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挿話 黒鋼の竜 上


 卑怯な手を使うのは好きじゃない。

 けれど、子供の自分が正攻法で勝てる相手ではないことを知っていた。



「おー、何じゃ御主、どこからか紛れ込んだのかのう?」

 男はしゃがみ込んで彼のいる場所を覗き込んできた。

 漆黒の髪を持つ男だった。髪同様の漆黒の瞳は静かな印象の色にもかかわらず生気に満ちて溢れていた。成竜であり戦士の体つきをしていた。勇健な体つきからは並はずれた生命力を感じた。

(……竜王アスカ)

 少年は男を無言でじっと見つめた。

 竜王アスカは異界で育ったと聞く。竜の全てを封印し、戦いを知らない世界で育ったという。けれど、星見達に谷に連れ戻されて以降、僅か一年ほどで竜王として即位を果たした。常勝王という号を聞くようにその強さは異常な程だと聞く。彼を守る周りのもの達が強く彼はのうのうと守られているだけだと批判する声も聞かれたが、アグラムは彼を本当に強い相手であると判断をした。

「身なりからアソニアの子であろうが……」

 男は片手に酒瓶を持っていた。顔は仄かに赤くなっている。

 濃度の強いものらしく、彼は酷く酒臭かった。

 竜は人とは違うために普通の酒では簡単には酔わない。恐らく竜でも酔う玉酒を原液で飲んでいるのだろう。人であれば一口で気を失うような代物だが、彼はアグラムを見据えながら酒瓶に口を付けた。男の様子から既に相当量を飲んでいると推測出来た。

(もう一歩)

 アグラムは距離を測る。

 男は少し前のめりになって無防備な状態でアグラムを覗き込んだ。

 苛立つほど平和な顔をしていた。

「どうした? 口がきけ……」

 アグラムは爪を剣の形に造り替え、彼に斬り掛かった。

 完全に捉えたように見えた。

 だが、手応えはない。

 アグラムは立ち上がり踏み込みながら切り返した。

「お、いかんぞ、いかん」

 男はいいながら上体を反らし後ろへと後退していく。

 距離は詰めているはずなのに当たらない。

 攻撃を予測して最小限の移動しかしていないのだろう。アグラムの攻撃は当たりそうであたらない。

「いかんぞ、酒がこぼれるではないか」

 この状況で男は酒瓶を気にしている。

 その余裕が腹が立つ。

 アグラムは標的を酒瓶に変える。

 とたん竜王は動揺した様子を見せる。

「こ、これはいかん。これはシイナがわしの為にとわざわざ作ってくれたもので、一滴たりとも無駄には……」

 彼は酒瓶を守りながら後ろにどんどん逃げていく。

 アグラムは酒瓶への攻撃を諦めなかった。

 動揺が足元に出たのだろう。ふらりと彼の身体が揺れる。

 その隙をアグラムは見逃さない。

 一気に間合いを詰めて彼に攻撃を仕掛けた。

 だが。

「……!」

 攻撃が空振りに終わった瞬間、アグラムは目の前にアスカの姿がないことに気付く。気配を感じるより早く強い力で真横に薙ぎ倒された。

 抵抗も出来なかった。

 一瞬のうちに床にねじ伏せられ、押さえ込まれる。

 男の大きな手がアグラムの角を強く圧迫する。

 呼吸が止まりそうな激しい痛みが全身を駆け抜ける。

「ぅ……あ……」

 男は片手で軽々とアグラムを押さえ込みながら、もう片手で落ちてきた酒瓶を掴む。酒瓶は床に押さえ込まれたアグラムの目の前で止まった。

 ふぅと彼は息を吐く。

「これは、危なかったのう」

「……な……せ」

「お、これはスマン。痛くするつもりはなかったのじゃが」

 言うとあっさりとアグラムの身体を解放する。

 すぐさまアグラムはその場から離れ間合いを取る。頭がくらくらとした。男は少し不思議そうにアグラムを見ているだけだった。

 力量の差が甚だしい。

 分かっていたことだ。

 けれど、一撃も入れられないとは思ってもみなかった。

「しかし何故わしの首を狙う? 御主のような子供に恨まれる記憶など……」

「………殺せ」

「ん?」

「ひと思いに殺せ」

 竜王の命を狙ったのだ。

 間違いなく殺されることだろう。ならばいっそひと思いに殺して欲しかった。このまま生きて恥をさらすよりは格段にいい。

 睨むように見ていると竜王は盛大に顔を顰めた。

 その口から、聞いたこともない言語が飛び出す。

『ったく、どいつもこいつもこの世界の連中は殺せ殺せと人の命を何だと思ってるんだ。他殺願望でも自殺願望でもどっちでもいいから、そんなのに俺を巻き込むなよな』

 語調から腹を立てているのが分かったが、何と言っているのかアグラムには分からなかった。怒りを孕んだ声だというのに抑揚が無く、不思議な呪文を唱えているようにさえ聞こえた。

「わしには子供をいたぶる趣味などない」

「子供扱いするな。剣を向けた時点でおれは戦士だ」

「ならば戦士の道理に従え。わしは御主との戦闘に勝った。ならばこの時点でわしは御主を好きに出来る権利を得たということじゃの?」

「………」

 黙って睨み付けると彼は床に胡座をかいて座った。

 どこか不機嫌そうに片方の膝に肘を突き頬杖を付いた。

「まずは名を名乗れ」

 むっすりと彼を睨んでアグラムは答える。

 男の意図は分からない。だが、従うより他にないようだった。

「……アソニアの、アグラム」

「何故わしを狙った?」

「……」

「どうした、答えぬか」

 冷ややかな視線だった。苛立ったように指先だけを動かす。

「……お前は、おれの兄を殺した」

「いつの話じゃ?」

「黒翔歴32年真銀の月」

「真銀……ああ、アソニアで騒ぎが起きた時か」

「俺の兄は先導していた一派のものだ。お前は竜の姿にすらならず槍で兄を殺した」

「なるほど、あの時の……。御主にしてみれば兄の敵となったか。これは済まぬ事を……」

「違う!」

 アグラムは噛み付くように叫ぶ。

「あいつなんかどうでもいい」

 兄との思い出は大した記憶がない。

 ただ‘いた’という記憶があるだけだった。

「お前は竜にならなかった。竜の誇りを傷つけた」

「その復讐だと?」

「違う。あの時、お前はおれを無視した。アソニアの誇りのために戦うと決めたおれに見向きもしなかった。お前はおれの矜持を踏みにじった」

 殺してやる、と思った。

 力量の差は歴然としている。だから勝てるとは思ってはいなかったが、一撃でも食らわせるつもりだった。その身体に痛みという形で自分の記憶を植え付けてやろうと思ったのだ。

 命を賭すだけの価値がそれにはある。

 そうしなければアグラムは生きられなかったのだ。

 男は驚いたような顔でアグラムを見つめる。アグラムは射殺すつもりで彼を睨め付けた。

 突然、男の口から破裂音のような奇妙な音が漏れる。

「なっ……!」

 竜王は口元を押さえ肩を震わせ始める。やがて耐えられなくなったのか、大声を立てて彼は笑い始めた。

「あはははははははははははははっ!!」

「な、なっ……」

 アグラムは顔に朱を登らせた。

「こ、この上更に愚弄するか!」

「ちがっ……す、すまん……いや、御主を馬鹿にするつもりなど更々ない」

 ひとしきり笑って、ようやく一段落付いたのか、彼は指先で涙を拭いながら彼は呼吸を整える。

 やがて少し真面目そうな視線をアグラムに向けてきた。

「誇りというなら済まぬ事をした。じゃが、あの場の平定にはわしが人の姿で圧倒せねばならなんだ。流れる血は最小限の方が良い」

 戦の種と言われるアソニア種らしからぬ言葉だ。

 伺うようにアグラムは男の瞳を見る。

 黒い瞳には人を蔑み楽しむような色は含まれていない。ただ、真っ直ぐだった。

「小戦士、わしは戦うことが好きではない」

「……」

「正確にいうなれば、試合としての戦いは好じゃが、命のやりとりをするのはとてもじゃないが慣れぬ。わしが育った異界は平和な国だった。テレビで殺人を報じることも多くあったが、それは異常なことじゃった」

「てれび?」

「遠くの出来事を伝える魔法の箱じゃよ。……わしの故郷ではのう、いかな理由があろうと人が人を殺すことを禁じていた。試合以外での戦いも禁じていた」

「なら、どうやって王を選ぶ?」

「民が選ぶのじゃ。わしのところにいたのは王ではなかったがの、指導者という意味では王のようなものだったじゃろ。国の中枢までは選ぶ事はできなんだが、どの人物なれば民意を正しく中枢まで持っていってくれるかと各地で‘多数決’をしての、代表を選び国を成り立たせていったのじゃ」

「……世襲ではなく、選ばれた領主達が沢山いたってことか?」

「そう、御主は頭の回転がはやいようじゃの」

 にっと笑って彼はアグラムの髪の毛をかき混ぜるように触った。

 払いのけようとしたものの、何故かその手が心地いい。

 アグラムは嬉しそうに笑うアスカを黙って見つめた。

「選ばれた者達がさらに一番上に座るべき者を選ぶ。無論個人の思惑が絡むことはあったが、そうして長い間機能してきたのじゃ。……わしはそういった血を流さない‘常識’の中で育ってきた。今でこそこちらでの生活の方が長くなったが、やはりどうにもこちらの‘常識’には慣れぬ」

 本気でそう思っているのだろう。

 彼の声からは現実に対する失望のような色が垣間見えた。

「竜の誇りとやらも理解しないでもないが、わしはわしの信念を変えるつもりはない。まして他人の矜持を守るために子供をいたぶるなんて‘クソ喰らえ’じゃ」

 いいながら彼はアグラムを抱き上げ、自分の膝の上に座らせる。

「子供は子供らしく守られておればいいのじゃ。わしを憎むならそれでいい。じゃが、今剣を向けて死を急ぐ必要はない。……御主、兄を失い自暴自棄になったのではないか?」

「……っ」

「御主と兄とでは随分年が離れていただろう。或いは唯一の肉親だったのではないか?」

「………」

「理由をつけなければ生きることも死ぬこともできなんだ。それ故わしの元へと来た。もとより勝つつもりのない勝負は己の手で己を殺すのと大差ない。分かっているからこそ誇りという大義を付けてやってきた」

「……お前に、何がわかるんだ」

 彼はアグラムを撫でながら優しく笑う。

「家族に二度と会えない寂しさは知っておるよ」

 アグラムはきつく目を瞑って男の胸元に拳を叩きつけた。

 男の身体に響く音が振動として自分にも伝わってくる。もう一度アグラムは男に拳を叩きつけた。

 何をしたいのかわからない。

 酷く気持ちが落ち着かない。

 その気持ちをぶつけるように何度も彼を殴っても、彼は怒らなかった。ただ、アグラムを抱きしめる。

「それでいいのじゃよ」

 暖かくて居心地が悪い。

 それなのに何故か、ふりほどけない。


 その腕は、力強く優しかった。



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