられなくて視線を床に下げる。

「私はもう死ぬ覚悟はできてるのに!」

「だからなんなのさ」

「智樹とあったら覚悟が鈍るじゃんか!」

「それは、死にたくないってことでしょ」

 僕は床に視線を向けたまま一歩踏み出す。その一歩を踏み出すことが怖くて怖くてしかたない。

「……ッ」

 だが、そんな臆病な僕の言葉に彼女は言葉を詰まらせる。

「生きたいってことなんでしょ! 違うのかよ!」

 そしてもう一歩。

「そんなこと言ったって私は死ぬんだよ! サイと同じようにあっけなく死ぬんだよ!」

「サイを雫ちゃんと一緒にするな!!」

 僕は怒りを込めた叫びをあげ、それとともに顔を上げて雫ちゃんをしっかりと見て、両肩を掴む。

「雫ちゃんは生きてるんだよ! サイはもう頑張ることもできないけど雫ちゃんは頑張ることができるんだ! 生き続けることができるんだ! もっと自分を信じてよ! もっと僕に雫ちゃんの荷物を背負わせてよ!! 頼りないかもしれないけど! 役に立たないかもしれないけど!」

僕はいつの間にかダムが決壊したような大粒の涙をダラダラと流していた。

「それでも、僕は君のことが好きなんだよ……」

 僕は涙を流す。

「……ッ」

 静寂が病室内の空気を一気に冷ます。

「我慢してたのに……」

 そして、雫ちゃんも泣いていた。

(何で泣いてるの? 僕のせいで……?)

「智樹……」

 雫ちゃんが僕に手を伸ばす。僕はその雫ちゃんの手が落ちる前に掴む。

「なんで、来たのさ……」

 目をギュッと瞑って僕に問を投げかけられる。僕はその問に息を呑み、雫ちゃんの手を握る手に力を込める。

「好きだから……」

 僕は小さく口を動かし、雫ちゃんは僕が握ってる手に力を込める。

「雫ちゃんのことが好きだから、来たに決まってるじゃんか……。何度も言ってるだろ」

 僕は拝むように彼女の手を握った両手に額を当てる。

「君と離れると不安で不安でしかたないんだよ。僕のことなんて好きじゃなくてもいい。だからそばにいさせてよ……」

「そんなこと言われたら……。もう、我慢できないじゃん」

 そう言って、雫ちゃんは僕に身を寄せる。僕は咄嗟に握っていた彼女の手を放し、彼女を抱きとめる。

「我慢なんてしなくていいだよ。生きてていいんだよ。生きたいって望んでいいんだよ。死ななくていいだよ」

「智樹……」

 雫ちゃんは完全に僕に体を預ける。

「死にたくないよ! 私、死にたくないよ!!」

「雫ちゃん……」

 そして、雫ちゃんは僕の胸板に顔をうずめながら泣いた。

「まだ、生きてたい! 智樹とやりたいことだっていっぱいあるのに!」

「うん」

「これからなのに!」

「うん」

「なんで、私 死ななきゃいけないの!! なんでなのよ!」

「うん」

「ウワぁァァアア! 生きたいよ……。 死にたくないよ!」

「うん」

僕は叫ぶように泣く雫ちゃんの頭を優しく撫でる。彼女が安らげるように……。落ち着けるように。




「ねぇ、智樹」

「どうしたの、雫ちゃん……」

 僕は見回りの看護師さん達から身を隠しながら夜の病院に残っていた。そして、雫ちゃんのベッドの上に座り夜空に浮かぶ満月を見つめていた。

「もし、さ。もし、明日の手術が成功したら。また犬が飼いたいな……」

 僕はその言葉に一瞬 驚いたがすぐに笑顔をつくる。

「もし、……じゃないよ。絶対に助かるから」

 僕は彼女を抱きしめる。

「そうだね。そうだよね……」

 彼女が僕を抱きしめさせてくれる。そして、ベッドの横の小さな棚の中に入っていた左手の人差し指にはまったおもちゃの指輪が背中に当たるのがわかる。

「そうだよ。だから、絶対 飼おう」

「うん……」

 これからはずっと一緒にいれるそのはずだ。


「頑張ってくる」

 僕と梓さん、辰に浩二、洋太、暁人、亜美ちゃん 学校のみんなが雫ちゃんの手術を見守りに手術室の前に集まっていた。

「おうさ! 頑張りなよ!」

「ま、頑張れ」

「「頑張れ! 姉さん!」」

「ガンバだぜ! 雫姉!」

「頑張ってね! 雫お姉ちゃん!」

「雫ちゃん」

「みんな。ありがとう……」

 雫ちゃんは弱々しく笑みをつくる今朝から体調が悪化しだして手術の時間を二時間早めたのだ。

「絶対大丈夫」

 雫ちゃんは言い切る。

「だから、またね」

「また」

「おう、またな」

「絶対帰ってきてくださいッス」

「帰ってこい!」

「また、遊ぼうぜ!」

「また遊んでね!」

「また」

今はそれだけでいい。だって、またすぐ会えるから今はそれだけでいい。

 僕達の言葉に笑みを強め。そして、手術室の中に消えていく。

「大丈夫、だよね?」

「大丈夫に決まってるだろ」

 亜美ちゃんが心配そうな顔で暁人に尋ね、暁人は亜美ちゃんの手を握って安心させるような声で答える。


「絶対、大丈夫だよ」

 梓さんが僕を安心させようと僕の肩に手を置く。

「うん」

(そう、大丈夫だ。絶対に)

 僕は左手を握り締め、指輪の感触を確かめる。




「接合完了」

 これで、手術は終わるはずだった。

「先生。患者の様態が! 心拍数が低下してます!」

「何!? そんなはず!」

 心電図の線の歪みが小さくなっていく。

「クソ! なんでだ!?」




「何かあったのか?」

 看護師が手術室からものすごい勢いで飛び出してきたのに対して辰が訝しそうな視線を看護師に向ける。

「雫ちゃん」

 どんなに騒がしくても僕は何もできない。

(待つしかない。待つしかないんだ)

 自分の手を握り潰すかのように力を入れながら組み、その手に額をつける。


[

「もし、私がこのまま生き続けるコトが出来たら子供は二人がいいね。男の子と女の子」

「できるよきっと……」

 僕はサイを抱きかかえながら楽しそうに話す雫ちゃんに笑いかける。

「あ、言っておくけど性別の方はわからないけどね……」

「なんでそこで否定するのさー……」

「いやだって……さ」

 僕は困って乾き笑いになる。

「そこは、子供二人で男女一人ずつなんてベタでしょっていうところでしょ?」

「わかんないよ!」

]




ドスンという音を心臓マッサージ器から出たショックで雫の体が浮き上がり落ちる。

「クソッ! 心拍数が上がらない!」

「先生! 心停止です!!」

 心電図から生体情報モニタからピーと言う機械音が部屋中に響き渡る。

「ッチ!」

 担当医は心臓マッサージ器を手放し自らの手による心臓マッサージに切り替える。

「クソ! クソッ! くそ!!」




[

「人は弱くて儚い生き物だけどさ」

 雫ちゃんの突然の言葉に僕は耳を傾ける。

「だからこそ、人を思えるのかな?」

 神社の賽銭箱の前の階段に座りながら雫ちゃんは雨空を見上げながらそう言った。

「そんな哲学的なこと僕に聞かれても……」

「そんなに難しいこと聞いてないんだけどな……」

 意味をあまり理解できず困る僕を見て雫ちゃんが困る。

「簡単に言うとさ。同じ痛みを持った者同士だから。相手の痛みがわかって相手に優しくなせるのかなってこと」

「うーん。……それは、人それぞれじゃないかな?」

 僕は雫ちゃんの言葉に自分なりの答えを返す。

「なんで?」

 そんな僕の答えに怒るでもなく喜ぶでもなく単純な好奇心から何故かを問われる。

「自分が受けた苦しみを相手にも味あわせたい人もいるわけだから」

「あー、そうだね……」

 現実は漫画やアニメのように綺麗事ばかりがまかりとうるような世界じゃない。ずるい奴が結局 得をするのが現実なのだ。

「私はできることなら人に優しくなれる人になりたいな♪」

 雫ちゃんは雨なんかでは隠せない無邪気な笑顔でそう言った。

「智樹みたいにね!」

]




(もし、神様がいるなら彼女を助けてくれよ! 彼女のように優しい人間じゃなく誰を助けるって言うんだよ!)

 僕は溢れ出しそうになる涙を下唇を噛んで押さえ込む。


[

「死にたくないよ! 私、死にたくないよ!!」

「雫ちゃん……」

「まだ、生きてたい! 智樹とやりたいことだっていっぱいあるのに!」

「うん」

「これからなのに!」

「うん」

「なんで、私 死ななきゃいけないの!! なんでなのよ!」

「うん」

「ウワぁァァアア! 生きたいよ……。 死にたくないよ!」

「うん」

]


(助かってくれ! 助かってくれよ!)




そして、運命の扉が開く。

世界が一瞬止まったように思えた。静寂が心臓を握る。

「先生……。娘は? 娘は!」

 雫ちゃんの両親が出てきた医師に詰め寄る。

「成功です」

 深刻だったみんなの顔が驚きの後、一気に喜びのものへと変わる。

「一時は危ない状況でしたが何とか持ち直してくれました」

「よかった……。良かった!」

「ま、俺は信じてたけどな……」

「さすがッス」

「コレでしっかりとみんな卒業できそうだ」

「やったぜ!」

「嬉しすぎます!」

 医師の言葉など聞かずに喜びの声を惜しみなく上げていく。

「雫ちゃん……」

 僕は手術室から出てきた雫ちゃんに駆け寄る。

 彼女は眠ったままだったが確かに生きている。静かに寝息を立てている。

「よかった……。よかった……」

 僕は雫ちゃんの手を握る。手は暖かく生きていることを実感させる。

「ありがとう」

 そして、僕はこの夏最後の涙を流した……。


 こうして、僕の長い夏は終わりを告げた。


「こっちだよ。アイ!」

「ワンワン!」

 最上 一樹がペットの名前を呼びながら山を駆け上がる。

「お兄ちゃん、早いよ!」

 その後を妹の最上 茜が追いかけて駆け上っていく。

「転ぶよ!」

 それを見て隣にいる妻である最上 雫が忠告する。

「大丈夫だよ。母さん」

 一樹がおおきな声でそう返して山を登っていく。

「ふう、全く……。元気な子に育ってくれたのはいいんだけどね……」

「ま、元気が一番だろ?」

 僕は溜息をつく彼女に笑いかける。

「そうなんだけどさ」

 わかってはいるが納得できないような顔で子供達が通った方向を見上げ。そして、微笑む。

「頂上だ!!」

「ワン!」

「ホントだ!」

 子供達が先に頂上についてしまった。

「行こうか。雫」

「うん」

 僕はおもちゃの指輪ではない本当の指輪をつけた雫の手を引いて子供達のもとに向かう。

 お互いにおもちゃの指輪を鎖に繋ぎネックレスにして首から下げ、揺らしている。


 夏色の空を見上げながら……。




[

 あるところに一人の女の子がおりました。

 彼女は死の呪いをかけられ、呪いが移るからと友達を失くしました。

]

[

 彼女は呪いのことを誰も知らない場所に引っ越しました。

 ですが、彼女は誰とも関わりを持とうと思いませんでした。

 死んでしまった後、親しくなるほど相手に辛い思いをさせる。そんなのは建前で。本当は友達になって裏切られるのが怖かったからです。

]

[

 彼女がこの町に来た後に一人の男の子が引っ越してきました。

 男の子は気が弱く、男の子には見えませんでした。

 その男の子は捨てられていた犬を見つけました。

 女の子は男の子に近づいて、その男の子と捨てられていた犬を両親に黙って近くの神社で飼うことにしました。

]

[

 男の子と女の子はすぐに仲良くなりました。

 犬と一緒に遊び、友達と呼べるような人達もできました。

 本当に楽しい日々が続きました。

]

[

ですが、楽しいことは続きませんでした。

彼女の呪いによって犬が死んだのです。

]

[

女の子はそのことを悲しみました。

そして、呪いによって彼女は倒れたのです。

「もう、死んでもいいや……」

彼女はそんな風に考えていました。

]

[

ですが、男の子は言いました。

「生きろ」と

]

[

女の子はその言葉に涙を流しました。

男の子はそんな彼女の唇にキスをしました。

]

[

すると、立ちどころに呪いは解け、女の子と男の子は二人の子供と一匹の犬と共に幸せに暮らしましたとさ。


めでたし、めでたし。

]


最後まで読んでいただきありがとうございました。

いかがっだったでしょうか?


感動していただけましたか?

暖かい気持ちになっていただけましたか?

それとも、退屈だったでしょうか?


どんな気持ちになったか感想いただけると幸いです

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