余命-18
「つまり……、つまるところは、白紙ってわけですね」
と近藤が言った。続けて、
「術式については、一応解決してますね。この僕のもってきたひいひいおじいさんから伝わる古文書に記載がありましたから。
あとは、絵里紗の魔力が保つかどうかと、結界のための6つの輝石、あるいはそれに代わるアイテムですか……」
「それでも……それでもやるしかない……のじゃろうな……。
まさに唄音の病状は今夜が峠じゃ。
冥界の波動の強まる夜には、死神が唄音の魂をかっさらっていくじゃろう。
勝負はそれまでのわずかな時間じゃ……」
希望を捨てない、いや捨てきれない絵里紗。
自分にしかできない難事を乗り越えるために、ちゃくちゃくと準備を進めていく。
「輝石なしでも小さな……唄音を包むぐらいの結界は作れんこともないじゃろう。
じゃが、丸腰ではちと都合が悪い。
出でよ! 魔杖! ニードルスレイダー!!」
絵里紗は手に魔力を込めた。魔力を込めて念じると、一本の杖? が絵里紗の手元に現れた。
その反動で、絵里紗の容態が悪化して血圧が人間として生きていく上での最低基準値近くまで下がったので――当然絵里紗は意識を失いぶっ倒れた――、血圧を上げるクスリやら、なんやらをいろいろ投薬して、絵里紗の意識が回復するまで少しの時間がかかった。
近藤はさすが優秀な医師なので、淡々と処置した。
薫もここぞとばかりにナースコールを連打して、ナースを大量に召喚することに成功した。あとでこっぴどくしかられた。
そして、そんなひと悶着を経た後、何事も無かったかのように、
「儂の魔力を最大限にまで高めうる魔杖じゃ。
まあ、あちらで使っていた魔杖・イントラビヌーズ・トロップフロナーデルとは比べ物にならんがの……」
と呟く。
絵里紗の手に固く握りしめられているのは、魔界の王の杖としてはいささか不釣り合いな銀色に光る小さな一片のどこかで見たことのあるアレだった。
俗にいう、家庭科の時のアレ。家庭科でよく使うアレである。AAを張り付ければ一発で伝わるが、AAが正常に表示されるのかどうかはいささか不安が大きい。
なので、文章で描写する。
先っちょにひし形の細い針金が付いていて、それを針にとおして、ひし形の部分に糸を通せば、ごく簡単に糸がとおる、アレである。
糸とおし。正式名称:ニードルスレイダー。全長5cmほどのちっぽけなアイテム。
名前知ってました?
「こいつに儂の魔力を少しずつ蓄積しておったのじゃ。
それほど大量の魔力は蓄えられておらぬが無いよりましじゃろうて。
わずかではあるが、儂の魔力の増幅もしてくれる。
人間界で手に入るのはこれが精いっぱいじゃ」
手元の針とおしを見つめながら絵里紗はふうっと大きなため息をついた。
ため息をついたあと咳き込んだ。咳はしばらく続いた。
薫と近藤がアイコンタクトで、
『やたらと咳き込んでるが大丈夫なのか?』
『いや、まあ様子をみましょう』
『なんだったらもう一度ナースコールを押すが?』
『薫くんはそれでさっきしかられたばかりでしょう? すこし様子をみましょう』
『止まらないしどんどん悪化していっているようなのだが?』
『もうすこし様子をみましょう』
『あっ、痙攣しだした!』
『大丈夫です。絵里紗を信じてあげてください』
と、目と目で通じ合っているうちに、絵里紗の咳は収まった。
そして、何事も無かったかのように、絵里紗は、
「儂は……、知ってのとおり、お前たちには考えられないくらいの長い時間を生きておる。
数百万年……。儂自体正確な年数はわからんくらいじゃ。
魔界統一を志しては、人間界より遣わされた勇者に敗北する。
敗北しては、新たな魔族の体を手に入れて再び復活する。
同じことの繰り返しじゃ。何回も、何十回も何百回も、何千回も何万回も。
魔界の統一、勇者と手を組んでの異世界の掌握……。
それだけを目標に生きてきた。
儂にはそれしかなかったからのう。
じゃが、ここに来て異変が起こった。
魔界で新しい体を手に入れて復活すべきところが、人間界の少女の肉体に宿ってしまったんじゃ……。
しかも、体は極度の病弱じゃ……。まさにいつ死んでもおかしくない状態で日々を生きながらえておる。
ひょっとしたら儂の魂はもう二度と魔界へ還ることは叶わんかもしれん。
数百万年の長きにわたる魔界統一の夢は見治めじゃ。
じゃがのう……。
何故このタイミングで儂が人間界へと召喚されたのか……。
運命のいたずらかもしれん。
勇者に振られつづけた儂が、本当の愛というものを知るための試練かもしれん。
そう思っておった。
じゃが……、違ったのかもしれんのう。
薫と出会い、さまざまなナースや近藤をはじめとする医療関係者の世話になり、
さまざまな患者を知り、最期を看取ってきた。
院内学級の少女たちとも仲良くなった。
魔王であった儂が人間の命の大切さを知った。
これは……、
ひょっとしたら儂は……
唄音の命を救う、それだけのためにこちらの世界にやってきたのかもしれん。
そんな気がする……。
ならば、ここで果てるのが儂の運命。使命じゃて。
儂の持つちっぽけなすべての力を使えば、唄音を救うことができる……。
そんな気はする。
もちろんその代償として儂は命を落とすじゃろう。
人間の体に宿った儂の魂は……、寄り代である肉体が死んでしまった時にどうなるのかは実際にわからん。前例がないからのう。
記憶を失くし……、また魔界へ生れ落ちるのか……?
それとも一切を失い消え去ってしまうのか……?
まあ、それも一興じゃて。
唄音の命と引き換えであれば……」
いつになく真剣な表情で、絵里紗はそれだけ言うと黙り込んでしまった。
しばしの沈黙の後、薫が言う。
「そんな……、絵里紗を死なせることはしない!
俺は、約束したんだ。絵里紗のお姉さんと!!
絵里紗は俺が護るって!」
「儂の姉? 儂には姉なぞ……」
「魔王としての絵里紗じゃない。襟巻絵里紗、お前が宿ったその肉体の持ち主の少女、そのお姉さんの亜里沙さんとだ」
「儂の体の……本来の持ち主……、本物の絵里紗?
その姉……?
約束…………?
薫が!?」
次回は、過去編~薫の想い出~です。多分笑いどころは一切ありません。いつものことかも知れませんが。