余命-20
その時、近藤のPHSが鳴ったなり。『ぴっち』であって『びっち』ではない。念のため。
今話のネタは以上です。あとは真面目にお話が進展します。
「なにぃ! 唄音の病状がっ!」
出るなりそう叫んだ近藤であるが、一刻の猶予も許されない状況に追いやられたのは自業自得。いや、絵里紗、薫との共同作業が原因である。連帯責任である。
電話を切るなり、近藤が絵里紗に向き直る。
「すまない……絵里紗。君にこんなことを頼むのは筋違いかもしれない。だけど……僕は一人の医師として唄音の命を救いたいんだ。
その代りと言ってはなんだが、今後君に出来るだけのことはする……」
「儂の命が保てば……の話じゃろう……」
絵里紗の皮肉が近藤の胸に突き刺さる。
しかし、絵里紗とて辛い。皮肉を言いたくなるのは、彼女の心底唄音の命を救いたいと願っているその本心からだ。そして、そのためには自らの命を投げ出す覚悟はできているのが今の彼女。皮肉はある意味で彼女の感情の裏返しでもあった。
薫は空気だった。空気のように軽い存在だった。一時は唄音の命を救うための対策会議の進行役を務めたりもした。彼だって、唄音を愛するものの一人なのだ。
しかし……結局は絵里紗にすべてを委ねるしかない。近藤の持参した古文書ほどの有益な何がしかをもたらすことはできていない。
絵里紗が言う。決意の籠った表情で。
「近藤のおかげで術式はわかったのじゃが……、
魔力は足りない……。
それを供給する助っ人もいない……。
輝石もない……。
それでいて儂の手元に残るはこのちんけな魔杖・ニードルスレイダーだけ……。
魔王と言うのも因果な商売じゃて。
しかし、やらねばならんのう……。
なに、これは儂自らが望んで行うことじゃ。近藤が責任を感じる必要はないのじゃよ。
もちろん薫もな……」
会心の強がりの笑みを浮かべる絵里紗だったが、やはり痛々しい。彼女自身、彼女の現在の肉体はそもそもにして病弱なのである。
体力的には人間として最低限の生活を送ることすら困難である。
これから絵里紗が使うのは……消費しようとしているのは魔力。体力とは別次元のベクトルの力ではあるが、それが弱りきった絵里紗の肉体にいい影響を与えるはずもない。
それでも絵里紗は言う。
「不幸中の幸いじゃて。輝石すら手に入らんのじゃから、術式に準備はいらん。
さっさと唄音の病室へ連れて行け!」
と、絵里紗はベッドから降りて車椅子に座った。そして薫に向けて言う。
「何しろ、これから行われるは魔族の儀式。そうおおっぴらに行うわけにもいかんだろう。
少数精鋭で行く。儂と近藤の二人だけで十分じゃ。
それに、薫の点滴のスタンドの移動にわざわざ忙しい看護師の連中の手を煩わすこともあるまい」
そうなのだ。薫の腕には無数の点滴が刺さっている。数が多すぎて、点滴を吊り下げるスタンドも一本では足りない。では何本なのか? と聞かれると返答に困るが、とにかく今現状の薫が移動するのには付添が必要なのだった。
絵里紗もできるだけ体力を温存するために自分で車椅子を押すのは控えようという算段だ。その役割……車椅子の押し係は近藤が担う。
「薫とは……、これでお別れになるかもしれんのう……。
さっきは嬉しかったぞ。
儂を護るなぞと生意気なことを。
では行ってくるぞ……」
とそこで言葉を切った。絵里紗の表情がゆがむ。目にうっすらと涙が浮かんでいるようだ。
唄音を早く救いたい気持ちが強すぎて、一刻も早く車椅子を押して、絵里紗を集中治療室へ連れて行きたい近藤も、絵里紗の放つ気配を敏感に感じ取ると一歩も動けなかった。
死を覚悟した人間の最後に見せる気迫……、そして哀愁が絵里紗から感じられた。
しかし、そんな前世が魔王であるところに起因する圧倒的なオーラによる威圧を見せつけていた絵里紗の気が急速にしぼんだ。
魔王としての風格が消え失せ絵里紗の表情はごく普通の、病弱で余命宣告を受けながら余命宣告期限を長々と超えて生き続けている14歳の少女のそれになる。
絵里紗は薫に手を伸ばした。
薫も手を差し出す。
二人は固く手を握り合った。
その上で絵里紗は薫に向けて言う。これまでにないほど優しい声で。
「薫……、薫くん、いままでありがとう……。
たくさんたくさんありがとう。ずっと小さい時から一緒だったもんね。
だけど……、亜里沙お姉ちゃんとの約束の話は初めて聞いた。
ずっと……、ずっと護ってくれてたんだね。
支えてくれてたんだね。
わたしが元気なときも……、寝込んじゃっているときも。
お姉ちゃんとの約束だから? ううん、それはどっちでもいいの。
薫くんがそばに居てくれただけで、わたし……幸せだったから。
今まで黙っててごめんね。わたし……、ずっと……持ってたの。
魔王のエリザと今までのわたし(絵里紗)の記憶の両方とも。
だけど……、薫くんが心配しちゃうかもって……、言いだせなかった。
隠しちゃった。
そしたら、薫くん、どんどんエリザと仲良くなっていっちゃうんだもん。
わたしと一緒だった頃の……、どこか張りつめた薫くんじゃなくって、普通の薫くんが見れた。お姉ちゃんと一緒にいる時みたいだった……。
正直うらやましかった。嫉妬しちゃったのかもしれない。エリザに……自分自身に。
それに……、このままエリザの振りして……、薫くんの前にわたしが現れなかったら……、もしもわたしが先に死んじゃった時に薫くんの悲しみが少なくて済むかなって……。
でも……、ごめんね。やっぱり黙ってなんて行けなかった……。
ほんとに……ごめんね……。
でも最後に言いたいのは……、
やっぱり……、
ありがとう!」
魔王エリザとしてではなく、一人の人間、一人の少女としてそれだけを伝えた絵里紗は、気持ちを切り替える。
「いきましょう、近藤先生! 唄音ちゃんのところへ。
全速力で向かってください!!
行くのじゃ~!」
薫は空気だった。危うく空気になるところだった。
近藤に押されて勢いよく病室を飛び出す車椅子を見送り、今後しばらく出場自体が危ぶまれるところだった。
下手をすると、二話、三話、いやそれ以上の間、物語は絵里紗を中心に、唄音を救う描写が延々と続けられる公算が高い。
車椅子で、唄音の元に駆けつけるまでにもひと悶着、ふた悶着ぐらいはあるだろう。
唄音の元にたどり着いてからもだらだらと遅々として話が進まないなんてこともあるだろう。五話ぐらいは余裕なのかも知れない。下手をすると10話ぐらいかかるかもしれない。それぐらい、話の展開が遅くて有名な作品なのだから。
そうなれば薫の出番はない。数話の欠場は確定である。薫は空気になるところだった。
だが違う。圧倒的存在感。圧倒的現状打破力。それがあった。今現時点での薫には。
薫が見せるこれからの行動には。
今までの愚図愚図ぶりがなんだったのか?
例えて言うなら、今までの……ほんの数行前までの薫にはスイッチが入ってなかった。
だが、スイッチが入った。それだけの違い。それがこうも劇的な変化を生むとは。
薫は力強く立ち上がった。ベッドから体を起こして床に降り立った。
しかし、体力の無さは病人のそれである。
いくらスイッチが入って気合が違ってもよろける体を律することはできない。
よろめいた拍子に、薫の腕と繋がった点滴のチューブが伸びきる。
その反動で点滴のスタンドが倒れる。
「危ない!」
と近藤が銀色に輝く金属棒に手を伸ばすが、届かない。点滴スタンドはそのまま倒れようと角度を急にする。
が、点滴は抜けない。薫の腕から繋がる点滴のチューブが宙ぶらりんとなった点滴スタンドを空中に保持する。
薫の点滴を刺したのは、点滴の針を固定するテープの張り方の技術に定評がある看護師の白川さんなのだ。条件さえそろえば、点滴固定スキルの免許皆伝との異名を持つ婦長の権藤さんを凌ぐ技量の持ち主なのだ。
「急に動くと危ないよ、薫くんの点滴は……」
近藤が言い終わらないうちに、薫は自らの手で腕に刺さった点滴をぶちぶちと抜いていく。まるで時間が惜しいかのように。事実時間は限られている。
初めに右手で左腕に刺さった点滴の針を引きちぎる。続いて逆の手。
硬く、そして強く固定されている医療用のテープを剥がすこともせず、ただ力任せに引き抜く。
辺りには多少の鮮血が飛び散った。多少である。針を抜いただけである。
ごく少量である。他の作品の残酷描写には及びもつかない。だけどR-15なのである。




