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眠れる竜の寓話  作者: みえさん。
第七章 地に墜ちて芽吹くもの
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5


 シェンリィスは魔力の流れを読みながら剣を振り上げる。

 剣から溢れ出る波動が空気を切り裂きアグラムに向かって襲いかかる。

 焔の竜は反射的に人の姿に戻りその場を離れる。弾かれるように少年の身体も宙を舞った。その間を引き裂くように、シェンリィスの魔力が駆け抜けた。

 竜の身体に致命傷を与えられるほどの威力こそ無かったが、無事には済まないと言うのが彼の判断。その判断は間違ってはいない。そして反応が遅ければ少年も彼自身もその魔力の餌食になっていたことだろう。

 シェンリィスはそのままアグラムに向かって突進する。

 キイスの気配を確かめている余裕はない。ただ彼を信頼し、二人を引き離しに掛かる。

 人の姿へと戻ったアグラムは、険しい表情でシェンリィスを睨め付けている。

「邪魔すんじゃねぇって言ったはずだ、シェンリィス!」

「……邪魔?」

 シェンリィスは小馬鹿にするように鼻先で笑った。

 ぶつかり合う爪と剣が鋭い音を奏でた。良く知っている音。お互いを昂揚させていく二人にしか奏でられない音だ。

「馬鹿なこと言わないでよ、アグラム。邪魔なのはむしろクーの方だよ」

「!」

 忘れたくても忘れることを拒むような記憶の欠片。

 自分が彼をどんな風に呼んでいたのか、自分が彼をどんな風に思っていたのか。思い出すほどに熱くなる。

「僕たちの勝負に、他の者なんか要らないはずでしょ?」

 自分は知っている。アグラムは我を忘れたかのように大暴れしているように見えるが、戦いに於いて自分よりもずっと冷静に判断出来る男だということを。

 そしてこの状況の下その冷静な判断で、シェンリィスの挑発には確実に乗ってくることを。

 シェンリィスは口の端を上げて笑ってみせる。

「勝負しようよ、アグラム。怖いなんて言わないよね?」

「……てめぇこそ自分から誘っておいて怖じ気づくんじゃねぇぞ」

 濁った翼が広がる。

 鮮やかなはずの彼の翼の先から錆びた色が浸蝕し始めている。

 彼は‘悪夢’と呼ばれる。

 それは対峙した者が悪夢のように強い彼を見て呼び始めたと思っているのが大半だろう。実際に彼はそれだけの強さを持っている。相手を殺すことを躊躇わず、食らい尽くす事も躊躇わない男だ。戦士ではない竜であれば狂気のような彼の目を見ただけでもすくみ上がるのだろう。

 けれど、彼が悪夢と呼ばれる本当の理由はそんなものではない。自分を讃える号が煩わしくて、双翼であった時代も竜将軍であった時代も号で呼ばれる度に顔を顰めていたような男だ。他人からあたえられた号など意味もないと思っていた彼が唯一自分を嘲るように名乗っていたのが‘悪夢の竜’の通り名。

 ひゅん、と風を切り裂き彼の爪が眼前まで伸ばされる。

「……っ!」

 剣で受け止めシェンリィスは顔を顰めた。

 想像以上に強い力だった。見た目以上に悪夢の力が進行しているのだ。

「シェンリィス……!」

 彼の口元が刃で抉ったように釣り上がる。

「お前の大好きな悪夢の力だ、存分に味わえよ」

「………っ、じゃあ、せいぜい長く正気保ってよね。力だけで僕に勝てるなんて思ってないでしょ?」

「言ってな」

 どん、と激しい衝撃と共にシェンリィスは自分の身体が急降下していくのを感じた。

 魔力の塊で叩かれたのだ。咄嗟に防御したにも関わらず、シェンリィスの身体では分張りきることが出来なかった。

「……っ」

 地面に落ちるよりも前に、シェンリィスは状態を立て直し、魔力で足場を作り蹴り上がった。

 こちらに向かって落ちてくるアグラムの姿が見える。

 剣に魔力を込め、衝撃に備える。

 剣の交わる音を感じるよりも早く、シェンリィスは地面に叩きつけられたのを感じた。一瞬呼吸の仕方を忘れるほど激しく打ち付けられる。硬いはずの地面は抉れ、土埃が巻き上がった。

(……押し……負けた……?)

 相殺出来るだけの魔力を込めたつもりだった。

 けれど、想像以上に彼の力は強かった。

 咳き込みながらもシェンリィスは後ろにのけぞるようにして彼の攻撃を交わした。今まで自分がいた場所が更に抉れ、大きな穴を作り出した。

「温い事やってんじゃねぇ!」

 驚く暇もなくアグラムの執拗な攻撃が繰り返された。先刻のように大きく押し負ける事は無かったが、攻撃を受け止めるだけでも苦戦を強いられた。

 それでも力の加減が分かれば相応の対処は出来る。

(……何とか、慣れてきたかな。……でも、この息苦しさ、早く何とかしないと、多分アグラムも……)

 不意に初めて悪夢の力を見た時を思い出した。

 あの時は自分がリトであることなど知らなかった。だから何もしてあげられないと泣くしかなかった。

 シェンリィスに出来たことは逃げないことだけだった。それは竜王が異変に気付き助けに来るまで続いた。ほんの僅かな時間だったが幼いシェンリィスには悪夢のように長い時間だった。自分よりも圧倒的に強い存在と戦い続けることは力も心も未熟な自分にとって難しい事だった。けれど、逃げなかった。それがあの時シェンリィスがアグラムに出来る唯一だったからだ。

 必死に自分をつなぎ止めようとしている彼を見捨てれば彼は得体の知れない力に飲まれてしまう、そう思って、何とかシェンリィスだけでも逃がそうとするアグラムの意思に反して居座り続けた。

 彼を苦しめる力の正体の名が‘悪夢’と呼ばれる呪いだと知るのはそれよりも後のこと。

 その力が最悪な呪いである事を知るのも、リトの力があれば進行を食い止められると知るのも後のことだった。

「あの時」

 シェンリィスは攻撃を受け流しながら呟くように言う。

 小さい声は衝撃音にかき消されて彼に届かないと分かっていながら。

「君の側を離れなかったのは今でも正解だったって思ってるよ」

 あの時アグラムが悪夢に飲まれて、竜王に殺されていれば、今自分はこんな風に苦しまずにいられたのだろう。

 けれど、多分、彼がいなければ王になろうなどと思わなかった。弱い自分も、持って生まれた竜を殺める才能も許せずに、竜王という因果な道をハイノに託し、自分は散っていったのだろう。それが最善なのだと信じて。

 或いは竜王が消えた時点で命を絶っていたかもしれない。

 自分を生かしているのは彼。

 彼を生き延びさせたのは自分。

 どちらが欠けることはあり得ないことだ。

「はぁっ」

 吠えるように喚きながらアグラムの攻撃を弾く。

 怯むことも無く彼は次の攻撃に転じる。彼の瞳に炎の力が宿った。

 炎は彼の中から生まれる。

 シェンリィスを飲み込み焼き払おうとするように大きく肥大した。

「!」

 反射的に水の力を自分の中へと引き込んだ。それは本来の自分の力ではない。人間の使う歪んだ魔法の形。それでも力は呼びかけに応える。

 魔法で出来た水の壁が炎からシェンリィスを守る。

 そのままシェンリィスは彼に攻撃を仕掛けた。

 剣での攻撃は受け止められた。しかし、相殺して尚余る水の力が彼を僅かに押しのけた。一瞬の隙。

 それは彼のいつもの‘甘さ’。

「防御が甘いんだよ、君は、いつも!」

「……っ」

 腹部に向けてシェンリィスの魔力をたたき込む。

(浅い……っ)

 まだ身体が鈍っているのだろうか。それとも暫く戦わない間に彼自身が強くなっているのか。

 もっと深く抉るつもりの攻撃が僅かに逸らされる。

 それでも確実に入った一撃。

 後方に飛ばされたアグラムは倒れこそしなかったが、顔を顰め、血の混じった唾液を吐き出した。

「っ……てぇ」

「自分の身体の強さを過信した甘い防御は辞めるように陛下に言われてなかったっけ? ホント学習能力ないよね」

「うるせぇよ。てめぇこそ今の甘い一撃は何だ? 技術を過信して基礎鍛錬怠ってんじゃねぇのか? 俺なら今の一撃でてめぇの内蔵引きずり出してるぞ」

「冗談でしょ? 僕だったらあんな甘い防御はしないよ」

「はっ、頭に血が上って捨て身で来る奴がよくも言う。……だが」

 彼は指先で唇に付いた血を拭い舐め取る。

「大人しい面して、俺よりももっと薄暗い狂気を孕んでるのがてめぇだ。俺を殺りに来るんだろ?」

 アグラムは挑発するように嗤う。

 凍てつくような凄艶な表情。

「……だったら、もっと楽しめよ」

 その時自分はどんな顔をしていたのだろう。

 懐かしくも新鮮なその場の空気に酔いそうになっていた。




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