1章 勇者の姉、召還 -2
立ち話もなんなのでと、伊織は別室へ案内されることになった。
弟の危機ならばこの場ですぐ説明を求めるところだが、自分のことであれば落ち着いてから聞くにやぶさかではない。
フレイの後に従って歩こうとして、ふと自分が素足だったことに気づいた。
そもそも伊織は、部屋の中にいたのだ。
いいや、後で洗えばいいんだし。と思って二・三歩進んだところで、アルヴィンに呼び止められた。
「待て、イオリ」
なんの用かと振り返り、アルヴィンの顔を見上げようとした。が、アルヴィンの顔の位置の方が急速に低くなる。
「失礼する」
短い声かけと共に、背中と膝裏を支えられて抱き上げられてしまった。
「…………っ!」
伊織は驚いて叫び出しそうになる。
だって男の人にこんな風にされたことがない。これって、お姫様だっこ?
思わず硬直してしまった伊織を、当のアルヴィンはちらりと見もしない。これはありがたかった。こんな近距離で目を合わせたら、一分前に怒鳴りあった相手だけに、なおさら気まずいではないか。
フレイも伊織とアルヴィンの様子に気づいて一度振り返ったが、そのまま何も言わずに前に向き直ってしまう。
これって、どうなんでしょ。
まさか異世界では、かなり普通な事?
たとえココでは普通でも、こっぱずかしくてたまらない。さりとて目を閉じて死んだフリをするわけにもいかず。
脳内でじたばたと暴れ続けるしかなかった伊織にとって、唯一の救いは、目的の部屋までそれほど遠くなかったことだった。
「どうぞこちらへ」
その部屋は、白壁の居室だった。
大きなソファは臙脂色の布張りで、綺麗な刺繍がほどこされていた。
飴色をした優美な曲線を描く足や角のテーブルといい、調度はけっこう耽美系だ。けれど壁は白一色で塗られ、所々に大きな緑のタペストリーが掛けられているだけだ。その簡素さが、家具の優美さを引き立てている。
伊織はソファの上に、ゆっくりと降ろされた。アルヴィンが前かがみになると、伊織の目の前を彼の横顔が通り過ぎる。
落ち着いてみるとますます綺麗だなと、伊織は感心してしまった。
そして彼がこれほどまでに顔が良くなければ、伊織も自分の格好を気にすることもなかったのだろう。自分は面食いのつもりはなかったのだが、気楽にできないという位には、美形相手に心理的抵抗が発生するようだ。
「ありがとう」
靴のない事を気遣ってくれたアルヴィンに礼を言った。すると、ちらりとアルヴィンは伊織に視線をよこしてきた。
「礼を言われるほどの事じゃない」
そう答えてアルヴィンは別なソファに座る。
伊織の向かい側がフレイで、お誕生日席の位置がアルヴィンだ。
フレイの丁寧な言葉といい、座る位置といい、アルヴィンはもしかしてフレイより地位のある人間なんだろうか。そういえばなんか、聞いたことのある名前のような……。
その疑問はすぐに解消された。
「まずは自己紹介をさせて下さい。私は近衛騎士として、王家の方々に仕える者です。その縁でユーキ殿とも親しくさせて頂いておりました」
勇者な弟は、お城に住んでいたのだ。近衛騎士なら、悠樹と行動を共にすることも多かっただろう。冷静になってみれば、フレイという名前にも聞き覚えがある。
「うちの悠樹がお世話になりまして……」
伊織が頭を下げると、フレイに「どうぞ、私などに頭を下げないでください」と止められた。
「そしてこちらは、我がトレド王国第三王子であるアルヴィン・リネー・トリーヴァルト殿下です」
アルヴィンが、王子?
王子という単語を聞いたとたん、とりとめもない思考が伊織の頭の中をぐるぐると回る。
王子ってあれか。かぼちゃパンツ履いたり、カレールーのパッケージにプリントされてたり。いや違う、現実に帰ってこい伊織。ええとそうだ。外国のTVで良く見るオジさんも王子だっけ。王の息子だから王子。たとえ五十歳超えても王子……。
伊織はよほど変な顔をしていたらしい。フレイがふっと笑った。
それを見て伊織は正気に返る。
「ええと、さっきは失礼をしまして……」
ぎこちなくアルヴィンに言うと、彼は無表情のままうなずいている。すごく偉そうだ。いや、王子だから偉いのか。
トレド王国は、弟の住む異世界の中でも、二番目に大きな大陸にある国だ。
そんな国の王子様は、背もたれにふんぞりかえって足を組んでいる。またそれが様になるので、行儀が悪いのかどうか伊織には判断がつかなかった。
「さて、この度イオリ殿をお呼びした理由をご説明いたします」
フレイが説明してくれた。
まず、悠樹は順調に勇者としての務めを果たしているそうだ。
予定通り、世界の各地で魔を鎮めているという。
だが、平和をとりもどした国が増えてくると、そんな悠樹に目をつける人々が現れた。
彼らは悠樹を独占して、彼の功績を自国のものにしたいと考えたのだ。さらには彼の存在をちらつかせて、他国に対して主導権を握りたいらしい。
曰く『勇者を擁する国が、他の国に対して威張れる』という特権を欲しがっているのだ。
もちろん悠樹の母国たるトレド王国は、そんな主張をしたことはない。その常日頃からの善行が効いて、他国から「こんな動きを耳にしましたよ」と教えてもらったという。
「これに関連して、ユーキ殿を自国に繋ぎ止めるエサとして、彼の親族を誘拐する計画があるんです。実際わが国の者に接触して、ユーキ殿の親族について聞きだそうとした者を捕らえています。今はまだわからないだけですむかもしれませんが、やがて一か八か、勇者と同じく我々の世界の血を持つ者を目標に、召喚を行うようになります」
「血を持つもの……って、それでわたしが標的に?」
フレイがうなずいた。
「そのためイオリ殿を急ぎ、我々の世界へお呼びしました。こちらの世界へ来てしまえば、異世界からの召還方法では相手側に連れ去られる心配はありません。また急なことでしたので、召喚に適した時まで間が無く、予告もなく術を行うことになってしまいました。誠に申し訳ありません」
謝罪され、伊織は恐縮してしまう。
「い、いえ。とりあえずどうして唐突に呼ばれたのかはわかりました」
実は狙われているといっても、伊織はまだ実感がわいてこない。そのおかげか、大分客観的に自分の状況について考えられる心理的余裕があった。
「で、わたしは一体何をしたらいいんでしょう?」
答えはもちろん一つだった。
「相手を捕まえるまで、この城の中で静かにお過ごしいただきたい」
伊織自身は戦力にならないので、当然そうなるだろう。
そしてフレイは「命に代えても必ずお守りします」という言葉と共に、椅子から降りて目の前で膝をついてお辞儀してきた。
大げさだと思ったが、それぐらい悠樹を大事に思っているということなのだろう。