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余命-9 

「というわけで、かおる!」


「なんだ? 絵里紗えりざ?」


 こういったごく普通のかけあいで話が始まるのは、名前の読みをさっさと思い出してもらうためと、あとウィットに富んだ出だしが思いつかないからである。


「ちょっと内政に乗り出そうかとおもうんじゃ……」


「内政?」


「ああ、儂らは、一向にひだまり教室へ通学させてもらえんじゃろ?」


「まあ、日常生活の大半が死にかけてるからな」


「いや、元気な時もあるじゃろう?


 カラ元気も元気じゃっ!


 これはタイムボカンシリーズの主題歌を歌った山本正之氏の曲から生まれて、のちに機動警察パトレイバーの漫画版でも引用された良い言葉じゃて。


 とにかく、容態が安定しておっても、前後の病状からひだまり教室への通学許可が出ないのは、ひとえに、この病院内、小児病棟に巣食う悪意が儂らに働きかけておるからなのじゃ!」


「いや……、一般的、模範的基準に照らし合わせても、俺達を安静から解き放つような豪胆ごうたんな医者や看護師はいないと思うぞ?」


「今、薫はいいことを言ったぞ! 『安静から解き放て!(ただし、死線を越えるのとは別の方向へ)』とは、今の儂の活動にぴったりじゃ! スローガンにしてやろうっ!


 ほれ、お前も叫ぶのじゃ!


 安静から解き放て!」


 というわけで、絵里紗は車椅子に乗って病室から出て行きました。絵里紗は短距離なら普通に歩けるのですが、長距離――小児病棟の端っこから端っこまで往復するぐらい――を歩行しようとすると、途中で意識が朦朧となるような貧血に見舞われてぶっ倒れてしまうので、部屋の外に出るときは車いすでの歩行が義務付けられているのです。

 

 薫は、車いすも松葉づえも無し歩くことができます。ただ、常時腕に刺されている点滴の数が膨大なので、とても一人で点滴のぶら下がったキャスター付きの支柱を転がしながら歩くというのは難しいので、絵里紗についてゆくことはできませんでした。




「で、どうだったの?」


 病室に帰ってきた絵里紗に薫が聞いた。


「ふはははっ! 儂は仮にも魔王であるぞっ! 内部での根回しや政治活動においては一日どころか、数百万×365日の長がある!」


「ってことは成功したのか?」


「いわずもがなであるっ! 儂らの自由は……」


 今、絵里紗が言っている自由とは強制的に病室で安静を言い渡されることからの解放なのであるが、その自由への束縛はひとえに絵里紗たちの体をおもんばかってのことである。

 無理に自由を手にすると、短い余命がさらに縮むのだが、熱意に燃える絵里紗の頭にそのことはない。しかも、薫も道連れだった。


 絵里紗の台詞の続きは、


「我らの自由は約束されたっ! 明日は、二人そろってひだまり教室への出陣であるっ!」


「俺も行くの!?」


「もちろんじゃとて! 二人そろわねば意味がなかろう?」


「まあ……それはそうなんだけど……」


 二人の居る病室のくずかごにはたくさんの折り紙が散乱していた。同じく入院している小学生の唄音うたねちゃんに頼まれた折鶴。


 折鶴の作り方ぐらい、薫は知っていた。だが、絵里紗は知らなかった。だから薫は絵里紗に折鶴の折り方を教えようとした。

 しかし、絵里紗は何度やっても覚えられなかった。


 結局、唄音ちゃんには、薫が折り方を教えることになった。だが、絵里紗にもプライドがあった。あくまで薫は絵里紗の助手ということで、折鶴制作の総監督は絵里紗なのだった。


 とにかく、唄音ちゃんに鶴の折り方を教えるために、自らの体調をおしてまでひだまり教室へ赴こうとしている絵里紗の熱意というか親切心だけは頭が下がる。下がる一方だ。

 薫は絵里紗に聞いた。彼からするとはなはだ迷惑な話である。連日の絶対安静指示はさることながら、今日の昼ごろには薫は死の淵に立たされていたのだった。


 三途の河を渡りかけたような記憶もある。そんな人間を連れて明日はひだまり学級へ顔を出そうとする。

 常識的に考えれば迷惑千万。しかし、その根底にあの可愛い唄音ちゃんへの配慮があるならば、薫は自らの命をなげうって、ひだまり教室へ行って、たとえそこで死んでも本望である。とまでは思わなかった。


「で、どんな魔法を使ったんだ?」


 薫が聞いているのは、常識的に考えれば、まず安静が解かれない病状の自分たちがひだまり学級へ行けるようになった絵里紗が行った工作の要点である。

 それこそが内政であり、本話の目玉であるはずだからだ。


「魔法なぞは使っておらん。世は情報化社会。儂は情報を手に入れて利用したにすぎん。

 いつもの主治医である近藤先生には付け入る隙が見当たらん」


 近藤先生というのは、ごく普通の内科医で循環器系や心臓疾患などにも強く、絵里紗と薫の担当医である。40代手前、アラフォーでどこにでもいるお医者さんだ。そのうち本編にも顔を出すだろう。


「それで?」


 薫の問いに、


「明日は首尾よく、近藤先生は非番であった。病院には来ないのである。ということは、明日の儂らの病状をにくるのは、黒崎であるっ!」


「ああ、そういうことか……」


 薫は合点がいった。


 黒崎先生の評判は悪い。医者としての腕は悪くないのだが、少々出世欲というか上昇志向が強すぎる。近藤先生が、真に患者のことを考えて、自らより病人を優先している好人物なのと対照的である。


 教授連中や、病院幹部に取り入り、医者としての職務は必要最小限、そのようなスタンスを貫いているのが黒崎なのである。


 病院内に渦巻く様々な思惑についてはまた日を改めて記載しよう。


 ここで重要なのは、黒崎先生がそのような出世欲に縛られたいわば「ブラックジャック」的な理想の医師像とは相反する思考の持ち主で、さらに言えば、出世のために理事長の娘との縁談を進めながらも、たくさんのナースと浮き名を流しているという生活態度にある。


「儂の人脈を使えば、黒崎の裏の生活の情報などはいともたやすく手に入るからのう」


 絵里紗は次の二点において、女性看護師からいろいろと恋愛的な相談をこっそり持ちかけられることが多い。


 一つ目は、彼女の余命がわずかであること。どうせ明日には死んでしまっている可能性が高いと思ってポロリと漏らす看護師が多い。


 もう一つは、彼女が何百年も生きている、いわば恋愛生き字引なこと。どうせろくな恋愛はしてこなかったのだろうが、蓄積された年数が年数ゆえに、それなりに的確なアドバイスをしてやったりしているそうだ。


 ところどころ、頭のおかしい絵里紗ではあるが、人を見る目だけはあったりする。


「というわけで、儂は黒崎をおどして、明日の自由を手に入れたのじゃ! なに、明日は婦長の権藤さんも午後からのシフト。朝は黒崎の判断に文句を言えるナースは一人もおらんっ!


 となればやることはひとつなり!」


 絵里紗が何を言おうとしているのか、わからなくてもよいのに薫にはわかってしまった。


「なるほど、明日の朝に備えて調整しろということだな」


「察しがいいではないか! では、参るぞ!」


 と、二人は頑張って高熱を出したり、頑張って脈拍を正常じゃない範囲にしたりと頑張って体調を死の淵に頑張って追いやった。頑張った。


 何故そういうことをしないといけないかというと、彼らがまともに起きてこうやって会話できる時間なんてたかが知れているからである。


 長期間にわたって平穏を維持できるほど、絵里紗と薫の体調は思わしくない。


 ならば明日の決戦――なんとしてもひだまり学級に行って唄音に折り紙を伝授する――に向けて、調整という名の危篤状態を早い時期に実行しておく必要がある。


 今ここで、この時点で危篤を乗り越えれば、なんとか明日の朝までに――勢い余って臨終しない限りは――峠を乗り越えて、明日の午前中くらいは意識を保っていられるだろう。


 二人の病人がそろって危篤の淵へと突入し始めた病室には、勢いよく数多くの看護師がやってきて、これはもうだめだということで、比較的手の空いている医者も複数呼びつけられて、半ばパニック状態に陥りかけたが、ことこの301号室にかけては、二人そろって死にそうになることぐらいは、よくある日常の一コマなので、そんなにパニックにはなりませんでした。


なお、今回のサブタイトルは「『いえしあん』をローマ字にして逆から読むと?」でした。

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