二
「大月、何であんなこと言った」
振り返ると、一人の少年が睨み付けるような、怒っているような、そんな表情でこちらを見ていた。
短く刈り揃えられた黒髪に、日焼けした肌、鋭く釣りあがった目。
学ランに身を包んでいる彼の名前は、御堂 透。
桜の、彼氏だったな。
私は英語の教科書を持っていた。一人で移動教室に向かっているところだった。
私の『信者』たちは最近ではクラスメイトとも接するようになった。成長した。
結局、私がいないほうがあの子たちのためだったのかもしれないな。ぼんやりと考えていると、御堂が薄いピンク色の唇をかみ締めた。
ギリリ、音が鳴ったのかと錯覚した。
ドンと一歩踏み出して、私に詰め寄る。
「なに考えてる」
唸るような声だ。
「お前はっ、あいつらのこと大切にしてただろっ! なあ!? なんであいつらのことも捨てた」
声を荒げる彼を私は見ていた。綺麗な目だ。桜に似ている。
「捨てた?」
首を傾げてみる。なぜか、この話を長引かせたいなどと思っていた。
ぐっと、眉を寄せる御堂。まるで肉体的苦痛を味わっているようだった。
「そうじゃねぇのかよ……!」
「違うと思うけど、選んだんだよ、桜を」
私が呟くように言うと、御堂の目が揺れた。
「そうだ、よ。確かにそうだろうよ。ただ、あいつらにお前は選ぶ権利さえ与えなかった。最後まで。
『いい頃合だと思うよ』、か。なあなんでそんな言葉を選んだ?
あいつらはその意図を正確に読んだだろう。ただなクラスメイトはどうだ? 思ったよ、お前が今までの嫌がらせを指示してたんだなって。そのときのクラスメイトの反応にあいつらは気づかなかった。
だが次の日、学校に来てみたら、全部お前の責任になってた、悪口も暴力染みたことも、全部」
「……」
「その時になってあいつらも、全部分かった。最後までお前が全部責任取ったってな。
ただもうお前からは見捨てられてる。いや、守ってもらった上で、見逃してもらった。お前に近づけないだろ、もう。自分たちの感情暴走で結局お前に迷惑かけた上に、結局桜に敵意をもてなくて、あんな場所で、桜に好意を持ってるようなそぶり見せて。お前のため息の真意も見抜けなくて、選べるわけないだろ!? お前のこと」
「チャイム鳴るよ」
「ふざけるな! なあなんでだよ」
泣きそうな顔だった。私は目を閉じた。開けると、痣ができた手首が見えた。視線を下げると、ひざにはどす黒い鬱血がある。
「桜に頼まれた?」
私が笑んで言うと、彼はショックを受けたように立ち竦んだ。
「あの時は」
目をもう一度瞑る。
「責任なんて一回ぐらいだったらとってあげるよ。別にそんなに大げさにすることでもない」
一気に吐き出した。
背を向ける。チャイムが鳴り始めた。急がないと、そう思ったときだった。
ドンと体に衝撃が走った。
壁に押し付けられていた。小説とかではロマンチックな場面なんだろうなと私は思いながら、壁に手をつき、私を見つめる彼を眺めた。
なんでこんなに綺麗なんだろう。
何か彼が言おうとしたときだった。
軽やかな足音が聞こえた。ゆっくり御堂の腕越しにその方向を見る。
嫌な予感。
桜がいた。
この子、間が悪すぎだろ、呆れていたら、目が合った。
だらんと、どこか脱力したように立っている。ゆらりと揺れている。
大きく、目を見開けて、口が少し動いたように見えた。
「透?」
泣いているような声色で、違和感を覚えた。彼女はもっと変わった反応をすると思っていた。
一瞬でも、御堂の浮気? を疑うことなんてありはしないと。この様子を見て慌てて止めに来るのを予想したのに。
そして、クルリと回って、廊下を彼女は走り出した。逃げるような、そんな感じだった。
ええっ? と思いながら御堂を見る。動きそうになかった。
行ったら、といおうと思ったが、そのセリフは当て馬が言うセリフだろうと思い直す。さすがにプライドはあるのだ。
「どうして追わないの」
そう質問すると、一瞬彼の瞳が黒く蠢いたように思えた。爽やか野球少年と思っていたが、少し違う雰囲気を感じた。
怖い、なんて。
「追いなよ」
当て馬のセリフを言ってみる。いや「行かないで」のほうが当て馬かも。ふと、そういえばと、私は笑う。
「振られた女なんかに構っていないで」
この人に、告白されたことあるなと。
「っ!」
彼の目が、歪んだ。本当にいびつに歪んだのが分かった。
彼は、すぐ無表情になり、そして踵を返して桜のあとを追っていった。
「当て馬、か」
ポツリと呟いてみる。
私が学校から総スカンを食らってから2ヶ月たった。
総スカンの響きに面白みを見つけてみても、救われない日々が続いている。
ぼっちという言葉を最近覚えた。ぼっちになってから知ったのは、一人になるということはその行為自体よりも、周りに「こいつは一人なんだ」と思われることが辛いのだと判明した。
遠巻きに私を見る人間の目は基本的には嫌悪だ。それ以外にもあるが、まあいいだろう。
教室の椅子に座ったまま、ぼんやりと時計を見た。
誰も、私のことをどうとも思っていない。一人気にかけてくれる人がいるのと、一人もいないのだとすごく差があるのを知った。
両親も、誰も彼も、私のことを……。
その日の帰り道のことだった。
電車がプラットホームに轟音を立てて、入ってくる。ぼんやりと、私はそれを見ていた。
そして目の前に何人も並んでいる人を見つめた。彼らがぞろぞろと車両の中に入っていく、私もそれに続くように、中に入った。明るい車両、何人もの人たちが、シートに座って、何を考えているのかよく分からない表情で、宙を見つめている。
いびきをかいて寝る、太った中年の男。けらけらと携帯電話を耳に当てて何かを話す女子高生。その横で嫌そうに顔を歪める老人。出口の扉の前で5歳ぐらいの子供と笑いながら話す主婦。
幾人もの部活帰りだろう高校生たち。
大学生らしき男。この中で、誰一人と歯牙にかけてもらえない人間は私ぐらいしかいないのかもしれない。
自嘲的にそう思う。
「聞けええぇぇぇえええ!!」
怒鳴り声が聞こえた。
そこにいたのはボサボサの髪に無精ひげ、くたびれたスーツを着た男だった。40台半ばぐらいだろう、神経質な細い目は、どことなく死んでいた。