余命-4
「ほうほう……」
小児病棟の301号室に突然やってきたおじいちゃん。武田さんという人だ。
なんでも、若い頃に、異世界にトリップして魔王を倒すという大役を果たしたらしい。
「しかし、武田の? そちの持って来たこの茶菓子、若者にはちと甘すぎるんではなかろうか?」
絵里紗がいっちょこ前に文句を言う。実年齢では武田さんの比でもない高齢のくせに。
「そうかいの? まあ、年寄りの選ぶ菓子なんぞ、子供の好みに合わんのは百も承知じゃて。それにのう、こうして病院内をうろうろする分にはいいんじゃが、売店に行こうにも先立つもんがない。じゃが見舞いで貰った菓子がた~んと余っておるでのう」
武田のおじいちゃんは、なんでも結構最近入院してきたらしい。さすがに入院初日と二日目ぐらいは家族、親戚や近所の年寄り仲間が見舞いに来ていたらしいが、それもさっぱり途絶え、暇を持て余しているところに、絵里紗の噂――小児病棟に魔王の転生者がいるという――を聞きつけてわざわざ遭いに来たようだ。
絵里紗と武田さんの間で昔話に花が咲く。武田さんは、5代前くらいの勇者らしい。日本の時間経過にして軽く60年以上前の話。
絵里紗の居た異世界――魔界とも言う。魔族が蔓延っているが、定期的に勇者が来て魔物、魔王を討伐するので、それなりに平和で異世界という表現の方があっているのかもしれなくもない――の時間経過は一定していないが、大体こちらの世界に比べて10倍以上は早い。絵里紗は何百年かに一回、力を蓄えては転生やらトリップしてきた勇者に滅ぼされる。
「おぬしは……そうじゃな、記憶に残らん勇者じゃったの…………」
絵里紗の主観時間では、1000年ほど前の話になるのだろう。しかし絵里紗は武田さんとの出会い、そして、やりとりをつぶさに覚えていた。
「あの頃は、異世界トリップなんて概念も広まっていなかったからの……。それに日本では世界を救うのは昔から神の役目じゃ。儂のようなごく普通の一般人には荷が重い。それに、戦争もあった……」
「そういえば、言っていたのう。さっさと魔王を倒して、元の世界に戻ってお国のために働かねばならん。こんなとこで命を粗末にはできんのだ! とか。何を言ってるんだこいつは? と地味にウケたのはなんとなく覚えておるじゃ」
「結局間に合わんかったがのう……。帰ったら既に戦争は終わっておった。日本の負け戦での。お蔭で非国民扱いじゃ。儂が召喚されたのは異世界の都合。しかし、もともと住んでいたところから姿を消した時期がのう、ちょうど儂が徴兵される時期と重なってしもうてのう……」
年寄り同士の会話が続く。どっちがどっちの発言であるかわかりにくいのはさておき。
結局、武田さんが日本に戻れたのは終戦後のことだったらしい。要領のいい勇者は、ほんの数か月とか数週間で魔王を倒して戻っていく。それだと日本における経過時間は一ヵ月未満で済む。
だが、武田さんは何年もかけて魔王をやっとのことで倒した。というのも、戦時中で若者が不足しており、素質のある勇者の見込みのある人材が少なかったのが原因の一端である。結局、日本という本来暮らしていた土地に長期間の空白期間を作ってしまったという。
戦争は、地球だけでなく異世界へも影響を及ぼすのだ。戦争反対!
ともかく、会話は元の世界、つまり日本に戻った武田さんが、戦争が嫌で姿をくらましたと誤解されて、いわれのない差別や陰険ないじめ的圧力をかけられて苦労して、それでも戦後の逞しい復興の勢いに支えられながらつつましく、それなりの生活を手に入れたというところまで、話は進み、それこそ誰得な状況なので会話の詳細に触れることはせず、さっさとお題であるTSの消化へと突き進むべく話は進む。
菓子をつまみながら、茶を啜っていた武田さんの手が不意に痙攣し始めた。
「どうした武田の? 容態が悪化したのか?」
絵里紗は狼狽した。すぐにでもナースコールを押したいところであったが……。
彼女は、ナースコールにはいい思い出がない。軽いナースコール恐怖症に陥ってしまっているともいえる。
相変わらず武田さんはびくんびくんと体を震わせ、白目を剥き、口からは涎的ななにかがほとばしっている。俗にいう、『RYS』(老人の涎ストーム)だ。
「くう、近くにナースの気配は……?」
絵里紗が精神を集中させて周囲の気配を読む。しかし、ナースはおろか、人の気配は感じない。
大声を出せば、ナースステーションまで声は余裕で届くのだが、気管支に問題を抱える絵里紗は、そんな大きな声を出すことができない。
「くそっ! 万事休すか! こんな時に……こんな時に薫が居てくれたら……」
薫は容態を悪化させて、集中治療室送りになって、その後回復の兆しを見せたものの、未だ病室に戻れるまでの状況ではないということで、ナースステーション横の経過観察室で過ごしている。この病室には居ない。
「武田が、こんなに苦しんでいるのに……、儂は、儂は何もしてやれないのか! それに薫……、あいつが居なくなって初めて気づいた。奴の必要性に……。薫さえ居てくれたら……、奴ならナースコールを押すことくらい、いともたやすくやってのけるであろうに……。
儂は……、儂は……これほどまでに自分の無力を……、そして薫の大切さを痛感したことは無いぞぉっ!」
絵里紗の悲痛の叫びも、声量にするととてもか細く、ナースセンターまでは届かない。
そうこうしているうちにも、武田さんの容体はどんどん悪化していく。
はたして!?
絵里紗は自らの呪縛を乗り越え、ナースコールを押せるのであろうか?
武田さんの運命は如何に?
なお、今回のサブタイトルは「TとSの素敵な共演……それはTS、すなわち性転換なのじゃぞ!」でした。