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クウルはドアを閉めてノックをしてからもう一度ドアを開いた。
「おーっす、ミユ、お疲れー」
「ああ、クウルか。随分機嫌がいいみたいだな。何かあったか?」
「へへ、実はなー」
「……お・ま・え・は! ドア叩けばいいってもんじゃねーんだよっ!」
先刻まで椅子に座っていたはずのキイスに襟首を捕まれながらクウルは唇を尖らせた。
「なんだよー、ノックくらいしろっていったのキイスじゃねぇかよー」
「だからそう言う問題じゃねぇんだよ、ってか、お兄様と呼べ! 馬鹿弟!」
「ばかって言った方が馬鹿なんだかんなー! キイスのばーかばーか」
「兄に向かっていい態度じゃねぇかよ、オイ? 大体お前は兄に対する尊敬の念ってもんがねーんだよ! たまには兄の忠告くらい大人しく聞いたらどうだ? あぁ?」
「たまに‘は’きいてますぅー。ノックしたしお客さんにも挨拶しただろー? つーか、この場合ミユにシェン紹介する方が先じゃねーの?」
「!」
指摘されてようやく気付いたのかキイスはドアから部屋の中を覗き込んでいるシェンを見る。
シェンはびくりと肩を振るわせ涙目になった。
ミユルナが視線を少し鋭くさせる。
「誰だ、そいつ」
「シェンだよ。シェーン、いいから入れよ。ミユを紹介すっからさ」
「え、えっと……」
シェンがキイスを見ると、キイスは不機嫌そうにクウルを離した。
「ぐだぐだやってねぇで、とっとと入れよ!」
「あ、はい。………おじゃまします」
びくびくとしながら入ってきたシェンはまるでキイスから距離を取るようにクウルの後ろに入る。
ミユルナは腕組みをして、まるで品定めでもするようにシェンを上から下まで見る。
「その格好、レミアスの竜だな?」
「えっと、そう、みたいです」
「みたい?」
「シェンは記憶喪失なんだってー」
「記憶喪失? なら何故名前を知ってる?」
「こいつの持ってる剣に名前が刻まれてたんだよ。半分くらい読めなかったけど、シェンって」
へぇ、とミユルナは興味深そうに彼を見る。
シェンは彼女を不思議そうに見返した。微かにその顔は青ざめているように見えた。
「ん? シェン、どうしたんだ?」
「まさか、デイギア種……?」
「あれー? 良く知ってんなー」
「嘘、どうして……滅びたはずじゃ……」
その疑問にはミユルナが答える。
「ずっと滅んだ種と言われていたが、おれたちは滅亡種じゃない。同族で生き残っているのはおれと兄しか知らないが、ちゃんと生きてるぞ」
「そうじゃない、だって……」
視線がおかしい。
見ているはずなのに焦点が合っていない。
彼の身体が小刻みに震えていた。彼の身体に触れればその振動はクウルにも伝わって来た。
まるで、何かに怯えているような、震え。
「滅んだんじゃないなら、何で、あの時、赤妃様は……っ!」
「シェン? ……シェンっっ! おい、どうしたんだ!」
彼は頭を抑えてその場に蹲った。
苦しそうに呻きながら頭を抑えている。尋常な様子ではなかった。目を見開き呼吸が酷く荒い。手を握るとその手が汗ばんでいることが分かった。
今にも死んでしまいそうな顔をしていた。
クウルは彼の肩を掴んで揺さぶる。
「シェン、大丈夫か? おい、しっかり!」
「クウル、動かすな」
肩を掴まれ、クウルは自分の呼吸も荒くなっていることに気付く。
「……キイス」
キイスは離れろと言うようにクウルの身体を押した。大人しく従うとミユルナがクウルの肩を抱いた。ちらりと見上げると彼女は大丈夫だという風に頷いて見せる。
キイスは彼の前にしゃがみ込み背中に手を当てる。
「大丈夫だ。無理に思い出すことはない。ゆっくり、息をしろ。落ち着いて、大丈夫だから」
その指示に従ってシェンは大きく深呼吸をした。
少しだけ呼吸が大人しくなったが、まだ荒い。
ぼそりと彼が呟く。
「………ぃ」
「うん?」
シェンは下を向いたまま、口元を押さえた。
「………気持ち悪い」
「いい、ここで吐け。心配することはない」
言いながらキイスは彼の肩を抱いた。背を撫で、子供をあやすように抱きしめた。
「………」
ぼそりとシェンが呟く。
クウルには聞こえなかったがキイスはそれに答える。
「大丈夫だよ、心配すんじゃねぇって。俺がいいっていうんだからいいっつーの」
「……」
「謝る必要はねぇっての。……クー、カリア呼んでこい」
「あ、うん」
クウルは頷くとカリアを呼びに廊下へと出た。ミユルナもまたそれに付き添うように出てくる。
シェンのことは心配ではあったが、あの場にクウルが残っていても何も出来ない。
分かっているからこそ大人しく出てきた。
廊下を歩きながら横を歩くミユルナに話しかける。
「……相変わらず手際いいよなぁ、あいつ」
「やきもち焼いてるのか?」
「そーだよ。シェンは俺が拾ってきたんだし、キイスは俺の兄貴なんだ。やきもちくらい焼いたっていいだろ」
クチを尖らせるとミユルナは笑う。
「でもホッとしてるって顔だ」
「俺じゃどうしようもねーし。なんとかなって良かったって思うよ。………記憶喪失って思い出すの辛いモンなのかな」
「おれはなったこと無いから分からないが、あの様子じゃよほどなんだろうな。とても演技とは思えない。どうやら思い出したくない記憶があるらしいな」
「あいつ、拾った時血だらけだったんだ」
クウルはあの時のことを思い出す。
血の匂いがして、動かない彼は既に死んでいるものだと思った。
「カリアも治療してたし、傷は結構早く治ったんだけど酷い怪我だったんだ。まるで戦地から逃げてきたみたいだって、カリア言ってた」
「右手の人差し指が無かったが、あれは?」
「一瞬で良く見てんなぁ。アレは今回が原因じゃないみてぇ」
彼の右手の人差し指はなかった。先天的にない種族ではないらしい。カリアの話しによれば、竜の状態で戦闘をして食いちぎられたような傷跡だという。それも随分と前のものではないかと。
気弱で泣き虫な彼を見ているととても戦闘出来るような風には見えない。
何故そんな傷を作ることになったのだろうか。
「謎な男だな。赤妃とも関わりがあったような口ぶりだったから、コラルにいた竜かもしれない」
「カリアも言ってた。ちゃんとした教育を受けてるから竜王か四方将軍出した経験のある家出身だろうって」
「だが、ちゃんとした教育を受けてるなら何故デイギア種が滅んでいるって勘違いをしたのかという疑問も残るな。おれたちの生存は飛翔王の時代に認められているって言うのに」
「動揺の仕方も普通じゃなかったよな」
ミユルナは頷く。
「だが、おれたちが生きていて不都合が起こると言う風じゃなかった。むしろ逆……、……いや、憶測であれこれ考えるのはやめよう。まずは何か思い出したことはないか、そこからだ。彼の記憶が戻らなければ始まらない」
「だなー」
レミアスから返答がくればいいのだが、来なければ彼が誰であるかを特定出来ない。クウルとしてはこのままで構わないが、シェンにしてみればそんな訳にはいかないだろう。それでも、何も分からない自分たちが憶測だけで騒いでいても変わらない。
今はただ、彼の記憶が戻ることを祈るしかなかった。