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4章 勇者の姉の意地-4

 かといって、伊織にできることと言えばささやかなことだけだ。嫌がらせかたがた、シーグの訪問をわざと忘れた振りをして部屋を抜け出すくらい。

 シーグが倒れた伊織のお見舞いに来ると聞き、彼女はこっそり部屋を抜け出した。そして廊下を歩いてきた先触れの侍従を、階段の下に隠れてやりすごす。

「あの、イオリ様。本当に宜しいので?」

 護衛としてついてきた衛兵が、一緒に階段の下から這い出しながら小声で話しかけてくる。

 なにせ訪問者は国の次期最高権力者だ。不安そうな衛兵に、伊織はあっけらかんと笑顔で応えた。

「わたしは既に部屋を出て、不在だったんです。なので問題ありません。そういうことにしてくださいね?」

 衛兵は困惑した様子で「はぁ」とうなずきながらも、直球で尋ねてくる。

「王太子殿下と仲たがいしていらっしゃるので?」

「いいえ。嫌がらせしてるんです」

 あまりに率直に答えすぎたせいか、衛兵を呆然とさせてしまったようだ。

 とりあえず彼の職務は、現在のところ勇者の姉の護衛である。彼が別に命令違反をしているわけではないこと、ついでに「今のことは全部知らなかったで通せ」という理論で押しきり、伊織は意気揚々と城の中を進んで行った。

 そして夜の庭園へ。

 噴水の近くには、光る青い水が入った低いポールがあって、少しだけ明るい。そこにいてはすぐ見つかるので、さらに奥へ。

 昼間にはレブラントという名の茨みたいな植物の茂みへ着く。

 その手前で衛兵には離れていてもらい、少し隠れる位置の木の傍へ来て……空を見上げて涙に暮れるなんて、伊織の趣味じゃない。

 罵声を上げながら、木の幹を蹴りつけた。

「あのくそ王太子っ」

 蹴ると木が揺れて木の葉が振ってくる。

「人が大人しくしてると思って勝手に囮にしてっ!」

 幹がぐらりとたわむ。

「本人に断りもなく、人的被害が出るような決定をっ」

 ゆさゆさと枝がしなって隣の木にぶつかる。

「勝手にするんじゃないわよ!」

 ぐらりとゆれた木から、折れた小枝や葉が降り注ぎ、近くで眠っていたらしい鳥たちが騒がしく飛び立った。

 いけない。大騒ぎしたらここにいるとバレてしまう。ルヴィーサを心配させるつもりはないし、少しはすっきりしたことだし、部屋に戻るとしよう。

 そして蹴りつけた木に謝り、振り返った伊織は目を丸くした。

 後ろを向いて、肩を振るわせているのは笑いをこらえているのだ。絶対。

 一日に一度はこの人に笑われてる気がすると思いながら、伊織はうつむいたまま今にも吹き出しそうになっているフレイに声を掛けた。

「あの……フレイさん?」

 今の、全部見てたわけですね?

 そもそもいつから伊織の後をつけていたのか。まさか部屋を抜け出した所からだろうか。

 フレイは二度三度と咳払いをしてから、ようやく振り返った。

「失礼しました、イオリ様」

 丁寧にお詫びしてくるフレイに、伊織はもう脱力するしかなかった。

「監視してたんですか……」

「役目ですので。いかに護衛を連れていても一人だけでは心許ないですから」

 フレイは悪びれずに答え、付け加える。

「現にこの城の中にも、多くの密偵が潜んでいました」

「それ……本当に?」

「気がつかれていたから、囮にしたと怒っていらしたのでしょう?」

 違いますか? と首をかしげるフレイに、伊織はうなずいてみせる。すると彼は淡い月の光みたいに微笑んだ。

「でも、王太子殿下だけではありません。私も同罪です、イオリ様。王太子殿下が今回の件について提案したとき、私は反対すらしなかったのですから」

 正直に話されて伊織は拍子抜けする。

「なんで、そんな」

「私も、早期の解決が必要だと思ったからです。貴方は異界の人です。まだ日数が経っていないから気がついていないかもしれませんが、いつ狙われるか分からない状況のまま時間がすぎたら、確実に精神から蝕まれてしまう」

「私のことなんて……」

 伊織はうつむく。苛立っているのは自分のことじゃない。自分を守るために、誰かが死ぬのが嫌だ。そんな危険がある作戦が嫌なのだ。自分は王侯貴族なんかじゃない。自分のために命をかけられるのなんて怖くてたまらない。

「そうおっしゃらないで下さい。私はあなたをお守りしたいのです。命令されているからではなく、あなたの母君に報いるためにも、そうしたいのです」

 急に母親の話題が出てきて、イオリは驚く。

「母と、お知り合いだったんですか?」

「わたしはミア様に命を救って頂いたのです。これについては、王太子殿下がご存じないことも含まれています。けれど、あなたには知っておいて頂きたい。聞いて頂けますか?」

 フレイは、四年前の真実について伊織に教えてくれた。

 当時なされた勇者に関する予言は、同時に魔がこの世界に侵入するという予告でもあった。

 予言は、王族と一部の者だけに伝えられた。しかしそれを漏らした者がいて、トレドの辺境地グレナンを治めるミュルダール辺境伯の耳にも入ってしまったのだ。

 彼は長らく辺境伯という隣国との境界を守護する立場におり、その代償としてある程度の権力もあった。だがそれだけでは満足できなかった彼は、勇者の母親の出身地を治める自分が茅の外に置かれたことで、不満がさらに募った。

 ミュルダールは勇者の母親が故郷を見に来ると聞いて小躍りした。彼女を人質に、勇者を保護する権利を手放すかわりに、もっと強い利権を手に入れようと考えたのだ。

 フレイはそんな陰謀に気づかずミアの遠出に従い、馬車を守る任についていた。

 フレイが語る過去の出来事に、伊織は呆然とするしかなかった。

 それでは、悠樹は二度も家族を狙われたことになる。

「勇者を意のままにできる、というのはそれ程に魅力的な事なのです」

 しかしミュルダール辺境伯にとって予想外だったのは、長い年月を異世界で過ごしていても、ミアが魔法を忘れなかったことだった。

 そもそもミアは宮廷に仕える魔法使いの一人だった。まだ年若かったために記録こそ多く残ってはいないが、かなりの能力をもっていた。彼女は自分に襲い掛かる者たちを、その力でなぎ払った。しかし襲撃者にも魔法使いがいたために、その戦いは激化してしまったのだ。

 その結果崖崩れを誘発し、ミアとその護衛、そしてミュルダールの配下たちの全てが土砂に埋まってしまったのだ。

「じゃあ、自然災害じゃなくて……」

 ――今でも、伊織は鮮やかに思い出せる。

 灰色の空から降る雨。

 雨に濡れた土が雨と一緒に降り注ぐ。

 それを見上げる母の姿。

 落ちてきた岩に潰されていく周囲の人々。

 体が折れ曲がる様、悲鳴、土砂と混ざる血と肉。

 夢で見たその光景はあまりに凄惨で、脳裏に焼きついて離れなかった。

 そして母が襲撃に遭ったことも、フレイの姿も見えなかった。

 なぜあんな未来を見たのかは、未だにわからない。今日も一瞬先のことを垣間見たけれど、何が原因かこっちも分かっていないのだ。

 唇を噛み締める伊織の手が握り締められる。

「私はミア様に助けられました。土砂の下敷きになりかけた所を……」

 ミア自身は既に重傷を負っていたという。そしてフレイを庇って儚くなった。

「ミア様が庇って下さったおかげで、私は重傷を負いながらも生き残ることができました。それでも三日眠り続けて、ようやく起き上がれるようになった時には、あの事件は長雨による土砂崩れという事で処理が進んでいた」

 何もかも潰れてしまって、本人と判別できる人すら少なかった。生き残ったのはフレイのみで、計画が失敗したミュルダールは証拠隠滅のために動いた後だった。

「私は……陰謀に関わってしまったと、告白できませんでした。ミュルダールは私の父です。彼は襲撃の時も、当然のように私が自分の計画に従うと思い、ミア様を差し出せと要求してきたぐらいです。戸惑っているうちに……全て終わってしまいました」

 伊織は初めて知った母の死の真相に驚くばかりで、どう答えていいのかわからない。

 どうして最初から教えてくれなかったのかと、怒るべきだろうか。

 でも、自分だって家族が知り合いを殺そうとしたら、戸惑うだろう。眠っている内に『何もなかった』事になってしまったら、ほっとしながら口を噤んでしまってもおかしくはない。

 だけど伊織自身は被害者の遺族だ。けれど、フレイが加害者というわけではない。

 悩む伊織の様子に、フレイは「勝手なことばかり言ってすみません」と謝ってくる。

「その時私は、父と決別しました。それでも陰謀に関わってしまったと、告白できないままになってしまいました。全て私の心の弱さのせいです。だからせめて、ミア様の代わりにユーキ様と、イオリ様は必ず守ると決心したのです」

 フレイのまっすぐなまなざしが、伊織に向けられる。

「どうか御身を大切にして頂きたくて、お話ししました。もちろん、この話を王太子殿下やアルヴィン殿下にお伝えになってもかまいません。ミア様のご親族であるイオリ様のご判断にお任せします」

「フレイさん……」

 自分にそんな判断なんて出来ない。だってそんなことをしたら、今更フレイが職を解かれたり、この国の仕組みがどうなってるのかわからないが、父親と連座で処分される可能性だってある。それは嫌だ。

 フレイはそんな伊織の考えを知ってか知らずか、困惑したまま見上げるしかない彼女に、彼は優しく微笑み返してくる。


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