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「そうか。……手間をかけさせて悪かった」
ミユルナの報告にキイスは顔を顰めて息を吐いた。
飛翔王の号を持つ先代竜王アスカが竜王となる以前は酷く荒れていたという。竜王候補達の戦いが長引き、王の選定に異常な時間がかかったのだ。谷の疲弊は激しくそれ以上長引けば竜の谷は滅ぶと言われていた。王の選定がままならない時、当時の竜賢人サジャ・ルネールは事態を解決しうるだろう存在として一人の人物を上げた。歪んだ時空に落とされた若き竜の子、後に飛翔王の号を冠するアスカだった
竜も魔法も存在しない世界で人の子として育てられた彼は当初竜の姿を持たなかった。それはクウルのような原因不明のものではなく、アスカ王の本能が異界の穢れから身を守るために自らした封印によるものだった。
星見達により谷に戻されても暫くその封印は解かれなかったが、赤妃との出会いによりその封印が解かれたという。竜の形を戻したアスカ王は凄まじい強さを見せた。混乱していた世の中を次々と収め、やがて即位を果たした。コラルに竜王を据えた谷は歪みの影響を無くし谷に平穏が戻った。
そのアスカ王が52年前に死去した。
突然王を失った谷はまだ次の王の選定にも入っていなかった。アスカ王の伴侶であった赤妃は混乱の最中玉座に座り谷を治めた。当然戦わずして竜王を名乗る彼女を良く想わない動きがあった。赤妃を支持する四方将軍と各領地の竜達の戦いがあり大きく混乱をした。結果としてアスカ王が即位するよりも以前よりも荒れた。
その荒れ方は異常な速度とも言われていた。
「……力になれずすまない」
黙り込んだキイスにミユルナは申し訳なさそうに言う。
「いや、ミユルナのせいじゃない。お前がいなければもっと混乱しただろう。助かった」
「おれはただ誇りある戦士を辱めることはしたくなかっただけだ」
彼女らしいきっぱりとした口調にキイスは少しだけ微笑んだ。
ミユルナは幼い頃はトランタの後ろに隠れているような大人しい性格をしていた。だがその実、古竜デイギアの血を引いている為に強く美しい竜だった。いつの頃からかミユルナはトランタの後ろに隠れるのをやめ、やがてフェリアルトの守衛隊に入り戦い始めた。
心強い仲間だった。
「しっかし、まぁ、元とはいえ北方将軍まで狂うとは……。ったく、ホントどうなってんだよ」
「赤妃が正当な王じゃないからいけなかったんだ。この狂いを見ればそうとしか思えない」
「……確かにな。けど、竜王赤妃は四方将軍に支持されていたからな。俺としちゃ、本当に弱い竜だったとは思えねぇんだよ。飛翔王が死んで、その後、なんとか支えようとした結果が裏目に出たとしか思えねぇんだ」
「キイスは甘い」
ミユルナは息を吐く。
「竜王を名乗るなら少なくとも混乱を加速させるような事をしたら駄目だ。おれは竜王になんかなる気はないが、その………フェリアルトをこれ以上混乱させないくらいのことはするぞ」
キイスは声を立てて笑った。
「そりゃ、頼もしい! お前がいればフェリアルトは万一のことがあっても平気だな」
「馬鹿なことをいうな。キイスがいる。おれがいる。万が一のことなんか起こるか」
本当に頼もしい、とキイスは笑う。
こんな狂った時代だから、冗談であっても自信過剰であっても彼女のような存在が光になり支えになる。
彼女のおかげでキイスがどれだけ安心していられるか、彼女は知らないだろう。
「……それにしても、だ」
キイスは声を低くする。
怪訝そうにミユルナが見返してくる。
「なんだ?」
「増えるかもしれねぇな」
「今回みたいな例が、か?」
「そうだ。フェリアルト鉱山には大穴があるだろ。誇り高い竜達が、歪みの気に当てられて一瞬でも正気に戻ったなら大穴を目指してくる」
「道理だな。おれも生き恥を晒すくらいなら自ら死を選ぶ。……参ったな、このままだとフェリアルトから狂うぞ」
嘆いた彼女の言葉はそのままキイスの心配の種だった。
キイスは額に手を当てた。
フェリアルト領には鉱山がある。鉱山には大穴があり、そこに飛び込んで戻ってきたものはいない。真実はわからないが、竜すら殺す程の強い力があると言われている。フェリアルトの鉱山が枯れないのは大穴で死んだ竜の身体に含まれる魔要素によるものではないかとさえ言われている。
竜、特に戦士と呼ばれる竜は誇り高い。
ミユルナの言うとおり恥を晒すくらいなら自ら大穴に飛び込んで死を選ぶだろう。だが予定のない竜の死は歪みになる。竜は魔法生物であるが故、死の瞬間に多大な影響を及ぼす生き物なのだ。そもそも竜というものはそう簡単に死ぬことはない。争いで命を落とすのでなければ人間が到底想像出来ない程の長い時間を生きることになる。老齢期に入れば眠っている時間の方が長くなり徐々に魔法の力を失っていく。寿命で尽きるのであれば竜は周囲に大きな影響を与えずに朽ちることも出来る。だが、そうではない死は周囲に影響を与える。歪みとなり、他の竜を狂わせることにもなる。
かといって狂った竜をそのままにも出来ない。最悪の場合はミユルナがそうしたように殺すしかない。それが何より被害が最小限におさまるからだ。
最小限に収められたとしても影響は出る。このまま沢山の竜達がフェリアルトで死を選んでしまえばフェリアルト領は他の領地より先に沈むだろう。
「領地内のことは領地でとどめて貰うよう要請はした」
「返答は?」
「コラル、ミレイルから言うに及ばずと返答が帰っただけだ」
「この状況で贅沢は言えないな。色よい返答が帰っただけで十分だ」
「だよなぁ」
返答が帰ってくるだけで十分過ぎる成果だ。だが溜息が出る。
フェリアルトでも領地の端から端までのことを把握しきれていない。人里離れて暮らしている竜も多くその全てをと頼んでも難しいのは承知していた。何より全体に歪みの影響が出ている。各領地でも頭の痛い問題が山積みだろう。
「早く王が決まってくれりゃいいが……」
「キイスが星見に選ばれれば良かったのにな。キイスの実力があればすぐにでも終わっただろ?」
キイスは苦笑を禁じ得ない。
「や、俺だって簡単にいかねぇって。……候補の中には四方将軍がいるって噂だろ? そうそうやれる相手じゃねぇよ」
「元西方将軍らしいな。それだけの実力があればとっくに決着付いていてもおかしくない。おれはキイスの方が強いと思う」
「褒められて悪い気はしねぇけどよ、俺をあんま買いかぶるなってぇの。俺は温厚なんだ。殺し合いになんか参加したくねぇよ。大体、強かろうが弱かろうが、選定の時に選ばれた竜しか竜王にはなれねぇ」
「それがおかしいんだ。そもそも、王を決めるのに殺しあう意味が分からない。歪みを加速させるだけじゃないか。……運も実力も高い竜じゃなければ他が付いてこないのはわかるけどな」
それは確かにキイスも思っていた事だ。
竜族は確かに実力の高い者を好むが、殺し会いをして最後の一人になるまで竜王として認められないのはおかしな話だ。
候補として選ばれた中には殺し会いを望まない竜もいたはずだ。
「ま、ともかく、だ。警備を強化して……」
言い差した時、廊下をバタバタと走る足音が聞こえる。
軽い子供の足音となれば一人しかいない。
突然扉が開かれ、予測通りの人物が顔を覗かせた。
「おーい、キイスいるー?」
「ノックぐらいしろ、馬鹿弟!」