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「カリア、ちょっと大丈夫か?」
ドアを叩いて呼びかけると、ややあってそっと扉が開く。
少し疲れた様子のカリアはそれでも気丈に笑顔を見せた。
「まぁ、キイス様」
「調子は大丈夫か? 随分消耗した様子だったが……」
「大丈夫です。魔力を少し使いすぎただけですから、もうちゃんと動くことも出来ますし。それよりセイムさんの様子はどうですか?」
「一度目を覚ましたから解熱沈静剤を飲ませた。今は眠ってランが付いて見てくれている」
カリアは少し驚いた様子で目を見開いた。
「驚きました。セイムさんは凄いですね。縫合の痛みに耐えただけでなくもう目を覚まされるとは……」
「覚ますと言ってもまともに会話が出来る状態じゃなかったぞ?」
「普通なら意識を戻すまでに丸二日はかかりますから。早めに次の薬を作ったほうが良さそうですね」
セイムの腕が切り落とされてからまだ半日も経っていない。目を開けて痛みに耐えきれなくなったようにうめき声を上げたセイムは、状況がよく分かっていない様子だった。前後の記憶が混乱しているのかクウルの事を気にしていた。無事だと言うこと、セイムがちゃんと守りきったことを伝えるとようやく安心して眠りに就いたが、その間キイスが誰なのかも分かってないように見えた。
それでも、通常なら二日は掛かるという言葉と彼女の驚きの様子を見れば相当なのだろう。
幼い頃は兄弟のように育った友人だ。少しでも早く回復しそうなら嬉しい。
「それで、どうなさいました? 急ぎの用でしょうか?」
「判断が遅れるのを避けたい。出来ればすぐに話をしたいのだが……」
彼女は分かっていたという風に頷き、中を示す。
「どうぞ。何のおかまいも出来ませんが、座ってお話をしましょうか」
「ああ、邪魔する」
キイスは遠慮することなくカリアの部屋に入る。
自分にとってカリアはもう一人の母親のような存在だ。母アルハとカリアは仲が良く、まだ物事が良く分かっていない幼い頃は二人が双子の姉妹だと思っていたくらいだ。今思えばカリアの方がずっと年上であるし、何故そう思ったのか分からないほど容姿はまるで似ていない。ただ覚悟を決めたような芯の強さが似ているのだろうと思う。
「カリアは前に件の男……アグラムに会ったことがあるって言ってたな?」
「はい、まだお小さい頃でしたが」
椅子に座るとカリアは近くにあった茶器でお茶を淹れ始める。
「どういう関係だったんだ?」
「どういう、とは?」
手を動かし作業を続けながらカリアは不思議そうに問う。
「クウルの奴が聞いてるんだ。カリアの姿を見たとたん‘冗談じゃねぇ’って呟いたらしい。セイムの腕を落とすような相手だ。カリア一人対処出来ないとは思えない。どうしてそんな発言に至ったのかが気になったんだ」
「……」
カリアはゆっくりとカップに茶を注ぐ。
少し考えるような間。それはあまり彼女らしくなかった。
「それは、恐らく私が飛翔王の友人としてコラルを尋ねたからでしょう」
「友人? 先竜王とか?」
「はい」
頷いて彼女はキイスの前にカップを差し出す。爽やかな香りの薬草茶だ。
「先王陛下は異界育ちでいらっしゃるが故、こちらの世界に不慣れでした。私も谷の歴史を教える教師として城にいましたし、陛下は気さくな方で友人と呼んで頂きました。ほんの十数年の間のことですが」
「コラル城にいたのか。初耳だな」
カリアはアルハの為にコラルを離れている。
アルハは恵まれた肉体を持つフェリアルトの竜でありながらそれほど身体の強い竜でもなかった。カリアはアルハがキイスを産んだことを知って、手助けになるだろうと家人としてフェリアルト領城に入ってくれることになったのだと聞いたことがある。
まさかそれまでコラル城で竜王に物事を教える立場にあったなどとは夢にも思わなかった。
「自慢して回るような話でもありませんからね。……アグラムさんは私がこちらに来てから陛下に引き取られたそうです。陛下は我が子のように可愛がっておいででしたし、アグラムさんも陛下を慕っているようでした。おそらくそれでそんな発言になったのではないでしょうか」
「飛翔王の友人が戦闘に巻き込まれそうな位置に居て‘冗談じゃねぇ’か?」
「私にはそうとしか……」
彼女は困ったように言う。
通らない話ではない。父親のように慕っていた人物の友人なら傷つけたくない心理が働いてもおかしくない。けれど、竜王の左の翼と呼ばれ西方将軍を務めたような男が、セイムと命がけの戦いをしている最中に退くだけの理由になるのだろうか。小さい頃一度だけあった人物の容姿の特徴など覚えているものだろうか。戦士であるから気配を覚えていたというのでも納得は出来るが、クウルから話を聞いた印象と、今の理由では噛み合わない気がした。
何よりトランタは話し合えなかった、と言ったのだ。竜王が身罷り赤妃も倒れてからアグラムは気が狂ったとトランタは言う。正気なら話し合えると踏んでトランタは向かったが、全く話せない訳ではないが理性的ではなかったと傷を負って戻った。
頭に血が上って何をするか分からない人物が、そんな理由だけで退くのだろうか。
「カリア」
「はい」
「俺に隠していることがあるな?」
「どうしてそう思われます?」
「家族としての勘だ」
言い切るとカリアはくすりと笑う。
「曖昧なもので私を疑うのですね」
「俺の勘を舐めるな。カリアがするような隠し事はきっと洒落にならねぇことだ」
カリアは自分の過去のことはあまり話したがらない。誰かの口にその話題が上ってもいつの間にか別の話題にすり替えられている。今までは別にそれでも良かった。キイスの知っているカリアだけで十分だったし問題もなかった。
ただ、今はフェリアルト領都の問題にも関係しているかもしれない。聞かずにはいれなかった。
「そうですね、確かにキイス様の勘は侮れませんね。……ですが、話せません」
「カリア」
彼女は辛そうに目を伏せる。
「話したくないというのもありますが、明かせない事になっています」
「明かせない? 呪に掛かっているということか?」
「いいえ、そう言うことではありません。ただ、簡単なことではないのです。新たに立った竜王陛下のご命令でもなければ明かせないと思って頂ければと思います」
「………」
新たな竜王の命令ならというのであれば、考えられるのは飛翔王の命令だ。アグラムがもし彼女の隠し事の内容を知っていて彼女を殺すことが出来ないと判断したとしたら「冗談じゃなねぇ」の説明も付く。
分からないのは、それだけ特別な命令を受けているか、彼女自身がそれだけ特別な竜か。
「明かすことは出来ません。ですが、約束します。私は家人として……いいえ、家族としてキイス様もクウル様も大切に思っています。特にクウル様の事はアルハとも約束しています。危険があるのならばこの身に代えてもお守りします」
キイスは溜息を付く。
長年家族として一緒にいたカリアが、重大な秘密を明かしてくれないのは寂しいことだが、感情だけで話せることではないのだろう。何より彼女自身の辛そうな顔を見てしまえば強く出ることも出来なかった。
「そんな約束いらねぇよ。お前も家族の一員なんだから、カリアが欠けて誰か助かっても意味ねぇだろ」
彼女はほっとしたように笑う。
「本当にお優しいですね。家族を信じられねぇのかと、もっと叱られると思いました」
「カリアは一度決めたことは簡単に覆さないだろ。そう言う頑固さ知ってるからな。そもそもアグラムって野郎が領都内で暴れない為の対処が出来ればと思って話を聞きたかっただけだ。カリアを尋問したい訳じゃない」
「ありがとうございます。アグラムさんに関しては、私が話を付けましょう。話して分からない相手では……」
「それはだめだ」
即座に否定するとカリアは驚いたように目を見開く。
「トランタが話に向かって襲われてるんだ。幸い命に別状はないが、カリアを二の舞には出来ない」
「……そうですか……あの人が」
「カリア?」
声音に不思議な色を感じてキイスは眉を顰める。
カリアとトランタは昔馴染みだ。ミユルナは記憶にないようだったが、コラルにいた頃からの知人であり、二人の間に流れる空気はいつも穏やかなものがある。負傷したと聞いて心配した風でも、命に別状がないと聞いてほっとしたようにも取れる声音だが、説明のしようもない響きが混じっていた。
「……明日、少し暇を頂いてもよろしいでしょうか。ミユルナさんがこちらにいるのでしたら不自由があるかもしれません。トランタの見舞いに行きたいのですが」
「それは構わない。あいつも喜ぶだろ。だが、カリアは大丈夫なのか?」
「ええ、気遣って下さってありがとうございます。ですが私のことは……」
言い差してぴくりとカリアが何かに反応をする。その瞳が吸い寄せられるように窓の外を見た。訝ってキイスもその視線を追うが視線の先には何もない。けれど彼女は青ざめ、口元を覆う。
「そんな……まさか……!」
「何だ? どうしたんだ?」
「すぐに……っ!」
彼女は縋るようにキイスの腕を掴む。
今にも倒れてしまいそうなほどに彼女の顔色は悪い。
「すぐに森へ……! このままではクウル様が……」
弟の名前を出されてキイスは目を見開いた。
「古海に飲み込まれてしまいますっ」
「何の話だ? 古海って……」
「とにかくお急ぎを。今の私ではクウル様をお止めするだけの力がありません。どうか、あの方の暴走を……っ」
カリアは立ち上がり窓を開くとそのまま外へと飛び出そうと手すりに足をかけた。普段は折り目正しい彼女なだけにどれだけ焦っているのかが伝わってくる。何が起きたのか分からなかったが、行くしか方法はないようだった。
キイスはカリアを肩に乗せるように抱きかかえる。
「キイス様!」
「方向はっ?」
「あちらです」
カリアは方角を指し示す。
キイスは翼だけを大きく広げた。
「飛ぶぞ。落ちないように踏ん張れ」
「はいっ!」