余命-8
「のう、薫……」
「…………」
薫は答えない。
「儂はな、お前と同じ病室に居てよかったと思ってるんじゃ……」
「…………」
薫はやはり答えない。
「食事制限を受けて、点滴からの栄養分で命を繋ぐお前の目の前で、こうして高カロリー高たんぱくで、ぎっとぎとに脂ぎった昼食を食べ、儂が美味そうに食べる様をこうして見せつけられるんじゃからのっ!」
言い終えると絵里紗は高笑いを始めた。
『おーほっほっほ』でもなく『わっはっは』でもない独特の高笑いだ。
『ぐえきょぐえきょ(笑)』というのが近い。
いつもの薫のテンションならば、
「うっせえ! 大体お前、夕飯ならまだしも昼飯だぞっ! カロリーだって控えられてるし、食材だって地味だ。味付けも薄い。そりゃあ不味いと大声でいうほどの料理じゃないが、所詮は病人食。2~3日食えなくたって、悔しくもなんともねえっ!」
と、突っ込むのであるし、事実、絵里紗が食しているのは、メインが野菜の煮つけといういたって質素で大胆なメニューだ。
しかし、今日の薫はいつもと違っていた。
暇を持て余し、茶々を入れる絵里紗に構うことは無かった。
「そう怒るでない。いまのはいわば自虐ギャグじゃ。儂だってほんとは、肉汁のしたたる肉などを食べたいのじゃ。一介の病人、しかも余命わずかな身としてはそれも叶わんことなのじゃが……」
そういう絵里紗ではあったが、彼女は医者の言いつけを守らずに、結構買い食いなどをしている。さすがに肉は入手困難ではあるが、手に入るものであればそれなりに。先日亡くなった武田さんに貰ったお菓子もまだストックしてある。形見として……ではなく、非常食として。
齢数百万歳とはいえ、乙女なのである。乙女に間食はつきものなのである。
「儂も、気管支の問題やらなんやらであと一歩で流動食というぎりぎりの崖っぷちを歩いておるがのう。食事制限に突入した薫が不憫でならん。明日は我が身じゃて……」
絵里紗は黙って箸を置いた。強がって……薫に見せつけようと虚勢を張って、美味しそうに昼食を食べていた絵里紗なのだが、実際、気管支の問題もさることながら、このところ胃腸の調子が極悪で、本能的に、
(食ってはならぬ。食ったところで逆流するのが落ちじゃ。今の儂の胃液は……、儂の胃腸はこの程度の固形物――野菜をコトコト煮込んだものとか普通に炊いたごはん――にすら耐えられん……)
と悟っていた。
強がりだったのである。薫に少しでも元気な自分の姿を見せつけておこうという乙女心だったのである。
胃液的な問題で食事を中座しながらも、絵里紗は負け惜しみを忘れない。
「昼はこのくらいにしておいてやろう。武田からもらった菓子の賞味期限が近づいておるからの。3時のおやつにたんまり菓子を食わねばならん。そうじゃのう……薫が望むならこっそり分けてやってもよいが?」
なんだかんだいって絵里紗は薫に好意を寄せている。寄せているということにしておこう。
それがこの物語の主題であり、結局絵里紗と薫がいつ正直に自分の気持ちを打ち明けるのか? はたしてそれが二人の死期に先行するのだろうか? というのがこの物語のさっき考えたメインテーマなのだから。
薫も同じである。態度では……言葉の上ではどうあっても、絵里紗の事を愛おしく思っているのは同様だ。
相思相愛だということにしておくべきだ。なにぶん二人――特に薫――は若輩ものゆえ、この先、院内学級の少女――主にというか全員小学生――に惹かれることもあるだろう。
若くてセクシーな――病院内が舞台なのでみんなナース服を着ているというのはある意味で卑劣である――看護師などに寄り道というか、大人の恋愛的な恋の横槍が入ったり、薫の心が揺れ動くこともあるだろう。
絵里紗にしたって、まともな精神の持ち主ではないので、小学生女子と変な意味で仲良くなってしまったりもする。そんな可能性は十分に溢れかえっている。
「今日はいつにもまして無口じゃのう……」
絵里紗が小さく呟いた。
「……………………」
薫はやはり答えない。
「やはり……、医者か看護師を呼ばねばならぬか……」
絵里紗の元に昼食が運ばれてきた時は薫は正常だった。病人なので元気ではないが、生死の境をさまよったりはしていなかった。
だが今は違う。
絵里紗が、白米を二口ほと口に運び、煮物の人参を一切れ咀嚼していた辺りから、すなわち今回の話の冒頭での絵里紗の台詞の少し前あたりから、薫の状態は一変していた。
脈拍も呼吸も安定はしている。だが徐々に弱りつつあった。薫の体に付けられたバイタルをチェックする装置は今はまだアラートを上げていないが、そうなるのも時間の問題。
絵里紗にはわかっていた。薫の命の灯が大ピンチであることを。
肉体は14歳でも中身は百戦錬磨の魔王である。人間程度の生命活動の様子を量り知るぐらい朝飯前だ。
というか、意識を失っている時点でやばいのだ。特に原因なくふらっと意識を失う薫は、意識を失ったらそのまま天寿を全うしかねない。
しかし、ナースコールに絶対的な拒絶反応を持つ絵里紗にはどうすることもできなかったのだ。
だから、死の間際で……ひっそりと生命活動を弱めていく薫を見ながら、反応が帰ってこないのを承知の上で話しかけ、呑気に食事などをとっていたのである。
「しかし……今回はほんとうに危ないのかも知れないのじゃ……」
なお、今回のサブタイトルは「絵里紗と薫」でした。